◆京都生まれの気ままな遁世僧、「今様つれづれ草」。◆

心に移りゆくよしなしごと、仏教・親鸞・梵唄聲明・我が故郷京都…、拙き日暮らしに写真を添えて綴る“公開備忘録”

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文章執筆意欲が低下した時は、またしても「鉄道ブログ」ということで・・・(苦笑)。


私にとって修学旅行に対する思い出は、あまりいい記憶がない。
楽しい思い出といえば、せいぜい小学6年の時のお伊勢参りを兼ねた修学旅行ぐらいで、
中学は校内暴力華やかなりし頃、コースは広島・山口方面だったが、
ぐれた連中と同じ班になってしまい、酷いものだった(笑)。
高校に至っては行く気になれず、親と結託して修学旅行の旅費積立はせずに、一括で支払うと装った。
そして修学旅行の前になって、親戚の寺で法事が勤まるので、
家族全員出席せねばならないとウソをついてサボった次第である・・・。

中高の修学旅行の記憶といえば、そういう訳でいい思い出はおろか、
高校に至っては欠席したのだった。

もともと、旅好きの私はどうも団体旅行というのは苦手で、
同級生が修学旅行で沸いている頃には一人旅を楽しんでいたので、
今更修学旅行かよ・・・と、生意気な了簡もあったのである。

今、修学旅行といえば、海外が主流のようで、鉄道利用の修学旅行は決して多い方でもなさそうだ。
国内旅行でも飛行機が何かにつけて経済的だろうし、新幹線利用はあっても、
在来線で修学旅行というのは、今や皆無に等しいのかも知れない・・・。

最近、JTBから出版されている『国鉄急行電車物語』という本を買った。
職場に持って行って、原稿が来ないロスタイムの“友”よろしく、仏教書と一緒に読んでいる。
向かい側のデスクに座る上司に、「オタクな本読んでるなあ・・」と笑われたりするが、
気にしない気にしない・・・(笑)。

昭和34年、ちょうど団塊の世代が中高生だった頃、
当時の国鉄は「修学旅行専用電車」なる車輌を登場させた。

戦後の混乱期が落ち着き、東海道線に東京−大阪間を6時間で結んだ、
ビジネス特急「こだま」が登場した明くる年である。
大ブレイクした『ポッポ屋』の先駆的な映画とも言える『大いなる旅立ち』という作品で、
若き高倉健が「こだま」の運転士として実際に乗務しているシーンが印象的だ。
まさに新幹線が開業するまでの国鉄全盛期とでもいうべき時代である。

「修学旅行専用電車」は、当時の国鉄車輌設計陣による渾身の作ともいうべき型式で、
中高生の夢を運ぶ電車でもあった。

型式は155系といい、この型式に先駆けて登場した153系「東海型」をベースに、
修学旅行の団体を輸送することだけをコンセプトに設計された。
例えば・・・出入り口は頻繁に停車しないので狭くして、その分、座席定員を増やした。
車内は向かい合わせのボックスシートであるが、
人員の移動頻度が比較的少ないことを考慮して通路を狭くし、
片側を3人掛け(1ボックス6人掛け)とした。
そして、跳ね上げ式小テーブルを設置し、
トランプゲームをしたり、勉強机に利用したりと多目的に使用できるようにした。
また、急病人が出た場合を考慮して、
出入り口に近いボックスシートを引きずり出して簡易ベッドとして利用できる設計とした。

また、中高生は元気な分、暑がりであろうということで、
急行用「東海型」よりも扇風機の数を多く設置した。
言わずもがな、当時は特急以外はクーラーなど付いておらず、
夏は窓を開け放して扇風機が主流だったし、昭和から平成に入った頃まで部分的にそれは続いていた。

外観のカラーであるライトスカーレット(赤)とレモンイエロー(黄色)=写真【上】=は、
首都圏と関西圏の全中学高校から募られたものの中から、
大阪の放出(はなてん)中学のデザインが採用された。赤は喜び、黄色は希望を表現したという。

「修学旅行電車」は臨時列車のダイヤを利用して運転されるので「修臨」と略称したりする。
東京発着の修臨を「ひので」、大阪発着の修臨を「きぼう」という愛称が付けられた。
また、名古屋発着を「こまどり」と名付けられた。
編成も最長16両連結で運転され、在来の特急・急行をしのぐ長さを誇った。
ピーク時には「わこうど」「友情」という仲間も加わって、
東京−下関間をロングランする修臨も設定された。

しかし、新幹線の開業と、その後、中国・九州へ延伸されて行くに従い、
修臨も新幹線に移行していき、「修学旅行専用電車」155系の使命は終焉を迎えた。
時に昭和46年のことで、「わこうど」「友情」も翌年には廃止されたという。

そういえば幼稚園の頃だったか、
京都駅の近くで「ひので」が大阪へ向けて走っているところを見た記憶がある。
いつも見慣れた電車と違うカラーの電車で、先頭に「ひので」と書かれたマークが印象的だった。
多分、その年にこれらの列車は運転が打ち切られたのだと思う・・・。

修臨から引退した155系は、「東海型」153系と同じグリーンとオレンジに塗装し直されて=写真【中】
車内設備も一般型に再改造されて、東海道筋の急行から普通列車へ汎用されて、
昭和57年度を以て、全車引退した。

ちなみに「東海型」こそは、
客車による優等列車に替わる国鉄優等列車の先駆的電車で=写真【下】
昭和33年、東京−名古屋間の急行「東海」に初めて使用されたことから「東海型」と呼ばれている。
その後、東海道・山陽筋の急行列車に幅広く活躍し、
新幹線が開業するまでは東京から関西方面を結んだ、
「なにわ」「よど」「六甲」「宮島」「やましろ」「いこま」「せっつ」などの、
今はなき“名列車”の立役者として活躍した。














■写真■
【上】
私がコレクションした写真。撮り人知れず。
左が京都駅で撮影された「ひので」号、右は恐らく名古屋駅で撮影された「きぼう」号。
とても目立つカラーリングであった。

【中】
写真の裏書きには・・・「1983.2.15 西小坂井 クハ155−19他12連 廃車留置」

西小坂井駅は愛知県の豊橋駅を名古屋へ一つ行った小さな駅である。
当時私は高1で、この電車が引退後この駅で解体待ちで留置されているとの情報を得て、
はるばる友人と鈍行を乗り継いで撮影に来た。
晩年の「修学旅行専用電車」は、写真のようなカラーに変更されていて、
【写真下】の「東海型」とあまり見分けが付かなくなっていた・・・。

【下】
「1983.2.15 愛知御津 クハ153−76 廃車留置」

同じ日、西小坂井に隣接する愛知御津駅にも「東海型」が留置されているのを発見し、撮影に興じた。
両車を見比べるとよく分かるのだが、「東海型」は客室の出入り口が広いのと、
全体的に丸みを帯びた屋根が特徴で、それに対して「修学旅行専用電車」は屋根が低く角張っている。
そして出入り口も狭い設計になっている・・・。

東海道を縦横無尽に往き来したかつての雄も、
優等列車に就役していた頃には停車したことすらなかったであろう小さな駅で、
ひっそりと終焉を待っていた・・・。

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今日は頭が痛いこともあったから、、、記事、、、斜め読み。。。ごめん。。。鉄道、、、懐かしい電車だわ。。。あ〜〜〜今日は腹が立っているのでした。。。忙しすぎ!!

2007/2/22(木) 午後 10:03 YORK

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めちゃくちゃ懐かしい画像ですね。個人的には修学旅行色好きです。品川の車庫に止まっているのを見るのが楽しみでした。

2007/2/23(金) 午前 1:44 ja8190

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修学旅行専用列車があったのですね。私も中学の修学旅行で臨時特急に乗りましたが、当時中学の修学旅行と言えば京都がお決まりだと思ってたので『京都の中学生はどこに行くのだろう?』と不思議でした(笑)

2007/2/23(金) 午前 7:47 [ こねこ ]

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yorkさん、こんにちは。いろいろ大変みたいだったようですね・・・。まあ、世間の圧倒多数はそんなものなのかな・・・と思ったりもします。くれぐれも御無理のないように(^_^)

2007/2/23(金) 午後 3:56 Rev.Ren'oh

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ja819061さん、こんにちは。これに似たカラーに、70系電車がまとっていた新潟色というのがありましたね(^^)。今から思うと、撮影し損ねた名車は数多し・・・ですよ。ポチッ!!有難う御座います(^_^)

2007/2/23(金) 午後 3:59 Rev.Ren'oh

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こねこさん、こんにちは。「雷鳥」と同じタイプの車輌を使った修臨で来られた訳ですね(笑)。当時、京都は中学は大体、広島・山口方面で、高校は私立は北海道か東北、公立は信州へスキーだったみたいです・・・。私の母校は東北でした。

2007/2/23(金) 午後 4:01 Rev.Ren'oh

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『国鉄急行電車物語』・・・ 小生は読んだコトはないのですけれど、「ヲタク本」呼ばわりするとは、けしからん!(笑)。いまや、昭和の空気を伝える「歴史的資料」と認識されてしかるべきでしょう。キハ58系の本にも「修学旅行仕様 キハ58 700番台」という形式が載っていますが、アコモデーション(室内装備)のコンセプトは、急行形電車とよく似ているようです。

2007/3/6(火) 午後 5:15 kiha58_1523

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キハ58さん、こんばんは。なかなか面白い本ですよ。写真も多いし(^^)/。直方機関区に配置されてましたね。確か、800番台だったかな。登場時は塗り分けは急行型と一緒で、カラーが修学旅行色で、「どびうめ」というネームでしたね。一般用になってから何枚か撮影して持っていますが・・・。

2007/3/7(水) 午前 3:04 Rev.Ren'oh

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【Ren'ohより】タイトルを変更致しました。引き続き、御笑覧下さいませ…m(_ _)m。

2010/10/9(土) 午前 1:41 Rev.Ren'oh

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おはようございます。そうでした、この電車で東京まで修学旅行で行ったのです。確かに専用列車でしたが、6人掛けと言うことは忘れています。そういえば、私も高校の修学旅行は行きませんでした。経済的なことや体調のこともありました。いずれにしても、遠いむかしです。そして、近くなってきたのがお浄土です。

2011/1/20(木) 午前 10:40 あだ〜じお

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あだ〜じおさん、こんばんは。修学旅行電車は、大阪で仕立てられた列車が「きぼう」、東京で仕立てられた列車が「ひので」と命名されていました。確か、1971年頃まで運転されていましたが、その後、新幹線に移行しました。もう、40年も前のことですねェ…。

2011/1/21(金) 午前 1:38 Rev.Ren'oh

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re'ohさん、懐かしさいっぱいで拝見させていただきました。中学、高校時代のわたしとよく似ていたのでビックリ、わたしも、カネなしで高校の修学旅行はパスでした。(笑)中学は行ったのですが、かなりこの時の態度が、あとあと響きえらい目にあいました。うちのクラスは、人数数えることすらしないバラバラでした。いまから思うと、愉しかったですよ。
放出中学の生徒を見ながら買い物していました。
電車のカラー覚えていなかったです。いやーのっていたらわからなかったです。チョコレートだとばかり思っていました。5時ごろ小田原で電車は停まりました。
バリバリバリと言う音、いまも思い出します。
踏切で人身事故を起こしてしまいした。
農作業に帰るリヤカーの夫婦を轢いたらしいです。
2時間ぐらい止まりました。
悲しかったです。いまでも思い出します。
何歳なんだろうと?

その間手記を書いていました。

うちの近くは汽車が走り、人身事故は、たびたびでした。
汽車がとまると、子供のころから駈け出したものです。
ありがとうございます。いろいろの思い駆け巡りますね。

2011/4/27(水) 午後 6:29 しんきろう

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しんきろうさん、どうもです…♪♪。古記事をお読み頂き、恐縮です…。
修学旅行の思い出も、思わぬハプニングに見舞われると印象が違いますね…。あの時代は東海道線といえども、郊外へ出れば遮断機のない踏切がいっぱいありましたからね…。
高校はアホばっかりの所に行ってしまったため、修学旅行なんて平和に行ける状態ではありませんでした。案の定、同級生が旅行中いじめに遭い、旅行から帰った後に自殺してしまいました。本当に辛い記憶です…。

2011/4/28(木) 午後 2:19 Rev.Ren'oh


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