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■写真■ 冬枯れの琵琶湖横江浜…。滋賀県高島市にて、2004年12月13日撮影。 ◆京都生まれの気ままな遁世僧、今様つれづれ草◆ ←本館はこちらです(クリック) 初めて、ターミナルケアを専門的に行うホスピス病棟へ行った。 そこはキリスト教系の病院で、病棟の窓からは大文字を頂く如意ヶ嶽が間近に見える、 素晴らしいロケーションであった。 昨春、母親が肺癌切除の手術をし、昨秋には胃の全摘手術をした。 その後の経過は、決して悪い訳ではない。 今年になってから、骨折や感染症などで入退院を繰り返している。 母親は老境にあることから体力的な問題とともに、 母親自身の希望もあって抗がん剤治療をせず、現状維持の治療を中心に行うことにした。 そんな母親が入るであろう病院へ、 父親とともにこれから世話になる医師と看護師に紹介状を持参して会いに行ったのだった。 父親もまた心臓疾患で人工弁の弁置換手術をしていて、 先日、新たにペースメーカーを入れる手術を終えて退院して来たばかりである。 病院では、看護師長と若い女医が対応してくれた。 母親に対するこれからのケアについて話し合った後、病棟を案内して貰った。 医師や看護師と話をしている内、 母親のことや自身の現状などいろんな感情が交錯し、ややもすれば胸が熱くなったりした。 時として、感情のバランスが保てなくなったりする。 今、こうして静かなる夜更けに、淡々と昼間のことどもを書き付けてはいるが、 この場で自身の思いが表現できる道理もなければ、病院での話し合いとて、 脳裏に浮沈した思いを全て話せた訳でもない。 そういう瞬間に遭遇した時、つくづく人間の弱さや頼りなさを痛感する。 果たして最もアテにならぬのが、我が身であることを思わずにはおれない。 私が仏教徒としての、取り分けて他力本願を旨とする浄土門の末流である所以がそこにある。 自身をアテにするならば、宗教を持つ必要性はなくなる。それは、自身が拠り所だからである。 しかし自身の外に拠り所を置く時、あらゆる苦悩にもがく自身の実相が見えてくる………。 〈二者深心〉。 深心といふは、すなはちこれ深信の心なり。また二種あり。 (機の深信) 一つには、決定して深く、自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、 曠劫よりこのかたつねに没し、つねに流転して、出離の縁あることなしと信ず。 (法の深信)二つには、決定して深く、かの阿弥陀仏の四十八願は衆生を摂受して、 疑なく慮りなくかの願力に乗じて、さだめて往生を得と信ず。」 善導大師『観経疏』より ここに説かれる「機の深信」が、私という存在の実相に他ならない。 罪深く生き死にの輪廻を繰り返し、遠い過去世から常に苦しみに沈み、 流転する存在が私という「罪悪生死の凡夫」なのである。 この聖句を著した唐の善導大師は、浄土教を大成した高僧であるが、 自己という存在をとことん愚昧の中に見ようとした人だった。 我が身の今日の思いの一端を、この聖句に託しておく………。 |
2015 【月のことば】
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■写真■ 大原の紅葉…。魚山勝林院にて、2014年11月24日撮影。 ◆京都生まれの気ままな遁世僧、今様つれづれ草◆ ←本館はこちらです(クリック) 顔では笑っていても、心は涙したい気持ちで一杯ということは誰しもあるだろう。 人間の人間たる所以である。 生きていると、いろんなことに遭遇する。 そして大声を上げて泣きたくなるようなことの方が、人生に与えるインパクトは強いと思う。 いろんなネットを眺めていると、僧侶は意義深い職種のように思っている人が多いようだ。 あるいは、僧侶に対する強い憧れを抱いている人も見掛ける。 仏門に入った頃、私はまだ二十歳を過ぎたばかりだった。 特に跡を継ぐべき寺院子弟ではなかった私は、仏門に強い憧れを抱いて得度した訳でもない。 たまたま専攻していた学問がインド学で、仏教に対して興味が強かっただけのことである。 仏門に入ったことが、結果的に我が人生にとって良かったかどうか、結論は出せていない。 仏教に出会えたことは素晴らしいことと思っている。 しかし、そのことが僧籍に在ることとは連動しないのである。 むしろ僧籍に在るが故の、自業自得といえばそれまでのことだが、苦悩することが多かった。 今となっては、後に引けぬ人生があるのみである。 500年前、我が本願寺蓮如は比叡山に反旗を翻したが故に、凄まじい弾圧を受ける身となった。 その逆境が本願寺を今日の大宗派へと飛躍させる転機となったが、それもあくまで結果論である。 例えば空を見上げてみた時、雲の彼方に日の光が差している。 これが人生の “ありよう” だと思う。 光の存在は認識できるが、そこにかかる雲はあくまで晴れぬものである。 その晴れぬ雲こそが、我が心そのものだろう。 だからこそ悲哀もまた、感受できるのだとも思う……。 |
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■写真■ 秋の夕暮れ…。京都駅にて、2015年9月21日撮影。 ◆京都生まれの気ままな遁世僧、今様つれづれ草◆ ←本館はこちらです(クリック) 心安らけく生きるというのは、まことに至難である。 つくづく、そのように思う。 それは、例え確固たる宗教を頂いていたとしても、である。 私自身から発した苦悩、あるいは他動的に受ける苦悩も、 全て自身という受動的立場に在る限りは、自身が因となり果となるのである。 「四苦八苦」という、仏教語たる所以である。 即ち生老病死の四苦に加えて、我が身の瞬間的現実である、 愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦(ごうんじょうく)を思う時、 こと、五蘊盛苦なるが故の苦悩にいよいよ翻弄されるのだ。 五蘊とは、肉体の感覚機能をいう。「色受想行識」の五つである。 あらゆる事象(色)が自身に起こる(受)と、それにかかる思考や判断や行動、 更には深層心理を含めた意識の変化が起こる(想行識)。 果たして、善悪や苦楽の二元的でありながら複雑な思考が生じ、そこから脱出できなくなる。 五蘊とは我が肉体も指すのであり、五蘊が盛んなることは我が身が存在する限りは続くのである。 自らに確固たる宗教が在っても、この苦悩から逃れること能(あた)わずとは言ったが、 やはり自身にとって要となる教えがあるかないかは、 これからの生きざまに多大な影響があるのはいうまでもないと思う…。 是く苦悩する私ではあるが、宗祖親鸞が詠んだ和讚を口ずさまずにはおれない。 無明長夜の燈炬なり 智眼くらしとかなしむな 生死大海の船筏なり 罪障おもしとなげかざれ 『正像末和讃』 |
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■写真■ 初秋の近江舞子・雄松崎にて、2014年9月13日撮影。 ◆京都生まれの気ままな遁世僧、今様つれづれ草◆ ←本館はこちらです(クリック) 鬱病ということについて。 あれから1年が経過した9月である。 昨夏の初め頃に、「抑うつ性不眠症」(←クリック)と診断された。 そしてこの1年間、如何にこの病気があまりにも世間に認知されていないかを痛感した。 現代病の中でも、特に世間で取り沙汰されているにもかかわらず…、である。 こうして文章化してしまうと他愛なく見えてしまうが、 それはとても辛いことだったのは言うまでもない。 その理由は至って簡単である。 骨折など外科的な疾患や内臓疾患、あるいは風邪や発熱といった、 誰にでも見れば解るような疾患ではないからである。 いくら診断書を見せたからといって、本人は至って普通に見える。 従って病魔に犯されているとは、理解されないのである。 時として、心ない言葉を浴びせられることすらある。 そんな無理解は当然、いよいよ病気を悪化させてしまう“毒”であるという認識も生まれない。 それはある種の、“差別感”に似た感覚を抱いてしまう。 この病気に罹患してみないと解らないことであった。 もしこれが、偉大なる慈悲心(=仏)の思し召しとするならば、 非常に辛いことではあるが受け容れることにしよう。 我々坊主は阿弥陀仏のことを、 しばしば「仏は凡夫の苦しみを我が苦しみと受け止めて下さっている」と、平気で“豪語”している。 ろくろく辛酸をなめたこともない者が、そのように門徒衆の前で“宣布”するのである。 私は改めてこの病気の診断を受けてみて、自業自得であるとは認識しながらも、 今まで平気で阿弥陀仏の慈悲心を陳腐な言葉で“宣布”してきたことを恥ずかしく感じた。 ある真宗寺院の門前に掲げられた法語を、今思い出している。 仏法を聞かぬ者は、他人のせいにする。 仏法を聞く者は、自分のせいにする。 仏法を聞いた者は、誰のせいにもしない。 この金言に、深く頭を垂れている。 果たしてただ私は、今在る自身の状況を受け容れるのみ…。 |
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■写真■ 京都の行く夏を彩る、五山送り火…。京都市北区加茂街道紫明にて、2005年8月16日撮影。 【リンク特集 ・ 盂蘭盆の季節 ―8月に想う…―】戦争◆祖父・文徳院釋大圓法師。−戦後60年に想う−↑↑ (赴任地・中国広東で客死した、忘れまじある真宗僧侶の記憶…) ◆政教分離、ヤスクニ、追悼施設…。 ◆ヤスクニをめぐる夏。 ◆ヤスクニをめぐる夏。−補遺− ◆『平和の発見』。 京都◆「六道さん」のこと。−盂蘭盆会の季節 3−◆五山送り火。−盂蘭盆会の季節 5−。 ◆地蔵盆。 ◆「送り火」に思う…。 ◆地蔵盆。−山科・回り地蔵− ◆五山送り火雑想感。 ◆山科の地蔵盆。−徳林庵・回り地蔵− 本館はこちらです(クリック→) ◆京都生まれの気ままな遁世僧、今様つれづれ草◆ 炎暑たけなわである…。 至って私事ではあるが、4月以来先月末まで声明(しょうみょう)を学ぶ数名の有縁に、 宗門における現行声明の手ほどきをする縁に恵まれた。 恥ずかしながら、古儀の声明ばかりに主眼を置いてきた私にとって、 現行声明のありようを決して熟知している訳ではなかった。 改めて感じ入ったのは、曲がりなりにも教えるということは、 自身が常に学んでいなければならないということなのだった。 至極当たり前のことなのであるが、 意外にその“理”を忘却してしまっているのが世の常であり、自身の実相である。 そのように思う時、教える側から教えられる側への、決して一方通行などではなく、 実は双方が学び合っているということに他ならない。 真言を採り集めて往益 (おうやく) を助修せしむ。 何となれば前 (さき) に生まれん者は後を導き、 後に生まれし人は前を訪 (とぶら) へ。 連続無窮 (れんぞくむぐう) にして、 願はくは休止 (くし) せざらしめんと欲す。 無辺の生死海 (しょうじかい) を尽くさんが為の故なり。 如来が説いた真実の言葉を集積して、往生の徳益の助となり伴となるべく修する。 何故ならばそれは、浄土教を学んだ先達は後輩を導き、 後輩は先達の事跡を訪ねて学びを深めよ。 それは現在過去未来、連続して途切れることなく、願わくば休止せぬことを思う。 即ちそのことは、無辺に広がる生死の苦海に尽くさねばならないからである……。 『安楽集』巻上より とこそ、道綽禅師(どうしゃくぜんじ・562−645、中国)の言葉に深く思いを致すばかりである。 最早、この金言に我が駄文を付け加える必要はない。 蛇足が過ぎてしまう…。 |




