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精神医療と精神薬

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精神医療への不満
 その後、私はメールにてM男さんに「精神医療に関わったことで一番不信感、不満を抱いたことはどのようなことでしたか?」と質問をしたところ、以下のような返事をいただきました。
 
私が関わった精神医療で不満に思うことは、上っ面の問診で安易に薬を処方するところです。
症状が心理的なものなのか、副作用なのか突き詰めず、簡単な問診で簡単に薬を処方し、どんどん増やしていきます。
私も初期の頃、さまざまな抗うつ薬を処方されましたが、すべて自力で断薬しました。(リフレックスだけはベンゾ減薬に役立つかもしれないので自己判断、最少量で続けています)。
ドクターの行う薬の処方には、どう考えても「出口戦略」があるようには思えません。それどころか、薬で漬けて病気を作っているようにさえ感じます。
 
この2年半、目の違和感と頭の締め付け感があり、ソラナックスやデパス、フルニトラゼパムを処方され続けました。
その間もずっと、内科や脳神経外科などをドクターショッピングしていました。
病名は「うつ病」「自律神経失調症」「頚筋症候群」「新規発症持続性連日性頭痛(NDPH)とさまざま。
精神医療センターに入院した際には心の問題と決めつけられ、軟禁に近い休息(これがストレスでした)を強制され、また認知行動療法などを受けましたが、効果など出るはずもなく。
光トポグラフィー検査を申し出て、うつ病でないことは明らかになっているのに、診断は「うつからくる身体表現性障害」となりました。
(離脱症状を身体表現性障害とする医師が非常に多い。つまり、薬のせいではなく、「あなたがもっている症状」ということです。)
あげくに悪魔のようなリボトリールで漬けられてしまい、弱り目にたたり目です。もともとはアクティブで、仕事にスポーツにボランティアに突っ走るタイプなのですが、今は一切できなくなり、気分が落ちています。
現在は鍼灸に通ったり、漢方でツムラの「抑肝散」を飲んだりしています。眼の違和感、脳の圧迫感など離脱症状はありますが、それでも置換中の現在、一歩一歩、前進している感触が多少あります。この後はせめて人並みに仕事して、趣味を楽しめる人生を送りたい、それが望みです。
 
参考、クロナゼパム(リボトリール、ランドセン)のジアゼパム置換(クロナゼパム1.5㎎をジアゼパムに置換していくやり方)については、アシュトンマニュアルの65ページに出ています。ちなみに、クロナゼパム 05mg はジアゼパム 10mg とおおよそ等価です。)
これが今の日本の現実。
精神科医に限らず、医薬は病気を作りだしては金儲け、山本太郎氏が言っている「死にたくなる社会」の姿、まるで断末魔の様相です。


今回もM男さんという男性の体験談をお伝えします。またしても「リボトリール」の減薬に関するものです。
 
ストレスからうつ病との診断・・・ベンゾの始まり
ベンゾジアゼピンとの出会いは2年7ヵ月ほど前の2017年1月末です。
リストラによる強烈なストレスと不安感により後頭部から背中、二の腕にかけて電気が走ったような痺れがあり、24時間、猛烈な吐き気に襲われ動けなくなりました。
クリニックを受診すると「うつ病」と診断され、抗うつ薬(セルトラリンやサインバルタ、リフレックスなどいろいろ変わりました)と共に、デパス(依存がどうとかで途中からソラナックスに変更)、フルニトラゼパムを処方されました。
 その後1ヶ月ほどで落ち着いたものの、数か月経った頃から、目の違和感や頭の締め付け、頭頂部の痺れが出るようになりました。
今思えばこれが「ベンゾジアゼピン離脱症候群」の始まりでしたが、この頃は知る由もなく。
クリニックのドクターに伝えたところ、「このまま続けた方が良い」と言われ、上記のベンゾを漫然と飲み続けていました。(この頃は「緊張性頭痛」ではないかと考えていました。確かに飲むと少し楽になったので……)。
(この頃のM男さんの状態はおそらくベンゾの常用量依存による常用離脱だと思われます。医師の「このまま続けたほうがいい」というアドバイスはまったく逆で、漸減のアドバイスをするべきでした。しかし、多くの医師がそのような認識は持ち合わせていないのが現実です。)
ただし抗うつ薬については、自己判断で止めました。飲むと精神がかえって不安定になるような感じがしたからです。
抗うつ薬の離脱症状は半月ほどのめまいで消失しました。デパスは不定期に0.5mg12回、睡眠薬のフルニトラゼパム1mgは飲んでいました。
発症から1年後の20184月に経済的な理由で再就職。ごまかしながら仕事をしていましたが、10カ月ほどでギブアップ(20191月)、現在も休職中です。
 
精神医療センターへ入院・・・リボトリール上乗せ処方
その後、鍼や整体などいろいろ試しましたがなかなか改善しないので、3月下旬、県立の精神医療センターへ任意入院することにしました。
入院直前の薬は、(寝る前)フルニトラゼパム(1mg×1錠)とリフレックス(15mg×1錠)、ソラナックスは頓服(0.4mg×12錠)という処方です。
しかし、行動制限が入り、ただただベッドに寝ているだけの毎日。薬も変わらずで、当然改善などなく、ドクターに問うたところ「長時間型の抗不安薬(!?)があるから、試してみますか?」と言われリボトリール1mgが「追加」されました。
これが地獄への入口となりました。
 
1ヶ月程度飲み続けましたが、眼痛や脳の締め付けが改善しないことを伝えたところ、その次の日にはリボトリール1㎎が一気にゼロとなり、強制断薬状態
(ベンゾを知らない医師はこういうことを平気で行います。)
翌々日くらいからめまいと吐き気でもんどりうちましたが、ちょうど元号が変わる、GW10連休中、ドクターがお休みとのことで入院しているのに放置され続け、このときはさすがに怒りを覚えました。
死ぬ思いとはこのことか……本当に辛い状態でしたが、何とか気力で10日間を乗り切り、ドクターが出勤してきたところでリボトリールを再服薬。とりあえず小康状態を得ますが、目の違和感、脳の締め付けなど諸々の不定愁訴は残りました。それにしても、ドクターと薬剤師の無知さ加減には、ただただあきれ果てています。
 
医療はあてにならない
ドクターも病院も頼れない……入院中、必死の思いでネットで調べました。
そして辿り着いた「ベンゾジアゼピン離脱症候群」とアシュトンマニュアル。自分はベンゾジアゼピンの薬害にはまっていると確信した次第です。
3ヶ月の入院の最大の成果は、コレでした。金銭的にも肉体的にも、高い高い授業料でした……。
 
退院後は水溶液タイトレーションでリボトリールを 「1mg0.8mg2週間)→0.6mg2週間)→0.5mg」まで減らしたところ、吐き気とめまいでダウンしました。
ネット上でこれまた偶然知ったBYA全国ベンゾジアゼピン薬害連絡協議会の多田代表のアドバイスでリボトリールをジアゼパムに置換して、最近減薬を開始したところです。
主治医はベンゾジアゼピン離脱症候群を認めません。しかし、減薬スケジュール表をこちらから提示することで渋々ジアゼパムを処方してくれています。
 
現在は抗うつ薬としてリフレックス1錠(15mg・・・離脱症状の盾になると考え)、リボトリールとジアゼパム(置き換え中)。頓服でアルプラゾラム0.4mgを1錠という状況です。
フルニトラゼパムは1mgから半減→0と短期でスムーズに断薬できました。現在、睡眠は中途覚醒することもありますが、それほど困った症状は出ていません。
離脱症状は、眼の周りの強い疲労、ものの見えにくさ(近眼とは異なった近くの見えにくさ)、眉間の痛み、脳の圧迫感、頭頂部の痺れ、吐き気などです。
リボトリールはソラナックスやデパス、フルニトラゼパムなどとは違う「止めにくさ」を感じています。
ジアゼパム置き換えを始めたばかりですが……長期戦を覚悟しています。
抗鬱薬、リボトリール1mgがジアゼパム換算値20mgもの強力価の悪魔の薬物だってご存知でしょうか?
たかが食欲不振でなぜこんなクスリが処方されるのでしょう??
自分達の強欲の為に、患者を廃人同様にして痛痒も感じない・・・
いまの医薬マフィアに怒りさへ覚えます。 

【かこさまのブログより】
ある男性の体験談を紹介します。
☆☆☆☆☆☆☆☆
 
私は今、離脱症状で普通の生活も送れない状態で悩んでいます。
2017年春頃まで、リボトリール6mgを服用しました。この間服薬量に前後はありますが、ベンゾジアゼピン薬物をこの間9年間飲み続けたことになります。後で知ることになるのですが、この時点で私はジアゼパム換算値120mgという恐ろしい量を飲んでいたことになります。悪魔の量です。
(注、リボトリールのセルシン5㎎との等価換算値は0.25㎎。したがって、ジアゼパム換算は120㎎) 参考http://www.yoshida-hospital.org/fuan/doc/q.html
 
食欲不振から始まった精神科
そもそもの始まりは、平成2162日の初診時に鬱と診断され、三環系のトフラニールが処方されました。
その後数日経って、興奮状態が現れ始めたのです。やる気がみなぎり無敵な状態を感じ、それだけならよかったのですが、抗うつ薬は麻薬となんの変わりもないシロモノですから、
人格が変わり始めました。
少しのことでブチギレる状態になり、車に突進しようとしたり、怒りにまみれ、川へダイブしようかと考えたり。向かってくる車に突っ込んで殴り飛ばしてやろうとか……そういった感情が現れ、主治医に報告すると「躁が出てる」ということで、てんかん薬であるデパケンが処方されました。
それでもトフラニールによる興奮状態はおさまらず、トフラニール中止、デパケンと安定剤の処方になりました。最初の受診時からベンゾは、後から調べたら処方されていました。
しかも、なぜか、初診から1か月も経たない6月末にはすでにリボトリールが処方されていたのです。
最初はうつでしたが、双極性障害と診断しなおされ、あらゆる精神薬の人体実験のような状態にされていきました。ただの食欲不振からです。
落ち込みがひどくなるとジプレキサやテトラミドを増量。もちろん、睡眠薬であるベンゾもたくさん服用しました。
興奮状態のとき、娘に手を挙げてしまい、その後落ち込んで、睡眠薬を大量に服用して救急車で運ばれたり……私の精神状態は、ぐちゃぐちゃになりました。
死にたい願望など起こったことが今まではなかったのに、精神薬を飲み始めてから、数回ほど睡眠薬による自殺未遂を経験しました。
 
一気断薬から再服薬
いろいろと調べて行くうちに、薬を抜いて行ってみよう! 少なくしてみようという考えになり、「こんなもん飲まなくたって大丈夫だ」という自己判断ですべての薬を切りました。
 
まったく無知のままにです。一昨年の4月のことです。
断薬後一日くらい経つと、頭がくらくらし始め、頭痛と目眩がひどくなりました。なんだこの状態は? と焦ったのですが、この頃ちょうど新しいサプリを飲み始めていたので、もしやそれが原因なのかと、そのサプリを片手に一度内科を受診しました。
しかし、医者はこのサプリはほとんどがビタミンだし、これが原因とは考えにくい。しかもそんな症状は今まで見たこともない。もし、精密検査するなら紹介状を出すよということで診察は終わりました。
その後妻がネットでいろいろ検索したところ、薬の「離脱症状」という言葉に行き当たったのです。
特にベンゾジアゼピン薬物を急にやめた時起こりうる症状だということを私は、この時初めて知ることになります。
そして、そこから私はいろいろ調べ始め、ゆっくり減薬をしなくてはいけない。一気断薬は命にもかかわることがあることを知り、一度再服薬をし、自分なりに少しずつ減薬していくことを決意しました。
 
再服薬によって、身体は一度は完全に元に戻りました。そこで私はリボトリール6mg4mgに減薬し、半年くらいかけて2mgまで減らし、年末には1mgまで減らすことができました。
ちなみに他の向精神薬はほとんど全部一気に断薬しましたが、症状はなにも変わらず断薬することができました。
そして、向精神薬をやめて、減薬していくたびに私の精神症状はよくなり、今まで胸が苦しくなったり、発作的に睡眠薬を何度もがぶ飲みして自殺未遂をしていた自分が嘘のようになくなりました。希死念慮ばかりが浮かんでいたのは、薬漬けになっていたせいだったのだと、この時やっと知ることになります。すべて気づくのが遅すぎる大バカ者です。自分で調べようともせず、医者に言われるがまま、訳のわからない薬を9年も飲み続けたのですから。
 そして、最後にベンゾジアゼピンのリボトリールのみとなりました。6㎎から1㎎にまで減薬し、残りをこのままゆっくり減らしていけば完全に断薬できると、少し安易な部分があったかもしれません。
この時点での私の落ち度は、ジアゼパム換算値というベンゾジアゼピンの力価というところまで調べあげなかったところです。
まさか、リボトリール1mgがジアゼパム換算値20mgもの強力価の悪魔の薬物とは、この時点で私はまったくの無知だったのです。
 
減薬して歩行困難に
話は減薬していく段階に戻りますが、2018年、年が明けて私はリボトリールを1mgから0.5mgにどんと減薬しました。このとき頭の重たさ、頭痛、少しの目眩を覚えた記憶が鮮明に残っています。
しかし、耐えられるなら、それを維持していけば徐々に身体もその量に慣れてくるということがネットに載っていて、それを信じ、少し辛い状態になりましたが、0.5㎎で頑張ってみようと決意しました。
精神状態は完全に回復していましたので、私はリハビリのように少しパートで働こうと決意し、近くのドラッグストアーでパートで働くことになります。
働いている間、頭痛や頭が常に重たく目眩も少々ありましたが、身体の辛さくらい気合いでなんとかなるだろうという安易な考えで働き続けました。
リボトリール0.5mgを維持して1ヶ月くらい経った頃、2日ほど完全にベンゾジアゼピンを抜いてみました。
 
すると、突然40度の高熱が出て、5日くらいで73分から5分に下がったものの、そこから微熱が下がることはなくなりました。
そんな状態であるにもかかわらず私は2月に入り、リボトリールをさらに0.25㎎にまで減薬したのです。気合いがあればなんとか乗り切れる。絶対乗り切ってみせる。気合いで断薬してやるという強い思いしかそのときの私にはありませんでした。
このときに感じた症状は、夜携帯を見ることができなくなるほどの目の眩しさと、小さな音がまるで耳元で鳴っているかのような聴覚の異常でした。
0.25mgを飲み続けながら仕事は続けていました。しかし、あまりの目眩と急な吐き気に襲われ、早退したりしていましたが、結局改善せず仕事を続けられない状態になりました。
 
その後も0.25mgを維持、服用し続けましたが、2018429日、服用し続けているにもかかわらず歩行困難な状態に陥ったのです。
服用していてこんな状態になってしまうのなら、もう服用しても意味がないという独断で、そこから私は一気に0.25mgを切りました。これが私の失敗でした。
リボトリール1mg4分の1の量にもかかわらず、セルシンとかのベンゾジアゼピンの薬にしたら5mgを一気断薬したことと変わらないことを後で知ることになります。
つまり、慎重に1錠を少量ずつ減薬していったにもかかわらず、ジアゼパム換算値の無知さゆえに、自分ではゆっくり抜いたつもりがセルシンで言えば5mgという量を一気に抜いてしまったことになるのです。

そこからの状態は……私は地獄を見ることになります。
断薬2日目。脚の痺れを覚えました。
断薬3日目。歩行はほぼできなくなり、頭の中をガシャガシャと殴るような音を感じるようになりました。
断薬4日目。脚の痺れがさらに強くなり、寒気がし、身体が震えるほどになりました。このとき右足の親指の感覚が麻痺したことを記憶しています。
断薬5日目。脚だけでなく、頭の後ろや首の後ろの麻痺も覚えました。さらに寒気が強くなりました。
また、座っている状態で身体が左右に揺れ始めたのはこのときです。さらに目の前に常にショウジョウバエが飛び交っているように見え、何度も何度も、何もいない目の前を手で払いのけていたのを強く覚えています。
断薬6日目。身体が地中に埋もれていくような感覚に襲われました。
そして、断薬7日目にして、脚はビリビリ痙攣し、身体は左右に揺れが更に強くなり、目を開けることすら困難になり、目の中は血走り、まったく歩けない状態に陥り、息が苦しくなり、泣く泣くリボトリール0.25mgを再服薬しました。
 
そこから、また3日、気合いで頑張りましたが、立ち上がることも一歩前に歩くこともできなくなり、目はほぼ開けることができなくなり、動悸が激しくなり、心臓は飛び出しそうなほどドクンドクンと波打ち、息も絶え絶えになり、吐きそうにもなり、悔しい思いをしながらまた悪魔の薬リボトリールを0.25mg服薬することになります。
15分ほど経つと吐き気や動悸も収まり、歩くこともできなくなっていた身体がスタスタと歩けるようになり、私はこの薬の恐ろしさをこのとき改めて肌で感じることになります。立ち上がることも一歩踏み出すこともできなくなり、一人でおしっこに行くこともできなくなり、妻におんぶしてもらってやっとこさトイレに行けた記憶が鮮明に残っています。
 
そこから気合いで5日頑張りました。しかし、514日、心臓は張り裂けそうになり、息も絶え絶え苦しくなり呼吸困難、目も開けられず、吐きそうになり、一歩も歩くことができなくなり、「ちくしょうちくしょう」と大きな声で怒鳴りながらリボトリール0.25mgを服薬したのを覚えています。
 
翌日から、何とかこれらの症状を乗り越え(心臓も破裂しそうになり、呼吸困難にもなり、身体も左右に揺れながら)、それでも気合いで完全に断薬することに成功したのです。とこの時点では、私はベンゾジアゼピンの悪魔の薬物についに勝ったという強い気持ちでいました。
 
体重減少
まさか、ここから4ヶ月も経って、さらなる地獄が襲ってこようとは……このときは夢にも思っていなかったです。
減薬を始める前、70キロあった体重は、くすりを抜いていくたびに減少し、完全断薬した時点では55キロまで減っていました。
ここから、さらに食べても食べても体重は減少し続けることになります。小腸がお腹の中でグニョングニョンとのたうち回り、寝ている状態でも常に脚が痙攣し続け、まともに睡眠も取れない状態でしたが、それでも頑張って生きてきたのです。
が、完全断薬から4ヶ月が過ぎた918日。体重は47キロまで減少し、ついに寝たきりになりました。ほぼ、骨と皮だけの状態になり、次の日の919日の朝、意識が遠のき始め、死を覚悟することになります。
なぜか、自然と涙がボロボロとこぼれ落ちました。悲しさも確かにあったと思いますが、どちらかというと悲しさではなく、おそらく、もう少し娘達の成長を見ていたかった。家族とともにもう少し幸せを味わいたかった。完全に悪魔の薬物に負けたという悔しい気持ちのほうが強かったのかもしれません。
私は妻に告げました。救急車は呼ばないで欲しい。
もうこれは、俺の天命だったんだ。遺書も残し、俺はこのまま眠るように死んでも仕方のないこと。だから、最期はおまえに看取って欲しい。判断はおまえに任せる。そう告げまた意識が二回ほど遠のきかけたとき、妻は救急車を呼ぶ決断を下しました。
 
再々服薬しても・・・
病院に運ばれ点滴を受け、帰宅し、私は次の日もう一度リボトリールを飲んでやり直すという大決断に出ることになります。
 妻の思いに応え、もう一度減薬にチャレンジするという決意を固めたのです。
そして、リボトリールを1mg服薬しました。
起き上がることができるようになったものの、このもう少しだけでも生き延びなければという思いとは裏腹に、身体が完全に元に戻ることはありませんでした。
まっすぐソファに腰掛けるのも困難で、もう丸一年以上ソファでくつろげたことがありません。
脚には力が入らない状態が続いています。歩くことは依然として普通にまっすぐ歩行することは出来ず、頭が常に重く、頭痛が続き、骨盤も常に痛い状態であぐらもかくことが困難です。
 また、屈んだり、下のものを取るだけでも大変つらい状態です。素足だと、足の裏が痛くて立っていられません。おしっこするために立っているだけで右足はビリビリし、左足の小指と薬指の感覚は完全に麻痺した状態になっています。
せめて普通の生活を送れればと私なりに頑張ってきましたが、ツライ離脱に根負けしてしまいそうです。
 リボトリールがまさかここまで悪魔のベンゾとは思ってみませんでした。
しかも、私はてんかんでもないのでリボトリールを出されました。今考えるとわけのわからない処方、やりたい放題を精神科医にされていたということになります。
悔しいかな、自ら調べもせず言われるがままに服用し続けた大バカ者ですが、知らないことは罪である。しかし、知ろうとしないことはもっと罪である、との言葉が私にはぴたりとくるでしょう。
妻と娘2人の4人家族で、上の子はまだ小学4年で下はまだ14ヶ月です。少しでも長く娘達の成長を見ていたいという強い思いと、それに対してぶっ壊れてしまっている身体の辛さの拮抗した毎日の闘いです。
1日生きることがいっぱいいっぱいで、ただ家族がいることに感謝しつつ耐えている毎日です。
もし、私の体験談が誰かの役に立つのなら、こんなうれしいことはありません。

事実報道に本ブログ記事が連載されています。
 
大人気の同セミナー初の九州開催です。
昨年の神奈川オルタナティブ協議会(オルかな)主催の同講演会の様子はこちら
 
障害者差別禁止法では、障害者への合理的配慮が義務付けられた。
これは、障害を持つものが、ハンデを感じず健常者と同じように働けるように合理的配慮を義務付けたもの。
 
そもそも、ADHDを障害と捉えるのか病気と捉えるか、この国はそのあたりもはっきりしない。
病気なら治療するものだし、障害なら治療より、合理的配慮をすることになるはず。
 
ところが、この国でやってるのは、ADHDと言われる子どもが学校でおとなしく座って授業を受けられないことを問題にし、
覚せい剤を使用して、おとなしく、つまらない授業を受けるように子供に強制することをやっている。
ADHDが薬で治療できるのか?
もちろん答えはNOだ。治療目的でない投薬は人権侵害のおそれがある。
では、おとなしく座ってられるように、薬でコントロールするのが、合理的配慮なのだろうか?
 
講師の茂木さんが経験してきたカリフォルニアの教育現場では、
ADHDと言われるような子供への合理的配慮は、例えば次のようなことだ。
机の下に足踏み機を置く。
ガムを噛む。
横になってもよい。
どうすれば教室に居られるかを工夫するのだという。
 
そして、座ってられないのには、理由があるという。
精神的な理由のほかに、
体の中心が定まっていないという体と脳の未発達の問題があるという。
子どもが遊びたがったり、動き回るのは、自分で発達を促しているのだと。
子どもは遊んで成長する。
障害者と呼ばれている子供の多くには、遊びが足りていないというのだ。
 
子どもの権利条約では、
子どもには遊ぶ権利があると定義されている。
言い換えれば、騒いだり動き回る権利がある。
十分、動き回って発達すれば、自然と落ち着いていく。
指しゃぶりは十分しゃぶれば、自然にやめていく。
 
問題のある子どもに対する合理的配慮とは、
十分遊ばせることと、その発達を待ってあげるということ。
 
茂木さんの講演会の午前中に、前座として、
『発達障害にまつわる社会とお薬の話』
問題解説させていただきます。参加費無料にしました。
 
 
福岡、佐賀の皆様の参加をお待ちしております。
お薬肯定派の皆様も、お薬否定派の皆様も、どちらもお待ちしております。
 
 
 
 
我々の理念に賛同し、資源を提供(無料もしくは格安で)いただける方を募集します。
空き家、空事務所、畑、里山、etc
(特に神奈川、東京、関西、福岡)
お問い合わせは全国オルタナティブ協議会のHPからお願いします。
 
快復を強力に後押しするための環境(コミュニティ)づくりとして、クラブハウスプロジェクトを推進しています。現在、関西、中部(名古屋、中津川)を始め全国で、具体的な活動を行っています。その為の応援グループオルタナティブを実現するための300人委員会をFB上に作成しました。プロジェクトの進捗を知りたい方、ご興味のある方は、参加理由の説明メッセージを送付の上参加リクエストをお送りください。
 
 全国オルタナティブ協議会、精神医療被害連絡会では、『自分で決める!薬を飲む飲まないキャンペーン』を開始します。ご興味のある方は、応援グループ自分で決める薬を飲む飲まないキャンペーンに参加ください。
 
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2019021601001871.html

 精神科病院で手足をベッドにくくりつけるなどの身体拘束を受けた入院患者が、2017年度に全国で1万2千人強に上り、6割は高齢者だったことが厚生労働省の年次調査で分かった。施錠された保護室に隔離された患者も1万3千人近くいた。17年度から調査方法が変わったため、過去と単純には比較できないが、いずれも最多を更新した。

 精神保健福祉法で拘束や隔離が認められるのは、本人や他人を傷つける恐れなどがあり、指定医が「ほかに方法がない」と判断した場合に限られる。患者団体や専門家からは「安易に行われ、長時間の拘束で死亡する例もあり、人権侵害の恐れがある」との指摘が出ている。

転載元転載元: ニュース、からみ隊

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