◆京都生まれの気ままな遁世僧、「今様つれづれ草」。◆

心に移りゆくよしなしごと、仏教・親鸞・梵唄聲明・我が故郷京都…、拙き日暮らしに写真を添えて綴る“公開備忘録”

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盲僧琵琶の音曲。

イメージ 1

私は子供の頃から、琵琶の音色に魅せられていた。
日本の琵琶は、中国や中央アジアで奏でられる琵琶の音色とは明らかに違う。
大陸の琵琶の音色のような明るさはない。
しかし、琵琶の弦を弾く独特の音色が好きだった。

多分、小学生の頃に映画館で見た、小泉八雲原作の『怪談』(←クリック)というオムニバス映画の中の、
「耳無し芳一の話」のシーンが鮮烈であったため、それがずっと記憶に残ったのかも知れない。

「耳無し芳一の話」は、山口県下関に伝わる怪談である。
壇ノ浦で源氏に敗れた平家の怨霊は、その後もずっと怪異を起こし、
それを鎮魂するために阿弥陀寺という寺院が建立された。

阿弥陀寺へ芳一という盲目の琵琶法師がやって来るところから話は始まるのだが、
オープニングのシーンは壇ノ浦の合戦が映し出され、
そのBGMは『平家物語』の「壇ノ浦」が哀調を帯びた琵琶の音色とともに謡われるのだった。
爾来私は、琵琶の音色が忘れられなくなり、今日に至っている。


先日、地元の市立図書館で珍しい音源を見付けた。
『肥後の琵琶弾き 山鹿良之の世界 〜語りと神事〜』と題する、3枚組のCDである。
これは1996年に95歳で亡くなった、
最後の盲目琵琶法師といわれた山鹿教演(俗名・良之)師の音源である。

現在、琵琶法師という存在そのものが忘れ去られようとしている。
これは16世紀頃から琵琶が三味線にシフトし、
本州域では特に廃れてしまったことに起因するのかも知れない。
ところが辺境ともいうべき九州では、依然、三味線よりも琵琶が芸能の主流をなし、
つい最近まで琵琶法師が多くの音曲を伝承していたのである。

1枚目の1963年に録音された「ワタマシ」という、
家屋が新築された時に祝う儀式に用いられる曲は特に興味深いものであった。
「ワタマシ」は1975年頃まで、家屋が新築されると盛んに琵琶奏者によって謡われていたようだ。

最初に『般若心経』が琵琶とともに唱えられ、
引き続いて神仏混淆の祭文のような文言が琵琶の伴奏とともに延々と語られるのである。
これは所謂“御祓い”の文言であり、盲目の琵琶奏者が奏でることによって、
霊験に与れるという民間信仰の儀礼である。

山鹿教演師は元々僧侶ではなく、肥後琵琶の玉川派という琵琶芸能の奏者である。
芸能である傍ら、“祓い”にも従事していたようだ。
若くして肥後琵琶を習得した人で、72歳の時、天台宗玄清法流で得度した。
以来、山鹿師は玄清法流の琵琶法師としての側面も有するようになった。


さて…
福岡市南区に所在する天台宗成就院を本寺とする、玄清法流という盲僧琵琶の法流がある。

玄清法印(766−823)を流祖に仰ぎ、玄清法印は琵琶弾奏誦経三昧に入り、
四天王の霊託によって、伝教大師が住まう比叡山一乗止観院へ参じたという。

この、九州における琵琶法師の法流には、
筑前琵琶と薩摩琵琶の2流あって、筑前琵琶が玄清法流に相当する。

薩摩琵琶の法流は、鹿児島県日置郡にあった常楽院の流れである。
常楽院は明治の廃仏毀釈によって廃絶したが、
現在は宮崎県日南市に所在する長久寺がその法灯を受け継いでいるという。

これら琵琶法師は、元から天台宗に属していた訳ではなく、
本来は祟り神を鎮めたり土地神の地鎮、或いは仇をなす死霊を祓う土俗信仰の巫者の系譜に属する。

そうした土俗信仰の巫者である琵琶法師が天台宗と習合したのは、
常楽院の法流に伝承される『地神盲僧根源』によれば、
延暦4(785)年、伝教大師が比叡山に根本中堂を建設する際、
九州から8人の盲僧を招聘して地鎮呪法を行わせた。
それが縁となって、盲僧たちは天台宗に帰属したと伝えられる。

思うに、天台宗に帰属することにより、正式な僧侶として認められるようになったのではないか。
恐らくそれ以前は、所謂、「私度僧」のような存在であったかも知れない。

8人の盲僧の中に満市坊という人物がおり、
満市坊はそのまま京都にとどまり大同3(808)年、常楽院の開基となった。
満市坊は「妙音十二楽」なる曲律を制定し、盲僧琵琶楽曲の範としたという。
九州に帰国した4人は、それぞれ肥後、日向、大隅、薩摩に盲僧寺院の開基となったと伝えられる。

満市坊より数えて4代の法統継承者が、『小倉百人一首』に知られる蝉丸なのだという。
常楽院第19代・宝山検校に至って、島津家の祈祷僧に取り立てられ薩摩に拠点を移したと伝える。

一方、玄清法流所伝の『盲僧由来記』によれば、
同じく根本中堂建立に際して玄清法印が地鎮呪法を行い、その功績によって成就院を創建したという。
成就院は筑紫9ヶ国に分布した天台宗盲僧寺院の本寺として隆盛を誇り、現在に至っているそうである。

盲目の琵琶法師が執行する法会は、
常楽院の法流では「修正会」「堅牢地神会」「満一阿闍梨会」「高祖伝教大師(会か)」、
玄清法流にも同様の法会が勤められ、これに流祖玄清法印の「玄清法印会」が加わる。

こうした法要執行の他、「荒神祓い」や「亡霊落とし」なども行うという。
いずれも荒神系や地神系の経典(偽経か?)とともに、
和讃(「教化」か?)や釈文などが依用されるのだという。


ところで、CD『肥後の琵琶弾き 山鹿良之の世界 〜語りと神事〜』の声の主である山鹿教演師は、
僧籍に入ったのは晩年のことで、長らく民間の琵琶奏者として技術を培っていた。
これは「盲僧」の系統とは異なる、「座頭」の系統なのだそうだ。
「座頭」は芸能をこととするも、「盲僧」と同様に土着の神々に対する祈祷も行っていたようだ。

CDに収録されている「ワタマシ」という音曲は、
その文言からして祈祷に用いられたのは前述の如くである。
「ワタマシ」の他は、語り物の「道成寺」「菊池くずれ」「あぜかけ姫」が収録されている。

語り物といえば平曲として知られる『平家物語』などが有名である。
語り物は鎌倉時代に、琵琶と演奏して物語る形式として成立したといわれる。

例えば、本願寺第3世・覚如の伝記絵巻である、
『慕帰絵詞(ぼきえことば)』巻二に琵琶法師が描かれている。
場所は三井寺南滝院で、武装する僧兵たちの前で琵琶に撥(ばち)を当てている。
こうした大衆の前で芸能を披露していたのであろう。
或いは、第10世・証如の頃、山科本願寺では“お抱え”琵琶法師を擁していたようだ。

本願寺に抱えられていた琵琶法師たちは、
当代流行の音曲を奏でて、法主や一家衆を楽しませていたのであろうが、
それだけではなかったのではないか…と、私は想像をたくましくしている。
或いは浄土の音曲も奏でていたのでは…と思うのであるが、今のところ、全く想像の域を出ない。



【未完】
佛教暦2555年 涅槃会識之















■写真■
拙寺報恩講御満座法要にて、2011年10月30日撮影。

閉じる コメント(2)

こんばんは。
このお写真はご自坊でしょうか・・・・。厳かな中にある雅な古楽器の佇まいからその音色が聞こえてくるようです。
琵琶と言えば検校によるものしか思い浮かばず、天台宗の盲僧の方による盲僧琵琶と呼ばれる存在を初めて知りました。
お祓いに用いられるということも意外な印象を持ちましたが、なにかしから古よりの胡琴に思いを馳せるきっかけとなりました。
ポチっと☆

2012/2/15(水) 午後 7:38 ぴあの♪ 返信する

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ぴあのさん、こんにちは。ちょいしばらくです♪♪。駄文にポチッ!と恐縮です…(^^)ゞ
写真は昨秋の拙寺報恩講の御満座法要が始まる前の様子です↓↓。

http://blogs.yahoo.co.jp/namoamidabutsu18/62407058.html

琵琶法師に与えられる検校という僧階もまた、天台宗に属していると思われます。多分、成就院か常楽院のどちらかに属して登り詰めた盲僧だと思われます。
琵琶という楽器は、中央アジア(ペルシャ)起源で、これがヨーロッパに伝わって、リュートやマンドリンなどに発展しましたが、日本に伝わった最古のものは、今は正倉院御物として現存していますね。奈良時代の琵琶の譜面も残っているようです。しかし、これがどういう経緯で呪術や祈祷に用いられる“法具”となったのかは、よく分かりませんね…。とにかく不思議な楽器だと思います。

2012/2/17(金) 午前 11:24 Rev.Ren'oh 返信する

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