2007年の日記

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 2006年に引き続き、2007年日記です。
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幸せになりましょうね

 さて、仕事納めは明日なのですが、明日は日記を書くことができるのか分かりませんので、今回の日記

を今年最後の日記とさせて頂きます。

 1つ目です。

 
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 実家の玄関に飾ってあるおばあちゃん(親父方)のちぎり絵が替わっていました。


 2つ目です。

 お歳暮の時期ですね。

 実家ではお歳暮は長芋と決まっております。おばあちゃん(親父方)が生きていた頃にはおばあちゃん

経由で長芋を発送して貰っていたのですが、去年からはおばあちゃんの妹さんのまこちゃんにお願いをす

るようになりました。

 今年は鳥取県の長芋は不作のようでして、毎年お願いをしている農家の方に今年は長芋が用意出来ない

と言われたようで、まこちゃんが色々と探してくれまして、何とか発送することが出来たようでした。

 先週ですかね、スーパーに行き長芋の値段を見ますと、贈答用の長芋の値段は去年に比べて1000円

程度高くなっていましたね。

 さて、実家では、付き合いのある方の親族の方が亡くなられた場合、寒牡丹を送ることにしています

が、喜ばれているようです。

 ということで、お返しのお歳暮も届いておりまして、

 
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 ある親戚の方がユリを贈って下さいました。

 おかんは花が咲く度にせっせと花粉を取っているようです。

 とですね、このユリの香り、空気清浄機に反応するだろうかと思ったので、1本だけ拝借して実験をし

てみようと思ったのですが、1本拝借しますとこのユリのバランスが崩れることが分かりまして、今の所

は諦めておりますが、ちょっと実験したくてウズウズしております。

 花ということで言いますと、毎年造花を贈って下さる方がおられまして、

 
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 今年はバラの造花でした。おかんは喜んでいましたよ。

 もう一つ花のことを書いておきますと、先日おかんに呼ばれまして、

 
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 「見てご覧なさい、シャコバサボテンの花が咲きそうよ。」と言われました。

 その後、

 
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 咲きましたね。

 「しっかし、よく見ると花の多い家だよね。」と言いますと、

 「今頃分かったの?貴方は花に囲まれて幸せ者なのよ。」と言われました。

 まあ確かに、年中実家の中には花が咲いていますのでね、幸せ者かもしれませんね。


 3つ目です。

 先日、ホームセンターに行きました。

 目的はですね、明日へと迫った親父の誕生日に贈る「男はつらいよ」全49作を収納するケースを買う

ことでした。色々と見て廻りましたが、まあ、適当なケースがないのですよ。

 画像を撮るのを忘れましたが、CDが38枚収納できるケースがありましてね、何とも言えない気持ち

になりました。38枚ってかなり中途半端な数字ですよね。

 ということで、50枚収納できるケースがありませんでしたので、

 
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 CDを30枚収納出来るケースを2ケース買いました。

 ところが実際に収納してみますと、DVDが普通のCDよりも薄かったために、

 
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 一つのケースで収納を完了してしまいました。

 後はですね、このケースをラッピングして、袋に入れて明日渡そうかと思っておりますが、ラッピング

をしたことがないのですよね。

 よくデパートなどで、紙で包んで下さいますが、あのような技術を持ち合わせておりませんので、今夜

は紙と格闘をすることになりそうな気がします。


 4つ目です。

 
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 今日は2007年12月27日ですか、もう数日で2007年も終わるのだなと感慨深く思います。毎

月カレンダーをめくる度に、あぁ○月になったなぁと思っておりました。


 今年を少し振り返りますと、本当に色々なことがありましたね。「2007年の日記」の書庫で書いた

日記はこの日記を入れて168になるようでして、その他の書庫の記事や旅行記を合わせますと恐らくは

200を超えると思います。

 自分で言うのも何ですが、僕の日記って子供が書くような日記ですよね。


 色々なことと一言では言い尽くせませんが、思いついたままに書きますと、blogで言えば今年はランダ

ムblogによく載ることが出来まして(まあ狙っておりますが)、今年初めにはお気に入り登録をして頂い

た方は11人だったのですが、本日現在ではその3倍の33人となりました。これは一重にランダムblog

に載ったお陰だと思います。

 今年1年で日記に貼り付けた画像は2000枚を超えると思います。よく携帯で撮りましたね。

 また、僕の大好きなテレビ番組「水曜どうでしょう」もかなり皆さんに浸透しましたね。

 そして、blogを始めて2年半以上が経ちましたが、何人かの方と実際の名前や住所を交換したりメール

をしたり電話をしたりもさせて頂き楽しい時間を過ごさせて頂きました。


 さて今年を表す漢字は「偽」という漢字になりましたが、僕個人の今年を漢字一文字で表すと何になる

のかなとここ数日考えておりました。

 「別」、「寂」、「辛」、「苦」、「泣」、「悔」、「悩」、まず思い浮かんだのはこの類の漢字でし

た。でも、こんな漢字を選びたくはないなと思いました。

 「試」、「映」、こんな漢字も浮かびました。

 思えば、今年は色々と試しましたね、空気清浄機を使って、


 このような実験をしました。

 夏休みの自由研究と称しまして、アイスコーヒーと炭酸(三ツ矢サイダー)を使い、



 このような実験をしましたし、野菜ジュースと三ツ矢サイダーを使い、


 このような実験をしましたね。

 また、巷のブームにも乗り、


 ビリ男にも挑戦しました。


 また今年は映画を約100本観ましたね。

 映画解説者として、淀川たか治さん(主に水曜日担当)と水野たか郎さん(主に金曜日担当)がデビュ

ーしました。

 余談ですが、左上のアバターの上に「検索」する箇所がありますが、そこに「淀川たか治」と打ちまし

て検索ボタンを押し、「内容」で再検索しますと、淀川たか治の紹介した映画を観ることが出来ます。


 さてその後考えた漢字は「熟」でした。

 今年1年、これほど毎日のように色々と考えた年はここ数年なかったなと思います。眠れない日々もあ

りましたし、悪夢を見て目覚めることも1度や2度ではありませんでした。

 今までの自分も振り返りましたし、反省もしました。

 そして、今年経験したことをきちんと整理して自分のものとし、必ず今後に活かして行かなければなら

ないと思いました。

 少しは人間的に成長と言いますかね、熟成・成熟したのかなと思います(思いたいというのが本音です

ね)。


 実は今年の漢字は「熟」にしようかと思っていました。でも、少し違うなと思いました。

 その次に浮かんだのは、「幸」でした。

 僕は本当は幸せ者ではないのかな、と思ったのです。

 色々なことがある中で、一緒に喜んでくれたり悲しんでくれたり、泣いてくれたり、励ましてくれたり

応援してくれたり叱ってくれたり、温かく見守ってくれたり、そういう方が沢山いてくれるのだな、一人

ではないのだな、と気付きました。

 以前ですね、日記の中で、僕は自分のことを真っ暗な海に、浮き輪もロープもなく投げ出されたような

感じであると書いたことがあります。

 でも、夜が明けまして、光が差して来ますと、そこには沢山の方がおられ、浮き輪を投げてくれたり、

岸はあっちの方向だと教えてくれたり、励ましてくれたりしてくれる人が沢山おられるのだなと気付きま

した。

 何て僕は幸せ者で恵まれているのだと思いました。

 幸せになれるのか、不安に思ったこともありました。その時に坂口君が言ってくれた言葉、

 「幸せになりましょうよ。」というのは忘れられません。


 blogを書く理由、それはやっぱり僕のことを知って欲しいという願望が僕の中にあるので日記を書いて

いるのだと思います。

 こんな人間がいるんだよとこんなことを考えて感じて、生活を送っていますよと知って欲しい部分もあ

ります。

 今年は何度か本当にblogを書くのを辞めようと、こんなことをして何になるのか、人と接するのも煩わ

しいと感じる時期もありましたが、日記を再開するのをずっと待っていて下さる方がおられました。

 読んで下さり、コメントを付けて頂き、僕はそのコメントに随分と助けられました、幸せだなと思いま

す。

 でも「幸」も今年の漢字にはふさわしくないかな、もう少し先に取っておこうかなと思いました。


 最終的に、僕個人を表す今年の漢字は「友」とすることにしました。

 今年は本当に多くの友達・友人に助けてもらいました。

 坂口君と約4年振りに再会もしました。水野さんとは約1年振りに再会しました。小林君夫婦とも仲良

くさせて頂きましたし、吉岡君夫婦もよくしてくれました。最近では下垣君とも仲良くさせてもらってい

ますし、その他にもblogを通して多くの友達(と呼ばせて頂いてもいいですよね)が出来ました。

 いい友達に恵まれて本当に幸せだなと思います。

 今年の漢字は「友」とします。

 友はかけがえのない財産です。


 さて、今年一年間、

 
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 本当に本当に、お世話になりました。そして来年も何卒宜しくお願い致します。

 
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 来年はもっともっといい男・人間となるべく、努力し、自分の歩幅で上を向いて歩いて行こうと、時に

は走り、時には立ち止まり、時には迷うこともあるかと思いますが、一歩一歩歩いて行こうと思っており

ます。

 
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 末尾ながら、皆様お身体をご自愛されまして、よいお年をお迎え下さいね。

 また来年、この場所でお逢いしましょう。 
 

お誘いには弱いのです

 さて1つ目です。

 毎年とは言いませんがこの時期になりますと靴が欲しくなります。年末大特価とか年末特別セールなど

と謳われた広告を見ると、まあ久し振りに靴屋さんにでも行ってみようかなと思ってしまうのですよ。

 ということで靴屋さんに行きまして、店内をフラフラ(とは言いましてもちゃんと買いたい靴はあった

のですよ)していますと、デキル男は足元から、と書かれたプレートがありましてね、

 
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 少々お値段はしましたが、なるほどなと思いながら買ってしまいました。


 実は去年もこの時期に靴を買ったのですが、このお店ではこの時期に靴を買いますと、ある物が当たる

かもしれない応募券を貰えました。

 何が当たるかもしれないかと言いますと、

 
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 焼酎なのですよ。

 去年は持っていた応募券を全て「森伊蔵」に入れたのですが、見事にはずれました。どうやら森伊蔵

は、全店舗で1本しかないようでしてね、まあ、それははずれるよねと思いました。

 ということで今年は森伊蔵以外で何にしようかと思っておりまして、全店で5本当たるという「魔王」

という焼酎にしようかと思っておりました。

 すると隣にお子さんを連れた女性が来られましてね、お子さんに、

 「何がいいかな?」と聞いておられまして、お子さんは、初めは、

 「もぐら!」と言っておりました。

 僕は内心ですね、よしよしYOUその焼酎にしちゃいなさいよ、と思っておりましたが、急に、

 「やっぱり魔王!」と言いましてね、僕のライバルとなったのです。 僕は内心ですね、ハクション大

魔王とは違うんだよ、この魔王は優しくないのよ、これは貴方には飲めないのよ、と思いましたね。

 でもそこはさすがに大人と言いますかね、お母さんが、

 「魔王は全店で5本みたいよ、これは当たらないわ。」と言いましてね、結局はもぐらと書いておられ

ました。

 と言うわけで、僕は心おきなく「魔王」にしましたよ。


 2つ目です。

 余談その1です。

 先日ですね、占いを見ていました。僕は双子座なので、双子座の占いを見ていたのですが、ふと金運を

見ますと、

 「ちょっとした臨時収入が期待できます。家でじっとしていないで、外に出て歩くこと!お小遣いがも

らえます。」と書かれていました。

 まあ、思わず突っ込みましたね。いい加減にもほどがあるだろう、と。

 一体誰が外をフラフラと歩いている僕にお小遣いをくれるのですか、と。とは言いながら、外を歩きま

したが、お小遣いなんて誰もくれませんでした。


 余談その2です。

 少し前ですが、おかんが体調を崩しましてね、風邪を引き始めたようでした。その日の夕飯に煮物があ

りまして、食べますと何とも言えない、いつもの味とは微妙に違うような気がしました。

 おかんが風邪を引き始めているから、多少味覚が狂っているのだろうなと思いながら食べていました

が、意を決して、

 「今日の煮物、味がおかしくない?」と聞きますと、

 「あっ、分かったぁ?実はね、味の素と間違えて昆布茶を入れちゃった!色が似ているでしょ?」と言

いましてね、風邪なのか痴呆の始まりなのかと考えてしまいましたよ。


 3つ目です。

 先週の金曜日の夜ですが、先日日記にも書きました同級生の下垣君からメールがありました。内容はで

すね、土曜日にスロットを打ちに行きませんか、とのことでした。

 どうやら熱いイベントをするお店が2店あるようでした。

 僕はかなり考えましたが、彼を信用して打ちに行くことにしました。

 信用と言いますのは、彼はかなりスロット(の中でもある台)を研究していまして、収支もこまめに付

けているのですが、まあ研究の影響でしょうか、負けていません。

 最近は僕も彼の理論?を実践していますが、実は負けなくなりました。

 お店に入りまして、台を見まして、打ちたい台(出そうな台・出る台)が先生と一致したときは嬉しか

ったですね。

 と言うことで、金曜日はしたいことが沢山あったのですが早めに寝まして、翌日に控えました。

 土曜日は、彼が車が使えないとのことで朝から彼を迎えに行きました。

 さて、熱いお店2店の内、どちらに打ちに行くかなのですが、

 「全て下垣先生にお任せします。」と言うことで、先生の言われるお店に行きました。

 
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 (このランプが点灯すると当たりです)

 
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 朝一で打った台はあまり調子が上がりませんでしたので、台を変えたのですが、これが見事なまでの台

でして、ペカペカ光りまくりましたね。

 その後、台を更に変えました。


 さて余談なのですが、僕が初めてスロットいうものを打ったのは大学生のときでした。友達に誘われま

して、打ちに行ったのですが、初めて打った台は「大花火」という台でした。

 今思うとですね、あまりお金を持っていない大学生が手を出すような台ではないのですが、僕はそのゲ

ーム性に惹かれまして、よく打ちましたね。

 その後、ハイリスクハイリターン台は撤去されまして、今の5号機時代になったのですが、最近ですね

「赤ドン」という台が出ました。この赤ドンは、大花火とは似て非なるものですが、打ってみますと、

 
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 驚くほど出ました。

 少しだけ細かい話をしますと、実はですね、スロットのゲーム性を理解しておられないおじさんやお

じいさんが座って打たれることがあるのですが、大抵の方は目押しが出来ない方なのですよね。

 多分ですね、そんな方達のお陰で長くドンちゃんゲームが続いたのだと思います。

 と言うわけで、下垣先生のお陰でかなり勝たせて頂きました。

 その後、祝勝会?をしようということになったのですが、市内のお店は夜遅くまで営業しているお店が

ありませんので、安めの居酒屋さんで、

 
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 乾杯をしまして、

 
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 盛り合わせいっちゃう?ということでお刺身盛り合わせ等と美味しく頂きました。


 実は下垣君は、過労で体調を崩し、以前働いていた会社を辞めました。

 その会社は居酒屋さんを経営しているお店のようでして、下垣君は少し味にうるさいのですよ。でも、

このお刺身は地の物を使っていると言っていましたね。

 どうも話を聞きますと、下垣君は東京は港区赤坂にあるお店で働いていたそうで、僕の中では港区赤坂

と言いますとTBSがある場所というイメージなのですが、まさにTBS関係者の方が多く利用されてい

たそうです。

 安住アナウンサーに注文を取りに行ったことがあると言っていましたよ。


 さて、お店で飲んでいますとですね、声を掛けられました。

 「先輩ぃ〜〜!」と。

 誰かなと思いますと、同じマンションに住んでいる後輩でした。驚きましたね。後輩は、

 「この前はすみませんでした。」と言っていました。

 実はですね、先々週ですかね、吉岡君夫婦が泊まりに来た際に、後輩にも奥さんを連れて飲みにおいで

と言っていたのですよ。

 後輩はその日は夜遅く帰宅したようで来ることが出来なかったようでした。

 さて、飲んだ後ですね、前回と同じように下垣君は、

 「ボーリング行く?」と笑いながら言いましたので、丁重にお断りしまして、喫茶店に行き、僕はコー

ヒー、彼はお酒を飲みましたね。

 ということで、深夜に帰宅しましたが、楽しい一日でした。

 何と言いますか、スロットのお誘いとは言え、誘われるということが嬉しいですね。他の人を誘っても

いいのに、一人で打ちに行ってもいいのに、僕を誘ってくれたとうのが嬉しいのですよ。

 とは言え、勝って良かったです。


 4つ目です。

 今年は月曜日がクリスマスイヴでしたね。

 僕が子供の頃、クリスマスとは言っても特別に何かある訳ではありませんでした。サンタクロースはい

ないとおかんに断言されていました(その代わりおもちゃ、主にゲームソフトですかね、を買って貰いま

して、親に感謝していました)し、クリスマスケーキを食べた記憶もありません。

 ただ、クリスマスの日には、

 
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 チキンが兄弟に1本ずつ貰えました。


 さて最近は、一人で夕飯を食べるときはほか弁をよく利用します。何と言いますかね、お手軽でいいの

ですよ。

 とは言いましても、クリスマスイヴにほか弁も如何なものかと思いましてね、あまりにも寂し過ぎるだ

ろうと思いスーパーへ行きますと、かなり割引されたお寿司がありましたので、

 
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 お腹を壊すくらい食べてやろうと思いまして買いましたよ。

 レジで店員さんに、

 「お箸は何膳にしましょうか?」とお決まりの言葉を言われましたので、妻と子供がいるとの設定で、

 「3膳お願いします。」と言いましてね、お箸を3膳頂きました。

 さすがに量が多すぎまして、最後の方は寿司ネタだけ美味しく頂きました。

 お笑い番組やDVDを見て笑いながらビールを飲み、お寿司をつまむという理想的なクリスマスイヴを

過ごさせて頂きました。


 さて次回は今年最後の日記となるかと思います。

 ではまたこの場所でお逢いしましょう。

 只今の貯リクエスト率は0%(0件)です。


 追伸:
 なお、初めてお越しの方へ。
 「書庫」の上の方にある、「今後のラインナップ」に(仮)タイトルがありますので、読んでみたい記事がありましたら、コメント欄その他へお気軽にお書き下さい。日々、(仮)タイトルは増えておりますので、チェックしてみて下さいね。

 また、誠に申し訳ありませんが、出来れば、一番読みたい記事を1つだけ選んでもらえると嬉しいです。その記事が書かれた場合、またリクエストして下さいね。
 画像の関係上、中編(後編としようと思っていたのですが)が中途半端に終わってしまいまして、中編

に引き続き後編です。

 小橋さんの剛腕ラリアットをしのいだ三沢さんは反撃に出ました。

 
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 これで試合が終わってもおかしくないランニングエルボーでしたが、小橋さんは三沢さんのフォールを

返しました。

 それならばと、三沢さんは、

 
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 三沢さんはエメラルドフロージョンを出しまして、これで万事休すかと思ったのですが、何と小橋さん

はこれを自力でカウント2で返しまして、館内のボルテージも最高潮に達しました。

 そして最後は、

 
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 雪崩式エメラルドフロージョンまで出しまして、27分7秒にも及ぶ長い復帰戦は終わりました。この

技を三沢さんが出した時、実況の矢島学アナウンサーは、

 「三沢からの贈り物〜〜〜!」と言っておられました。

 そして試合が終わった瞬間ですね、矢島アナは、

 「小橋が勝ちましたぁ〜〜〜〜〜!」と叫ばれました。

 一瞬ですね、ん?と思いましたよ。試合は、三沢さんが小橋さんに勝ちましたのでね。

 そして次の瞬間、

 「腎臓癌に勝ちましたぁ〜〜〜〜〜〜!」と叫ばれたのですよ。

 それを聞いた瞬間、僕の目から涙が溢れてきましたね。


 試合後、勝った三沢さんのテーマ曲が館内には流れましたが、場内からは、

 「こ〜ば〜しぃ〜!こ〜ば〜しぃ〜!」という大小橋コールがわき上がりました。

 
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 最後はリング上でこんな光景が繰り広げられまして、小橋建太さんの546日振りの復帰戦は終わりま

した。

 この日、一番安心されたのは、会場のどこかで試合を観戦された小橋さんのお母さんだったことでしょ

うね。

  試合後のインタビューで小橋さんは、

 「自分もみんなから元気をもらっています。その分、いいファイトがをして、いい試合をして、プロレ

スを見て良かったと、元気をもらったと、明日から頑張ろうと言えるような、そういうファイトをしたい

と思います。」、「帰ってきました。でもまだこれがゴールじゃないです。これからです。自分はこの先

病院でどう言われるのかわかりません。でも、自分の気持ちは決して止まることはありません。プロレス

ラーとして生き続けます。ありがとうございました。」と言われました。

 ずっと小橋さんは同じようなことを言われているような気がします。

 「プロレス道を邁進します。」と以前のコメントで言われたのを覚えていますね。

 朝起きて、ソファーに座って夜まで同じ場所でボーっとしていた日々もあったとのことでしたが、よく

ここまで、高タンパクな食事が出来ないので、食事制限もしながら身体も作り上げて戻って来られたなと

思いますよ。

 
 この日の翌日、小橋さんは病院に検査を受けに行かれましたが、検査結果は驚くほど良好だったそうで

す。筋肉が傷付くことによっても体に老廃物が出るらしいのですが、数値は安定していたそうです。

 
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 これはその後発売された週刊プロレスとその増刊号なのですが、驚いたことに、この試合の評価は10

点満点でした。

 今年に入ってからですかね、試合の担当者が試合の評価をするようになりまして、10点満点で採点を

するようになりました。僕は10点満点の評価を初めて見ました。


 さて余談ですが、小橋さんの復帰戦後、ある掲示板には続々と書き込みがありましてね、僕も読んだの

ですが、その書き込みを見ているだけで涙が出そうになりましたね。


 さてさて、年に一度、新聞社が主催すると思いますが、プロレス大賞が発表されます。

 この小橋さんの復帰戦が年間ベストバウト(年間最高試合)に選ばれまして、小橋さんは同時にカムバ

ック賞も受賞されました。

 今現在、色々な団体があり、全てを合わせると年間に何百試合何千試合も行われているのですが、復帰

戦がベストバウトに選ばれたのは前代未聞だと思います。

 その知らせを聞いたときは嬉しかったですね。

 
 さて、僕はプロレスが好きです。子供の頃からずっと好きでして、ふと思いますと、好きなことはとこ

とん好きになる性格だと思いますね。

 プロレスについては、何が好きかと言いますと、試合もそうなのですが、そのプロレスラーの生き様と

言いますかね、そこが好きなのだと思います。

 週刊プロレスも好きなのですが、単に試合のリポートが載っているだけではなく、そのプロレスラーの

生き様が書かれているのですよ。

 これからもプロレス、その中でもプロレスリングNOAHさんを見続けて応援して行きたいなと思いま

す。

 小橋建太さん、復帰、本当におめでとうございました。

 沢山の熱いものを貰いましたよ。

 自分が抱えている悩みなんて、とても小さいことに感じられ、力が沸いてきますね。

 だからやっぱりプロレス好きはやめられませんね。

 
 さて、プロレスリングNOAHさんの2008年1月ツアーですが、小橋さんは、1月11日の高知県

民体育館で行われる試合と、1月13日博多スターレーンで行われる試合へ参戦されるそうですよ。

 お近くの方、是非小橋さんを応援に行ってあげて下さいね。

 きっと明日からも頑張ろうという気持ちを貰えるはずです。

 尚、小橋さんのことについてもっと詳しく知りたいと思われた方、


 ここを見てみて下さいね。

 ではまたこの場所でお逢いしましょう。


 只今の貯リクエスト率は0%(0件)です。

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 前回の続きです。

 通常復帰戦と言いますとね、相手にはトップレスラーを選ばないで、無難な試合を組みまして、様子を

見ながら徐々に調子を上げていきましょうという感じなのですがこの日も違いましたね。

 この日もと言いますのは、小橋さんは以前に膝の手術をしまして復帰した際にも日本武道館のメインイ

ベントで、小橋健太、三沢光晴対秋山準、永田裕志(新日本プロレス)で復帰戦を行ったことがありまし

た。

 今回の復帰戦は前回の復帰戦とは比べ物にならないほどいい試合でしたね。

 
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 小橋さんの逆水平チョップです。みるみる相手選手の胸板が真っ赤になっていきました。

 
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 勿論、やられたらやり返すのがプロレスでして、三沢さんの容赦のないフルスイングエルボーも決まり

ました。この日は珍しく、三沢さんは声を出して小橋さんにエルボーを見舞っていました。

 試合の中盤になり、

 
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 小橋さんの代名詞と言いますかね、秋山さん相手にマシンガンチョップを繰り出しました。秋山さんは

声を出しましてね、もっと打ってこいとアピールし、小橋さんもそれに応えて、更にチョップを繰り出し

ました。この時、小橋さんは声にならない声と言いますかね、

 「うわぁ〜〜〜〜。」と叫びながらチョップを出していました。

 
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 コーナーに崩れ落ちた秋山さんですが、痛いのは当たり前なのですが、何と言いますか、小橋さんがリ

ングに帰ってきて、再びチョップを受けることが出来て、嬉しそうな満足したような表情に見えました。

 
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 この日の解説は、本田多聞さんでした。本田さんは小橋さんの正パートナーでして、小橋さんをよく知

る人物ということもありこの日の解説をされたのですが、小橋さんのマシンガンチョップを見ながら、泣

いておられました。

 かつて全日本プロレス時代に、ジャイアント馬場さんも解説席で泣かれたことがあります。

 その試合は三沢さんと小橋さんの試合だったと思いますが、素晴らし過ぎて解説できないということで

泣かれていたと思います。


 この日、本田さんが第4試合に登場されたのですが、試合前にも拘わらず本田さんの胸は真っ赤になっ

ていました。普通そんなことはあり得ないことなのですよ。

 実は、本田さんは11月ツアーを欠場しまして、小橋さんの練習パートナーを務められました。そし

て、生身の人間でチョップの練習をする方がいいだろうと、試合勘が戻るだろうとのことで小橋さんのチ

ョップを受け続けられたそうです。

 その頃ですね、僕も泣いていました。

 試合終盤は、技の応酬となりました。

 
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 普段では滅多に見られなくなったムーンサルトプレスまで出しました。かつて、小橋さんはどの会場で

もこの技を出していました。お客さんもそれを楽しみにしていた部分もあります。

 しかし、この技のやり過ぎ(自分の膝もリングに打ち付けます)で小橋さんの膝はボロボロになりまし

た。

 その後、小橋さんは膝をかばって試合をするようになったのですが、そんな小橋さんを見てジャイアン

ト馬場さんは、どうして最近の小橋はムーンサルトをしないんだ(ムーンサルトをするから小橋だろ

う)、と言われましてね、その言葉を聞いて小橋さんは再びムーンサルトをされるようになったのです

が、膝を更に悪化されましたね。

 最近では、ここ一番だけの技となったのですが、久し振りに見ましたね。

 余談ですが、僕の一番好きなプロレス技は、

 
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タイガードライバーという技です。これは三沢さんが2代目タイガーマスク時代に開発した技ですが、

何とも言えず、綺麗な技でして、好きですね。

 
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 小橋さんはハーフネルソンスープレックスを出した後、

 
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 遂に拳を振り上げまして、

 
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 三沢さんに剛腕ラリアットを出しました。

 この日はタッグマッチだったのですが、僕はどうしても三沢さんと小橋さんに注目をして見てしまいま

したね。

 これまで何度も激闘を繰り返して来た両者がどんな闘いをするのかを見ていました。

 全日本プロレス時代に、三沢さんと小橋さんが三冠ヘビー級選手権試合を行った際、試合の前日に小橋

さんはお母さんに電話をしまして、自分が明日、リング上で死んでも決して三沢さんを恨まないでくれと

言ったという話も残っています。


 さて、どうやらこれ以上画像を貼っても表示されないようですので、ここまでで一度アップしまして、

続きを書きます。
 
 
 さて今回は年度内にどうしても書いておきたいことがありますので、少しまだ整理が出来ていない部分

もありますが書いておきます。

 最近、生きる勇気と言いますかね、熱く感じることがありました。

 
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 かつて日本には日本プロレスという団体がありました。創始者は日本プロレスの父と言われる力道山さ

んです。力道山亡き後、日本プロレスは分裂し、アントニオ猪木さんが創始者である新日本プロレスと、

ジャイアント馬場さんが創始者である全日本プロレスに分かれました。


 子供の頃、僕は全日本プロレスが好きでした。

 当時、鶴田軍(ジャンボ鶴田さん、田上明さん、淵正信さん、小川良成さん)と超世代軍(三沢光晴さ

ん、川田利明さん、小橋健太(後に建太に改名)さん、菊池毅さん)が軍団抗争をしていましてね、毎週

毎週日曜日の深夜にはテレビの前に釘付けでした。

 
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 これは、1995年1月19日に行われた三冠ヘビー級選手権試合が掲載されている週刊プロレスで

す。当時の王者は川田利明さん、挑戦者は小橋健太さんでして、試合時間は60分時間切れ引き分けでし

た。当時のプロレスで、60分時間切れ引き分けというのはかなり珍しいことでしてね、驚きましたよ。

 さて、お気付きですか、この試合はですね、阪神淡路大震災から僅か2日後に行われています。しかも

場所は大阪府立体育館でした。それでも会場は7割ほど埋まったようでした。

 この試合を見て、頑張ろうと思った方も多くいたと思います。

 
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 その後、ジャイアント馬場さんが亡くなり、

 
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 ジャンボ鶴田さんも亡くなりました。

 そして全日本プロレスの社長には三沢光晴さんが就任しましたが、内部的な問題から、

 
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 三沢さんは全日本プロレスを退社し、理想のプロレスを目指して、プロレスリングNOAHを立ち上げ

ました。その時、三沢さんに追随した選手、社員、合わせて約50人にもなりました。

 
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 小橋さんは、膝の手術を行い長期欠場をしましたが、後に復帰しまして、

 
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 2003年3月1日、NOAH日本武道館大会で三沢光晴さんを破り、GHCヘビー級王者となり、以

後、13度の防衛に成功しました。

 人は小橋さんのことを「絶対王者」と呼ぶようになりました。

 
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 その後、2004年、2005年とNOAHは東京ドーム大会も成功させました。2005年の東京ド

ーム大会は僕も見に行きましたが、観衆は6万2000人の超満員でした。


 さて、最近は特定の団体に所属しないで色々な団体で試合をする所謂フリー(フリーランス)の選手も

多くいる時代になりました。団体による拘束もありませんし、色々な経験が出来る一方、保障はありませ

ん。

 高山善廣さんというプロレスラーがいます、かつてはプロレスリングNOAHにも所属していました

が、総合格闘技などへも進出したいということで、円満に退社しまして、その後は各方面で活躍をされて

いました。

 2004年8月8日、高山さんは新日本プロレスで佐々木健介さんとの試合後、呂律が回らなくなり、

病院へ行ったところ、脳梗塞であることがわかりました。高山さんがリングに復帰したのはそ約2年後の

ことでした。


 2005年7月18日、東京ドームで、小橋建太さんは佐々木健介さんと歴史的な一戦を行いました。

歴史的な一戦と言いますのは、かつては全日本プロレスと新日本プロレスというのは交わることのない団

体でして、いくら選手が戦いたいと熱望しても叶いませんでした。

 藤波辰爾さんはジャンボ鶴田さんとの対戦を熱望し続けましたが、叶うことはありませんでした。

 その後、三沢さんは全日本プロレスを退社しまして、新日本プロレスもアントニオ猪木さんが経営から

身を引いたことでお互いの団体の選手が交わることが出来るようになりました。


 小橋建太さんと佐々木健介選手の試合はお互いが得意とする逆水平チョップやラリアートの打ち合いで

壮絶な試合になりました。

 試合後は、

 
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 お互いが認め合う仲になりました。

 
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 2006年夏、高山善廣さんの復帰が決まりました。高山さんが復帰に選んだリングは、NOAHのリ

ングでした。

 高山さんは三沢さんに対し、小橋建太と組んで復帰戦を行いたいと申し出まして、三沢さんは了承しま

した。そして、高山さんの復帰戦は2006年7月16日のNOAH日本武道館大会で、高山善廣、小橋

建太対三沢光晴、秋山準ということに決まりました。

 その頃、NOAH内では、

 
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 小橋さんは本田多聞さんとGHCタッグのベルトを奪取しまして、さぁ、これからNOAHのタッグ戦

線も活発になるなと思っていました。

 そして、信じられないニュースが6月29日に飛び込んで来ました。

 
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 NOAHでは年に一度選手と社員に強制的に健康診断を行っています(実はですね、健康診断を行って

いない団体もまだ多くあります)が、その検査で、小橋さんに腎腫瘍(結果的には悪性腫瘍だったので、

腎臓癌です)が見つかったのです。腫瘍の大きさは4cm〜5cm、命に関わるのですぐにでも手術が必

要だということでした。

 小橋さんは高山さんの復帰戦に出てから手術をしたかったのですが、命を優先しました。

 
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 高山さんの復帰戦には、小橋さんの代役として佐々木健介さんが出場しました。出場の打診を受けた

時、高山さんの復帰戦の日は予定が既に入っていたそうなのですが、佐々木さんは予定を全てキャンセル

して高山さんの復帰戦に参戦することを決めました。

 実は、

 
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 佐々木さんは高山さんの復帰戦の少し前に試合中に怪我をしていました。眼窩骨折をしていましたが、

高山さんの復帰戦が終わるまでは誰にもそのことは言わないで戦いました。

 高山さんの復帰戦の2日前からは病院に入院していたのですが、復帰戦当日は外泊許可を得て、日本武

道館に駆けつけました。

 佐々木さんの奥さんは北斗晶さんですが、北斗さんは、佐々木さんが、

 「片目が潰れても行く。」と言っていたと後から当時のことを語られました。

 小橋さん、高山さん、佐々木さんは同学年でしてね、僕は男の友情といいますかね、そんなものを感じ

ました。


 2006年7月6日、小橋さんは腎腫瘍摘出手術を行いました。

 
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 病床の小橋さんを勇気づけたもの、それは、

 
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 ファンから寄せられた千羽鶴や励ましの手紙でした。

 
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  小橋さんは復帰することを考えていましたので、体をなるべく傷付けない体腔鏡手術を選択しまし

た。手術は、小橋さんの体が筋肉の塊であるこということもあり、5時間半にも及ぶものとなりました。

 手術が無事に終わったことはNOAHさんのHPや各誌で伝えられましてね、安心しましたよ。

 
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 その後、小橋さんはリング復帰へ向けて少しずつトレーニングを行いました。

 でも、決して上半身を披露することはありませんでした。

 
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 2006年12月10日、小橋さんはNOAH日本武道館大会に来場し、

 「必ずリングに復帰します!」と宣言しました。

 そして年も明け、約10ヶ月が経過した2007年10月7日、小橋さんが復帰することが発表されま

した。NOAHさんのHPでも、

 
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 このようなトップページになりました。

 2007年10月27日、NOAH日本武道館大会に小橋さんは来場し、

 
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 自らの口で2007年12月2日のNOAH日本武道館大会で復帰すること、そして、復帰戦の対戦カ

ードを発表しました。

 その対戦カードは、2006年7月16日に高山さんの復帰戦で行われるはずであった、高山善廣、小

橋建太対三沢光晴、秋山準でした。

 その後、

 
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 次々に選手がリングに上がり、小橋さんと握手をしました。驚いたのは、その日のメインイベントでG

HCヘビー級選手権試合という大一番を控えた三沢さんもリングに上がったことですね。

 リングに走ってくる三沢さんの姿を見て、観客は驚きの声を上げました。

 そして、

 
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 小橋さんの復帰戦のチケットは数日で完売しまして、NOAHさんでは急遽、立ち見席の販売を開始し

ましたが、それも完売しました。昨今の厳しいプロレス界からすると信じられない出来事でした。

 
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 そして、運命の日、2007年12月2日を迎えました。

 残念なことにここ島根県ではプロレスリングNOAHの放送が首都圏に比べて2週間遅れていますの

で、当日の深夜に放送を見ることが出来ませんでした。

 試合の速報については、小林君からメールを貰いました。

 
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 ファンから送られた千羽鶴や、小橋さんの主治医の先生、そして1万7000人超満員の観客が見守る

中、

 
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 小橋さんは花道を入場し、コールも受けまして、546日振りの試合開始を告げるゴングが鳴ったので

す。

 続きます。

 ではまたこの場所でお逢いしましょう。

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