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■写真■ 大津市仰木・伊香立からの比良冠雪遠望…、2012年12月27日撮影。 本館はこちらです(クリック→) ◆京都生まれの気ままな遁世僧、今様つれづれ草◆
今年ほど1年を早く感じたことはない…。 それほどにいろいろなことが、目まぐるしく私の前を通り過ぎていったのか…。 ことに盆が明けてからの4ヶ月は、あっという間に過ぎ去った。 やはりずっと私の中で余韻が残る、「勝林院開創一千年紀」が大きく占めているのだと思う。 2年近い準備期間も、今となっては遠い過去世のことのように感じられる。 さほど役に立ったとはよう言わないが、私の中では大きな転機となった法要である。 宗派は違えども、魚山声明を学ぶ末流に浴していることを大いに実感したのと、 何よりもこの歴史的瞬間に立ち会えたことの尊さは、何ものにも代え難い。 そのように考える時、私が今達している年齢域なんかを鑑みると、 ターニングポイントに差しかかっているような気がする。 今まで生きてきた年数をこれからも同じだけ生きられる確率が、大いに低くなってきた。 だからといって、別に焦っている訳ではないし、 この先の不安もさることながら、楽しいことを想像したりしている。 それは過去の思い出を眺めるのと、同じような感覚でもある。 過去の思い出…というと、 拙ブログ「別館」は年に1回だけトップページの「最新の画像」12枚が、 1月から12月にかけてキレイに表示される。 画像は小さいけれども、1年分が出揃うとそれなり圧巻である…。 このシーンを我ながら楽しみにはしているものの、 その楽しみを享受するには1年間という“リスク”が伴うのである…。 人生の喜怒哀楽というのは、そういうことの繰り返しなのだろう…きっと。 まあ、そんなもんやと思う、私ではある…。 |
2013 【月のことば】
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■写真■ 晩秋の比叡山横川、根本如法塔への径…、2004年11月12日撮影。 本館はこちらです(クリック→) ◆京都生まれの気ままな遁世僧、今様つれづれ草◆
瞬く間に10月が過ぎ去ってしまった。 先月は初旬から下旬にかかる頃まで、 洛北大原で「勝林院開創一千年紀」が繰り広げられていたから、 いよいよ過ぎ去ってしまえば、あっという間に感じられてならないのだと思う。 今年も残すところ、あと2ヶ月である…。 私事で恐縮ではあるが、10月からずっと母親が入院生活を送っている。 というのも、夜中に左腕を骨折してしまったそうで、全治1ヶ月なのだという。 しかし、楽観視できないことが一つある。 50代半ばから肺気腫を患っていた母親は、 最近になって高齢であることも手伝ってか、肺の調子が良くないらしい。 それで父親の奨めによって、精密検査を受けることにしたのだった。 いくつもの段階の検査があるあるらしく、 その途上ででの“骨折事故”で、検査の流れが中断してしまったのだ。 帰洛の途次、母親の様子を見に行くと至って元気なのではあるが、 いうなれば“知らぬが仏”のようなもので、我々の心配は何処吹く風である。 もっともそれが却って、私をホッとさせることでもあるのだが、 実家に帰ってみれば父親だけで、それこそ“男やもめにウジが湧く”に近い状態だ。 父親は母親を覗きに病院へ日参しているようだが、 その様子をして、「老々介護」の現実を目の当たりにするようで痛々しい…。 「アベノミクス」などと景気のいいことばかり言っている政治をよそに、 国民レベルの現実は厳しいことばかりだ。 ここで政治批判などする気はないが、「すゑとおりたる慈悲なし(歎異抄)」とばかり、 たまにしか覗けない上に、ただ見守っているだけの自身が歯がゆくて仕方がない。 老後を気持ちよく生きるとは、どういうことなのだろう…。 私はそんな両親の様子に、近い将来の自身のことを重ね合わせて考えてばかりいる。 それは同時に、「自身にとって仏教は何か?!」という問いともリンクしている。 そう…、「仏教は何か?!」という問いがあることこそ、 仏教と出会えていることに他ならないとも思っている。 その問いに対する答えは、「往生ぎわ」に得られるに違いない…多分(笑)。 |
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■写真■ 京都市左京区大原勝林院町の魚山勝林院にて、2013年8月26日撮影。 本館はこちらです(クリック→) ◆京都生まれの気ままな遁世僧、今様つれづれ草◆
「暑さ寒さも彼岸まで」というけれど、ようやく朝夕が過ごしやすくなった。 あの恐ろしい炎暑は何処へやら…である。 いよいよ洛北大原、魚山勝林院において、 「魚山大原寺寂源上人 勝林院開創一千年紀」が始まる。 法要期間は10月5日から20日までの2週間に及ぶものであるが、 法要厳修の話が持ち上がって2年あまり、ついにその日を迎えることとなった。 魚山一山の全面的な尽力に加え、一千年紀事務局も紆余曲折しながらもこの日を迎えるのである。 魚山の方々とともに、微力ながら浄土真宗本願寺派の私もお手伝いさせて頂いた。 特に事務局長を買って出た浄土宗のI師、私と同じく監事に在った浄土宗のY師は、 陰に日向に何かとご苦労があったと思う。 この規模の法要となると、本当に下準備が大変である。 何度もスタッフ会議の席を設けて討議を重ね、 そこから世間への周知、出仕して頂く各宗派へのオファーなど、数え上げると枚挙に暇がない。 しかしそんなしんどい思いも、間もなく法悦へと転じるのは言うまでもない。 目には見えぬ仏法の真理が、五感を通して我々の体に染み渡るからである。 言わずもがな天台宗が伝承してきた魚山声明は、 その後の日本音楽に影響を与えたと言われている。 謡曲、浄瑠璃、長唄…、果てはテレビやラジオから流れてくる演歌にまで、 その影響を及ぼしているのである。 まさに日本音楽の源流が、洛北の山懐に所在する大原なのである。 この度の法要は、声明が日本音楽のルーツであるという視点に立って、 いたずらに時代に迎合することなく、古儀の法要たらしめることを目指している。 そして、こうした思いに賛同して下さった天台宗以外の各宗派に呼びかけて、 法要の各座を厳修して頂くこととなったのである。 ところで先日、シンセサイザーのアーティストからCDを頂いた。 自ら作曲した音楽と日蓮宗の声明をコラボしたもので、 早速聴いてみればとても心地よい旋律が声明と絶妙にマッチして音を紡いでいる。 日蓮宗の声明もまた、魚山声明の系統に属するものである。 そのこともさることながら、私は日蓮宗の声明をいたく感銘して聴き入ったのだった。 以前から言い続けていることであるが、 まさしく声明は仏教徒の共通言語たらしめる和合のツールだと実感した…。 清涼感漂う大原に、いろいろな宗派の声明が「正覚大音 響流十方」とばかり、 風光明媚な山峡にこだますることを何よりも楽しみに思って止まない私である…。 |
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■写真■ 彼岸花の背景に、大津市街遠望。滋賀県大津市穴太にて、2011年10月6日撮影。 本館はこちらです(クリック→) ◆京都生まれの気ままな遁世僧、今様つれづれ草◆
ようやく暑さが和らいできた…。 待ち遠しかった秋の到来である。 さりながら、秋の訪れはまた今年も暮れつつあることを暗示させる。 まことに、「無常迅速 生死事大」とはよく言ったものだ。 年々、時間の流れ方がスピードアップしているように感じるのも、 それだけ齢を重ねたということか…。 世の中はとかく二元論で物事が判断される。 何度となく、駄文に書き付けた事柄である。 最近、ある説教を聴聞していて、ハッと気付かされたことがあった。 二元論とはいうけれど、勧善懲悪の時代劇のように善悪がはっきりしておれば、 それはそれで解りやすくて解決もしやすかろう。 ところが人間同士の諍論というのは、双方“善”と“善”とのぶつかり合いなのである。 “相手”は“私”の行状を批判し、非難するけれど、 そういう“相手”のことを“私”もおかしいと批判する。 なんでそんなこと言われなければならないのかと…。 双方、自負する正当な理由がある。 しかし双方、その正当な理由を“正当”としては受け容れられないでいる。 他人事のように言ってはいるが、この私がその渦中に存在している。 文句を言われれば、言い返さずにはおれない。 売られたケンカは大いに高く買う。 ともすれば、打ち負かしてやろうという魂胆だ。 以て、“相手”の言うことをすんなり受け容れれば事は済む。 双方それは同じ思いでいる訳だが、如何せんお互い納得することができない。 やはり“相手”がおかしいのに聞き入れてくれないと、業を煮やすのである。 凡夫の生き様は、そういうことの繰り返しである。 そして凡夫の思考というものは、何処までいっても「妄念」の域を出ない。 その現状は「真理」でもある。 そのことを解っているが故に、私は途方に暮れる…。 解っちゃいるがやめられぬ、「修惑」たる所以である。 そんな私を必ず救うと思し召す阿弥陀仏は、まことに「仏智不思議」なのである…(涙)。 |
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■写真■ 黄昏れる四条大橋界隈…。2012年8月24日撮影。 【リンク特集 ・ 盂蘭盆の季節 ―8月に想う…―】戦争◆祖父・文徳院釋大圓法師。−戦後60年に想う−↑↑ (赴任地・中国広東で客死した、忘れまじある真宗僧侶の記憶…) ◆政教分離、ヤスクニ、追悼施設…。 ◆ヤスクニをめぐる夏。 ◆ヤスクニをめぐる夏。−補遺− ◆『平和の発見』。 京都◆「六道さん」のこと。−盂蘭盆会の季節 3−◆五山送り火。−盂蘭盆会の季節 5−。 ◆地蔵盆。 ◆「送り火」に思う…。 ◆地蔵盆。−山科・回り地蔵− ◆五山送り火雑想感。 ◆山科の地蔵盆。−徳林庵・回り地蔵− 【8月のことば】 また巡り来る、炎暑の季節…。 それにしても、ここ数年の夏の天候はあまりにも極端すぎる。 7月の梅雨明けは例年より10日も早かった。 梅雨が明けた7月上旬から、恐ろしい暑さが三河を襲った。 去る7月9日、地元の県道に設置された温度計は、40℃を表示していた。 全く空梅雨状態だったが、ひとたび雨が降れば災害をもたらす雨となる。 日照りと雨の格差が激しすぎる…。 この自然界の極端さが、そのまま人間生活に影響を及ぼしているのではないか…とさえ思われる。 自然界もいよいよ「中道(ちゆうどう)」ではなくなったようだ。 確かに往古よりこの方、恐ろしい自然災害は繰り返されては来ている。 しかし今時の“ゲリラ豪雨”などという言葉すらなかったし、 強い雨といえば「夕立」しか思いつかなかったものである…。 そんな猛暑の中の盂蘭盆会は、まさしく原意の如く“逆さ吊り”のしんどさがある。 年々、この辛さは増すばかりだ。 ところで日本における盂蘭盆会の最初は、聖徳太子の頃にまで遡ることができる。 即ち、推古天皇14年4月8日と7月15日に、仏寺に斎を設ける例が始まり、 斉明天皇3年7月15日、須弥山(しゅみせん)を模ったものを、 飛鳥寺の西方に設えて盂蘭盆会を修したというのが起源であるという。 この時代に行われた盂蘭盆会は、『盂蘭盆経』の所説に基づき、 父母報恩の供養会としての意味合いが強く、 現代のような祖霊が一七日の間、冥土から帰還してくるという俗信に基づくものではなかった。 私は仏事を行いながら、いつも不思議な気分になることがある。 これほどまでに科学文明が進展している現代にあって、 真顔で祖霊が帰ってくるとか、 仏壇を動かすには僧侶の読経が済まないと災いがあるかもしれないとか、 凡そ荒唐無稽な迷信俗信を信じ切っている人が多いということである。 或いは墓に対する迷信も、全く困り果てたものである。 違う名字の人間の遺骨を納めてはならないとか、 墓は一家族の直系しか葬ってはいけないなど、 一体誰が言い出したのかは分からないが、おかしなことを信じ切っているケースが多すぎる。 むしろ茶の間に設えられた端末である「テレビ」という機械に、 外国風景が電波信号に置き換えられて映し出されることの方が不可解極まりないのだが…(笑)。 もっとも仏法の道理を、 しっかり周知させるための説明責任を果たしていない我々にも問題があるのだが、 つい、焼け石に水とばかりにスルーしてしまうのも、偽らざる怠慢ではある。 仏教は先祖を祭祀するためのツールではない。 何よりもこの私が聞いていくための真理なのである。 仏法を聞いたからと言って、突然人格が変わるものでもない。 この身このままである。 煩悩という“不治の病”と上手く付き合うための、非常に有難いサプリメントなのである…。 ◆京都生まれの気ままな遁世僧、今様つれづれ草◆ ←本館はこちらです(クリック)
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