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前回の続きです。 親父とおかんと僕は、午後6時50分発の特急やくもに乗りました。親は指定席でして、僕は自由席で した。僕はすぐに眠りに入りました。 ふと、車掌さんに声をかけられまして、目が覚めました。切符を見せて下さいとのことでした。車掌さ んによっては眠っている人を起こさないこともあるのですが、今回は声をかけられまして、時計を見ると 午後7時20分でした。 その後、眠れなくなりましてね、ボーっと真っ暗になった外を、窓に映る車内や自分を見ながら今回の 旅を振り返っていました。 余談ですが、旅ではですね、兄弟3人子供に返るような気がします。僕が30歳、次郎が28歳、三郎 が21歳で、それぞれ大人になり(つつあり)、自分というものを少しずつ分かり始めていて、お酒も飲 めるのですが、僕が12歳くらいで次郎が10歳くらいで三郎が4歳くらい(まあ、それは大げさですか ね)、みんな小学生に戻ったような気がしますね。 旅の途中、子供の頃の話をよくしました。 僕や次郎は、学校が終わって家に帰りますと、制服を脱ぎ散らかし、ランドセルを放り投げ、遊びに出 掛けていました。 服を掛けない僕たちに業を煮やしたおかんは、制服や体操服、ランドセルを庭に投げ捨てていました。 それは雨が降っていようが雪が降っていようがお構いなしでした。 僕や次郎は慌てて庭に出ましてね、自分の制服やランドセルを拾いまして、服掛けに掛けていました。 そんな話を次郎がしましてね、そう言えばそんなこともあったなと思い出しました。すっかり忘れてい た記憶なのですよね。 先日の日記で、実家の裏に住んでいる子供の話を書きました。その子はまだトイレの後、自分で自分の お尻が拭けないようで、 「お母さん、出たよぉ〜。」とトイレから叫んでいたのですが、そんな話をしますと次郎が、 「そう言えば、三郎も同じことをトイレから『出たぁ〜!』と叫んでいたよ。」と言いました。 「しかも小学生になっても言っていた。」と言うのですよ。 三郎は、 「小学生になってまではないでしょう。」と言っていましたが、家族中大爆笑でした。 僕が19歳になるまでは家族5人で暮らしていました。僕が大学進学の為に実家を出て、次郎が出て、 僕が戻り、三郎が出て行きました。 何と言いますかね、真っ暗な外を眺めながら色々と思っていました。 子供の頃には家族旅行に行ったことはありません。島根県にはレジャースポットもありませんしね、ど こにも行かなかったとは言いませんが、行きませんでした、行けませんでした。 でも、今になって思えばそれも当たり前かなと思うのですよ。 親は家を建てて、僕たち3人を大学にも行かせてくれました。相当節約をして生活をしていましたね。 この上に旅行なんて無理だったでしょうね。 でも、本当に凄い親だなと思いますよ。 そして今、年に1度の割合で家族旅行をしていますね。 実は今回、ほとんどお土産を買いませんでした。 何と言いますか、おかんは旅行に行ったということを周りの人に言いたくなかったようでした。 言いにくいのですが、素直に喜んでくれる友達よりは、 「あら、いいわねぇ。」と僻みと言いますかね、そういう目線で物を言う方もおられます。悪いことを している訳ではないのですがね、何となく言いにくいのだそうです。 まあ、色々と書きたいこともあるのですが、簡潔に書きますとね、子供の頃は、どこにも行かず躾も厳 しい家でして、この家の子供は嫌だなぁと思った時期もあったのですがね、今はこの家の子供、この親の 子供、この弟、この家族で良かったな、と思ったのですよ。 そして、健康に気を遣う親で、健在で有り難いなと思ったのです。 親父は初日の夜からの参加でした。 このことを実はおかんは多少喜んでいました。 親父が金比羅さんに行き、あの階段を上がると、血圧が上がるのでは、と心配していたのですよ。 さて、最近は電車内は殆どが禁煙でして、煙草を吸いたい場合は、 このような電話ボックスのような場所の中に入って吸います。 その後も全く眠れませんで、午後9時28分に松江駅に到着しました。 一度実家へ行きまして、ではお疲れ様でしたということで、僕は車のエンジンを作動させようとします と、 「キュルルルル!キュルルルルルルルルルルルン!」と何とも頼りない音がしましてね、車のエンジン は掛かりませんでした。 その日は実家の車を借りて帰りましたが、一瞬冷や汗が出ましたね。 11月23日の早朝のエンジンスタートが最後のエンジンスタートになったのですから、ある意味奇跡 かなと思いました。 もしもあの時、エンジンが作動しなかったら、市内のタクシーは出払っていましたしね、旅の初日から 大幅な日程変更と言いますか気分も最悪のスタートになったと思います。 午後10時過ぎですかね、部屋に戻りました。 三郎は午後8時過ぎには京都に着いたらしく、おかんにメールがあったそうです。そのメールには、今 回の旅のこと、感謝の意が丁寧に書かれていました。 午後11時22分に、次郎からメールがありました。 「今、無事に家に着いたよ。やっぱり東京駅に着いてからも一苦労だね。この度は色々とお世話になり 有り難うございました。皆さん疲れが出ないようにごゆっくりお休み下さい。」と書かれていました。こ のメールは家族全員に送付したようなのですが、僕にだけ、一言追加してありました、 「トーサンにもよろしく。」と。 そんなメールを見ましてね、次郎も三郎も、親のこと、この家族のことが好きなのだなと思いました よ。 次郎は今年の夏頃に親父と少し喧嘩をしていましたからね。仲直りしたようで良かったです。 さて、ということで、無事に旅行も終わり、我が家で一泊。 最終日のレンタカーの走行距離は194キロ(通算823キロ)でした。 これで2007年の家族旅行は終わりました。 後日ですね、車を直して貰いましたが、バッテリーが弱っていましたね。 通常はバッテリーは約11ボルトの電流が流れているそうですが、僕の車が約5ボルトの電流しか流れ ていませんでした。バッテリーを交換して貰いましたら、約15ボルトの電流が流れていましたね。 旅行が終わっておかんは、 倉敷の美観地区を絵手紙にしていました。 当分の間は機嫌が良さそうですし、来年はどこに行こうかと今から思いを巡らせているようですね。 今回も沢山の写真をデジカメで撮りましてね、実家のデジカメでは約100枚の画像がありました。三 郎のデジカメと合わせるともっと大量になると思います。 家族5人で写っている家族写真も何枚かありました。 実家には、僕が子供の頃に金比羅さんに行った時の写真が飾ってあります。 その写真には三郎は写っていませんので、僕が7歳までの写真だと思うのですが、僕と次郎はそれぞれ がジュースを持っていたりもしますね。 あれから20余年、みんな大きくなり、老けたものですね。 さて、僕も、 金比羅さんで買った幸福の黄色い御守りを飾りました。 僕も今回はお土産を殆ど買いませんでしたが、モノより思い出かなと思います。 さて今回は旅行記としては過去最長の全12回に亘って書いてしまいましたが、画像も大量にアップし ましたし、書きたいことも書き尽くしましたので、自分としては満足しています。 四国自体は、毎日が日没との戦いで、急いで廻ったということもありまして、腹八分目の観光なのです が、最終日の温泉は良かったですね。 家族内でも、 「最終日の温泉は欠かせない。」ということになっています。 またですね、この旅行中は天候にも恵まれましたね。 おかんはいつものように、 「おばあちゃん(親父方)のお陰だわ。」と言っていました。 でも、本当にそうなのかもしれません。 また機会があれば四国に行きたいなと思っています。 長きに亘り、最後までお読み頂きありがとうございました。 では旅行の最後に、一言、 「もっと四国!」 ではまたこの場所でお逢いしましょう。 只今の貯リクエスト率は0%(0件)です。 追伸: なお、初めてお越しの方へ。 「書庫」の上の方にある、「今後のラインナップ」に(仮)タイトルがありますので、読んでみたい記事がありましたら、コメント欄その他へお気軽にお書き下さい。日々、(仮)タイトルは増えておりますので、チェックしてみて下さいね。 また、誠に申し訳ありませんが、出来れば、一番読みたい記事を1つだけ選んでもらえると嬉しいです。その記事が書かれた場合、またリクエストして下さいね。
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