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■写真■ 京都市左京区大原の寂光院にて、2017年7月22日撮影。 ◆京都生まれの気ままな遁世僧、今様つれづれ草◆ ←本館はこちらです(クリック) 過日、京都市内の中心部に位置する、真宗佛光派本山の門前辺りを歩いた。 佛光寺伽藍の南側、高辻通に面して、大きな伝道掲示板が設えられてある。 この掲示板には「佛光寺8行標語」と称して、8行の言葉が毎月更新されて掲示される。 私はこれを見るのを、とても楽しみにしている。 モンテーニュの『エセー』の如く、 あるいはゲーテの『格言集』のように明快な言葉が、 そこには散りばめられているのだ。 この日に書かれていた言葉は………、 となりの 芝生を 青いと 見るか 枯れたと 見るか うらやんだり さげすんだり とあった。 これを読んでいて、ふと、思い当たることがある。 以前、「ちょっとできるからと、いい気になるな」となじられたことがあった。 別に自慢している訳でもなく、当たり前にやっていたことにおいてである。 やっかみとは、是くも浅ましきものかと、腹が立つより落胆した。 妬みややっかみといった貧しい発想に基づく発言というのは、 その言葉尻からすぐに発した者の真意が見えてくる。 そこには相手を貶める思いだけが込められている。 だから余計にその人となりが見えてしまい、反論する気すら失せてしまう。 ある種の、ショック状態に陥るのだろう。 思うに私は歳を喰った分、それなりに理屈っぽくはなっているが、 メンタル的に弱くなったのであろう、 こうした悪口雑言や誹り、罵り、嫉妬の言葉を聞いたりすると思考停止してしまう。 そもそも自身の中にない発想の言葉に対しての、強烈な拒否反応が作用するのだと思う。 我が人生、足らないものだらけである。 羨ましいという思いは、常に頭から離れるものではない。 しかしそうした感情を、なりふり構わず人にぶつけたことはない。 それは品格の問題でもあろう………。 |
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