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ハンセン病

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ハンセン病

朝日新聞の夕刊に今『隔離の記憶』としてハンセン病に対する過酷な差別の中で生きてこられた方々と、交流をした人たちのことが連載されています。

私は2009年4月 新聞記事にハンセン病に関する法律がつくられたが実際に実現が難しいという内容を読み、ハンセン病についてあまり知らなかったので、本を読んでみました。1冊、2冊読んでいくうちに、国によってこんなに人間を不当に苦しめた事があったことが衝撃でした。そして国の横暴を許し、隔離に協力したのは、国民であり、人権を唱える人であり、宗教家たちであったのです。


私の拙い記事ですが、その時に書いた記事をここに添付し、少しでも知っていただきたいと思います。


新聞記事より ハンセン病問題基本法施行
http://blogs.yahoo.co.jp/nanachanumekichi/28921982.html
ハンセン病  重監房の記録
http://blogs.yahoo.co.jp/nanachanumekichi/28936951.html
続ハンセン病  重監房の記録
: http://blogs.yahoo.co.jp/nanachanumekichi/28963271.html
(1) 「いのち」の近代史 民族浄化の名の元に迫害されたハンセン病患者
http://blogs.yahoo.co.jp/nanachanumekichi/29167714.html
(2) 「いのち」の近代史 民族浄化の名の元に迫害されたハンセン病患者
http://blogs.yahoo.co.jp/nanachanumekichi/29225933.html
(3) 「いのち」の近代史 民族浄化の名の元に迫害されたハンセン病患者
http://blogs.yahoo.co.jp/nanachanumekichi/29289659.html
(4) 「いのち」の近代史 民族浄化の名の元に迫害されたハンセン病患者
: http://blogs.yahoo.co.jp/nanachanumekichi/29292322.html
(5) 「いのち」の近代史 民族浄化の名の元に迫害されたハンセン病患者
http://blogs.yahoo.co.jp/nanachanumekichi/29314226.html
(6) 「いのち」の近代史 民族浄化の名の元に迫害されたハンセン病患者
http://blogs.yahoo.co.jp/nanachanumekichi/29329467.html
(7) 「いのち」の近代史 民族浄化の名の元に迫害されたハンセン病患者
http://blogs.yahoo.co.jp/nanachanumekichi/29335866.html
『検証 ハンセン病史』より
http://blogs.yahoo.co.jp/nanachanumekichi/29584650.htm
『差別とハンセン病 「柊の垣根」は今も』より
http://blogs.yahoo.co.jp/nanachanumekichi/29643796.htm

お礼の手紙

先日は突然の訪問にもかかわらず、ご配慮いただきありがとうございました。

 思いがけなく施設見学の団体の方と合流させていただき、独りの見学では受けることができない説明と元患者の方のお話を聞かせていただき、貴重な体験となりました。

 4月に、新聞に次のことが書かれていました。

『ハンセン病問題基本法施行  再出発の春 道険し

ハンセン病への差別や偏見をなくし、療養所に住む人が安心して老後を過ごせるようにする。そんな狙いで成立した「ハンセン病問題基本法」が4月、施行された。だが、地域開放を目指した将来構想作りは難航している。1世紀前に始まった長い隔離政策のつけは重い。』
 
 私はハンセン病について漠然としたことしか知識がなく、何冊も本を読みました。『ハンセン病  重監房の記録』から人間としての尊厳を踏みにじる『犯罪』が、ひそかに閉ざされた内側で繰り返されていたことを知り驚きました。さらに『いのちの近代史』では、個人や社会がこの差別構造を合法化する恐怖政治と、あらゆる分野が善意のベールに包まれながらそこに組み込まれていく仕組みを知りました。これを埋もれさせてはいけないと稚拙な取り組みですが自分のブログに取り上げました。その一部『いのちの近代史』について書いた記事が、検索の1面に今もあり、これに関わった責任を感じています。

 ハンセン病の問題に対してだけではなく、この問題に取り組むことは、人間としてのありかたを、一人一人問い直していくことだと思います。強制隔離を受けられ、長い隔離生活を余儀なくされた皆さんが残された日々をどうして満たされるべきかを思います。今も家族に断絶をさせているのは『世間の目』の圧力ですが、その原因は政治が作ったものとしても、その力は『悪意の無い』普通の私たちなのです。

 何が出来るのかを考える第一歩として、その地を訪れることは、是非皆さんにも勧めたいと思います。

苦しまれた方々の怨念の渦巻く地と思われるかもしれません。感慨深い地であることは間違いありませんが、多くの人の生が灯ったことを、知ることに意味があるように思います
  


 目の前に広がる海は、逃げ出すことを阻むむごい海ですが美しいです。この海を見ながら人々は泣いたのですね。


 田村さん ありがとうございました。

                               橋本

 昨日電話で見学を予約すると午後から団体の予約が入っているので午前中に来てほしいと言われ、交通の便が悪いので車で今日朝8時に家をでました。通勤帯なので高速に乗るまで時間がかかり、大阪から岡山の長島まで急ぎました。初めての土地で道に迷い、地元の人に『愛生園』への道を尋ねると急がないのなら一緒に乗って案内すると親切な婦人がおられたが時間が無いので遠慮して教えていただいた道順でなんとか辿りついたのが11時半。もう約束の時間が過ぎていたので諦めていたら、昨日の電話の方とは違う職員の方が、午後の団体と一緒に参加してはどうかと配慮していただいた。

 国立療養所長島愛生園は以前取り上げた本の中で、ハンセン病患者を隔離することを強く主張した光田医師が園長として就任した隔離政策の象徴的な療養所です。

 島と本州をつなぐ邑久長島大橋は水色の可愛い丸い小さな橋でした。感慨を持つ間もなく車であっという間に渡りましたが、この短い橋は90年のハンセン病の隔離政策からの解放を象徴した、ハンセン病患者の長い闘いの末に勝ち取った自由への橋なのです。目の前30メートルのところに本州が見えます。それが永遠の別れとなった距離であるとはむごい政策です。

 資料館は旧事務所を最近改装され当時の歴史物を展示し、ハンセン病元患者の証言を映像で見る設備がありました。3人の証言を見たのですが、隔離政策と保護の表裏一体を受けざるを得なかった人生をそれぞれに受け止め、受け入れておられます。本を読んだ者として、罪は誰にあるのか問うべきではないかと思うのですが、そんなに簡単な事ではないのでしょう。

 団体の方と収容桟橋、収容所、監房、目白寮、納骨堂、そしてハンセン病元患者のお話を1時間聞かせていただきました。



 団体の方は隣の県の民生委員の方たちの研修でした。

 入所の方は369名(平成20年5月現在)、平均年齢80歳。入所期間も平均50年。

 今何が出来るか。時間が限られてきているように思います。


資料館の田村さんご配慮ありがとうございました。愛生園の過ちを素直に説明されていましたね。





園長室の壁に飾られる写真は、初代園長光田医師の首に勲章がぶら下がり、私はそれに怒りを覚えます。歴史にもしもは無いけれど、この人がいなければ隔離は違ったものになったかもしれない。罪を問わず褒賞する社会の過ちを懺悔したい。ハンセン病患者と同じところに納骨することが許されるのかと私は強い疑問を持った。

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差別とハンセン病  「柊の垣根」は今も   畑谷 史代著 より 引用 


宗教界 人権侵害に覆い

 検証会議の報告書は、宗教界の責任を「ある意味で、究極の人権侵害」だと指摘する。入所者に隔離の受容を説き続けた宗教者達の行為は隔離により人の尊厳が踏みにじられている事実自体に覆いを被せる結果となった。また、特に戦前の宗教界が国家政策と完全に連動し、国の立場に立った点で、「作為」の責任を免れ得ないとする。

 戦前戦後を通じて療養所内では宗教活動が活発に行われてきた。2004年8月現在、13国立ハンセン病療養所には計90近い宗教サークルがあり、入所者(3436人)の87.8%が、何らかの宗教や宗教団体を信仰したり、かかわりを持っている。宗旨別では仏教系が48.6%、キリスト教系が31%、新宗教では、天理教や創価学会などが活発に活動している。

 報告書によると、仏教教団では浄土真宗系、真言宗系、日蓮宗系などがハンセン病療養所とつながりがあり、中でも仏教系の67%を占める浄土真宗系のかかわりが深く、隔離政策にも重要な役割を果した。キリスト教系団体では、無らい県運動の徹底を支援した日本MTLや、戦前に私立療養所慰廃園を運営した好善社などの活動も、国策と強いつながりがあった。

 浄土真宗とくに真宗大谷派は、ハンセン病療養所の設立当初から入所者への「慰安教化」活動を通して、療養所と深いかかわりを持った。「慰安教化」は国家からの要請をうけ、その要請を教団が受け止め、主体的な取り組みとして始まり、隔離政策を補完する役割を担った。こうした国策への呼応は、浄土真宗に限らず、ハンセン病に関わった戦前の宗教界全体に共通する。

 「宗教的慰安」や「救済」の内実は「諦めの境地」で、信仰の名の下に、入所者に隔離の現実を受容させていく効果があった。隔離に抗した宗教家も一部に存在したが、多くは「宗教的使命」として隔離政策を進めた。国が隔離政策推進にあたって「皇恩」をそれぞれの宗教性の中に取り込み、さらに社会にも発信していくことによって、国家の期待に応えていった。

 ハンセン病患者が社会から忌み嫌われ、療養所に閉じ込められていた時代、極限状況の中に生きる人々の所へ足を運んだ宗教者達の多くが、情熱とともに深い同情と慰安の気持ちを持って患者達に接してきた。報告書は「そのことに関わった宗教者の行為は、その点においては『批判』を受けるべきものではない」とした上で、「入所者がその教化を受け入れ、信仰を隔離政策の中での心の支えとして見出」すことによる「自己完結」こそが、宗教者に「隔離」を見えなくさせた要因だったことを指摘する。

 「自らの存在を、様々な屈辱的な政策により卑下するしかない状態に貶められている入所者にとって、療養所の中で一生を送るということに大きな価値の転換を与えるものであり、生活の光であったのではないか。(中略)人間の尊厳が踏みにじられることの最後の防衛手段、それは、尊厳が踏みにじられているという事実に覆いを被せてしまうことである。その事実のところには、どれほど醜い境遇に置かれようとも、なお生きる人間の強さと、生きねばならない人間存在の深い悲しみが横たわっており、誰も批判することはできない。しかし、そのことが、隔離をしてきたものによって企図されたという面に関しては、徹底して問われなければならない事柄である」

 戦後になって国家と宗教界の関係が戦前と大きく変わっても、宗教教団のハンセン病療養所での活動のあり方は基本的には変わらなかった。「隔離」を動かしがたい前提とした上で、その枠の中でどう安らかに生きるのか、という課題設定しか出来なかった宗教界の「限界」を超える鍵として、報告書は「療養所に布教に入る宗教者と、それを受け入れる入所者が『救うもの』と『救われるもの』という関係を翻し、共に人間を非人間化するものから解放されていくという対等な関係を紡いでいく」ことを提言している。

熊本日日新聞社    検証・ハンセン病史 


 
藤野豊氏の『「いのち」の近代史』に書かれている内容をさらに詳しく書かれていて疑問に思ったことの理由をいくつか知ることができました。宗教について取り上げられていたので抜粋します。



「もしそれ、らい絶滅の重要性に国民が自覚促進するところ無くば、われら何時らいに侵されるるか測れないのである。(中略)如何に血統の清浄を誇るものも、皆らいの前に破滅を見るときが来るのである。」
 1921(昭和6)年6月、大谷派光明会の発会式が、京都・本願寺であった。患者の強制隔離を盛り込んだ予防法(旧法)公布の2ヵ月後のことだ。
 光明会設立には、内務大臣だった安達謙蔵の働きかけがあった。これに呼応して尽力したのが、大谷派の社会活動で一つの時代を画したとされる竹内了温だ。
 「一人出家すれば九族天に生まれると言うが、一人らいに感染すれば九族地獄に墜する」
 設立趣旨や活動方針などを収めた冊子『らい絶滅と大谷派光明会』の文章表現は激しい。
 活動方針は二つ。一般に対しては「伝染病たることを理解させることによって患者・家族に対する同情心を喚起し、絶滅と予防目的に協力させる」こと。患者に対しては「慰安して進んで療養所に入らしめ、すでに入所せる人々を慰安教化する」ことを挙げる。
 竹内は同年から翌32年かけ、ハンセン病に関する記事を同派機関紙『真宗』に集中して掲載。「国民総動員」を訴える。
 「あきらかに世論をあおるキャンペーン。国がやろうとしている隔離政策をよく理解している」
 厚生労働省のハンセン病問題検証会議検討委員会で、同派同和推進本部委員の訓覇浩さんは指摘する。
 光明会の名称は奈良時代に患者を救済したという光明皇后の伝説に由来する。そして光明会の総裁は、昭和皇后の妹で大谷門主の妻(御裏方)
 「皇室と一体化して光明会が設立されている。仏の名、皇室の名で救済を説けば、患者もすがる。しかし、救済を説けば説くほど、それは隔離政策への協力でしかなかった」

1931年の予防法(旧法)制定と同時に設立された大谷派光明会は、活動方針に沿って全国の療養所に慰問団を派遣。一般信者むけには、全国の末寺にカラー刷りの「らい絶滅」ポスターを配布して協力を呼びかけた。
 32年の同派機関紙『真宗』には。大島青松園患者一同から「患者の慰安と絶滅に多大の努力と犠牲」を払う光明会への礼状が掲載されている。
 その中で「私たちの心理を理解しない人は『運命とあきらめろ』と教えてくれるが、そう容易にあきらめ切れぬ悩みがある。凡夫の悲しみです」と心情を吐露している。
 これに対して、慰問教化する側は何と説いたか。同派同和推進本部委員の訓覇浩さんは「療養所に居ることが即、救われているという、仏教的な言説を用いた見事なすり替えが説かれた」という。
 同派僧侶で仏教界の重鎮・暁烏敏は34年、絶対隔離を称えていた光田健輔が園長を努める長島愛生園でこう講演している。
 「皆さんが病気と戦ってそれを超越してゆかれることは、兵隊さんが戦場で働いているのと変わぬ報国尽忠の努めを果すことになるのです」
 その愛生園を同年、光明会総裁が訪問し、納骨堂の竣工式が開かれる。翌年には多摩全生園にも納骨堂が完成。これと前後して、各療養所に説教所や真宗崇信会などの門徒組織が結成される。
 「90年も隔離政策が続いたのは、予防法が存在したこと、世論が問題としてこなかったことに加え、入所者が受容したことがある。人権を無視した政策を受容するよう、患者たちに説いてきた宗教者の責任は重い」
と訓覇浩さんは自戒を込めて話す。

(中略)

 光明会も戦後すぐ消滅する。検証会義検討委員会の訓覇浩さんは言う。
 「国策の一端を担ったという反省をしないまま、戦後は個人の救済を説くだけの癒しの布教に終始した。戦前同様、誤解を恐れず言うなら『隔離の受容』の押し付けに変わりなく、入所者たちが不当な隔離から解放されていこうとする力をかすめ取ろうとするものだった。」
 仏教・キリスト教の各宗派が、隔離政策に協力した責任を認め、謝罪するのは96年の予防法廃止後だ。



以前本願寺の戦争協力の反省の記事を読みましたが、同じことがここにも行われていたのです。宗教とは何か。考えさせられます。

もう一つ驚いたことは本願寺の門主の妻が皇室関係者であることです。親鸞の末裔と言うだけで継承していくことの不思議に,皇室との縁組が加わり、ますます本願寺の意味を不明にさせます。関係者はどう思っているのでしょう。何も言わないことが間違いを繰り返したのではないですか。

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