露とおち 露と消えにし わが身かな 難波(なにわ)のことも 夢のまた夢・・・ 今年は暖冬の影響であろう、梅も桜も開花が早く、 京都市北区の平野神社の桜に至っては、満開近しであるという。 桜の花が咲く頃になると、いつも思い出すのがこの1首である。 春を謳歌するが如く咲き誇る桜の花に、私は無常感を見るのである・・・。 この歌は最晩年の太閤秀吉が、醍醐の花見で詠んだものといわれている。 たった一代で政治権力の最高位に上り詰めた秀吉ではあったが、 自らの人生をして、いろいろ去来するものがあったのであろう・・・。 先日、俳優の植木等氏が往生の素懐を遂げた。 まさに「往生」という言葉が相応しく、氏は三重県の真宗寺院の出身なのだった。 その寺の住職である父親は、社会主義運動に身を投じ、 治安維持法に抵触して獄中生活を送った人でもあった。 そんな僧侶を父親に持つ氏は昭和36年、「スーダラ節」を歌うこととなった。 しかし氏の生真面目な性分をして、その体たらくな歌詞を歌うことに大変悩んだのだという。 果たして、父親に相談してみると意外な答えが返ってきた。 歌のサビともいえる「分かっちゃいるけど、やめられない」というフレーズこそは、 宗祖親鸞の90年の生涯と相通ずるものだから是非歌えと、奨めてくれたというのである。 「分かっちゃいるけど、やめられない」・・・ 即ち、法相唯識(ほっそうゆいしき)で言うところの「修惑(しゅうわく)」のことである。 人間は生きている内にいろんなことを“学習”する。 しかし、やってはならないことにもつい、手を出してしまうし、 或いは、知らず知らずの内に手を染めてしまっている場合もある。 「修惑」とは、知識があるが故に、却って自己の意思を邪魔することとも言えようか・・・。 氏は父親のそんな奨めを励みにして「スーダラ節」を歌ったのであるが、 少年時代の氏は僧侶たるべく、 東京にある知り合いの寺院で修練を重ねていたという素地は終生消えることはなく、 自らの死期を見越してか、遺書もしたためていたという・・・。 人生に有終の美を飾るというのは、決して容易なことではない。 ふと、桜の薫りを感じ始めた今、 思いを致したことをつれづれなるままに書き記しておく・・・。 ◆京都より・・・、気ままな遁世僧の今様つれづれ草◆ ←本館はこちらです(クリック)
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kanbe49さん、初めまして♪♪。トラバ有難う御座います・・・(^_^)/。
2007/4/1(日) 午前 2:12
電車の画像、いいですねー。デジカメ撮影ですか。 植木さん天国でスーダラ節歌っているかも知れませんね。
2007/4/1(日) 午後 1:27 [ kan*e48 ]
kanbeさん、こんにちは。改めまして、どうも有難う御座います(^_^)。こちらの写真は全部デジカメで撮影しています♪。それにしても、植木等さんは味のある役者さんでしたね。
2007/4/1(日) 午後 4:07
「分かっちゃいるけど、やめられない」のフレーズが、親鸞の生涯に相通じるものとは...!そう、「分かっちゃいるけど、やめられない」事が沢山ありすぎて...はぁ〜とため息がでちゃいます。
2007/4/1(日) 午後 7:23 [ れんげ ]
れんげさん、こんばんは。だから親鸞は「まあ、さてあらん(ま、こんなもんやろう)・・・」と、妻・恵信尼に呟いたのでしょうね・・・(^^)
2007/4/1(日) 午後 9:19
あら、かわいい電車♡わかちゃいるけど、やめられない〜ビール!です。人生の有終の美まで思えるなんて余裕ですね〜
2007/4/1(日) 午後 10:57 [ - ]
植木等さんは昭和元年に生まれ昭和と共に生きてきた人だとTVでやってましたね。その時植木氏のお父様の事もやってました。なるほどな〜お寺の生まれか〜っと思わず和尚様のことを思い出しましたが^^;真面目で一生懸命人生を生きてきた方だという事が改めてわかりました。そしてこの「わかっちゃいるけどやめられない」が仏教に繋がるのかと感心したのを思いだしました<(_ _)>
2007/4/1(日) 午後 11:53
るりさん、こんばんは。本館ブログのトップ写真の反対側を向いて撮影した写真です(^^)。この路線、殆どの駅名が寺にちなむ、京都ならではみたいな・・・(笑)。死に際・・・ホントに死に直面した時は考える余裕ないと思うので、今余裕のあるときに考えてみようかと・・・(笑)
2007/4/2(月) 午前 0:33
MOON姉さん、こんばんは。私と植木等氏とは月とすっぽんですよ(苦笑)。昔、田中健とかが主演で出ていた「ザ・ハングマン」という、「必殺仕事人」の現代版みたいなドラマで、ハングマンのメンバーで表の仕事は住職という訳で氏も出演してたんですけど、読経シーン決まって、浄土真宗のお勤めでした♪♪
2007/4/2(月) 午前 0:37
ひゃー今月はかなり延着。中国やインドの列車と思ってください。ご無沙汰しております。亡くなってから、はじめてテレビで植木さんのプロフィールを知ることになりましたが、「わかっちゃいるけどやめられない」・・・なるほど、そうか!目からウロコです。(ちなみに私、二十代の頃、ゴマスリ行進曲をよく聴いていました。)
2007/4/10(火) 午後 11:17 [ Mint ]
Mintさん、こんにちは。おひさです♪。月1更新なので、こっちはのんびりしたものです(笑)。人間、それにしても困った生き物ですね・・・。心して生きねば・・・(笑)
2007/4/11(水) 午後 2:26
【Ren'ohより】訪問者数300、自分でキリ番踏みました(汗)。コメントも40コメのキリ番やし・・・(><)
2007/4/14(土) 午後 2:48
鳴かずんば 鳴かせてみしょう ホトトギス 智慧の秀吉 天下人になるのも 凡人の等さんも同じ 違うのは 一生懸命に 打ち込んだこと 私の朝の勤行もかく思えます 合掌
2007/4/25(水) 午前 8:36 [ kou*as*nsi*g*nsyu ]
kouyasansingonsyuさん、こんにちは。一生懸命に何かをする姿というのは、ジャンルを問わず美しいものですね・・・(^_^)
2007/4/26(木) 午後 2:05
自己紹介が大変遅くなりました。申し訳ありません。色々と知っているかのようのことを書いておりますが、私はお坊さんではないのです。
私はご開山聖人の門徒たらんと思う者でして、仏教好き、親鸞好き、真宗好き、お寺好き、そして声明好きです(ただオタクというほどは徹底していません)。厳密に申しますと、正式な所属寺院もありませんので、大谷派の門徒ともいえないと思います。
なぜこのことをこの記事に書き込んだのかと申しますと、実は私のご先祖は、植木等さんのお父様の植木徹誠師も住職を務めていた三重県旧宮川村の常念寺の門徒だったのです。
常念寺は、過疎化のため廃寺となりました。私も一度はこの地を訪れたいと思っています。
↓の本を読みましたが、行ったことがないのになんだか懐かしいような気がしました。
http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=8010
2008/11/30(日) 午後 4:10 [ hissimetsudo11 ]
hisshimetsudo11さん、こんばんは。自己紹介頂き、嬉しく思います…(^_^)
それにしても、知識の深さには驚かずにはおれません…、恐れ入りました。私は袈裟を頂かねば門徒たり得ない頼りない存在です。「袈裟はこれ三世解脱幢相の霊服なり」との宗祖の言葉とこそ、これが私を坊主たらしめているだけです…。
それにしても植木等さんの生家の御門徒さんでられましたか。確か大谷派でしたね。でも、廃寺になっていたとは、悲しくてなりません。存続は不可能だったのでしょうか…。旧宮川村とはどの辺りなのでしょう?
最近、新名神が開通してから、帰洛は三重県経由になりました。
私の先祖も元を正せば能登の大谷派寺院ですが、いまだに訪れたことはありません。でも懐かしい気持ちはDNAの中に息づいているのでしょうね♪
2008/12/1(月) 午前 0:51
いえいえ、知識はたいしたことはないのですが、これは真宗的には褒め言葉なのかな?(笑)。
宮川村は、三重県中部の山間部です。地図で見る限り、かなり「山奥」といった感じで、林業も盛んだったようです。過疎化はそうとう進んでいるものと思います。三重県でも北部ならば真宗地帯といえるかもしれませんが、このあたりはそうではありません。
もう少しそのころの話を聞いておけばよかったのですが、今となっては詳しくは分かりません…。
2008/12/1(月) 午後 11:54 [ hissimetsudo11 ]
hisshimetsudo11さん、こんにちは。いやいや、ホント、すごいと思います…(^_^)
宮川村は、名張に近い辺りでしょうか…。
三重県に近い、奈良県の吉野〜宇陀地域は、過疎化著しいながらも真宗寺院が多く、親鸞の生母・吉光女の廟所が本願寺派寺院である歌嘆庵という無住寺に所在しているのが興味深いです。
2008/12/2(火) 午後 0:26
名張よりも南ですよ。今は大台町の一部になっています。旧宮川村は鉄道も高速道路も走っていないところでして、三重県中部といっても南寄りで、西端は奈良県に接しています。宮川の上流部にあって、水質はきわめて良好だということです。
確か常念寺は、旧宮川村で唯一の真宗寺院だったと思います(ということは現在は皆無)。ご先祖は、こういうところでよく真宗門徒であってくれたなあと思います。
歌嘆庵というお寺は始めて聞きました。真宗寺院で「庵」は珍しいですね。
2008/12/3(水) 午後 11:50 [ hissimetsudo11 ]
hisshimetsudo11さん、こんばんは。かなり山間部なのですね…。旧宮川村で唯一の真宗寺院は御東だったんですね…。何か、寂しいものを感じます。そして、そんな山間部まで親鸞の教えが伝わっていたというのも、本当に感慨深いです。
思えば、歌嘆庵もこの地域からほど遠くない場所のようですね。吉野・宇陀地域には真宗寺院が多く存在します。『歎異抄』の撰者とそれる唯円の墓も吉野に所在します。この地域へは覚如が布教しているんですね…。
2008/12/8(月) 午前 1:45