|
8月30日(土)に金沢の金石(かないわ)街道を歩きました。
今回のルートは こんな感じ です。
参考とした史料は『歴史の道調査報告書第三集 加賀の道Ⅰ』(石川県教育委員会、平成8年)です。
金石は現在金沢港のあるところで、地区としては宮腰(みやのこし)と大野からなります。
宮腰之津は古くから金沢の外港として発展したところ、大野も港ですが醤油味噌など老舗の醸造メーカーが集まっている場所です。
宮腰町と大野町は幕末の慶応二年に合併し金石町と名称を変更。それに伴い「宮腰往還」と呼ばれたこのルートも「金石街道」「金石往還」と呼ばれるようになったとのこと。
宮腰往還は金沢城下の端から湊町・宮腰までをつなぐ街道として元和二年(1616年)に造られた計画道路で、旧街道としては珍しく当時からまっすぐな直線で造られています。
いろんな説はあるようですが、参考にした史料にもあるように“直線道路の必要性は「微妙公の宮腰道を玉泉院丸より直に見切らん為」であり、政治的軍事的な理由によるものと考えてよいであろう。これは従来の道を補修し直線化したのではなく、新たに従来の往還の北側に新道を建設したもの”のようです。
※微妙公とは加賀藩三代目当主・前田利常のこと。
※玉泉丸とは金沢城の一郭。
どこを基点にするかによりますが(金沢の町の端が時代とともに町域の拡大により外側に動くので)、文政期のある史料では武蔵が辻〜宮腰口町端まで15町19間、「宮腰往還」として長田村を起点として宮腰町まで一里八町四三間としています。
現在の長田町小学校にあった深美右京の下屋敷を金沢町端(=宮腰往還基点)とする考えがよいようです。
今回武蔵が辻からスタートして歩きましたが、この長田町あたり、あるいはその手前の中橋、六枚のあたりから直線道が始まります。
現在は県道17号になっているこの道。実際に歩いてみると、ひたすら直線道なので私が萌える屈折などもなくちょっと飽きます。現在の車社会ではこの直線道はそのまま主要道として踏襲しやすかったと思います。
明治〜昭和40年代までは鉄道も走っていたようで、その頃から随時道幅拡張をしています。
宮腰まで入ってしまうと雰囲気のある街並みが残っていて、街並みを楽しみながら大野まで歩き通しました。
宮腰の本龍寺では「海の百万石」と呼ばれた大海運商・銭屋五兵衛の墓があるというので覗いてみましたが、結局どれか判りませんでした。代わりに銭屋五兵衛の邸宅跡と記念銅像が建つ公園がありました。
参考) 銭屋五兵衛(ウィキペディアより)
夜は金沢で予定があったので大野から香林坊までバスで戻ってきました。
帰りは約30分ほどであっと言う間でした。
限られた時間内でのウォークでしたが、最近歩く頻度と距離が落ちているので体力的にちょうど良いレベルだったかもしれません。
追記:
そういえば、Nexus7を買いました。
このGPSを利用して、Runkeeperを初めて利用。
一方で従来どおりガラケーの au Run&Walkも併用。
両方比べてみたところ、差がずいぶんありました。
・Runkeeper: 10.8km
・au Run&Walk: 12.71km
長年使ってきたものの、以前から後者のほうが1〜2kmおかしい疑念をもっていたのですが、今回その疑惑が濃くなってきました。
今後も何度か比べてみようと思います。
■■ ご案内 ■■
2つのブログ共同で、facebookページを立ち上げました。 よければ、いいね!してみてくださいね。 ・「なまずの尾っぽ、みらい街道も歩く。:なまずおfbページ」 http://www.facebook.com/namazuo (関連記事) ・ フェイスブックページを作ってみました。 |
全体表示
[ リスト ]







1〜2kmも違うと大きいですね(@@)
最近、腰痛から膝にも痛みが出たのでウォーキングは断念して、
プール内で歩いてます^^;
でも、風邪引いたり仕事で遅くなったりで、なかなか時間とれない^^;
街道沿いは雰囲気あっていいですね^^ナイス
2014/9/4(木) 午前 0:45
栞さん
ご無沙汰してます。
1kmであっても積み重ねると大きな差ですものね。
腰・ひざ、痛められたんですか。
あまり無理せずに!
2014/9/6(土) 午前 11:29 [ なまずお ]