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この歳(85)になると、今まで思いもしなかった事が起きる。
こんなに骨が軟くなるとは思わなかった。
辞書(大辞苑)(漢字大辞典)を、足元から取り上げて肋骨内の背骨が4本骨折した。あの痛みは私は表現出来なくて震えて医者に駆け込んだ。
体の大きい力のある次男が私を抱き上げて車に乗せて整形外科に連れて行った。この時は医者は静かに寝ておくしかないといわれ、痛みどめをくれてベットですごした。最初は震えるほど痛くて寝られなかったが、次第に痛みが和らぎ、人の世話にならないと嘯いていた自立心目覚めて、痛みを我慢してトイレに行っているうちに、だんだんよくなった。
次は散歩中たった1センチのレンガ道の窪みにつまずいて背骨が10本圧迫骨折した。この痛さも私の下手な表現出は表されない。この時は整形外科に入院した。脇から腰までのコルセットを作った。コルセットをして車椅子の練習をしてトイレにも行けるようになった3万数千円のコルセットだったが、医療保険が利いて2割換金されて保険の有難さを知った。3月1日から16日入院それから今最高の医療技術とされる「遺伝子組み換えホルデシモ」注射を毎朝自分で注射して背骨が強くなって、きた。2本の足だけで直立できなかったのに、6カ月めの現在は立ったままでコルセットを巻いている。
ここまでよくなったのに人間過ぎたるは及ばざるが如しとというのだろうか?先月26日朝3時35分2本の杖にすがってトイレに行く途中畳の上で転倒した。その時左膝で全体重を受けてしまい起き上がれなくなった。寝ていた夫に「助けて!と声をかけた。息子にも携帯で助けを呼んで助けられたが、あの痛さを朝まで震えてがまんした。
翌朝息子に抱かれて車に乗り、近くの整形外科に連れて行ってくれた。車から降りるのも抱かれて降ろされた。。自分の息子ながらその力強さに感服した、外科医は最初レントゲンを取ったがわからず、1週間置いて「MRI]を撮り膝の両側の骨折を見つけて脚の付け根から足首まで、コルセットを巻いた。膝裏にシップ薬を上は厚いコルセットで抑えてある。
現在の私は、車椅子生活である。直るのに3ヶ月掛かるそうだ。でも何もしないではおられない性分、今は500メートル歩行もできないが、、パソコンはできる。これで老後を楽しむしかない。。これ以上失敗したら皆に申し訳ない。ヘルパーさんや連れ合い息子に感謝しながら過ごすしかない。
早く直して皆さんにお礼がしたい。何をしたらよいか考え中だ。
教えてください。
 
 
 
二百10日を過ぎた途端涼しくなり、今まで重宝してきていた妹の贈り物のブラウスが、皮膚に当たるとひやっと冷たく感じるようになった。私の歩行距離にお店は1軒も無い。衣類など見たことも無いので、冷たい繊維はどうして作るのかと詮索するうちに、もう温かいぬくもりの衣類が、欲しくなりたんすの中を引っ掻き回した。季節の変わり目は走ってやってくる。
 7年間地面の中で住んだ蝉が、木々の中で賑やかに鳴いていたのにもう泣き止んでしまった。子供の頃「つくつくぼうし」と鳴いて2学期が始まるよ、宿題は終わりましたか?と言われていた蝉の声も聞かなくなった。
 あちこちで局所豪雨が日本を駆け回りこの夏は気象情報にテレビの情報が見逃せない程だった。家を流され竜巻で吹き飛ばされた方たちは今急な季節の変化に戸惑っておられることでしょう。幸い我が家あたりはお湿り程度の雨で並木は水不足の感である。局所豪雨は地球の温度が1度五分(?)上昇した所為と言う。人間の欲望で二酸化炭素が増えたとか聞いた。これが増えないのは原発で作られる電気と言い、日本は福島で事故が起きても、原発製造に長けている為か2発は輸出されたときき驚いた。便利さを求めるとどうなる地球。
新聞を読むとき老眼鏡をかけ、拡大鏡を通してやっと読めるが、読む行が変わる時何処へ変わったか判らなくなる。又今読んだ行が重なってしまう。特に右側に大文字があったとき、それが読もうとするところに被さってくる。老眼が進んだ為なのか、脳が衰えたのか85歳過ぎると、体に変化がでて来る。情けなくなるが、これが老いると言うものかと思う。明日は日曜日息子に頼んで眼科に行ってみよう。眼科はたぶん休みだから眼鏡屋へ連れて行ってもらおう。老眼鏡を変えたら見えるかも!
 生きるなら出来る限り好きな読書が続けられるような眼鏡に出会いたいものだ。抗原病の一つシェーングレン症候群のため、唾液線と涙線が壊れているのも、見えにくい原因でもあるが、人口涙疫目薬は何時もポケットに入れてある。唾液はポカりスエットを持ち歩いて何とかおしゃべりも出来ている。
目薬を入れるのは座らないと目に入らないのが困る。
 善い眼鏡に出会いたいものだ。。

腹8文

 
8月を迎えると敗戦の日を思い出す。惨めな戦前戦後だった。食べ物衣類全てに飢えた時代過ごした。飢えは意欲の泉と言われるとおり、あの時代を過ごした人は今でも意欲的に何かを求めて過ごしている。
過剰な豊かさの中で生きる若人に伝えたい。物に命があることを。ルソーの教育論に「豊かさの中で育った子は不幸」とある。食べ物を捨てないように適量に作り、腹8分目食べよ」といわれる。よく噛めばまんぶく中枢を刺激するのだそうだ。
68年前の敗戦の日私は宮崎の裁判所検事局の雇いをしていた。敗戦の詔勅を聞いても何を言っているかサッパリ判らなかった。
 翌日か翌々日志布志湾にアメリカ兵が上陸してくると言うので「女・子供は山奥に逃げかくれよ」と言う命令が出た。家族は空襲の前宮崎の山奥に疎開していて、私と父だけが務めの関係で残っていたが、、私は近所の妊婦の夫婦と連れ立って山奥に逃げる事になった。
出発は夕方だった食べ物の残り物と下着のみをリュックに詰めて出発した。リヤカーや荷車に荷物を積んだ車の間に挟まれて山に向かった。
大勢の人が黙々と歩いていたら、田圃の中の小学校に赤々と電灯が灯り兵隊が騒いでいた。行列の人々を抜刀した将校が「1億玉砕だ。帰れ」と怒鳴っていた。よくよく見ると酔っ払った将校だった。
人々はもう兵隊を信じないで駆け抜けて逃げた。一晩中歩いて家も無い森の中に来ていた。もう歩けないほど疲れ、腹は減りどうしようもなかった。偶々この森の中に1軒の家を見つけて軒端を借りて座りやすむことになった。妊婦は夫に方を抱かれて私は膝を抱いて寝た。朝起きてみたら土の上に寝転がっていた。山奥の朝は足元の草に露が光っていた事が忘れられない。又半日歩いてやっと母の疎開先についてサツマイモで腹を満たした。68年前の敗戦で、「国敗れて 山河あり」を味わった。
 
 
 

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