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■写真■ 京都市下京区の東本願寺にて、2016年12月3日撮影。 ◆京都生まれの気ままな遁世僧、今様つれづれ草◆ ←本館はこちらです(クリック) 過日の未明、とてもリアルな夢を見た。 私にとってリアルな夢とは、目覚めた後の記憶が鮮明であり、 感触の記憶も残っていることである。 かつてスペインのトレドという古い街にいた頃、 よく一緒に酒を飲み語り合った画家S氏が出てくる夢だった。 彼は京都の生まれで、若い頃にスペインに渡り、長きにわたってトレドに住んでいた人だった。 夢の中で、S氏は京都に一時帰国していた。 私は居酒屋のような所で、彼とビールを飲んでいた。 私はいつまで日本にいてられるのかとか、何処に滞在しているのかなど、 再会を喜びながらいろいろ尋ねていた。 そんなやり取りの中、何故か母親もよそ行きの服を着てその店と思しき所へ入って来た。 夢に現れる母親は、やはり亡くなる前のしわがれた老婆ではなく、 老境ながらも元気な頃の姿だった。ただ、何も話さなかったが………。 そうこうしている内、S氏は一旦滞在先に戻るという。 一緒についていくと、滞在先という建物は取り壊されている最中だった。 S氏は近くにいる人間に、ここに在ったビルは朝まであったのにどうなってるんだと尋ねていた。 横にいる私は、寝泊まりする場所を探すならと、 山科にマンションの一室を所有しているのでそこへどうぞと奨めていたのだが、 ふと、私はS氏はもう亡くなっているのにな………と思った途端、夢から目覚めたのだった。 夢は本当に不思議である。 もう裟婆では出会わない存在と、何事もなかったように出会うことができる。 ところで中世の日本人にとって、 夢は《この世》と目に見えない《あの世》との連絡ツールだった。 例えば、京都の中心部に所在する、聖徳太子開基の古刹・六角堂は、 この寺で夢のお告げに与るという信仰が大ブレイクしていた。 我が宗祖親鸞も若かりし頃、六角堂に100日間参籠した。 もっとも参籠とは、ずっと籠りっきりで過ごすことではない。 日没の頃にやって来て堂内ですごし、朝が来ればまた帰って行くということを繰り返す行為である。 果たして95日目の未明、本尊如意輪観音から夢告を受けた親鸞は、 元祖法然が草庵を結ぶ東山吉水へ帰参したと伝えられる。 夢から覚めてから思ったのだが、S氏も母親も同じき夢に出て来ることをして、 多分やはり同じ世界に往生したのだと思っている。 今の私にとって夜中に見る夢に対する意識は、明らかに変わりつつある………。 2017.01.01修正 |
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