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■写真■ 滋賀県大津市三井寺の琵琶湖疏水にて、2017年4月14日撮影。 ◆京都生まれの気ままな遁世僧、今様つれづれ草◆ ←本館はこちらです(クリック) 梅の花が咲き始めている。 1ヶ月も経たない内に、桜もほころび始めることだろう。 先日、母校の本館講堂で、大学時代の恩師の追悼法要が有志主催で執り行われた。 恩師は一昨年の夏、80歳を一期として往生された。 恩師と最後に会ったのは、大学を定年退職された時の謝恩会以来で、 かれこれ15年以上も前のことである。 恩師の専門分野はインド仏教学で、西北インドの仏教文化の研究者として知られる人だった。 特にガンダーラ地方の仏教遺跡の発掘調査研究に功があった人で、 昭和40年代に2体の大仏で有名な、 アフガニスタン・バーミヤーンの仏教遺跡の調査研究で知られる。 そういえば恩師の僧侶としての姿はついぞ見たことがなかった。 いつもラフな恰好で、酒を飲むととても楽しい先生だった。 追悼法要の折、講堂本尊の傍らに置かれた遺影は、孫にも恵まれた好々爺の僧侶姿だった。 大学を卒業してからの30年間で、恩師とは数えるほどしか出会えなかったが、 改めて「師恩」の深さを読経しつつ思いを致した。 遠い過去のようにも、つい昨日のことのようにも思われる学生時代であるが、 いつまでも恩師と学生という立場は変わるものではない。 追悼法要では、勤行に引き続き学長による法話があった。 学長もまた私にとっては恩師の1人である。 私が学生だった頃、学長は博士課程を修了されて間もない頃で、 恩師の研究を引き継ぐ若き学者だったが、今は大学のトップとなられている。 果たして法話の中で、亡き恩師は新たな学説を提示されていたことをここで知った。 サンスクリット語《sat-puruṣa》とは「善き人」と訳される言葉で、 漢訳経典に見える「善男子善女人」に通ずる言葉であるのに想像は難くない。 しばしばインドの碑文などに「善き人○○の舎利」と刻まれたものがあり、 必ずしもストゥーパは仏舎利のみを納めたものばかりではなく、 こうした在家信者の遺骨も安置していたことが考えられるのだという。 仏教伝播には僧侶以上に在家信者たちの力なくしては伝わらなかったという、 恩師は強い確信をお持ちだったというのである。 それは、在家仏教の見直しを提言するものでもあったという。 ふと私は、学長を通して恩師からの、 「浄土真宗がいう僧籍とは何か」という問いに映ったような気がしたのだった……。 |
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