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 正しい医療のために「疲労」の考察を  上雅也

 薬の依存症は医療問題の中の一つである。典型的な例といえるリタリンという薬は、処方できる医師を制限することによって物議は一応収まったが、医療全体にわたる課題を浮かび上がらせたともいえる。

  リタリンは、体のだるさなど、疲労感を消してしまう中枢神経興奮剤である。この薬で疲労感は速やかになくなるが、服用を続けると効きにくくなり、用量や回数を増やさざるを得なくなる。服用が途切れると日常生活が困難となり、薬に頼らなければ生きてゆけないとさえ感じる。場合によっては自殺に至ることもあり、乱用が問題視されていた。

  このような問題が起こる背景には、いまだ「疲労」についての認識が浅いことが挙げられる。メカニズムが分かっていないものを操作することが危険なことはいうまでもない。

  大阪市立大学病院は、疲労の専門外来を世界に先駆けて開設したことで知られる。従来は医療の対象と認められなかった疲労に対して、臨床での取り組みを行おうという試みである。

  この試みのなかで、私は次の点に注目している。一つはこれまで主観によってしか語られることのなかった疲労を、科学的な手法により客観的に測定しようとしていること、もう一つは、客観的測定によって得られた疲労の数値は、主観とは必ずしも一致しない、と考えていることである。疲労も自己診断はできないのだ。

  たとえは疲労の度合いの測定値が5としたとき、患者の感じる数値も5ならば問題なしとする。だが測定値は同じく5であっても患者の感じる数値がそれ以下ならば、要注意とする。

  つまり、疲労の測定値は同じでも、本人にそれに見合った疲労感があるほうは問題なく、無い方は問題なのである。むろん測定値が0であることがもっとも望ましいのだが、そうでなければ疲労感があるほうが良いとする。疲労は忌むべきつらさである。それを感じたほうが良いとは、まさに逆説だ。

  疲労を感じていれば、我々はそれを取ろうとして、無理を避け体を休めようとする。逆に何も感じなければいくらでも無理をしてしまう。疲労があるのに、それを感じないと疲労は蓄積する一方だが、感じていれば自然に取れるという考え方だ。そう聞けば納得がいく。

  このように分析してゆくと、リタリンを乱用することがなぜ危険なのかが分かる。うわべの症状だけを機械的に取るのみで、その背後にあるものを診断できていないのが問題なのだ。脳にできた腫瘍を治療することなく、神経をブロックして頭痛を止めることに夢中になるようなものである。

  疲労が体に与える影響は、単なる疲労感のみにとどまるとは私には思えない。さまざまな病気の悪化・回復と関係はないのか。免疫システムへの影響は。こうして考えを疾病全体に広げていくと、症状を消すのみの治療に弊害はないのか、診療科目が違えばまったく別の病気だから関係ないと言い切ってよいのか、という疑問もわく。

  大阪市立大学病院のような取り組みは現状としていまだ少数派である。薬の依存症を解決するため、また医療行為全般の持つ意味を再確認するためにも、疲労についてもっと理解しておく必要があると思う。そのとき我々は、病気というものにどのように係わり合い、どのように克服してゆくのか、考え方の大きな変革を迎えるのかもしれない。




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