南原充士の 『越落の園』

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「価値観の研究」第一部

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 価値観を持った同士が接するとき、おたがいの言葉や行動をどう理解し受け止めるか?は重要だ。

 真剣に伝えようとする場合でも、100%真意が伝わることはありえない。

 よく伝達ゲームというのがあるが、ひとりのメンバーが一枚の紙に書いてある内容を暗記して次のメンバーに口頭で伝えていくうちに、数人いるうちの最後のメンバーに伝わるころには、最初とはまったく違った内容になっているという例がしょっちゅう見られる。

 一生懸命伝えようとしてもその程度だ。
 ましてや、なんとなくコミュニケーションをとっているときには、真意は伝わりにくいと思ったほうがよい。

 理解には、不十分な理解、曲解、誤解、勘違いがなどがつきものである。
 表現能力や理解能力の影響も大きいだろう。
 社会はそういう理解と誤解の複雑な関数である。

 また、同じことでも、だれが言うかによっても、伝達力が異なる。親しいものが言うことと嫌いなものが言うことでは、受け止め方が異なるだろう。上下関係や利害関係や立場や状況によって、理解度は大きく違ってくる。

 発言や行動の前に、発言・行動の主体の信用度などがきわめて大きな方向性を与える。

 理解ということに潜むそのような複雑な方程式をよくふまえておかないと、「すぐれた価値観」を提示しても世間を説得できるとは限らない。

 そこに、読みや駆け引きの要素が入ってくる。

 時には、意図的に、誤った情報を投げかけたり、嘘をついたりもする。情報の混乱を狙うこともある。

 他人同士を、疑心暗鬼におとしいれようとする場合もありうる。

 人間は、さまざまな状況においてさまざまな駆け引きを使う。たとえ無意識であっても。それは生きる方便だ。

 したがって、「価値観」は、現実には、そのときどきの人間関係や状況でゆれ動き、変容を余儀なくされる。

 生きている人間や社会の発言や行動に密接にかかわる価値観は、同様に、そのときどきにおいて、とっさの対応を迫られる。

 価値観は生き物の側面を持つことを忘れてはならない。

 価値観をめぐっては複雑な要素がからまりあい、また変化していくものであることを述べてきた。ここで、ちょっと横道にはいって、意思疎通の精度について触れておきたい。

 ひとがある価値観に基づいて発言し行動するときに、すべてを自覚し、正確にコントロールできているのだろうか?そんなことはありえないだろう。

 まちがってこそ人間。常に勘違いや間違いがつきものである。あるいは、表現能力の問題、理解能力の問題もある。

 ひとはお互いに誤解しあいながら、コミュニケーションをとっている。そういうものなのである。
 よくある政治家の「失言」もそういう類かもしれない。

 失言はそのひとの注意能力にかかわるが、知的な能力にもかかわるような気がする。

 信じられないような失言をする政治家がいる。それもくりかえす政治家がいる。
 そういうことがわかった時点で、そういう政治家はやめてもらったほうがいいだろう。

 その政治家の「価値観」の一部が明確化し、否定されるべきことも明らかになったわけである。

 そういう場合の、けじめのつけ方に、またひとつの「価値観」が問われる。本人はもとより、党首なり、総理大臣なりの判断力が問われる。

 概して、問題が起きたときの処理の仕方で、信頼できる価値観かどうかが見えてくる。

 「失言」はだれにでもあるが、信じられないような重大な失言は許されない。くりかえしも許されない。ましてや失言を失言を思えない場合は、弁解の余地がない。

 失言をするにしても、じょうずに危機管理をすることが求められる。

 価値観には、個人レベルの価値観、グループや地域社会や会社の価値観、国家の価値観など、階層があることは前に述べた。

 では、時間的な経過によって価値観はどのように変化してゆくだろう?

 価値観は人間と同様に生まれ、育ち、死ぬ。「価値観の一生」とでもいえるサイクルがある。

 ここでたいせつなことは、歴史的な視点である。しかも、できるだけ客観的な視点である。
社会科学としての「歴史学」という観点から事実を評価することが肝要である。

 日韓や日中の歴史の共通認識をめざす取り組みがなされている。きわめて重要なことだ。人間にはそして、民族には積年のうらみつらみもある。感情をぶつけるだけではなにも解決しない。

 苦しいが、現実を見る。過去を見る。冷静に。

 そして、一つの判断をくだす。絶対ではない。ひとによって異なりうる判断だ。
 それらの判断をつき合わせて議論する。一致点を確認し、不一致点を整理する。

 こうして、ある時点での歴史認識が整理される。
 このプロセスはある意味で無限に繰り返される。
 終わりがない。結論が出ないこともありうる。

 だが、こういう科学的な姿勢がたいせつだ。

 歴史は、その時代とあとになって振り返るのでは、まったく異なるものに見えるはずだ。

どうしてそんなおろかなことをしたのか?とか
なんでそんなばかげたことを信じたのか?とか

後世の人間がいろいろ批判するのはたやすい。
だが、過去の時点においてどのような社会環境であったか?どのような情報が得られたのか?とかの前提条件を仔細に調べてみれば、やむをえない判断や行為が多いと思われる。

限られた情報と利害関係や力関係のなかで決断は下されてきた。
過去を批判し否定するのは簡単だが、それだけでは真実を明らかにできない。

歴史的な学問的な視点から過去を評価するのが、価値観を常にレビューするため
の第一歩である。


 

 国家と国家の関係は団体間の関係であり、主権と主権の関係なので、とてもむずかしい。
 まず考えなくてはいけないのは、既述のとおり、利害が基本だということだ。
 国益が根底にあって、美辞麗句もあり、飴とむちもある。平和や平等や共存共栄の目標もある。では、正義はどこにあるのか?自由博愛平等平和不可侵とかいうもっともらしい人類共通の願いを正義だととらえたいのは大多数の人間にとって共通しているだろう。
 だが、歴史を冷静に振り返れば、隷属侮辱差別戦争侵略がないまぜになっていることは否めない。現実は、正邪・善悪・好悪・美醜・といった正反対の要素がくりかえしあるいはからまりあって動いてきた。
 現実から眼をそむけては繁栄はありえないことは歴史の教訓だ。しかし、真実を唱えれば勝利を呼び込めるほど安易でもない。
 科学・非科学総合的な価値観が、国家にも不可欠である。
 政党が複数あり、政策を競うことは望ましい。だが、選挙で最適の結果が出ることが重要である。
 少なくとも、いまある政党の中で最善の政党が選ばれて政権につくことが望まれる。
 六カ国協議を見守ればわかるが、北朝鮮を除く5カ国が一枚岩かといえばそんなことはなさそうだ。
 拉致問題は日本にとって大問題だが、ほかの国にとってはそうでもなさそうだ。
 日米同盟は強固なものであると信じたいが、日本とアメリカにだって利害が一致しない部分がたくさんある。アメリカの言うとおりにすればいいというもんじゃない。だから、ひとつの選択としてありうるのは、日米の基本的な同盟関係を確認しながら、個々の案件ごとに対処方針を慎重に打ち立てて、それを最大限実現すべく国の関係者が一致協力して臨むことが望ましい。
 そこで、留意すべきは、国民にすべてが知らされるわけではないということである。機密情報は公表されない。また、二国間あるいは多国間の交渉も公表される部分と公表されない部分、さらには意図的に強硬発言をしたり、柔和な懐柔策をとったりする部分もありうる。
 すべて交渉には戦略と戦術が必要だ。十分に練り上げられて構築された戦略・戦術が。
言い換えれば、「国家としての価値観」の構築がきわめて重要なのである。それは、国家の政策であり、政権にある政党そして内閣総理大臣の政策ということである。
 なんだ、そんなものか?といわれるかもしれない。
 だが、現実にあるのは、実にありふれた政策である。新聞やテレビでしょっちゅう眼にしたり耳にしたりする情報が、実はきわめて重要なのである。そのことを忘れてはいけないと思う。
 あまり興味のないひとも多いかもしれないが、選挙は最重要な機会だ。
 来る参議院議員選挙には積極的に投票しましょう!

 

 とりあえず、団体までの価値観のありようについて考えてきたので、次に、価値観の典型的な表れとして、「国家」というものを考えてみたい。

 「国家とはなにか」ということについては、それに関する専門の教科書を参照していただきたい。
 ここでは、そういう基礎知識を前提として、ぼくが考えることを述べたい。

 国家は領土と国民を有する権力の主体だといえるだろう。
 権力は、国家を運営するために不可欠だが、同時に、濫用の危険をはらむ。
 憲法は、そうした過去の教訓を踏まえて制定されたといえるが、制定時の内外の状況にも影響されたはずだ。主権在民の明確化、三権分立、戦争放棄、基本的人権の保障といったことが眼目だ。

 現在の日本では、権力は、相互にさまざまなチェックを受けるようになっている。
 異議があれば申し立てもできる。訴訟も起こせる。陳情や請願もできる。
 
 権力機構は、憲法に基づき、諸般の法律で規定されている。

 憲法、法律、予算等国家の重要事項は、国会で論議されて、決定される。
 
 国会は国会議員で構成される。
 国会議員は選挙で選ばれる。

 国会の論議を茶番だと思う向きもあるかもしれないが、実は、国家にとって重要なこはここで決められる。したがって、信頼できるレベルの高い国会議員を選ぶことは重要である。

 内閣総理大臣は、国会議員の中からえらばれる。総理は閣僚を選ぶ。内閣は行政権の頂点だが、国会でのチェックを受ける。

 司法もまた、最高裁判所を頂点とした権力組織となっている。

 法律等のルールが制定されても、それを運用する者が適正に業務を行わないと、国民の権利や利益の保障がされない。

 制度を運用する人材の採用、教育、活用が重要な要素のひとつである。

 そして、不適切に制度が運用された場合の処理方針が明確にされることが望ましい。

 たとえば、年金額をあやまって計算した場合の、訂正、補償。

 たとえば、誤認逮捕したときの謝罪や補償。

 たとえば、職員の故意・過失による損害の補償。

 複数の価値観が競争して、ある価値観が公的に採用されると、現場では、とりあえずの指導監督の方向が決まる。

 権力は、根拠が明文化されるので、その限りにおいて価値観の競争には決着が付く。もちろん、問題があれば、改正の機会はありうる。

 国家は国民との関係では、守る面と攻める面とを持つ。さまざまな保護や救済。さまざまな税金や保険料の徴収など。

 国家は、他方、国家間の関係にさらされる。
 外交、貿易、投資、観光、文化、援助、協力、など。

 最悪のケースが戦争だ。

 平和と経済的な繁栄をめざして、さまざまな努力がなされる。
 これも、総理、外務大臣等閣僚が先頭に立つ。

 二国間と多国間の国際関係がある。
 六カ国協議。
 国連等での論議や行動。

 それぞれ対処方針が的確に作られる必要がある。
 それは、いわば「国家としての価値観」の形成といえるだろう。

 国家は個人レベルと同様にとらえることが困難であり、適切ではない面もあるだろう。

 ただ、これまで、「価値観の研究」として、整理してきた議論の方法論は準用できるかもしれない。

 次回もまた、国家について考えてみたいと思っている。
 
 


 


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