南原充士の 『越落の園』

辛口の芸術評論、なんでも評論=コメント歓迎!

「価値観の研究」第一部

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 パット・ティルマンはアメリカのフットボールのスター選手だった。
 彼は、2004年アフガニスタンでの戦闘中に仲間の銃弾によって戦死した。

 彼の死について調査したある中佐が、
「もし人が無神論者で、何の信仰ももたないとしたら、死んでも行くところがないだろう。虫けらになるだけだ。」というような発言をしたことが、ティルマンの家族から猛烈な反発を招き、大きな社会問題となっているらしい。

 要するに、無神論者は成仏できない、ということだろう。

 信仰を持った人間にとっては、信仰をもたない人間は下等に見えるのだろうか?

 宗教について、異教徒に対する寛大さや、理解、共存のための工夫が必要だろう。

 価値観が違うものが価値観の違いを認め合って共存する・・・それこそが今世界でもっとも必要とされていることだと思う。

 アメリカという世界最大の強国が、いかに寛大さを示せるか?注目していたい。

 情報をまじめの取り入れようとすると、情報の洪水にはまっておぼれる危険がある。

そこで、人間は、たぶん、無意識に必要な情報、関係のある情報、興味を持てる情報だけを仕分けしてとりいれ、その他の情報は無視して捨て去るという作業をしていると思う。

 情報洪水への自己防衛である。

 すると、おそらく、世界全体を知り尽くすことは不可能だろう。

 結局、自分の「価値観の体系」にしたがって、情報を取り込み、処理し、「価値観の体系」にとりこんでいくというステップがとられるのだと思う。

 では、あらゆる人間が、群盲象を撫でるがごとき、部分的な把握しかできないのだろうか?

 論理的にはイエスだろう。

 しかし、人間の知恵はもうすこしましな位置においてくれるのではないか?

 基本的な基礎や骨格がしっかりとしていれば、建物がかんたんには崩れないように、
「価値観の体系」もしっかりと構築されていれば、日々の現象面での情報を取捨選択する過程において、
かなりの正確さでそれが可能になると思われる。

 反復して、チェック作業をしていれば、おおきなズレが生じないうちに軌道修正も可能だろう。

 さまざまな情報=真実、うそ、意図的な情報操作、タブー、悪意、偏見、嫌悪感、憎しみ、溺愛、欲望、ねたみ、虚栄心、いきがかり、立場、利害関係、駆け引き、など、情報には、それにまつわる複雑な背景や状況や要素がある。そういう複雑な情報を的確に処理するには、かなりの知性と努力が必要だ。

 なにも考えずにのほほんと生きていくことも可能だろう。そういう生き方を選んでいる人間もいる。

 そういうひとなりの「価値観の体系」があるのだろう。

 「価値観の体系」は無数にあり、常に共存したり、競合したり、対立したりする。

 「個人=それぞれの価値観の体系」といってよいだろう。それほど、多様なものだという気がする。

 言論の自由、精神の自由は重要だ。偏見のない覚めた観察眼と客観的な判断力が求められる。

 しかし、忘れてはならないのは、人間が科学的であろうとすればするほど、狂気に近づくおそれがあるということだ。

 歴史に教訓を見出そう。

 過去の宗教の多くが、現世と来世。現世での行いが来世での幸不幸を決定する。

 最後の審判や天国と地獄。極楽と地獄。三途の川。閻魔大王。人間は死ぬときに、天国に行くか地獄に落ちるかを裁かれるのである。

 来世があるなどということは科学的には証明困難だ。しかし、「神」とか「超越者」とか「創造主」とかいう人間の能力を超えた神のごとき存在があるのではないかという主張には説得力がある。

 宇宙や生命の神秘を考えるとき、とても人間が生み出せるはずがないと感じる。

 すると、神とか宗教が生まれる必然性もあり、科学的といえるほどの社会的歴史的な重要性を有しているのだろう。

 しかし、懐疑論者にとっては、証明できていないことはあくまでも仮説として分類すべきことになる。

 単純に言えば、証明できたこととそれ以外のことを峻別するのである。

 さて、現実をよくよく観察してみれば、日本でも、神社仏閣が津々浦々に根を下ろしている。
 冠婚葬祭は仏式や神式あるいはキリスト教式など日常生活はそれと切り離せない。

 あるひとが、自分が死んだときには、宗教と関係なく葬式をやり、お墓も宗教と関係ないところに作ってほしいと望んだとしても、遺族はそれを実行するのにけっこう苦労すると思う。

 美術や工芸も寺院や神社に多く存在する。宗教の教えを表現したものも多い。

 雅楽なども高貴な家柄や儀式と密接な関係があるだろう。

 もちろん、歌舞伎や浮世絵や日本舞踊や小唄など、宗教というよりは、民衆のなかから生まれてきたものもたくさんあるだろうが。

 バッハの宗教音楽。ミケランジェロの宗教絵画。芸術を理解するのに、宗教と切り離しにくい例も多い。

 人間は、病気やけが、そして死という最期に向けて徐々に歩まざるを得ない。なにびとも死をまぬかれないし、いつ死ぬかもわからない。
 そういう現世の不安や恐怖が救いや慰安を求めることにつながるのはわかる。
 神を信じれば、心の平安を得られ、成仏できるといわれて、信仰に走る心理はもっともかもしれない。

 逆に、不信心だと、心の迷いがとれず、病苦に侵されやすく、成仏できないと脅されれば、弱い人間は、信心に向かうだろう。

 こうして、科学的には証明できていないことでも、死をまぬかれない人間の宿命があるという冷厳な事実があり、「あることについて差しさわりがある=たたりがある」というような心理が働き、ひいては「社会的なルール=タブーや禁忌」として確立していくというプロセスがあるのだと思う。

 表現には常にタブーがつきまとう。なんでも言えるわけでも言うべきでもない。言論の自由にはそういう制約や配慮事項もあることを忘れてはならないと思う。
 

 たった一日分の新聞に載っている情報量でもめっちゃ多いのに驚く。
 
 政治、国会の動き、経済、社会、外交、国際、スポーツ、芸術、文化、芸能、テレビラジオ番組、出来事、事件事故、スキャンダル、トピック、エピソード、囲碁将棋、お知らせ、連載小説、広報、広告、特に、週刊誌の広告などジャンルも多様で、内容も多岐にわたっている。

 とてもじゃないが、すべての情報をつぶさにチェックすることはできない。自分にかかわりのあることや、関心のあることに限ってフォローするということにならぜるをえない。

 ここに、「情報の取捨選択」がなされる。

 ひとそれぞれ、利害関係や関心事の範囲、理解能力や自由時間の量などの違いによって、取り入れる情報の種類や量や優先順位は異なってくるだろう。

 ある全国紙の朝刊があるとする。一面トップ記事はなにか?二番目、三番目は?
 2面3面4面・・・30何面まであるだろう。

 たとえば、ぼくの読み方をご紹介しよう。

 新聞社の優先順位とは別に、ぼく個人にとっての優先順位を考える。

 その優先順位にしたがってある記事をどれくらいまで読むかどうかを決める。

 ・・・なーんてえらそうなことを言っても、実は、いい加減な直感でそういう取捨選択をしているだろうなあ。

 大部分は読んだそばから忘れてしまうだろうし。

 しかし、何日か連続して新聞を読んでいると、ひとつのテーマが繰り返されるので、記事への理解力は高まる。それでも、報道された記事の内容の評価は、慎重にしなければならない。それは自分なりに考えた上で決定しなければならない。

 きょうのニュースを読み取るには、きのうまでの情報の蓄積が役に立つ。

 ぼくは、ジャンルごとに漠然とではあるが、ある程度の考え方をまとめている。「価値観の体系」の各部分として。

 僕の考えでは、なんといっても重要なのは、国の安全だ。安全保障。つきつめれば、軍事力と警察力だ。
したがって、外交や軍事についてのニュースを最優先して読む。日米安保条約。基地問題。
国連安保理の動向。北朝鮮関係。中国、韓国、ASEAN。などなど。天皇皇后両陛下がヨーロッパ各国を歴訪されているというニュースなどは、眼に止まりやすい。

 イラクの情勢はあいかわらず泥沼だ。イランも核開発について独自路線を貫いている。
 最近では、レバノン情勢も不穏だ。パキスタンやアフガニスタンも不安材料がいっぱいある。その他、世界には、紛争地帯がなんて多いのだろう?心が痛む。いつになったら、解決されるのだろうか?

 宗教によっては、夫婦でもないひとが人前で抱き合ったりキスしたりするのが、教えに反するということがある。某国の観光大臣がスカイダイビングのインストラクターと抱擁しただけで辞任に追い込まれそうだという報道があった。こういうことに対しての判断はむずかしい。いろいろな戒律や教義がありうることを再認識させられる。

 安全の次にたいせつなのは、経済だ。まず、食べること。着ること。住むこと・衣食足りて礼節を知る。の類だ。日本の経済状況がどうか?これからどうなるのか?そういうことについて、自分なりの見方を持つ。経済成長率。国際収支。輸出輸入額。失業率。企業の経営動向。金融の動向。証取法や外為法の違反状況。M&Aの動向。など。

 次に、社会が安定していることが重要だ。家族がしあわせに暮らせるためのさまざまな要素。職業。教育。育児。医療。介護。年金。結婚。離婚。冠婚葬祭。地域。社会基盤。水道光熱。電話。通信。テレビ。PC.ケイタイ。交通。など。安心して生活できる社会環境が整備されることがたいせつだが、これは、国や公共団体。企業。学校。隣人。親類。家族。友人知人。幅広いネットワークによって確保される。

 その次に、娯楽やレクリエーションだ。スポーツ、芸術、旅行、映画演劇コンサート、カラオケ、つり、賭け事、登山、ハイキングなどいろいろなごらくがある。ひとぞれぞれの好みによって、そういう楽しみを見つけて、実際に行動に移せるような仕組みが形成されることがたいせつだ。

 さらにはボランティアなど社会奉仕や社会貢献といったジャンルがあるかもしれない。

 このように、自分なりに、ジャンルわけをし、優先順位をつけて、新しく入ってくる情報を評価し、仕分ける。

 それによって、断片的な毎日の出来事も、自分の中では、「価値観の体系」の中に取り込まれてきちんと位置づけられるということになる。

 実際にそこまで緻密な操作はできないまでも、そういう方向性をめざして情報を受け入れている。

 ほかのひとの参考になるかどうかはわからないが、一応、ぼくなりの新聞やテレビからの情報の受け取り方の一端を述べてみた。
 

 

 
 

 「価値観の体系」を構築しても、すべてを思うまま表現できるわけではないのが現実だ。

 言論の自由ほどたいせつな権利はないと思うが、言論によって、トラブルを引き起こす恐れがあるのも事実だ。

 たとえば、名誉毀損にあたりそうなことを書いたり言ったりすること。発表してみなければ確定的なことはわからない場合もあるだろう。

 宗教に対する批判や揶揄などもリスクが大きいと思われる。

 人種や民族や習慣の違いなど、デリケートな事柄についても、発言するときは慎重にする必要があるだろう。

 ときどき、勇気ある人物が、明確な批判や皮肉を述べて、抹殺の危機に瀕している例もある。

 政治家の発言が典型的だが、建前と本音というもがあることは明らかであろう。

 自民党の国会議員は、基本的には、同じ政策を共有している。

 安倍総理が、日米関係を基本として、外交、安全保障、経済政策等を進めていくというとき、

厳密には、アメリカへの批判的な要素がまったくないとは思っていないはずだ。しかし、そういうことを正直に述べることが得策ではないと思えば、そういう事柄には言及しないだろう。

 また、外交上の秘密事項もあるだろうから、言いようがない事柄もあるだろう。

 発言は精密に構築された価値観の体系に基づいてなされたとしても、すべてを発言することはむしろ稀有であろう。

 つまり、現実世界では、政治家だけではなく、経営者も、団体も、個人も、それぞれのおかれた環境や立場という制約の下で、利害得失や影響を考慮しながら、発言や行動がなされる。

 したがって、解説者や評論家があれこれ、コメントを添える余地も意義も生じるわけである。

 都合の悪いことが言われないことは多い。

 また、建前と本音がちがう場合も往々にしてある。

 「価値観の体系」が秘密裏に構築されても、それは、特定のひとたちの間の秘密事項として処理されることが多いと考えるべきだ。

 したがって、発言者は、複雑な状況を踏まえて発言するはずだ。

 「なぜそういう発言をしたのか?」とか「なぜそういう行動をしたのか?」を考えるとき、

 その背後にあるさまざまな事情や配慮を念頭に入れなければ正確な判断はできない。

 情報収集と分析能力を鍛えることによって、情報の持つ断片性や、操作性を克服することがすこしでも可能になると思う。

 情報化社会といわれるいまの世の中では、そうした情報処理能力がますます重要になっているのではなかろうか?

 


 


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