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卯年はあと2週間で辰年に変わります。今年ほど1年が長く感じたり、短く思えたりした年はありません。敗戦の年より暗い年の瀬です。今迄1番暗いと思った敗戦後は、もう恐ろしい空襲は無いという安堵感がありました。
現在放射能事故は毎日新しい事故を発見してはニュースになっています。9ヶ月も過ぎた2011年12月5日の新聞によると、原発事故現場から高濃度放射能汚染水が漏れて、1部が海に達した可能性があると報じています(朝日新聞)原発事故はいつまで続くのでしょうか。
放射能で汚染された地区の除染方法は手探りで、除染した土の置き場も決まらない状態のようです。原発から半径20キロの警戒区域から疎開している住民は一時帰宅で、冬用の荷物を持ち帰ったといいます。次は春先になると報じています。疎開している方々が我が家に帰れるのは、数年先とも言われています。なんと不便な暮らしを強いられているのかと思うと、自分の変わらない生活が申し訳なく思えて、後ろめたさを感じます。
9月の二百二十日の台風も想定外の強風で、驚かされました。玄関を開けると、夕日が差し込んで眩くなったのです。この家に住んで夕日が玄関に差し込むことはありませんでした。屋上に届く桜の大木が影を我が家の壁に立ち上げていました。その桜が台風でなぎ倒されたのです。私の目に見える範囲内で桜並木3本なくなりました。偶にしか家を出ない私の目には、違った世界に足を踏み入れたように思えます。
今年の大地震・大津波・原発事故は歴史書に刻まれることでしょう。私の年代の小学校国語読本に『いなむらの火』と言うお話がありました。地震後高台に住んでいた村長が、海の異変に気づき、刈り取ったばかりのいなむらに火をつけて、海辺の人たちを高台に呼び寄せたお話です。小学校時代の記憶は鮮明に残るものです。原発事故は全く予想も出来ない事故でした。その上、収束に何年かかるか判りません。チェルノブイリ原発事故から四半世紀たった今でも農作物の放射能を計りながら生活しているそうです。
日本中あちこちに原発の発電所はあります。作られた土地は、大抵海辺や貧農地です。原発はお金をジャブジャブ落とすし、就職口が出来ます。経済観念だけで誘致したのでしょう。事故など知らないし知らされなかったと思います。
この歳(83)になって初めてシーベルト・ベクレル等という単位を知りました。生きる知恵として放射能に対処する方法を身に付けるべきです。
小学校の生徒が判るようなお話を作って『原発の話』としてやさしい表現で国語読本に載せてもらいたいと思います。
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四国では小学生は原爆ドームへ修学旅行で行く学校が多いです。
息子達も行きました。
2011/12/31(土) 午前 7:21 [ aporo ]