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土曜日に金沢散策した目的のひとつが、以前から訪れたいと思っていた金沢カトリック教会でした。 先回も書きましたが、高山右近は秀吉のキリスト教のバテレン追放から江戸幕府の禁教まで、26年の期間を前田家のもとで過ごしました。 (能登の志雄町あたりが右近の領地だったといわれています) その関係から金沢のカトリック信者では高山右近は慕われているようです。 金沢市役所の隣、広坂にある金沢カトリック教会にようやく行くことができました。 何度も金沢に来ておきながら、私にとっては「念願」叶ったという感じでした。 建物の前には右近の像が。 そして内部に入ると正面の4面のステンドグラスのうち1面にも高山右近が。 (ちなみに4面のうち正反対の逆側は細川ガラシャでした) 教会では何かイベントの直前だったようで、じっくり見学&写真する時間と勇気がなかったのですが、 もちゃもちゃしている私に、信者の方(東京から来たと言われました)が声をかけてくださり、 その流れでシスター(?)とお話する機会もありました。 ・・・最近こういう流れが多いですねぇ。旅の出会いというのか。。。 それで右近の話や金沢の信者の話などお聞きすることができました。 私の興味関心などもお話して聞いてくださいました。 右近のミサが毎月あるとおっしゃっておられた気がします。 また自由に見ていってください、といわれた事務所のロビーには江戸時代の遺物が展示されてました。 禁教下で踏み絵とか、隠れキリシタンのマリア観音像とか、隠れ信者の崇拝対象となっていた菅原道真像とか。 また家紋のところに十字架が記された笠もあり、「これ右近の?」って思いましたが、説明がありませんでした。 なお、お話を聞いていただいた方に、最近歴史散策している話をして高岡の人間です、というと、 高岡城が右近の設計によるものだということで盛り上がったのですが、私の姿を見て、 「今日は高岡からまさか歩いてこられたのですか?」だって。。。。 さて、高山右近は城下町金沢においてキリスト教の教会を作ることができたそうです。 かつて北國新聞が出した『加賀百万石異聞 高山右近』(2003年、北國新聞社)によれば、 その場所は、「紺屋坂」ということです。 現在、金沢城址公園を観光する際、たいていは石川門からはいると思いますが、その前の土産物屋や茶屋が並ぶ坂ですね。 名前の通り、藩の御用染物商が住んでいた地域とのことですが。 そもそも高山右近は一流の茶人であり、建築家でありました。 秀吉の追放令で中央を追われた右近でしたが、前田家にとっては有用な人物だった思います。 じっさい右近も前田家のもとで多くの活躍をしています。 (金沢城の改修や高岡城の建築など) それと同書にもありますが、利家は次の当主である、若き息子・利長の補佐役として右近に期待していたような気がします。
右近も実際にそのように働いたのではないでしょうか。 |

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金沢テクテク御苦労様です。
トヤ魔以外はてんで疎いんで???です。はっはは。
高山右近の石碑に御自身のお腹が写ってますよん。。。w
2008/9/29(月) 午後 10:14 [ ばった@怪しい自転車乗り ]
ばったさん、こんにちわ〜。
金沢は面白です。身近な城下町なのでこれからも「道」と一緒に探求したいです。
でも、そろそろ北陸街道の東進を再開せねば。
いま、大名行列の道は岩瀬で止まっています。
巡見使道は呉羽の茶屋町で止まってます。
2008/10/2(木) 午後 11:49 [ なまずお ]
ただ難を言えばここの教会の事務員(女性が生意気不親切ですよ)教会と施設は広々していいんですが。事務員の女性が生意気ですよ。それさえ我慢すれば、でも神様はなんであんな人を選んだのですかね。
きっと試練を与えるためでしょうか。?
2015/7/6(月) 午後 5:22 [ テッチクリン ]
私の試練、忍耐と寛容てとこかな。
2015/7/6(月) 午後 5:26 [ テッチクリン ]