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先週末は関ヶ原行きで歩かず、文化の日の休日は寒くて外出せず… 久々に歩いたような気がしています。 朝に地鉄・大川寺駅まで行き車を停め置き。 ついてすぐに電車が来たのでそれに飛び乗り大泉の駅で下車。 少しいったところにある、「大泉の道標」をスタート地点にしました。 この道標は立山道ウォークを始めた初回に訪れています。 ↓よろしければ西町から歩いたそのときの記事をどうぞ。。。。 http://blogs.yahoo.co.jp/namazuoh/29256741.html http://blogs.yahoo.co.jp/namazuoh/29374194.html 実際この第1回のルートと平行して歩く道。。。 だから当初は、前半に不二越〜流杉を通るルートを選びたかったのだけれど、 こちらは不二越の敷地内をトレースできないことと、 流杉から先が少し不明っぽかったので、今回は避けました。 いつかたどれたらいいけど、それは立山道ウォーク最後になるでしょう。 高速道路PAの名で有名な流杉、実はけっこういい風景な集落なんだと思う。 ≪今日のau Smart Sports Run&Walk≫ ■スタート時間 10:25 ■走行距離 21.4km ■走行時間 248.51 ■平均速度 5.1km/h ■平均ペース 11’37”/km ■消費カロリー 996kcal ≪今日の万歩計≫ ●一日の総歩数 25,171歩 ●歩行距離 13.0km ●消費カロリー 948kcal ●燃焼脂肪量 57.7g ●コース上で歩いた歩数 23,947歩 ●うち運動に役立った歩数 19,774歩 地鉄・大泉駅から少し歩けばもう「いたち川」。 そこからすぐのところで上野酒店跡地。 ここに通称「大泉の道標」があります。 西町から始まってここまで至るルートは以前報告してますので そちらをどうぞ。 ↓ http://blogs.yahoo.co.jp/namazuoh/29256741.html この第1回の時は立山道の諸ルートのうち江戸時代の後半にメインルートになっていた上滝街道を歩いたので、この道標のある五叉路を写真の右手に進みました。 今回は左手前側(スポーツカーっぽい車が来た道)をいきます。 見えづらいけど道標の左側に「左本江陽道」がこれでしょうとこのと。 しばらくいたち川沿いを歩けば大きなケヤキの木が。 その下にはとても大きく綺麗な馬頭観音がありました。 遠めに見るととてもいい風景でした。 昔から富山では成人の通過儀礼として立山登山が行われてきましたが (我々世代も小学校6年生で登山行事があった) その際にここまで見送りの人が付き添い別れたのだという。 しばらくすると住宅地に入りユニクロの裏に出るのですが、 仕事のときによく通るルートなので見覚えのある地蔵堂に道(しかも隔離分離された取り残された道)が続いていく様子は少し感慨深い。 そして大きな道を渡りまっすぐ行くと 山室中学校の近くの六叉路に出ます。 来た道を振り返るとこんな感じ。(進入禁止標識ある左から来た) ↓ 右手の道は県道174号ですがこれも立山道。 行く道はこんな感じ。 ↓ 左手をいきます。県道174号。 ちょい行くと「的場の清水」。 皮膚の病気に効くとか? 今は枯れてるっぽかったけど資料には夏に湧くとも。 イワレは戦国時代のエピソードっぽい。 ここからすぐに刀尾神社。 立山信仰ではたいへん重要な神社。 12世紀の記録に出てくる「立山外宮」はここでは、とのこと。 入口にある碑の側面に「日独戦後記念」と。 あれ?日本とドイツって戦争したっけ? と一瞬思ったのですが、大正8年=1918年ってことは 第1次世界大戦のことか。 戦争中の日本は日英同盟を理由に中国のドイツ租借地(山東半島)などを攻めたので そのことかなあと。 他にもこの神社内には「蒙満なんとか」とか「政友会がなんとか」など 日本近現代史の情報がちらほらと残ってた。 朱塗り木造の両部鳥居。これが立山本来の鳥居だという。 このスタイルが残るのはここだけなんだって。 鳥居をくぐれば400mほど参道が続きますが、果樹園のなかを歩くよう。 第二の鳥居の近くには釜戸址。 湯立て神事に使ったといい、湯を沸かして立山参詣者に与えたとも、笹でお払いをしたとも。 第3の鳥居をくぐり境内に入ると狛犬には「元治二年」の文字。 調べてみるとこの年「慶応」に改元してます(1865年)。 神社の横には刀尾寺。入り口には鳥居もあり典型的な神仏習合寺ですね。 参道400mをまた戻り県道174を沿って歩けば太田交差点脇に石塔群。 そのうち一つは「疫神社」。 これはコレラの流行時に犠牲者供養、疫病調伏祈願のために建てたものだといいます。 日曜夜やっている「JIN」を思い出しながら手を合わせてきました。 県道から少し外れたところに、国の重要文化財「浮田家」があります。 加賀藩の山廻り役を務めた家です。山の管理とかした林野庁や森林組合のような役割でしょうか。 職務上、立山神にはとくに敬意をささげたらしく、先の刀尾神社の石灯篭にも寄進の名があった。 加賀藩からは3千石の格式が与えられたというからすごい。 けど、それだけかな〜 浮田、というからもしやと思ったらやはり内部に戦国大名・宇喜多家との関係が説明されてました。 やはりこの家系みたい。 関ヶ原で敗れた宇喜多秀家が八丈島に流された後も、 前田家は親類(秀家夫人・豪姫は前田利家の娘)ということもあり江戸時代を通じて援助をし続けた、というのは有名な話ですが、 金沢や加賀においてそれを堂々とやるわけにはいかないので、 分藩である富山にその拠点を設けたみたい。 特別な使命も担っていたわけですね。 県道に戻りしばらく進むと太田小学校。 その敷地に日清日露戦争の碑が並んでます。 日清戦争のはめずらしいらしい。 乃木大将の碑なんて県内で初めてみた。 で、あれこれと道を進む。 立山連峰が綺麗だった。 慈眼山正源寺に到着。 常願寺川の氾濫防止の祈祷寺として戦国期に創建した寺。 ここでも常願寺川の氾濫がキーワード。 門前には「心」の字を刻んだ高さ3mの石。 これも安政5年(1858年)の地震で立山から流れてきた巨石をもとに作ったものという。 この寺、天井画の「鳴き龍」で有名ですが、 これは川の氾濫のときに鳴いて知らせてくれるという逸話があります。 田舎風景を歩き火葬場近くで常西合口用水にぶつかる。 常願寺川はこの用水の向こう、すぐ近くです。用水自体は明治以降のもの。 そして用水に沿って歩くとじきに松並木が見えてくる。 「殿様林」。 1769年に6代目の富山藩主が川の治水を目的に植えた松並木。 松は根を張ると堤をしっかり固めるから。 これって以前に井波道を歩いたときに庄川でもありましたね。 佐々成政の時代も治水工事をしてます。 佐々堤。 大川寺駅前の道標を見て終了。
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おばんでございます。
また、歩き始めましたね!
2009/11/9(月) 午後 11:15
あれ?と思って検索したら やはり宇喜多家 ゆかりの家系なんですね〜
写真 解説 お待ちしてます〜〜^^
2009/11/14(土) 午後 0:52 [ - ]
ママゾーさん
返事遅くなりました。1週間ぶりです。
>また、
というより、暇があれば歩きたいのですが(笑)
写真、解説、すぐつけるつもりが1週間もたちスミマセン。。。
2009/11/14(土) 午後 1:11 [ なまずお ]
媛さま
1週間ぶりです。
さすが!ご名答です。
浮田家は宇喜多家の家系なんですね〜
写真、解説すぐつけるつもりが先に知られました〜
がんばります。
なんか最近、読書+睡眠で時間を使いきってます。
2009/11/14(土) 午後 1:12 [ なまずお ]
佐々成政橋、浮田さんのこと!知識がまた増えました。ありがとうございます。
2009/11/15(日) 午後 11:29
ママゾーさん
写真、解説つけてる途中でのぞいてくれたみたいです。
ありがとうございます。
少し時間がかかりました。。。
2009/11/16(月) 午前 0:47 [ なまずお ]
ばんは〜。
今回のトレースは県道179より面白そうな道ですね。
未訪なんで、MTBのホイール交換の試し乗りがてら行って見たいですです。
自転車に乗れるシーズンも少なくなりました。。。泣
2009/11/16(月) 午後 9:19 [ ばった@怪しい自転車乗り ]
ばったさん、ばんは〜
未走だったとは意外でした。
県道179は私の第1回目の道ですね。
そう大泉の道標越えてから上滝までの長い区間が暇でしたねぇ。
でも天保期以降はかなりメインだったようですね。
ぜひこのルートもお楽しみくださいませ。
地鉄列車は自転車積めるから私のように大川寺駅に車停め置きもできますし。
2009/11/18(水) 午前 0:45 [ なまずお ]