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◆京都生まれの気ままな遁世僧、今様つれづれ草◆ 別館。 【ランダム更新】

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折々のことば・春。

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■写真■ 京阪電鉄石坂線・南滋賀駅にて、2018年3月30日撮影。


また春が巡って来た……。
今年は暖冬だったようで、確かに雪が少なかった。

さて、15年近く愛用して来たヤブログであるが、
今年の暮れにサービス提供を終えることが決まった。
駄文の収蔵庫でもあるので、そのまま引っ越せる別なる収蔵庫を探さねばなるまい。

思えばこの《別館》は、《本館》開設から2年遅れての開設だった。
初めは月1回に更新していたが、ここ数年は倦怠感に苛まれて、
季節ごとの更新に激減させてしまった。
《本館》の更新も月によっては波があり、全体的に更新頻度は少なくなった。
要するに、万事においてモチベーションが低下したからなのだが、
拙ブログの目的も年数を重ねる内に変化して来たのは確かである。

拙ブログを始めた頃は、写真を載せるのが主目的だった。
その後、おこがましくも仏教のことどもを発信しようと思い立つようになり、
ブログ内にさまざまな書庫に分類して、仏教や浄土真宗について書き付けるようになった。
しかしながら、自身の身辺に起こりうる悲喜交々が混じり合い、
ともすれば感傷的な内容のものも少なくなくなった。
まさに無常のなせることではある。

結局、公開備忘録とばかり、心の内側の一端を披見する場となって、
そこにスタンスが落ち着いているような感覚である。
それがまた、この私が娑婆に生きているということの証しのようでもある。

近時、SNSがブログを席巻することとなり、
ヤブログもその波間に消えていくのであろう。
果たして、SNSをして思うのは、ブログなんかよりもかなり下品なように思えてならない。
私の生業上、SNSで繋がる僧侶が多い訳だが、何某か品位を損なう書き込みばかりが目立つ。
社会問題となっているコンビニや外食チェーンのアルバイトたちが、
職場で下劣な動画を撮影して投稿する行為にも似ているような気がする。




ややもすれば愚痴になってしまった……。



もうすぐ桜が咲き始める。
その美しさ故の儚さを思い知るのが桜の花である。


  明日ありと思ふこころのあだざくら
  夜半(よわ)に嵐の吹かぬものかは……


桜が咲くたびに脳裏をよぎる、
宗祖親鸞が9歳の時、得度式に臨んで師匠慈円僧正の前でそらんじた古謡を思う……。





頌 春  佛教暦 2562(平成31)年 元旦


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■写真■ 滋賀県高島市の白鬚浜にて。2005年1月18日撮影。


本館はこちらです(クリック→)  ◆京都生まれの気ままな遁世僧、今様つれづれ草◆ 
最近、とかく「平成最後の……」という枕詞をここかしこで耳にする。
この度の正月もまた、平成最後の年明けとなった。

今年85歳になんなんとする父親は、
1日1回は河原町の空気を吸わないとおかしくなると言ってはばからない(笑)。
三賀日が明けた昨日、父親を連れて三条河原町にある六曜社コーヒー店へ行った。

この喫茶店は、父親が高校生時分からある店で、父親は通いつめて60年以上が経つ。
今は亡き母親も、娘時代にここでウェイトレスをやっていた。
先代オーナーは面倒見の良い人で、
新聞社に就職していた母親を、新聞社よりも高額支給するからと言って引き抜いた。

戦後の混乱期がようやく落ち着いた1950年代中頃のことだが、
あの頃はまだまだウェイトレスという職業には偏見が強かった。
生粋の京女という誇りだけで生きていた母親だったが、
高禄を以て正規採用するならばと、親類たちの反対もものとはせず、
母親は結婚までの数年をここで過ごした。

先代オーナーは接客には厳しい人柄のようだったが、その辺は母親も抜かりなかったようだ。
オーナー夫妻は、母親が病気で入院した時も医療費を全部見てくれたりと、
退職後も何かと生活を支えてくれていたようだ。
そこには雇用関係を超えた、信頼関係が出来上がっていたのだろう。
自画自賛のようで僭越だが、母親が築く人間関係は息子の私も真似できぬものがある。

ところで店内を飾る絵画作品は、全て父親の手によるものである。
父親もまた、ここで受けた恩は絶大といえる。
私が大学4回生だった年末のある日、
店内に飾る作品を取り付けるのを手伝いに行ったことが、懐かしく思い出される。

「カネの切れ目が縁の切れ目」などとはいうけれど、
人を育ててやったとか、面倒を見てやったから恩を感じなければならないとかということは、
ともに意識的に思うことではない。
気がつけば実はそうであった………と、自然に芽生える感覚であろう。
人を育てたと自ら考えてしまうものなら、最早それは傲慢の世界である。
結局それは、恩を求める発想でしかない。
またそこからは、恩も生まれる道理はない。
そこには、仏教でいう「布施行」が成立せぬ所以である。

ふと、今時珍しくタバコがOKな上に(私は吸わない・笑)、
混めば相席が当たり前の六曜社の店内で、煙にいぶされながら思い至りし、年始の午後………。 


いつも御高覧頂き、重ね重ね有難うございます…。
年頭に当たり、早速駄文を一筆啓上m(_ _)m


折々のことば・秋。

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■写真■ 大津市伊香立にて、2017年9月21日撮影。


彼岸花が美しく咲いている。
稲刈りも始まった。
彼岸中日、京都市内の大谷派寺院で勤まる秋季彼岸会に招かれて、法話をさせて頂いた。

宗祖親鸞が詠んだ、『正信念仏偈』の一節を引いて話させて頂く。


  能発一念喜愛心   能(よ)く一念喜愛の心を発すれば
  不断煩悩得涅槃   煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり
  凡聖逆謗斉廻入   凡聖逆謗 斉(ひと)しく廻入すれば
  如衆水入海一味   衆水、海に入りて一味なるが如し


  凡愚低下の身であっても、阿弥陀仏が何故救うのかといういわれを聞き、
  そこに喜びの心を感じ信を得たならば、
  煩悩を断たずして涅槃の境地に入ることが可能である。
  凡夫も聖者も、重い罪を犯し仏法を誹る悪人であっても、
  阿弥陀仏の本願に帰入すれば、
  衆生という“水”が本願という“海”へ流入して一味になるようなものである…。


凡夫という“汚れた水”も、本願という広大な海に流れれば、
海に浄化されるが如く1つになることができる。


  渋柿の渋がそのまま甘さかな


私がまだ駆け出しの僧侶だった頃、
明治大正生まれの御老僧たちからよく聞かされた俳句である。
甘い干し柿は、渋柿を干して作られる。
何も、人工的に甘く加工されるものではない。
皮をむいて、天日にさらしておくだけである。それは、我々が救われて行くプロセスと似ている。
煩悩という《渋》いっぱいの渋柿は、阿弥陀仏の慈悲という《天日》にさらされて、
やがて甘い干し柿という《仏》につくりかえられて行くのである。

そんな俳句を紹介して、拙き法話を閉じた次第である……。



折々のことば・夏。

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■写真■ 京都市左京区大原の寂光院にて、2017年7月22日撮影。


過日、京都市内の中心部に位置する、真宗佛光派本山の門前辺りを歩いた。
佛光寺伽藍の南側、高辻通に面して、大きな伝道掲示板が設えられてある。
この掲示板には「佛光寺8行標語」と称して、8行の言葉が毎月更新されて掲示される。
私はこれを見るのを、とても楽しみにしている。
モンテーニュの『エセー』の如く、
あるいはゲーテの『格言集』のように明快な言葉が、
そこには散りばめられているのだ。

この日に書かれていた言葉は………、

  

   となりの
   芝生を
   青いと
   見るか
   枯れたと
   見るか
   うらやんだり
   さげすんだり



とあった。

これを読んでいて、ふと、思い当たることがある。
以前、「ちょっとできるからと、いい気になるな」となじられたことがあった。
別に自慢している訳でもなく、当たり前にやっていたことにおいてである。
やっかみとは、是くも浅ましきものかと、腹が立つより落胆した。

妬みややっかみといった貧しい発想に基づく発言というのは、
その言葉尻からすぐに発した者の真意が見えてくる。
そこには相手を貶める思いだけが込められている。
だから余計にその人となりが見えてしまい、反論する気すら失せてしまう。
ある種の、ショック状態に陥るのだろう。

思うに私は歳を喰った分、それなりに理屈っぽくはなっているが、
メンタル的に弱くなったのであろう、
こうした悪口雑言や誹り、罵り、嫉妬の言葉を聞いたりすると思考停止してしまう。
そもそも自身の中にない発想の言葉に対しての、強烈な拒否反応が作用するのだと思う。

我が人生、足らないものだらけである。
羨ましいという思いは、常に頭から離れるものではない。
しかしそうした感情を、なりふり構わず人にぶつけたことはない。
それは品格の問題でもあろう………。





折々のことば・春。

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■写真■ 滋賀県大津市三井寺の琵琶湖疏水にて、2017年4月14日撮影。


梅の花が咲き始めている。
1ヶ月も経たない内に、桜もほころび始めることだろう。

先日、母校の本館講堂で、大学時代の恩師の追悼法要が有志主催で執り行われた。
恩師は一昨年の夏、80歳を一期として往生された。
恩師と最後に会ったのは、大学を定年退職された時の謝恩会以来で、
かれこれ15年以上も前のことである。

恩師の専門分野はインド仏教学で、西北インドの仏教文化の研究者として知られる人だった。
特にガンダーラ地方の仏教遺跡の発掘調査研究に功があった人で、
昭和40年代に2体の大仏で有名な、
アフガニスタン・バーミヤーンの仏教遺跡の調査研究で知られる。

そういえば恩師の僧侶としての姿はついぞ見たことがなかった。
いつもラフな恰好で、酒を飲むととても楽しい先生だった。
追悼法要の折、講堂本尊の傍らに置かれた遺影は、孫にも恵まれた好々爺の僧侶姿だった。

大学を卒業してからの30年間で、恩師とは数えるほどしか出会えなかったが、
改めて「師恩」の深さを読経しつつ思いを致した。
遠い過去のようにも、つい昨日のことのようにも思われる学生時代であるが、
いつまでも恩師と学生という立場は変わるものではない。

追悼法要では、勤行に引き続き学長による法話があった。
学長もまた私にとっては恩師の1人である。
私が学生だった頃、学長は博士課程を修了されて間もない頃で、
恩師の研究を引き継ぐ若き学者だったが、今は大学のトップとなられている。

果たして法話の中で、亡き恩師は新たな学説を提示されていたことをここで知った。
サンスクリット語《sat-puruṣa》とは「善き人」と訳される言葉で、
漢訳経典に見える「善男子善女人」に通ずる言葉であるのに想像は難くない。
しばしばインドの碑文などに「善き人○○の舎利」と刻まれたものがあり、
必ずしもストゥーパは仏舎利のみを納めたものばかりではなく、
こうした在家信者の遺骨も安置していたことが考えられるのだという。

仏教伝播には僧侶以上に在家信者たちの力なくしては伝わらなかったという、
恩師は強い確信をお持ちだったというのである。
それは、在家仏教の見直しを提言するものでもあったという。
ふと私は、学長を通して恩師からの、
「浄土真宗がいう僧籍とは何か」という問いに映ったような気がしたのだった……。





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