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首里城の歴史

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 最後の日06年12月27日はゆっくり首里城見学する。戦前1943年木肌丸出しの首里城と守礼の門と識名園を見ていたので、再建された首里城の壮大さと朱色に塗られた豪華さに驚いた。旅行前土地の歴史を調べて行った。(朝日旅行・鉄の暴風 岩波のオキナワ・いろんな情報誌) 

 琉球が中国史に登場してくるのは、605年飛鳥時代という。群雄割拠の時代を経て琉球が統一されたのが1429年。 この頃から日本との交易が盛んになる足利時代という。交易は、日本だけでなく明・ジャワ・マラッカ・シャム・朝鮮へと広がっていて、大国明との関係は更に深かったそうだ。
 豊臣秀吉が朝鮮に兵を出した時、薩摩の島津藩から1万5千人の派兵の要請があったらしい。これを断ると薩摩は3千人の兵で琉球を攻め、首里城は落とされ、王様以下100人の要人が捕虜として鹿児島に連行された。その時奄美大島・喜界が島・徳之島・与論島・沖永良部の5島を島津藩に取られ、それと共に琉球の海外貿易権も取られたという。それでも尚王統は継続、明と日本を巧みに使い分けて貢物をし、大陸文化の色彩の強い平和な琉球国を存続させたそうだ


首里城が聳える首里台地は地下に軍司令部の壕が縦横に掘られていたそうだ。この地は米兵の砲弾集中で地獄の様相だったそうだ(鉄の暴風沖縄タイムス社編に)読むのもおぞまし情景が記録されている。

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初めまして。沖縄の首里城の写真とその歴史を興味深く読ませて頂きました。戦前(1943年)の首里城は木肌丸出しであって、現在のような朱色ではなかったのですね。と、いうことは、現在の首里城は創建当時の記録を基にして再建されたものなのでしょうか?また豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に薩摩藩から琉球に派兵の要請があり、それを断った際に、奄美大島・喜界島・徳之島・沖永良部島・与論島の五島が琉球から薩摩の島津藩によって取り上げられ、それと共に琉球の海外貿易権も取られてしまったという事も初めて知りました。

2010/3/2(火) 午前 1:07 [ ]

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花さん旅行記読んでいただき有難う。ひめゆり学徒隊と同級生だった私は、久しぶりの沖縄は、感無量でした。

2010/3/4(木) 午後 1:58 [ 京子 ]

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