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68年前の敗戦の日私は宮崎の裁判所検事局の雇いをしていた。敗戦の詔勅を聞いても何を言っているかサッパリ判らなかった。
翌日か翌々日志布志湾にアメリカ兵が上陸してくると言うので「女・子供は山奥に逃げかくれよ」と言う命令が出た。家族は空襲の前宮崎の山奥に疎開していて、私と父だけが務めの関係で残っていたが、、私は近所の妊婦の夫婦と連れ立って山奥に逃げる事になった。
出発は夕方だった食べ物の残り物と下着のみをリュックに詰めて出発した。リヤカーや荷車に荷物を積んだ車の間に挟まれて山に向かった。
大勢の人が黙々と歩いていたら、田圃の中の小学校に赤々と電灯が灯り兵隊が騒いでいた。行列の人々を抜刀した将校が「1億玉砕だ。帰れ」と怒鳴っていた。よくよく見ると酔っ払った将校だった。
人々はもう兵隊を信じないで駆け抜けて逃げた。一晩中歩いて家も無い森の中に来ていた。もう歩けないほど疲れ、腹は減りどうしようもなかった。偶々この森の中に1軒の家を見つけて軒端を借りて座りやすむことになった。妊婦は夫に方を抱かれて私は膝を抱いて寝た。朝起きてみたら土の上に寝転がっていた。山奥の朝は足元の草に露が光っていた事が忘れられない。又半日歩いてやっと母の疎開先についてサツマイモで腹を満たした。68年前の敗戦で、「国敗れて 山河あり」を味わった。
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無題
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