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12月25日は生憎雨だった。幸い濡れない観光のメッカが近くにあった。日本1と言う水族館だ。
敷地は広く入り口まで相当距離があったが、杖に縋って歩く、途中腰痛が出たのでトイレで痛み止めを入れる。トイレは車椅子で使える設備が整っていた。周囲の木々の配置も美しくハイビスカスの花が咲いていた。雨上がりの花は水玉の露が光を受けて真珠のようだった。館内は子供連れでごった返していた。
大きな水槽に先ず驚いた。杖を突いていたので皆さんがご親切に開けてくれて、有難くも1番前で座ってみる。大きなジンベー鮫から かわいらしい熱帯魚まで同じ水槽の中を優雅に泳いでいた。弱肉強食の世界が目の前で見せられるのではないかと、不安な気持ちで眺めていた。
この世界は平和そのものだった。玉のように群れ集う小さな魚は、後ろから とてつもなく大きいマンタが来ると、群れの真ん中に通れる大きさのトンネルを開ける為に小魚の群れが散った。するとマンタは悠然と通り過ぎ小さな魚の群れは元通りの丸い群れに戻った。私はエイが口をあけて小さな魚を飲み込むのではないかと、目を凝らしていたが何事もなく、ショーは終わった。私の心を見抜いて見せてくれた魚たちのショーだった。
この平和な魚たちの世界はどうして作られたのだろうか?えさのやり方にあった。1番最初にえさ入れのネットから落とされたのは、、1番小さなアミだった。小さな魚たちが落ちて来るえさに群がって食べた。次は小エビを砕いた餌・次は小エビと餌はだんだん大きくなっていき、最後に1番大きなジンベー鮫に落とされたのは、鯵のようだった。小さな魚から腹を膨らませていく様は、この地球上の人類にもあてはまるのでないか?「食足りて礼節を知る」をこの水族館で見せられた。
美しい熱帯魚、珍しい姿態の魚 大魚からミシンコのような小さな魚が同じ水槽で悠々と泳いでいるのは、大人でも見飽きなかった。乳母車の幼児が、外のショーケースへ連れて行かれようとしたら、此処から動きたくないと泣いていた。
外は糠雨。この水族館の対岸に伊江島が眺められるはずだったが見えなかった。。戦争中この島は激戦があったところ。私の親族の叔父の遺骨はまだ見つかっていない。有名なアメリカのジャーナリスト アーニイパイルが戦死した島でもある。戦後も米の基地建設に強制的の農地取り上げられる事件があった。
ここ沖縄の北部は戦場になる南部の人たちに疎開地とされた土地である。亜熱帯雨林のような森の中を、彷徨いマラリアになって死んだ人が多かったと言う。アメリカ兵が日本敗残兵を掃討の為、入ってきて殺されたり、部落は火炎放射器で焼き払われたそうだ。
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