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本館はこちらです(クリック→) ◆京都生まれの気ままな遁世僧、今様つれづれ草◆
また桜の季節が巡ってきた。 拙寺境内には楠の大木の傍らに、枝垂れ桜が1本植わっている。 そこそこの古木であると想像するが、楠の陰になってしまって、花の付き方が今一つである。 それでも春の盛りを十分に感じさせてくれていて、私はとても美しく思って止まない。 桜にまつわることは過去に多く書いてきた。 いくら書いても尽きることのない、私に言わせれば不思議な花が桜である。 最近、桜が咲く美しさをして、 春という季節が悲喜の諸相が複雑に入り交じった、 単純な言葉では表現できない季節であることに気付いた。 桜を思い浮かべながら、無常観なるものも考えたりしたが、 この“無常観”なるものも、見る角度によっては全く趣が違って見える。 単なる“無常観”という言葉だけでは、到底片付けられそうにもない…。 まさに人間という存在の権化が桜ではないだろうか…、 否、桜の権化が人間ではなかろうか…、 いろいろなことが私の脳裏に浮かんでは消えていく。 人間の心は極めて複雑である。 私という人間一つ取ってもそうだ。 一言では片付けられない、自分という存在がここにある。 拙ブログに投影された私は、それは私の一断片であって、私の全てではない。 しかし、私という存在の一表現でもある。 嘘もなければ虚飾もない。 しかし、私の全てではない…。 「人は見かけによらない」と、世間でよく言われる。 その人の意外性を際立たせた言葉だ。 でもそれは決して“意外なこと”などではない。 我々がその側面しか知らなかっただけのことだ。 案外、至って簡単なことに気付けないでいるだけのことではないか…。 |
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さくら』の、「さ」は穀物の精霊を差す、
「早乙女」の「さ」とかと同じ意味なんだって、その穀物の
神の座「くら」がくっついた。神の座の花で『さくら』って説
あと、神話に出てくる それはそれは美しい女神、
木花之佐久夜昆賣。その名前の佐久夜、木の花の
佐久夜の 佐久夜の部分が転化して「佐久良」ってなったから
『さくら』になったんだって説
木の花の元に立つ美しい女神。神の座に相応しい花。
群競い咲く花。。。。さくら。。
日本人で 良かったと思う 季節。。やはり 「桜」が好きです。
2010/4/1(木) 午後 0:41
。。。(^・^) ポチ♪
2010/4/1(木) 午後 8:43
真砂女さん、こんばんは。“さくら”にはそんな意味があったのですね〜(´ー`)。
それにしても、変な言い方かも知れませんが、桜ってすごく霊的なものを感じます。もし精霊がいるとするならば、宿っていても不思議ではないですから…。
ここに駄文のトラバを貼り付けておきます。また御笑覧下さいませ…(^^)ゞ
2010/4/2(金) 午前 3:49
真砂女さん、駄文にポチッ!と有難うございます…(^^)ゞ
2010/4/2(金) 午前 3:50
。。はい。拝見させていただきますね。。
「妖艶」。。かもしれませんね。。
確かに 言われからしても 美しいがゆえに
宿るものもあるかと。。
今年のお花見は 艶のあるお花見にしてみたいですね。。
。。鬼子母神堂の前で お花見します。。
雰囲気は ばっちりのなりそうな。。。(怖っ。。苦笑)
2010/4/2(金) 午後 4:17
人間の権化が桜、、いい言葉ですね。。
桜というと、いろいろ浮かびますが、能の「熊野」が印象深いです。
スペインにもアーモンドの花が、咲いてました。桜に似てますね。トレドにも咲いていたのでしょうか。
2010/4/2(金) 午後 10:46
真砂女さん、こんばんは。美しいものは、心を完全に手玉に取られてしまいます…^^
花見は鬼子母神堂でですか…ザクロを用意しておかないといけませんね〜(^o^)
2010/4/4(日) 午前 2:20
たまきゅうさん、こんばんは。恐縮です…。桜を見つめていたら、そんな風に思い始めましたよ。
「熊野」…なるほど、私も思い当たります♪。再びゆっくり味読してみたいと思いました。
トレドも、パラドールがある辺りまで行くと、原野に自生していましたね。
アーモンドといえば、トレドに住んだその年の春、紛争勃発を知らずに入国したユーゴスラビアの南、マケドニアを走る列車内で眺めたのが印象的です…。
2010/4/4(日) 午前 2:24