なまずの尾っぽ

富山県内、北陸各地の旧街道を歩いています。今も残る歴史風景とともに郷土史・国内外の歴史話など。

ふる道をゆく [旧街道散策]

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旧街道の散策や、歴史スポット探訪などの報告です。本ブログのメインカテゴリです。
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お知らせ


2008年3月に始めた本ブログ【なまずの尾っぽ】ですが、
以下のブログサービスへ引っ越しすることにいたしました。

新しいブログをお知らせいたします。

 

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今後は上記ブログにて、「富山・北陸・旧街道・郷土史」により特化した内容を発信してゆく所存です。
御関心あればまたお立ち寄りいただけると幸いです。


なお、ヤフーブログ上の【なまずの尾っぽ】は私の街道歩きの歴史の集大成でもあり、今後もこのまま残しておくつもりです。
新しいブログのほうには記事内容の引っ越しも試みませんし、必要な内容があればこちらのほうへリンクさせていただくつもりです。

よろしくお願いします。


また今後は、フェイスブック、グーグルプラス上にて更新情報をアップしていくつもりですので、
よろしければフォローしてください。

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 旧街道ウォークの関係でツイッター上でつながっている Rieさん(@alpsmieru)からお誘いを頂き、昨日はじめてこの界隈のオフ会に参加しました!
同じくつながっている 関西在住のにゃおすけさん(@yaonyaosuke2)が、この連休中に富山県内の北陸街道をウォーク中なので夜に富山市内のお店で歓迎会ということになりました。
 
 Rieさんとにゃおすけさんは以前からのお知り合いとのことでしたが、私はお二人にリアルにお会いするのは初めてで、まずはご挨拶から、そして食事しながらいろんなお話をしました。
 
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 実は私、ネット上の他の街道ウォーカーさんのことはあんまり詳しく知らないのですが、お二人から有名人や他のツイッタラーさんのことなど色々とお聞きしました。
お二人とも中山道完歩を共通の経験とする強者なのでそのお話もお聞きしましたし、お互いにウォーク中に逆方向から歩いてきて街道の途中で出会ったエピソードもお聞きしました。
私は北陸の外を知らない身なので、お二人の経験や全国の街道ウォーカーのお話を聞きながら上には上がいるもんだととても刺激を受けました。歩く距離やペースもみんなすごそうでした。
 
 お二人ともネットやツイッターがあったからここまで続けて来れたと仰っておられました。
私もこれまでは ばったさん さんくらいしか参考にさせて頂く(ネット上の)先輩がいなかったので、今回はとても大切な出会いだったと思っています。
 
 
 いっぽうで、北陸街道(北国街道全体というよりは北陸三県内の話だったと思うのであえて北陸街道と言いますが)では、街道ウォーカーとすれ違うことが少ないねというお話も。東海道や中山道、その他の都市近郊の諸街道に比べると、北陸街道は歩いてる人少ないのでしょうね。
その中で、私の過去の経験はちょっとは参考になっているようなお話もいただいて、とても嬉しかったです。
また能登街道(私はけっこうその里山風景の魅力を押している)をやった人は貴重かも、というご意見もいただきました。
私のほうは私のほうで、飛騨街道(Rieさんが興味)や立山道など北陸街道以外の富山県内の諸道や町の魅力をお話させていただきました。
 
参考: 私のウォーク記録マップ(未完成ですが)
 
 
 にゃおすけさんが今日も早朝から歩く計画ということで早めの散会となりましたが、あっと言う間の楽しい時間でした。
 素敵な出会いの機会を作っていただいたRieさん、ありがとうございます!
 にゃおすけさんの全国規模のウォーク話も刺激になりました!
 
 
(参考リンク)
 
・Rieさんのブログ: 
 
・にゃおすけさんのブログ:
 
・ばったさんのサイト
 
 
 
 
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歩いたルートをグーグルマップに記録しているのですが、かなり放置したままでした。
 
この休日に久しぶりにいくつかのルートを追加しましたのでご報告いたします。
 
 
しばらくの間いじらないうちに、グーグルマップの作成機能が新サービスに移行というかバージョンアップされていて、最初かなりとまどいましたが、例によってルートラボで引いた線をインポートする形で次々とこなしました。
 
旧サービスとデザイン的に一貫性がないように思うのですが、現時点で対処のしようがないので我慢します。(我慢してください)
 
 
追記:
新バージョンのグーグルマップにバージョンアップしたところ、いろいろ変わってしまいました。
PCで観た際の見た目や機能も変わっているのですが(まだ使いきれていません)、
何よりの変化はスマホやタブレットでの閲覧がどうやらそのままではできなくなったようです
※PCでは今まで通り閲覧は可能なようです。
更新後、どうやらグーグルで提供している下記のアプリをインストールすればスマホなどのモバイル端末での閲覧が可能らしいことが分かり、やってみたところ観れるようになりました。
なお私は現在アンドロイド端末のNexus7で使用しています。
通常利用のiPod touchが現在故障中のため、iOSではどうなのか不明ですが、おそらく同様かと思います。
 
  Google Play サイト
 
 
 
さて、今回追加したルートは以下の通りです。
 
 ⇒ 小杉道 を追加
 ⇒ 大門街道 を追加
 
 ⇒ 八尾街道(富山〜八尾) を追加
 
 ⇒ 大岩道(三ヶ〜日岩寺) を追加
 ⇒ 大岩道(滑川〜日岩寺) を追加
 
 ・[石川県]加賀の道 (新カテゴリー)
 ⇒ 金石街道 を追加
 ※当初予定していた鶴来までの「白山参詣の道」はこのカテゴリーに加える予定です。
 
 
五福からスタートの八尾街道や、金沢〜鶴来の白山道などもアップしたかったのですが、
さすがに日が経ちすぎていて記憶だけでは引けなくなってしまいました。
今度復習がてら資料を借りてきてトライします。
 
 
今後の更新は例によって未定ですが、また時間あるときにやってみます。
 
先日歩いた「城端道」をはじめ、もっと以前に歩いた井波道戸出道といった高岡から現・南砺市をつなぐ諸ルートも全然記していないですし、大門から下村の手前(小杉白石)までの御鷹野道も抜けています。(そろそろこちらも記憶が怪しい)
 
 
 
また、本当は長い距離を歩く人ばかりでなく、沿道の歴史遺物を観てみたいと思う人もいると思うので、
のほうも更新したいのですが、過去写真を探すのがまたひと苦労です。。。
 
 
・・・ 気負わず、気長にやってみます。
 
 
 
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昨日、表題のルートを歩きました。
 
福野〜城端は「城端道」のルートです。
城端〜福光はとくに資料もなく地図とにらめっこしてそれらしい道を事前に選んでおきましたが、まあハズレではなかったと思います(もちろん主たる街道ではないと思いますが)。
 
ルートは、こんな感じ です。
※いつものようにルートラボですが、今回はグーグルクロームとSafariのみに対応する版です。
 
福野〜城端の城端道は何年か前にも歩いていますが、渡ったら左折、という川を間違えていて途中が正確ではなかったので今回はそのリベンジでもあるのと、この区間だけだと距離が10キロ程度にしかならないので、福光まで足を伸ばしてみた次第です。
 
現在は合併して「南砺市」となった福野、城端、福光の旧3町は、どれも歴史があるよい雰囲気が残る町です。
いずれも過去に歩いて訪れていますが、やはりその時その時で新しい発見や気づきがあります。
※南砺市は上記3町のほか、井波町も街道的には重要な町。また、井口村、利賀村、世界遺産五箇山で有名な平村・上平村が含まれます。
とくに今回城端はけっこう町の隅々まで歩いたように思います。
またこの日、城端では有名な「むぎや祭り」が行われていて、町じゅうで麦屋節が流れる中で散策できました。
 
今回も二つのアプリを機動して測定しましたが、やはり両者は全然違い、特に今まで使ってきたauのアプリが正確ではないとほぼ確信しました。現在使っている端末機(GPSの性能)がおかしいのではと思っています。過去の記録(かなり長く使ってきましたが)が正確かどうかは、今となっては知ることができませんね。
 
■au SmartSports RUN&WALK
・距離: 30.14km
・消費カロリー: 755kcal
・時間: 297:19
・速度: 6.08km/h
・歩数: 39669歩
 
■Runkeeper
・距離:23.80km
・時間: 4:56:57
・平均分/km: 12:29
・カロリー: 1374
 
 
 〜〜ここから追記です(2014/9/15)〜〜
以下、福野、城端、福光の南砺三町について。
いずれも数度歩いて訪れていますが、記すのは初かもしれません。
3町まとめてなのは少しボリュームありすぎるかもしれません。
 
なお、今回のウォークで2人の人物に興味が沸きました。
阿曽三右衛門と川島甚兵衛の二人です。
戻ってきてからちょっと調べたのでそれらも含めて記します。
 
 
■ 福野(ふくの)
慶安二年(1649年)に本江村の阿曽三右衛門が藩に願い出て翌年から町作りに着手。この年のうちに57軒の屋並みを作り、ニ・七の日の六斉市を開いたことに始まる。
町の中心には卍型十字路があり、ここで高岡道、城端道、井波道、今石動道が交わる要所の地。
この箇所には高札場であったらしく、広くなっています。今は北陸銀行横で、富山第一銀行、信用金庫など他の金融機関が店舗を集めており、明治以降も町の中心だったと思われます。
 
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■ 城端(じょうはな)
山田川と池川の間の狭い台地の上に発達した街。
戦国期に荒木大膳が要害のこの地に城を築いたことから城ケ鼻と呼ばれる。
永禄二年(1559年)善徳寺がこの地に移り、城下町と同時に寺内町として栄える。
井口の市、山田の市が移ってきて六斎市となり、さらに江戸初に北野の市が移って九斎市となって市場町として発展。

元禄六年(1693年)には既に町家数677、人口3793、砺波平野では今石動に次ぐ規模の町になっている。

城端の発展は地勢的な交通位置によるところが大きい。五箇山や飛騨白川(白川郷)への拠点となる場所。
また陸路だけでなく、山田川を使って小矢部川に入る舟運にも恵まれていた。
五箇山産の塩硝、和紙、生糸、漆等の集積地であり、絹織物業、漆業等が盛んだった。
山田川と池川の合流点(町の北側端)で井波からの道、福野からの道が合流する。
そして町の中から福光(その先、金沢)への道が伸びる。

仏壇のお店が集中しているイメージが強烈にあったけど、今は閉店されたのか昔ほどではなかった。
善徳寺は平成の大修復で平成29年まで本堂が見れません。(´・_・`)
この日は民謡でも有名な「むぎや祭り」の日でした。
町じゅうに麦屋節が流れ、衣装を着た町衆や子供たちとすれ違いました

また今回訪れて知ったのですが、川島織物の創業者、川島甚兵衛はこの城端出身だということです。
 
 
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■ 福光(ふくみつ)
福光だけは、街道資料(たとえば『歴史の道調査報告書』など)でしっかり説明があるものに出会ったことがありません。郷土史的な資料から町の位置づけはなんとなく知っている程度ですが、津沢〜福光を以前歩いているのと、金沢〜福光、井波〜福光、城端〜福光のそれらしい道を車で走ったりしています。
 
以下のリンク先に説明が詳しいです。
『古い町並みを歩く
 
以下、上記リンク先より福光の町に7ついて抜粋させていただきます。
 
・砺波平野にあって、城端への拠点となる町、さらに二俣越を利用した藩都・金沢への拠点となる町として発展した場所。天明(1781〜89)頃は家数は376軒・人数1,922人。天保10年(1839)頃は家数671軒・人数2,960人。

・加賀藩は寛文2年(1662)には蔵宿所在地に指定し、寛文〜延宝(1661〜81)には収納蔵が設置され、南砺波地方の年貢米は蔵宿に納められた後、二股越えで金沢へ。また五箇山中で生産される煙硝・紙なども福光を経由して金沢へと運ばれた。

・福光地域は生糸と麻布の大生産地であり集散地であって、麻布(八講布)は江戸末期には加賀領内で最大の集散地となった。製品は蚊帳に仕立てられて京都・大坂・江戸に送られていた。
一方生糸(曾代糸)取引も多く、売上高は麻布の販売額を上回っていた。江戸中期には福光の生糸商人が藩用として金沢城に納め、加賀絹として名声を高めた。さらに、幕末の文化・文政(1804〜29)頃、加賀国宮腰(現金沢市)の海運業者銭屋五兵衛の、密貿易のための福光生糸買い付けに応じて、福光商人は大きな利益に潤い、豪商・資産家が続出したと云われている。そしてヨーロッパにおいても福光生糸の品質は高く評価されたという。
明治にはいり、生糸の製糸は機械化されて、アメリカなどへ輸出されたが、糸価の変動が激しく福光の製糸業は幾多の浮き沈みを繰り返しつつ、昭和初期までは福光の最大産業として君臨した。しかし第2次大戦前後には全て廃業されてしまい木工業や繊維産業が盛んになり今に至っている。
 
また小矢部川水運など使った木材の集積地としても要所であったのではないかなあと思います。
現在もそれらしい企業さんがありますしね。
 
 
さらに、今回福光を訪れて「新町」の入り口の案内板を読んで知ったのですが、福光の町も福野を開いた阿曽三右衛門によって町立てされたのだそうです。それだけでなく、津沢の町(小矢部市)もこの人が開いたのだとか。
ウィキペディアにもそのことが記されていました。
 
 
この阿曽三右衛門という人今石動城端、あるいは井波いう砺波平野の中でも偏ったところに位置した、古くからの大きな町を結ぶ拠点をつくるために福野(1649年)、福光(1651年)、津沢(1660年)という町を次々と開いた、ということなのでしょう。
 
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今回は以上です。
 
 
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先週の金沢訪問の翌日(8月31日)、いわゆる「二俣越え」(オコ谷往来)というルートの一部を車でたどり、金沢市内から福光経由で富山まで戻ってきました。
 
前半の金沢市内の中心地では路が狭く一方通行で車が通過できない箇所がありましたが、「賢坂辻」あたりから先は車でもトレース可能なようです。
おそらく現在の金沢大学角間キャンパスへ向かう県道27号線が、二俣越えをとたどる道の付け替え新道だと思われます。現在はこの整備された道路のおかげで簡単に福光まで抜けることが可能です。
あえて無理して旧道をたどることはやめ、二俣の集落とその周辺にある道標を見つける目的に絞りました。
 
だいたいのルートがこちら
 
 
「二俣越え」とは
実は富山県の南西部、砺波・南砺地方と金沢は山を越えると近いです。
だいたい砺波〜金沢は四里ほどなんだとか。
福光・城端・井波などの南砺地方の中心都市に集められた米、織物、生糸、農産物などの多くの物資が当然この道を通って金沢へ向かいました。
当然山道なので冬には深い積雪のため人馬が通るのが困難になるという季節限定の道ではありましたが。
 
本来ならば、今石動(小矢部市)へ出てそこから倶利伽羅峠を牽き越え、竹橋・津幡の両宿場で荷を継ぎ替えて金沢へ、という北陸街道を行くの正規のルートなわけですが、砺波・南砺の人々にとっては時間もお金も余計にかかる遠回りのルートになります。
山越えルート(越中と金沢の間には二俣越えのほかにも小原越えなどの山越えルートがありました)をされると竹橋宿・津幡宿に落ちるお金が減るため両宿が困ります。そのため山越えルートを禁じたり(「宿抜け」の禁止)緩和したりの争いがあったようで、最終的にはこの二俣越えだけが正規ルートとして認められた経緯があります。
 
※以前に能登街道を歩いたときに似たようないきさつを知りました。たとえば飯山宿(羽咋市)は能登街道(現在は国道159号線が踏襲)の重要な宿駅ですが、越中からの荷物が北陸街道の津幡宿を通らずに氷見からのルート(国道415号)を経て飯山で合流したり、あるいは飯山宿さえも抜けてさらに北のほうで合流したり、のショートカットルートを取る往来が多かった。
 
 
殿様道(とのさまみち)
以前から知ってはいましたが、福光の側では金沢とつなぐこのルートを「殿様道」と言ったりするようです。
 
安政三年(1856年)加賀藩十三代藩主・前田斉泰が参勤交代で江戸から金沢へ帰る際、総勢1830人のお供を連れてこの二俣越えを通っています。もちろん北陸街道を進むのが通常ですが、このときは高岡から城端へ、そして二俣越を通り金沢へ入ったそうです。途中の二俣村(現・二俣町)では本泉寺で休息を取っています。
 
藩主がこの道を通るということで、前もって大がかりな整備が行われたことが想像できますし、その時の人々の記憶が今に至るまで「殿様道」という名前に残っているのでしょうね。
 
 
二俣の道標
金沢側から福光側へ向かう際に通る二俣の集落。
この集落を抜ける際に比較的大きな道標があります(二俣の道標)。
 
イメージ 1
 
右 山みち  左 福光道」と掘られています。
字もはっきり読めます。
場所はこのあたり ↓
 
また集落内のもう少し手前、田島川にかかる下二俣橋の角にはもう一つ小さめの道標
があります。
イメージ 2
右 大樋町  左 天神町道」とあるそうです。
小さいし草に覆われていて見過ごすところでした。
字もちょっと読みづらい。
 
さらには二俣集落に入る手前にも道標があります。
街道と田島の集落へ入る道の分岐に立つ道標で(田島道標)、
右 たのしま村  左 ふたまた道」と掘られています。
イメージ 3
 
このように比較的狭い範囲で道標が三つも見つけることができ、ご満悦なドライブでした。
 
 
城下の様子も
この記事の冒頭で記したルートの最初のほうは金沢城下にあたります。
町名・地名で記すとすると、
橋場町〜材木町〜横山町〜賢坂辻〜扇町〜天神町〜椿原天満宮〜田井町〜旭町〜若松橋〜浅野川渡
 
若松(当時は村)あたりから川を越えれば二俣越ルートのスタート起点という感じのようです。
 
今回じっくり散策して写真を撮ることはしませんでしたが、天神町あたりは以前「かなざわグリーンウォーク」で二度ほど通過しています。今年の大会とその前々回の大会です。
その際に撮った町並みの写真を最後に。
 
 
イメージ 4
 
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ようやく知識の断片がつながった感じです。
ご報告は以上です。
 
 
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