南原充士の 『越落の園』

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「価値観の研究」第一部

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 昨日のイベントでの谷川俊太郎の発言に、「言葉は現実のほんの一部しか表現できない。言葉は不完全なものだ。現実は複雑で矛盾に満ちたものだ。言葉より行動を重視すべきだ。」という趣旨のことがあった。

 昔から「不言実行」とか「有言実行」とか「言行不一致」とかいろいろ言われる。言うこととやることが一致しない場合がけっこう多いということだろう。

 「価値観の体系」を論じるとき、とりあえず、「言語表現」が重要だと述べた。と同時に、言語には策略がからんでいて、文字通り受け止めることができないこと、タブーのように表現を避けるべきこと、意図的な韜晦や誤謬、不用意な発言、能力不足による不適切な発言、など解釈が不可欠であることも述べた。さらに、発言をフォローしていき、発言者がどんな行動をしたかということを見極めて、発言と行動を比較検討する必要がある。多くの場合、言行は完全には一致しないだろう。複雑な要素がからむので、微妙なずれが生じやすいから。

 もし、「発言」と「行動」にちがいがあったときに、どちらを重視すべきだろうか?

 やはり、「行動」がそのひとの「本音」に近いと見るべきだろう。

 現実には、「発言」と「行動」は入り組んでおり、発言が行動そのものだったりもするし、不作為という事態もあったりするので、ふたつを峻別するのが困難な場合もあるだろう。

 話をわかりやすくするために単純なケースについて述べるとすれば、まさに、「行動」こそ現実としての影響力を強く持っている。

 恋愛関係にある男女を想定しよう。

 「好きだ。愛している。早く結婚して幸せな家庭を作ろう。」などといいながら、

さっぱり結婚について具体的な行動を起こさない男がいたら、それは多分、ほんとうには結婚する気がないか、少なくとも迷いがあると考えた方がいいだろう。

 国際関係にも、そういう場合が頻繁に見られる。

 以上のように「言語」と「行動」の関係は、とらえるのがむずかしいが、行動が優先するからといって、言語をみがく意味がないというわけではないと思う。あいまいな側面を強く持つことは避けられないとしても、少しでも正確に意思疎通ができるように努力することは大切なことだと思う。

 特に、言葉というのは、個人的な伝達手段ではなく、社会的なものだから、個人の努力だけでは限界がる。社会全体が、言語に対して前向きの姿勢をとることが必要だと思う。

 

 

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 アメリカの軍隊の話し。

 アメリカにはけっこう同性愛者が多いらしい。

 米軍では、The "don't ask、don't tell" policy(「聞かない、話さない」政策)というのがあって、

うやむやにするこどによって、同性愛者でも軍人として勤務できるようにしている。

 ところが、最近、ある軍人が同性愛者であることを公表したところ、軍当局から解雇されたというのだ。それを軍関係者向けの新聞がとりあげたところ、メディアでの論争の火種となったそうだ。

 その後、軍当局から軍人あてに、待機命令が届いたそうだが、任期を全うするためにという説明がなされたそうだ。

 1993年にこの政策が実施されて以来、ペンタゴン(国防総省)は、約12,000人の軍人を解雇してきたという。

 最近、この問題は、大統領選の争点のひとつにもなっているそうだ。

 性にかかわる事柄は、タブー化しやすい。けれども、人間にとって、根源的な問題だ。正面から同性愛者を認めよという意見もあるだろう。イラクをはじめ多くの紛争地に軍隊を派遣しているアメリカにとっては、深刻な問題だ。

 「あいまいさ」がひとつの選択であることもある好例といえよう。

 「あいまいさ」もときには「価値観」の重要な構成要素になるということだろう。

 
 
 

 人間が「言うこと」と「行うこと」の間に食い違いが生じる一番大きな理由は、利害関係だろう。

 いま、ドイツのハイリゲンダムでサミットが開催されているが、「各国首脳の発言をどう受け止めたらいいか?」を考えるときには、国益が基本にあると思ってよい。

 国益と国益の駆け引きである。

 地球環境問題が脚光を浴びている。

 京都議定書は、アメリカが参加していない。中国などの大国が、CO2の削減義務を負わないなどの問題を抱えている。1990年を基準に、なん%削減するか国ごとに目標を掲げ、それを2008〜2012年の間に実現しようとする枠組みだ。日本は。ー6%の削減目標だ。実際には、削減どころが増加している。

 それで、開発途上国で、削減プロジェクトを実施することにより、排出権を獲得し、その分を自国の排出量から差っぴいてもらうというスキームが取り入れられている。

 おそらく、Co2削減はかんたんには行かない。生活水準にかかわることだからだ。

 それでも、科学的なアプローチにより、未来の地球を守れ!未来の人類の子孫を守れ!という大義名分のもとに、対策は講じられるだろう。資金も技術も人材も動くだろう。

 EUは積極的。日本もかなり積極的。アメリカは独自の提案をするなど、姿勢に変化が見られる。中国は総論賛成でも、具体論ははっきりしない。ロシアもようすを見ている感じだ。

 それでも、全体として、この問題に取り組もうという合意形成に至ったようだ。いろいろ事情はあっても、地球に生きる運命共同体として、世界各国は協力せざるをえないからだろう。

 利害をベースにしながらも、どこかで「正義」「人類愛」「平和」みたいな目標を共有することが望ましい。

 国家間の複雑な利害関係の中から、なにかが生み出される。それが、前向きの材料であってほしい。

 人間の英知と良心を信じきれるかどうかだ。

 できれば信じたいものだが。

 これまで、「価値観」についていろいろ述べてきたが、なぜそんなことをくどくど書いているかというと、「自分」をできるだけ正確に知りたいからだ。

 だれしも、自分の与えられた環境に、意識するしないにかかわらず、制約をうけている。
 なぜ、自分はこのように考え、思い、行動するのだろう?

 それがはじめの問いである。

 保守的とか革新的とか、民主的とか強権的とか、右翼的とか左翼的とか、温和とか過激とか、利己的とか利他的とか、信心深いとか無信仰とか、猪突猛進とか冷静沈着とか、いろいろな形容詞がある。

 人種差別や優越感・劣等感、家族観、社会意識、道徳観、生きる目的、やりがい、死生観などもかなりばらつきがある。

 問題は、共存共栄できるかだ。違いがあってもおたがいを侵すことなく友好的に生きていけるかだ。

 「価値観の研究」は、そういうところから、出発したわけである。

 今回は、断片的で、恣意的で、利害関係に影響された、「発言」をどう解釈すべきかということをとりあげたい。

 たとえば、本能寺の変。明智光秀は、なぜ織田信長に反旗を翻したのだろう?

 歴史家や小説家などが、いろいろな説明を試みている。

 資料をもとに推理をしながら、自分なりのストーリーをまとめる。絶対的な真実は究明できないが。

 現在においても事情は同じである。

 評論家や学者や関係者がいろいろなできごとに対するコメンテーターとして登場する。

 犯罪ならば、警察によって逮捕され、裁判になれば、法廷であらそわれるので、真実がかなりの精度で明らかになる。

 しかし、現実には、違法行為に該当しない事案が多い。

 だれかに金銭的な援助を受けている場合の発言は基本的にはバイアスがかかると思われる。

 たとえば、広告宣伝はスポンサーからの資金提供で作られる。

 大学の先生の発言はどうか?

 比較的中立に近いことが期待される。しかし絶対ということはない。

 すると、もっとも客観的な解釈は隠れたところにあると考えたほうがよさそうだ。

 本音は、ひそかに手記に記される。あるいは、書かれずに頭の中にのみ記憶される。

 手記だって、科学的な正確性とは一致しない。ただ、真実への道への導きにはなりやすいだろう。

 以上見たように、さまざまな事実をより正確に理解するには、補完的な情報が不可欠だ。

 しかし、その補完的な情報をどのように入手し整理するべきかどうかについても、慎重に検討しなければならない。

 かように、真実への道は困難なのである。

 しかし、可能な限り、科学的な認識、科学的な解釈をしようとする姿勢と努力無しには、そちらへ近づくことはできないと思う。

 だれもが生まれながらに持っている種々の制約を一旦対象化し、その上で、できるだけ偏見のない自由で客観的なアプローチをすることがたいせつなのではないだろうか?
 

 年金法案が衆議院の本会議で強行採決されたニュースがテレビや新聞のトップニュースとなっている。

 与野党の対立。議場でもみあう与野党の議員たち。怒号がとびかう。

 これを見ると、なんだか与野党は戦争をしているように見えるかもしれない。

 しかし、今の政治の仕組みでは、すべては基本的には、役割を演じているといってよいだろう。

 仲良しの与野党などというのは本来形容矛盾である。

 対立してこそ与野党だ。激しく議論し、ときには暴力沙汰寸前にまで至る、真剣な論争・闘争が

 野党の存在理由である。

 おそらく、年金法案は内容的には、大きな対立はないように見える。だが、野党が、強い反対を示せなければ、衰退して、与党に吸収されるだろう。

 国民が、注視すべきは、与野党の対立という表面的な現象ではなく、議論の中身だ。それは、与野党を超えて検討されるべき内容だ。

 議論により、問題点が明確化され、解決の方策が見出されるというプロセスが望ましい。

 与党と野党の政策すなわち「価値観の体系」は衝突する。摩擦を起こす。

 与党の原案が野党とのぶつかりあいによってどれだけ、改善されるかに注目すべきなのだが、マスコミはそういうとらえ方はしない。

 マスコミには、事件事故や対立、紛争を優先とするという宿命があるからだ。マスコミの価値観の体系はそういう束縛のもとにあることを見抜いた上で新聞やテレビの報道をとらえる必要が国民にはあると思う。


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