南原充士の 『越落の園』

辛口の芸術評論、なんでも評論=コメント歓迎!

「価値観の研究」第一部

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 前回、相性が悪いと思った相手からは、可能な限り距離をとるべきことを述べたが、しかし、人間の相互理解は相性のわるい相手であっても、断念すべきではない。白黒のレッテルをはりすぎるのは、(価値観の異なる人間の共存というのが最優先の目的なので、)適当ではないと思う。

 自分の経験からして、人間は言葉をかわすことによってかなりの親近感をかちえるものである。
 いやなやつだという思いをもっていた相手でも、ちょっとした会話をきっかけに見方がかわることはよくある。

 メールや手紙という方法もある。

 いずれにしても、距離をはかりながらも、できるだけニュートラルな気持ちを維持し、機会があれば、接近するチャンスをうかがうぐらいの積極性が必要だと思う。

 あいさつもそうだが、ひとがひとに不信感をもたないようにする第一歩といえるだろう。

 これは、組織間でも、国家間でもいえると思う。

 外交政策は複雑だが、首脳同士が会談をすることは重要だ。会談を拒否することも外交政策の一環だろうから、一概には言えないが、基本的には、さまざまなレベルやチャンネルで交流を図ることが平和の第一歩であると思う。


 だから、政治家や企業の交流だけでなく、市民レベルの交流、観光、スポーツ、学会、留学、研修などさまざまな交流の機会がもたれることがのぞましい。

 まず接する。
 うまく接する。

 距離感をまちがわない。

 相手のプライドを傷つけないように配慮して、最低限、疑心暗鬼、不信感、敵対心をもたないように最大限の努力を傾ける必要がある。

 もちろん、相手が攻撃してきたり、誹謗中傷してきた場合には、それに対して、バランスのとれた反撃や防御策を講ずべきは言うまでもない。

 個人的な関係においても、相手が明らかに攻撃をしかけてきたときは、自己防衛のための手段をとらざるをえないのと同様に。

 要は、人間関係は、可能な限り、コミュニケーションを密にとることによって円滑化を図ることを基本としつつ、衝突の場合にそなえて、心の準備や対策を用意しておく必要があるということである。

 人間関係共通に、「相性」というものがある。

はたして、科学的に解明しきれているかどうかはわからないが、「相性」を軽視すると痛い目に会う。
だれにもそういう苦い経験があると思う。

 英語では、ケミストリー=化学という言葉によって、人間関係の相性のよさわるさを示すことがあるようだ。

考えてみれば、人間も生体として、内部でさまざまな化学反応が行われているのだから、人間関係を生化学反応としてとらえてもおかしくないのかもしれない。

 多くの脳科学者など研究者が、脳の機能の面から感情や感覚を解明する努力を続けているようだ。その成果に期待しよう。

 ゲーテの小説に「親和力」というのがある。

 二組の男女がいて、相性のいい男女同士が結びついたので、ペアが入れ替わってしまうと言う話だ。
 それは、酸とアルカリが化合して、水と塩ができる反応に似ている。

 実は、HとOの結合力が強いので、それが結びついてH2O=水ができる。結果として、塩が残ると言うことらしい。
 男女関係もより強く引き合う男女がいればその二人が先に結びつき、残ったふたりはやむをえず結びつくということだ。

 あるいは、無理して結びつかなくてもいいのかもしれない。

 さびしさに負けて、恋人を求めたら悲劇が訪れるおそれがある。

 これは恋人関係だけではない。

 友人関係や、上下関係、嫁と姑との関係、取引先との関係、国際関係などあらゆる人間関係に当てはまる。

 相性をまず見極めることがたいせつだ。

 悪ければ、できるだけ近づかないのが賢明だ。

 仕事上近づかざるをえないときなどは、細心の注意を払って、相手を傷つけないように努める必要がある。

 「相性」=ふしぎなものだが、重要な要素だ。

 人間関係における相性の大切さを再認識しておこう!

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 人間関係のひとつの重要な要素が、地域における人間関係だ。

 向こう三軒両隣とか、隣はなにをするひとぞとか、相隣関係とか、遠い親戚より近くの他人とか、隣の芝生とか、隣組とか、村八分とか、町内会とか、近所づきあいとかにまつわる言葉が多いのを見ても、人間にとって近所付き合いは気を使わざるを得ない人間関係であり、生きていく上で無視できない要素だと言ってよいだろう。

 江戸時代の長屋に比べれば、平成時代の近所付き合いはかなりちがった面があるだろう。
むしろ、近所付き合いが希薄化しすぎて問題視されている面がないとはいえない。

 地方と都会では事情は異なるだろうが、都会のとなり近所というのは、ほんとうに隣との付き合いがないことが多いような気がする。名前さえ知らないとか、顔をあわせたことがないという例はざらにある。

 留守にするからといって隣に一声かけるというものでもない。

 泥棒が入りやすい状況と言えば言えるだろう。

 たしかに、家族構成によって、近所関係は変わりうる。

たとえば、ちいさな子供がいる家族とおとなだけの家族とでは、付き合い方がかわるような気がする。

 子供を通して親が付き合いだすというパターンもよくある。

 老夫婦だけの家族だと、なかなか親しい隣関係は築きにくい。

 それにしても、人間にとっては、コミュニケーションというものが重要だと思うが、社会のシズテムが変われば、それに従うしかないだろう。付かず離れず、不信感や不安を感じない程度のあいさつぐらいは気をつけるとして、無理に付き合いを深める必要はないかもしれない。

 自分にとって、どういう交友関係を優先するかどうかを考えておけばいいのかもしれない。

 たとえば、家族、職場、学校時代の友人、恋人、趣味友達、地域といった具合に。

 地方では事情が異なるだろう。

 長く地元に住み続けていれば、否応なく人間関係は濃密になり、監視しあうような面も出てくる。きちんとあいさつしたり、町内会の行事や冠婚葬祭などにもかかわらざるをえない。

 うっとしい面もあるかもしれないが、人間が人間とのかかわりで生きていかざるを得ないと言う宿命を思えば、それを喜びにかえるぐらいの工夫や知恵をしぼる価値があるかもしれない。

 どうしてもそれがわずらわしいと思うなら、どこかへ引っ越さなければなるまい。

 見知らぬ人々の間で暮らすことの孤独感に耐えられるなら、都会のマンションぐらしはいいかもしれない。

 もちろん、ひとにはいろいろな事情がある。家族関係とか、メンツとか、経済状況とか、行きがかりとか、隠れた事情とか・・・。そういう事情を踏まえながら、自分で最適の地域社会を選ぶか、選びようのない場合はその域社社会でうまくお茶をにごしていくしかないだろう。

 他人の目としての地域社会はへたにつきあうとおそろしい敵にもなる。敵対することだけは避けなくてはいけない。最低限地域社会で悪い評判が立たないように気をつける必要はあるだろう。

 コミュニティーといえば聞こえはいいが、へたをすると、自分の首をしめるかもしれない。

 地域社会への用心を忘れてはならないと思う。
 

 ちょっとケーススタディをひとつ。

昨日、ある著名な劇団のプロデューサーと話す機会があった。
まだ、30代の若くてかっこいい青年だった。

ぼくは、「どのような俳優が有望なのですか?」と聞くと、
彼は、「演技力があるというのは当然必要な条件ですが、人間として基本的なことが
できているひとが伸びますね。」と答えた。
ぼく、「具体的にはどういうことですか?」
彼、「きちんとあいさつができるとか、話ができるとかです。」
ぼく、「えっ、そんなことがたいせつなのですか?」
彼、「そうです。プロデューサーや演出家とコミュニケーションがきちんととれないひとは絶対に評価されません。使ってもらえませんね。」
ぼく、「それは意外です。でも、あいさつやマナーがたいせつな要素だと聞いて安心しましたよ!最近の日本人の中には、あいさつがきちんとできないひとがふえているような気がするし、マナーの悪い人も多いような気がするので。」

ざっと以上のようなことだった。

劇団というと、なんとなく、マナーよりも、美貌やスタイルやかっこよさや演技力が優先されるのかと思いきや、あいさつやコミュニケーション能力が大切な評価要素だと聞いて、ほんとうにうれしくなった。

彼によると、新人の採用の際や、配役の決定の際も、そういうチェックをして選んでいるのだそうだ。
30人ほど俳優がいるらしいが、今年の新人の採用は、たったひとりだけだったという。オーディションには3〜400人の志望者がきたそうだから大変な倍率だったわけだ。。

そういう話を聞いて、彼のようなプロデューサーがいる劇団の公演なら是非見に行ってみたいと思った。

その劇団の名は?

「演劇集団『キャラメルボックス』」である。

今回は、人間関係のうち、学校での人間関係をとりあげたい。

いじめや非行化や校内暴力が問題にされる学校。

まず、保育園。仕事をもつ両親にとってはたいせつ。安心して預けられる施設が望まれる。保母さんの資質も重要。幼児はそこでしつけられる。

無認可託児所問題など解決すべき問題は多い。

幼稚園。施設と教員の質が重要。

送迎バスなどを見送るママやパパの間の付き合いもポイントか?

とにかくしつけはたいせつ。あいさつとマナー。言葉遣い。

教えるほうがきちんと学んでいないとねえ!

小学校。ちょっと成長して、先生と生徒。生徒同士の関係も複雑化。
ケイタイなど持つ子が多いだろうし。
いじめが深刻化しやすい年齢にさしかかる。
学校側の努力が必要だが、家庭内のしつけがあいまってはじめていじめの防止が可能になると思う。
100%防止はありえないが、いじめが発覚したときに厳正に対処するルールづくりと意識が必要だ。

中学生は、しだいに大人にさしかかるころ。心身の成長が著しく不安定になりやすい。
生徒のかかえる問題を把握し解決するのは、やはり、本人と、学校側と、家庭だろう。
強い生徒はいいが、弱い生徒をいかに救うか?最適のシステムづくりをして最善を尽くすしかないだろう。

高校生は、かなり大人に近い。受験や就職をひかえて、おおきな希望と不安に板ばさみになる。
おまけに性的な関心も強まり、男女関係に興味を示す。
仮に、暴力沙汰になると半端じゃすまない。
教育や進路指導や生活指導などがうまく組み合わされる必要がある。
教師の質が大きく問われる。情熱と責任感にあふれた校長や教頭や教師がいてはじめて、学内の信頼は醸成され、問題が解決される。
生徒もまた、かなり大人同士の付き合い方に対応を迫られる。友人関係のたいせつさを自覚するような指導も必要だし、やはり家庭の協力も不可欠だ。

大学は、もはや自立した大人の関係と考えてよいだろう。
もし、基本的なマナーなどについて、欠ける部分が発見されれば、友人同士あるいは教員が指摘することが望ましい。一般教養を幅広く身に着けることが期待される。
不幸にして、往時の学生運動のような事態が起きたら、大学側が毅然とした対応をとることが望まれる。
秩序は、ルールを守ることによってしか保たれない。
暴力がふるわれれば、基本的には、許してはいけない。

総じて、教育機関では、先生と生徒という特別な上下関係が形成される。そこでたいせつなのは、コミュニケーションだ。方針の明確化だ。自由に意見を交換したうえで、決定したことには従うことが必要だ。
生徒同士がうまく付き合えるような環境づくりは学校側の責任である。
そして、家庭もまた当然ながら重い責任を負っている。
そういう関係者の協力関係なしには、有効ないじめや校内暴力の防止は効果的に行えないだろう。

そのうえで、最後は、生徒自身が自分の運命をきりひらいていくしかないだろう。


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