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■写真■ 滋賀県草津市の烏丸半島にて。2005年2月3日撮影。 本館はこちらです(クリック→) ◆京都生まれの気ままな遁世僧、今様つれづれ草◆ 平成の御代(みよ)も今年が最後となった。 是く書き方をすると、まるで国粋主義者のように思われてしまうが、 私は決して偏向的な思想の持ち主でもなんでもない。 今や元号は日本固有の文化となってしまった。 天皇制と連動するのが元号なるが故に、元号を用いないと自負する人も多いようだ。 かれこれ30年前、私が大学生だった頃のことである。 宗門立の大学に学んでいた私は、ややもすれば違和感を禁じ得ない出来事に遭遇した。 ちょうど昭和天皇が崩御し、元号が昭和から平成に改められた。 そんな折も折、社会主義的な思想に傾倒していた学生たちが、 本館講堂の前で改元および天皇制反対の座り込みを始めた。 彼らの主張は、卒業証書には元号を用いず西暦だけを銘記すべきだという。 そして学長からも、その承認は得ているというものだった。 果たして、卒業証書を見るとそこには、改元された元号と西暦が併記されていて、 私は座り込みを思い出して失笑してしまったのをよく覚えている。 記憶違いであれば申し訳ないことと先に謝罪しておくが、 座り込みをしていた学生たちというのは、真宗学を学ぶ寺院子弟たちだった。 浄土真宗というのは、阿弥陀仏の本願の下に衆生は平等に救われるという、 親鸞が説いた仏教思想である。 それがどうやら社会主義と結び付くようだ。 しかし宗門の現実はそんな生やさしい社会主義的発想など皆無である。 座り込みをする学生たちは、長ずれば親の跡を継いで住職になるであろう、 世襲制の子供たちである。 全く天皇制と同じではないか。 生意気盛りの私は、そんな彼らの行動にいよいよ幻滅したものである。 学内でそんな光景を眺めていた私は、ふと、恩師に感じていたことを話した。 恩師から返ってきた言葉は明快であった。 「真宗の坊主はな、寺を出て初めて出家といえるんや……」 私はこの言葉に、妙に納得したものである。 元号というと、いつもこの顛末を思い出す。 詰まるところ、信仰とは大義ではない。 あくまで自身の全てを賭して、仏祖と対峙することである。 従って、政治とも一線を画するのはいうまでもない。 しかし身にこびり付いた《心垢》に、うなだれるはかりの自分ではある……。 いつも御高覧頂き、重ね重ね有難うございます…。 年頭に当たり、早速駄文を一筆啓上m(_ _)m |
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