南原充士の 『越落の園』

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「価値観の研究」第一部

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では具体的に自分なりの価値観をどのように構築していったらいいだろう?

簡単な答えはあるはずもない。

手っ取り早いのは、先人の知恵だ。
すぐれた先人は数多くいる。
それらの先人から学ぶことがひとつの有力な方法だろう。

同じような問いかけをした先人は無数にいて、どのようにそれを処理していったのか?

いろいろなアプローチがあったはずだ。
正解はないかもしれない。
しかし、時間を越えて生き残っている価値観はある。

たとえば、デカルトだ。「我思う、ゆえに我あり」で有名な「方法の話」など。

ぼくなりに解釈すれば、たいせつなのは、専門家の意見だ。
自分の専門分野については自分が責任を持って判断する。
専門分野以外のことについては、専門家の意見を尊重する。
どの専門家の意見が傾聴に値するかも重要な情報だろう。

そのような前提の下に、
自分の価値観の体系を創ってみる。
それをレビューしながら、修正をくわえていく。
それは自分にとって最善の価値観であるが、他人にはそうであるかどうかはわからない。
そこで、以前に述べたような、価値観の体系間の競争が起きる。
個人レベルで勝ち負けがつかないこともあるが、選挙では勝ち負けが決まる。
終わりのないストーリーだが、
人類が生きている限りは、このようなプロセスがくりかえされるだろう。

価値観の体系がこれからいかに形成され、どのような価値観が優位を保っていけるか?
予想は困難だが、私見では、偏見のない自由な精神を維持しながら、真理を洞察しうる眼力を
ベースにして構築された価値観の体系が優先されるだろうと思う。

詩歌についてもそうあってほしいと願っている。

価値観の体系が異なれば衝突も起きる。

衝突が起きたときにどう処理するか?

これも重要なシステムである。

一番典型的な解決方法は、裁判である。
司法権という権力が基盤となる。
判決が確定すればだれも争えない。

斡旋・仲裁・調停などという手法もある。

和解・示談というのもある。

弁護士がかかわる場合や当事者だけで話し合って解決する場合もある。

暴力的な決着もありうる。

刑法犯として裁判にかかる。

国家間なら、外交、国連といった場で交渉する。

それでもだめなら戦争だ。

戦争が終わると、戦後処理をめぐってまた外交や国連が登場する。

戦後復興についての仕組みや国際協力のプログラムが提案される。

そのつど「価値観の体系」が準備され、議論され、投票にかけられ、決定される。

紛争処理のサイクルは以上のような感じだ。

それでも、過去に数え切れないほど、繰り返された戦争や、紛争、衝突、流された人間の血や失われた命は肥やしとなって現在の価値観の体系のなかにとりこまれている。無駄にはされていないはずだ。

どうしようもないほど、おろかでやりきれない人類の歴史。それでも、歴史を参考にして、すこしは進歩が見られると思うし、思いたい。この辺は証明がむずかしい。

では、現実にはどのように物事は決まるのだろうか?

一言で言えば、「価値観の体系」である。

たとえば、政治家は「マニフェスト」+アルファ、経営者は実績、芸術家は作品、スポーツマンは成績、芸能人は人気、一般人はそれなりに。

国のトップがどのように選ばれるかは国によって異なる。
制度や慣習が異なる。

そういう制度や慣習もまた歴史的に構築され承認されてきた@価値観の体系」だ。

たとえば、総理大臣は、政策を競う。もちろん、純粋に政策だけでは決まらないだろう。政党や地域などのさまざまな利害関係や、個人の能力、人格、品格、イメージ、支持率、人気、マスコミの報道などが総合的に加味されて、選挙結果が決まる。

そこには、いくつもの「価値観の体系」が競争をくりひろげている。

同様に、会社も競い合っている。
会社の場合は、商品やサービスが売れるかどうかが勝負だ。
商品やサービスの質に加えて、販売網、広告宣伝、管理能力、社員の質などが総合的に「価値観の体系」つまり「ブランド」を形成して競争する。

かつては、なんでもありで、殺し合いに勝てばいい、「勝てば官軍」が徹底していた時代もあった。

『価値観の体系』は、時代により、地域により、国により、民族により、異なってくる。
どこまでが連続していると見るべきかはむずかしい。

少なくとも、今の日本について言えば、言論の自由が相対的には保障されている国だと思う。

そういう環境の下では、言葉による「価値観の体系」の構築が非常に重要だ。
マスコミの影響力も甚大である。
情報の発信力も競争を左右する大きな要素だ。
もちろん、「金の力」が基本的には最大の影響力をもっていることは言うまでもないが。

余談ながら、文学は、言葉で「価値観の体系」を表現するには最適の手段だ。

ふしぎなことに、文学は森羅万象を飲み込むことができる。
政治経済社会文化科学技術なんでも描ける。
答えが出せないことについては、問いかけをするという道もある。

言葉は人間が動物界で飛躍的に力を得るための最大の武器だったらしい。
文学がそういう役割を果たすものだと考えれば、その価値は大きいものがる。
あらためて、言葉をつかうことの意味を確かめることができる。

すぐれた科学者の中には敬虔な信仰者あるいは確固たる思想信条の持ち主である者もいるだろう。

科学的であろうとする者もさまざまな外的な制約や影響を受けざるを得ないだろう。

湯川秀樹は熱烈に平和主義を唱えたようだ。

核兵器につながる発明発見をしてしまった科学者たち。

科学技術が軍事に結びつくことは避けにくい。

どんな研究にどれだけの金とひとをつぎ込むかは重要な判断だが、それとて、国家的な政治や経済との関係を抜きでは考えにくい。

しかも、歴史は不幸な過去の連続であり、それらを引きずって現在がある。

正義が支配することを望みながら、そうはいかない現実を見てしまう。

正義もまた思想であるかもしれない。

思想は科学的でありえないのか?

人類の経験の科学としてとらえうるだろうか?

たとえば、平和のための戦争などという矛盾した表現も

ときには大きな旗印となる。

現実を正確にとらえたうえで、次のステップでは、

なんらかの判断と行動が求められるが、そのとき

判断の根拠となるのはある思想・価値観だろう。

科学と思想が融合して現実が動いていくところに

人間社会のむずかしさがあるのだろう。

さて、問いかけは続く。

きょうは、さまざまな優先順位の決定の重要性とそれに基づく選択の話の次のステップに移る前に、
だれが決定権をもっているかが重要な要素であることを取り上げたい。

個人的な事柄であれば、当該個人に決定権があることはいうまでもない。精神的な問題をかかえている者が補佐人を必要とするのは別問題として。

たとえば、総理大臣は、多くの決定権をもっている。
野党から、マスコミから、あるいは、多くの反対者から、批判がなされ、反対意見が述べられても、最後に決定するのは総理であるという案件がきわめてたくさんある。
早い話が、閣僚人事だ。だれを大臣にするかどうかは総理が決める。天皇の国事行為はそれを認証する役割といってよい。

閣議案件でも総理が反対すれば通らない。法律・予算・税制多くの重要な国政にかかわる案件は基本的には総理大臣のオーケーが必要である。

民主的なルールが憲法、法律によって決められている。過半数とか、3分の2、4分の3以上の多数とかがそれだ。

手続きは重要だ。決定のための手続きがはっきりしていないと賛成反対がわかれる現実においてなにごとも決まらなくなるから。

さて、話を詩に当てはめてみよう。

詩集に対してさまざまな賞が与えられる。
その場合、選考委員が何名か選ばれて、かれらが受賞者を決める。何百何千という読者のアンケートで決まるわけではない。それでもそういう手続きで選ぶことになっているので、結果に異を唱えようがない。もちろん、選考委員の選択に意見を述べたり、選考結果を批判するのは自由だが、結果にはなんの影響も与えない。

賞ごとに受賞者がばらついているのは、ある意味で当然だし、いいことだろう。いろいろな書き方があってよいし、評価がわかれてもふしぎはないからだ。

ひとつ、気になることがあるとしたら、特定の選者にはどうしても好みがあり、類似の詩作品を評価する傾向があることだ。その結果、芋ずるのように似たもの同士が詩人グループを形成し、権威をふるうようになることだ。しかし、人間社会にはつきものの現象なのでとやかく言ってもはじまらない。

おそらく、時間が解決するだろう。
今評価されても、直に忘れ去られる詩もあるだろうし、今あまり評価されていなくても何年かあるいは何十年か後に評価される詩もあるだろう。ひょっとして、百年後にはほとんどすべての詩が藻屑と消えているかもしれない。

ひるがえって、ある枠組の中では決定権を持っていても、その枠組みをとっぱらえば、だれにも決定権はない。いやより正確には、その時代時代の読者の感性や価値観や需要によって変わり行くものだろう。

永遠があってほしいが、それは困難だろう。
紫式部の源氏物語や清少納言の枕草子、万葉集、古今集、新古今集、芭蕉の俳句など、日本文学にも、古典といわれる財産がある。とりあえず、いまはそういう評価がさだまっているが、千年後はわからない。

バッハ、モーツァルト、ベートーベンの偉大な音楽だって未来の評価はわからない。

個人としては、今現在の能力の限りを尽くして、すぐれた詩はなにかを追求することしかないだろう。歴史的な評価など個人にどうこうできることではないから。だが、普遍的な価値があると信じて、永遠の芸術的な価値を生み出そうとする真摯な姿勢なしには、一時的な傑作すら生み出すことはできないだろう。

多くの芸術家諸君!受賞できなくても気にしないでいいのではないか。
きみのなかにおいてはきみ自身が決定権を持っているのだ。
きみの詩が傑作だときみが評価できるかどうか、とりあえずはそれが問題だ。
その先は、現在そして将来の読者にゆだねよう!


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