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夜、ベッドで図書館から借りてきた本を読んでいると、後半部分、何だか紙がしっとりとしていました。
どうやら、鞄の中で、ポットのお湯が零れていた模様。
…………まずい
波打つ紙面に、「このまま返却しちゃえよ
でも、さすがにこれはまずいでしょう
という訳で、至急、代替の品を楽天さんで取り寄せて、昨日、図書館に謝罪に行ってきました。
訳を説明すると、係りの方が本の状態を見て、「これくらいなら大丈夫だと思うんだけど……」と、一言。
「いやいや、ヘニョヘニョになってますから
お姉さんは、「担当の者に聞いてきますね
待つ間の、長かったこと、長かったこと
戻ってきたお姉さんは、ニッコリと微笑みながら、一言。
「担当の者にも確認しましたが、大丈夫です
…………え〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ
「折角ご購入頂いたのですが、こちらの本は、どうかご自宅でお使いください
という訳で、代替の品を手に、図書館を後にしました。
書籍というより、雑誌形状のお掃除本だったので、あまり綺麗さを求めていなかったのかもしれません。
……確認してから買えばよかったです
でもまあ、正直に話したんだし、いいか
それにしても、年明け早々、「ヒャダ!」な事が続いて起こっています。
残る月日は、穏やかに過ごしてゆきたいものです……って、まだ一月も中旬。
何だか、バタバタとした一年になりそうです
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小説(短編)
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BL要素なしの、短編小説です。
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「SLEEPLESS」を投与して二十四時間後、塩基は元に戻った。そこまでは由佳利の時と全く同じだった。 だが、決定的な違いは塩基が戻った直後、自発呼吸を始めたことだった。 強く脈打つ心臓に、美しい波形を描く脳波。正常値を示すバイタルの数値に、周囲の人々は快方を信じ喜んだ。 しかし、私は手放しで喜ぶことが出来なかった。彼女が目を覚まし私の名を呼ぶまで、命の存在を確信する ことが出来なかったのだ。 温もりある小さな手を両手でしっかりと握り締め、彼女が目を覚ますのをひたすら待ち続けた。 一分、一秒が、永遠のように感じられた。何もせずただ待ち続けることが、これほど辛いものだとは思いも 寄らなかった。 私の寂寞は、彼女の寂寥でもある。 転生した彼女に前世の記憶はない。だが、魂に刻み込まれた思いが、彼女を私の元へと向かわせたのだ。 その思いを受け止めることなく、私は目の前にある亡骸に縋り、彼女を顧みようとはしなかった。決して 振り向かない背中を、彼女の魂は、一体どんな思いで見つめていたのだろうか。 「こんな愚かな男の所へ、君はもう一度戻ってきてくれるのかい?」 呟きと共に涙が零れ落ちた。刹那、固く閉ざされていた瞼がゆっくりと開いた。 「宮鈴君!?」 驚き立ち上がった弾みで、椅子が後方に倒れた。静寂に響いた耳障りな音に、ゆらゆらと揺れる水面のような 美しい瑠璃色の瞳が向けられた。 「宮鈴君!」 「はか……せ?」 「よかった……」 深い安堵に崩れるように、その場に跪いた。悔恨の涙は感涙へと代わり、意思とは関係なく湧き水のように 溢れ出した。 差し伸べられた細い指先が、そっと頬に触れる。 「どうして……泣いていらっしゃるのですか?」 涙の雫を拭う小さな手を、しっかりと握り締める。 「嬉しいからだよ」 「嬉しい?」 「君が戻ってきてくれて」 自分が倒れたことも、ましてや脳死状態に陥っていたことも知るはずのない彼女は、一瞬、不可解な顔をした。 だが、すぐに南国の大輪の花を思わせるような、鮮やかな笑みを浮かべた。 「私はどこにも行きませんよ、博士。ずっと傍にいます」 「ああ……そうだったね。君は、ずっと傍にいてくれたんだったね」 至極当然とばかりに告げられた言葉は、喪失感に十八年間苛まれた心を潤すのに、充分すぎるものだった。 その後、数多くの臨床試験を繰り返した結果、「SLEEPLESS」は発症後、三十六時間以内に投与 しなければ効果がないことが分かった。私の論文に各国の識者達は、更なる効用を求め躍起になった。 だが、いくら研究を続けたところで、発症から三十六時間過ぎた肉体を蘇らせることは、不可能だろう。 恐らく、三十六時間というのは、肉体が魂を引き止めておけるタイム・リミットなのだ。 そう悟った私は、新薬の開発部門を退き、病を発症させないための研究部門へと移った。 無論、一人ではない。 今も私の傍らには、真剣な面持ちで試験管を振る彼女の姿がある。
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研究所に戻った私を、ベッドに横たわったままの由佳利が、穏やかな眼差しで迎えてくれた。 傍らに置かれた椅子に腰を下ろし、そっと額に手を当てる。しっとりと手に馴染む肌の感触が、 心地良かった。そのまま頬を撫で、布団の上に置かれた手の甲を包み込む。 「今日、宮鈴君が倒れた。由佳利と同じ病だ。もう、知っているね」 言葉の代わりに、由佳利は深い瞬きをした。 黒曜石のような輝きを放つ、澄んだまっすぐな眼差しが好きだった。 「このまま彼女が眠り続ければ、君は完全に覚醒し、元の生活を送ることが出来るかもしれない」 生真面目な気質を表すかのように、仕事中は、いつもきっちりと纏められていた長い黒髪。その髪が 解かれ、芳しい香りと共に、はらはらと流れ落ちる姿に魅せられた。 「また一緒に研究が出来るようになるんだ」 ピンと背筋を伸ばし、試験管を振る凛とした姿が美しかった。何より研究に取り組む一途な姿勢に、 心惹かれた。 「何もかもが、元通りになる」 何の前兆もなく、突然、閉ざされた二人の世界。当たり前の日常を取り戻し、未来を築くことを夢見て、 生活の全てを研究に費やした。 「十八年間だ」 言葉にするのは容易い。 だが、その間、数え切れないほどの障壁に遭い絶望を味わった。 「本当に……長かった」 気の遠くなるほどの年月を投げ出さず、ここまでこられたのは、愛する者と共に歩みたい、ただそれだけ だった。 「でも君は、傍にいてくれたんだね」 小さく笑む由佳利の姿に、一人の女性の姿が思い浮かんだ。 頭一つ分違う小さな細い肢体からは想像できない、生命力溢れる姿に元気をもらった。肩先まで伸びた 波打つヘイゼルの髪を弾ませ、向けられる目映いほどの笑顔に、心救われた。 吸い込まれそうな澄んだ瑠璃色の瞳に、絶望は希望へと変わっていった。 「彼女に『SLEEPLES』を投与するよ」 新薬を投与したところで、彼女の魂は戻ってこないかもしれない。このまま由佳利の中に留まるのか、 あるいは別の器に生まれ変わるのか。それは誰にも分からない。 ただ、一つだけはっきりしていることがある。 それは、彼女を失いたくないということ。 地位も名誉も全て失ってもいい。どんな罵声も雑言も受け入れよう。犯罪者と呼ばれたって構わない。 ただ、彼女だけは失いたくなかった。 「すまない……由佳利」 凍結保存は由佳利が望んだことではない。むしろ由佳利は、人体の凍結保存に関し否定的だった。 だが、死を受け入れることが出来なかった私は、新薬の開発に望みをかけ、眠る由佳利をカプセルの中へと 閉じ込めた。 それなのに――。 いつのまにか私は、由佳利と共に過ごした年月の倍以上を、彼女と過ごしていた。 「本当に……すまない」 最後の一音は、涙の雫に吸い込まれていった。 まさか自分の心が移ろうなどとは、考えてもみなかった。だが、傾き出した心を、私にはどうすることも 出来なかった。 膝の上に置いた拳を握り締め、嗚咽を漏らす白衣の袖口を、由佳利が弱々しく引いた。 驚き顔を向けた私に、由佳利は包み込むような眼差しで、優しい笑みを浮かべた。そして、自分の首に 装着された人口呼吸器を指差し、顔を小さく左右に振った。それは外してほしいという、紛れもないシグナル だった。 「すまない、由佳利! 私は――」 何と愚かで罪深いことをしたのだろうか。 激しい自責の念に泣き崩れ、震える私の頭を温もりに満ちた掌が優しく撫でた。それは咎を許し、全てを 浄化してくれる慈愛に満ちた、酷く温かなものだった。
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宮鈴君の勤怠表を前に、私は深い溜息を漏らした。彼女が睡眠中と思われる時間と、由佳利の覚醒時間が、 見事なまでに符合したのだ。 彼女がノンレム睡眠に入ったと思われる時間帯にだけ、由佳利は目を覚ます。つまり、意識が完全に失われた 状態の時にだけ、由佳利は目を覚ますということだ。 そのデータが意味するもの。 それは魂の転生。 「そんなばかなこと……」 あるはずがない。 仮にも自分は科学者だ。そんな非科学的なことを信じられるはずがない。 そんな否定的な思いとは裏腹に、肯定的な結果を示すデータの存在に、頭を抱え込んだ。 輪廻という現象が起こりうるものだとしたら、人は肉体が滅んだ瞬間、次の器へと転生することになる。 転生した以上、元の器は屍でしかない。いくら元通りに復元したところで、復活を遂げることはないという ことだ。 「だとしたら……由佳利は……」 絶望にベッドへと視線を移す。 血の通った頬は紅色に染まり、光沢のある黒髪が、白いシーツの上に美しい波紋を描いていた。露に濡れた 花びらを彷彿させる唇は、意志の強さを物語るかのようにきつく引き結ばれ、長い睫が白い肌に濃い影を 落としていた。 この姿のどこが屍だというのだろうか。 今にも起き出し、自分の名を呼びそうな寝姿を、私はどれほどの間、眺めていたのだろうか。突然、閉ざされて いた眼差しがゆっくりと開いた。 今、宮鈴君は勤務中のはず。やはり輪廻転生など、ばかげた妄想に過ぎなかったのだ。 安堵を覚え、深い溜息を漏らした瞬間、ジュラルミンの扉がシャープな音をたて左右に開いた。 「博士、大変です! 宮鈴さんが――」 顔面蒼白で飛び込んできた男性スタッフの言葉に、血の気が一気に引き、頭の中が空洞と化すのを感じた。 私はこの部屋を知っていた。 十八年前、由佳利が倒れた時も、私は成す術もなく、ただ呆然とベッドの横に佇んでいた。 そして今、生命維持装置に繋がれ、同じ病で同じベッドに眠る、別の女性を同じように見つめていた。 「なぜ……」 瑠璃色の瞳は固く閉ざされ、肉厚の薄い薄紅色の唇には、人工呼吸器が嵌め込まれていた。 彼女に初めて会った日のことは、今でもはっきりと覚えている。ヘイゼルの軽く波打つ髪と瑠璃色の瞳は、 フランス人形のように美しく西洋的であったが、東洋人特有のどこか幼さの残る面立ちをしていた。長身の 由佳利とは対照的な細く小さな肢体に、正直、やっていけるのだろうかという不安を覚えた。だが、一緒に 研究を始めるようになって、すぐにそれは杞憂だと気付かされた。 彼女の解析能力の高さと知識の豊富さには、長年研究に携わっていたスタッフですら、及ばないことがあった。 一度、何故、遺伝子の研究をしようと思ったのか尋ねたことがあった。すると彼女は一言「博士と一緒に お仕事がしたかったからです」と、満面の笑みで答えた。 意味が分からず小首を傾げる私に、彼女は幼い頃、テレビで研究発表をする私を見て、この人の傍にいたいと 思ったこと。そのために懸命に勉強をして、ステップで大学を十五歳で卒業したことを話してくれた。 ほんのりと頬を上気させ、気恥ずかしさと嬉しさの入り混じったような、何とも表現しがたい顔で話す 彼女の姿を、私はいまでもはっきりと覚えている。 それなのに――。 「私は再び愛する人を失わなければならないのか……」 無意識のうちに零れ落ちた言葉に、目を瞠った。 「愛する……人?」 繰り返し呟いた言葉は余りに自然で、私は自分の思いに愕然とした。
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だが、私が見たものは、夢でも幻でもなかった。その後、由佳利は時折、目を覚ますようになった。 一週間のデータによると、覚醒時間は一日に三時間から四時間程度。そのほとんどが深夜で、日中目を 覚ますことも時折あった。 「私、由佳利さんに嫌われているんでしょうか」 唐突に呟かれた言葉に、パソコンを打つ手を休め、バイタルサインのチェックをする宮鈴君へと顔を向けた。 「どうしたんだい? 急に」 「だって、私以外のスタッフは全員、由佳利さんが目を覚ました姿、見ているんですよ。私だけ見られないなんて、 嫌われているとしか思えません」 明らかに不服と思われる面持ちに、苦笑した。 「嫌うもなにも、君が入所した時には、既に由佳利は眠っていたじゃないか」 「そうですけど」 「だったら今夜、この部屋に泊まっていったらどうだい?」 「いいんですか!?」 提案に彼女は瞳を輝かせ、振り返った。 「ああ。私も今夜は泊まり込みの予定だ。目を覚ましたら、起こしてあげよう」 「そんな! 私も起きています!」 拳を握り締め、力強く断言した彼女だったが、日々の疲れが蓄積していたのだろう。睡魔の力に抗い きれなかったのか、気付くと明け方近く、マウスを握り締めたまま机に突っ伏し、眠り込んでいた。 微笑ましい姿に風邪をひかせてはと思い、ベッドの下から予備の肌布団を出そうとした瞬間、由佳利が 私の方を見ていることに気付いた。 「宮鈴――」 咄嗟に名を呼び、近付こうとした動きを制するかのように、由佳利の指が弱々しく白衣の裾を摑んだ。 呼びかけに反応を示すことはあったが、身体を動かしたのは今日が初めてだった。 瞠目する私に、訴えるような眼差しを由佳利は向けた。 「何が言いたいんだ? 由佳利!」 喉を切開し、人工呼吸器を装着しているため、声を発することは出来ない。だが、揺れる瞳は何かを必死に 訴えていた。言葉でしか意思の疎通が図れないことに、軽く苛立つ。 何か手立てはないかと、焦燥感に駆られる私の白衣から、指先が離れていった。小刻みに震える人差し指が、 ある方向を指す。 示された先に視線を移す。 机の上に置かれたパソコンに、山と積まれた書類。この中に、由佳利が完全に覚醒するヒントが隠されて いるというのだろうか。 「何を指しているんだ? パソコンか? データか?」 問いかけを否定するかのように、伸ばされた指先は、ある一点に向けられたままだった。 指先の示す先を再度、視線でおってゆく。 先程候補に上げた以外で、視界に入るもの。 「宮鈴……君?」 雑然と積まれた書類の中、埋もれるようにして眠る小さな背中があった。 「彼女が何か知っているというのかい?」 だが、彼女は覚醒には立ち会ったことはないと言っていた。その彼女が何かを知っているとは思えなかった。 疑念に眉根を顰め、由佳利を見た。次の瞬間、震える指先がゆっくりと動き、自分の顔を指した。 「由佳利?」 一体、彼女は何が言いたいのだろうか。 宮鈴君と由佳利。 二人の共通点といえば、十五歳で大学を卒業したということ。遺伝子の研究において他の追随を許さず、 名を馳せていること。 二人の経歴は驚くほど似ていた。 まるで……次に浮かび上がった言葉を、私は無意識のうちに飲み込んでいた。 「まさか――」 心臓が早鐘のように鳴り響き、軽い浮遊感を覚えた。 「まさか……そんなこと……」 枯渇したかのような掠れた声に、由佳利は微かに口角を上げ、小さく頷いた。
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