心の趣くままに

捨て猫、ミオッチ。ただいま密かにダイエット中!しかし変わらぬウエスト周りに、最近では、ゴン太と呼んでいます(^_^;)

小説(ショート)

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 塔子さんが大事にしている花壇は、風のように吹き荒れる妖によって、嵐にでもあったように滅茶苦茶だ。

 膝の高さほどしかなかった人の形をした真っ黒な妖は、人々の邪心を吸って、今では見上げるほどの背丈へと成長していた。

 塔子さんに被害が及ぶのを恐れて、家から引き離すよう何度も試みた。

 けれども、縦横無尽に動き回る妖の攻撃をかわすのが精一杯で、自分の意思で何かを行うということは、到底不可能だった。

『お命頂戴仕る』

 正面からの攻撃をかわし、後方の妖を振り返ろうとした瞬間、バランスを崩した。

 倒れそうになる身体を必死に止め、振り向けた顔の先に、大きな口を開けた、真っ黒な妖の姿があった。

「危ない、夏目!」

 息がかかりそうなほど近づいた妖に、ニャンコ先生が体当たりした。

 短い呻き声と共に、妖の軌道が逸れた。

 疾風の如き勢いで、妖が左頬を掠める。

 火傷のような熱が、一瞬、頬の上を走った。

「先生!」

 招き猫姿のままの先生の身体は、体当たりの衝撃に鞠のように地面を転がり、板塀にぶつかった。

「大丈夫か!? 先生!」

 脳震盪を起こしているのか、先生は起き上がらない。

「どうしたの、貴志君」

 柔らかな声音に驚き振り返った。

「塔子さん!?」

 庭での騒ぎが外まで聞こえたのだろう。

 買い物から帰ってきた塔子さんが、提げた荷物をそのままに、裏庭に姿を現した。

 まずいと心の中で呟くのと、炎のように揺らめく真っ赤な眼差しが塔子さんを捕らえるのは、ほぼ同時だった。

『お命頂戴仕る』

 何が起きているのか分からない様子で、目を瞬かせる塔子さんに吸い寄せられるように、妖が動く。

「危ない! 塔子さん!」

 妖と塔子さんの間に立ち、名取さんから借りた魔封じの鏡を妖に向ける。

「汝、我に力及ばず。封印を持って、この世との理を絶つ」

『ぐぎゃ――-っ!』

 鏡から発せられる目も眩む強い光に、耳を突き破るような悲鳴を上げて、渦を巻くようにして妖が鏡の中に吸い込まれてゆく。

 鏡を持つ手に響く振動は激しく、両手で柄を力一杯握りしめたまま、後方へ身体が反れそうになる。

 歯をくいしばり、足に力をこめ、何とか踏みとどまる。

 消えてゆく叫び声と共に、鏡から発せられる光は徐々に弱まった。

 訪れた静寂に、緊張から解かれた心が、身体を覆う疲労を呼び、力なく膝が折れた。

「貴志君!?」

 弾かれたように正面に回った塔子さんが腰を落とし、俺の顔を覗き込む。

「大丈夫!?」

 心底心配した様子の塔子さんの顔が、目の前にあった。

 初めて会った時、とても優しそうな人だと思った。

 柔らかな眼差しに、救いを求めるように気持ちが揺れた。

 包み込むような声音に、この人と一緒に暮らしたいと、心から願った。

 願いが叶った時は、本当に嬉しかった。

 同時に、後ろめたい思いも感じた。

「塔子さん……俺……」

 本当の子供のように愛情を注いでくれる塔子さんに、俺は自分を正直に話せていない。

「なあに? 貴志君」

 初めて会った時と変わらぬ眼差しで、優しい声音で、塔子さんが問いかけてくる。

 本当のことを話せば、気味悪がるかもしれない。

 頭のおかしい子供だと思って、遠ざけるようになるかもしれない。

 最悪、この家を出て行かなければならないかもしれない。

「妖が……見えるんです」

 それでも良かった。

 これ以上、塔子さんを騙していることに耐えられなかった。

 まっすぐに愛情を向けてくれる、誰よりも大好きで、誰よりも大切な塔子さん。

 彼女に嘘をつき続けるくらいなら、離れて暮らすことになっても構わないと思った。

 俺の言葉に、塔子さんは薄茶の瞳を大きく見開いた。

 呆れただろうか。

 嘘吐きと思われただろうか。

 嫌われただろうか。

 慈愛に満ちた眼差しが、嫌悪に変わるのを見たくなくて、何かを紡ぎだそうとする唇から逃れるように、視線を落とした。

「知っていたわよ」

 変わらぬ柔らかな声音で綴られた言葉に、驚き塔子さんを見た。

 包み込むような、温かな眼差し。

 緩やかな弧を描く、穏やかな唇。

 いつもと変わらない優しい姿に、言葉も出ず、身動きも出来ないまま、ただ塔子さんを見つめた。

「貴志君が、私達に見えないものが見えていること、知っていたわよ」

「知って……いた?」

 自分でも声が震えているのが、はっきりと分かった。

 全力疾走した時のように、鼓動が意識を刻む。

 狼狽する俺を安心させるように、更なる笑みが、慈しむように塔子さんの口元に花開く。

「ええ。滋さんと、いつも話していたのよ。貴志君は、一体どんな世界を見ているんだろうって」

 塔子さんの右手が、傷付いた左頬にそっと触れた。

「私達も、同じものが見られたらいいのにねって」

 塔子さんは、知っていたのだ。

 自分が、人ならざるものが見えていることを。

 知っていてもなお、変わらぬ眼差しで包み込み、惜しみない愛情を注いでいてくれたのだ。

 その愛情の深さに、視界が滲み涙が溢れ出す。

 止め処なく零れ落ちる涙を、塔子さんの手が優しく包み込む。

「知っていること、もっと早くに話しておくべきだったわね」

 塔子さんは、自分が思っているよりずっと、自分のことを見ていてくれたのだ。

 それなのに俺は、妖が見えることが分かってしまうことに怯え、嘘を吐き、本当の自分を隠し続けた。

 何て愚かだったのだろう。

 こんなにまっすぐに愛してくれる人に、何て不誠実だったのだろう。

 与えられる愛情の深さと、自分の浅はかさに耐え切れず、傾いだ身体は、塔子さんに優しく抱きとめられた。

「辛い思いをさせていたのね。ごめんなさいね」

 幼子をあやすように、掌が背中を滑る。

 温かな掌の感触に、ずっとここにいていいのだと言われているような気がした。

「ごめんなさいね、貴志君」

 春の日差しのような声が、胸の奥底まで優しく差し込む。

 その穏やかな光に、心の奥底に常に存在していた、孤独や恐れや不安が、跡形もなく消えてゆくのを感じた。

 何も言葉を発することの出来ない俺は、母親の腕のような温もりの中、ただひたすらに、号泣するだけだった。





「貴志くーん! そろそろ行かないと遅れるわよ!」

「はーい」

 階下からの塔子さんの声に、俺は制服の上着に袖を通すと、机の上に置かれた鞄をつかんだ。

「それじゃ、行ってくる。ニャンコ先生!」

「気をつけてな、夏目」

 布団の上で丸まったまま、目も開けないままのニャンコ先生の声を背中に受け、急いで階段を駆け下りる。

「あらあら、貴志君。そんなに慌てたら、転ぶわよ」

 コロコロと楽しげな声で、塔子さんが笑いながら、手にした包みを差し出す。

「はい、お弁当」

「ありがとうございます」

 手にした弁当は、愛情の深さを示すように、ズシリと重い。

「いってらっしゃい、貴志君」

 初めて会った時と変わらぬ笑顔で、いつもと同じ挨拶を、塔子さんが刻む。

 変わらないということが、どれだけ幸福か、変わってゆく人の心ばかり見てきた俺は、泣きたくなるくらいよく分かっていた。

「いってきます」

 塔子さんが優しく笑う。

 変わらぬ未来を確約するような笑顔に、俺は迷いのない一歩を踏み出した。



















これは何――!?

と、思われたことでしょう。

これは、「夏目友人帳のラストは、こんな風だったらいいな〜」という、私の希望です。



実は、塔子さんも滋さんも、夏目が人ならざるものが見えていることを知っていて、

でも、それは夏目自身とは、全然関係ないことだと思っていて、

ちゃんと、夏目の全てを理解していて、愛している。



という感じのラストを、切望したりしています。



目下の夏目の悩みは、二人に妖が見えていることを知られること。

そのこのとせいで、一緒に暮らせなくなってしまうこと。



でもね、きっと二人なら、夏目の話をちゃんと聞いて、理解してくれるよ。

だから、心配いらないよ。


不安に揺れる夏目に、そう言ってあげたくて、書いたお話です(*^o^*)

 丈夫だけが取り得だった。だから長く続く微熱も、夏風邪のせいだと思っていた。ボールを蹴った所が

紫色のあざになるのも気に留めなかったし、疲れやすいのも暑さのせいだと思っていた。

 十二歳を迎えた夏、俺はサッカーの試合中に鼻血を出して倒れ、そのまま入院となった。

 病名は「急性リンパ性白血病」。

 無論、医師や両親が告知するはずもなく、病名を知らされたのは、ずっと後になってからのことだった。

だが、無菌室に入れられた時点で、ドラマなどでよく悲劇のヒロインが掛かる「白血病」ではないか、

という疑いを密かに持った。

 しかし、それを周囲の大人達に問うことはしなかった。微笑む母の目が、いつも真っ赤なこと。仕事で

忙しいはずの父が、面会時間に必ず病院を訪れること。ガラス越しに伝わってくる両親の必死の姿に、

何も知らずに通すことが正しいのだと、幼いながらに理解した。

 だがそんな気遣いは、化学療法が始まった途端、吹き飛んだ。抗がん剤が投与された日から、激しい

目眩と発熱、嘔吐に襲われ、倦怠感にベッドから起き上がることすら出来なくなった。二週間後には、

口内炎と下痢のせいで口から食べ物を摂ることが出来ず、点滴で栄養を補給する日々が二ヶ月も続いた。

 友達との面会を楽しむ余裕もなく、抜け落ちる髪の毛に、差し入れられた手編みの帽子を、ガラスの

向こうの母に向かって投げ付けた。ガラスまで届くことなく、真っ白な帽子が床に落ちるのと、母の瞳から

涙が零れ落ちたのは、ほぼ同時だった。

 母の涙は病気になったのと同じくらい、衝撃的だった。以降、涙は零しても、不平は漏らすまいと固く

決意し、副作用の辛さに耐えた。

 半年後、完全寛解(血液の中に白血病細胞が無くなった状態)となり、その状態を維持するための強化

療法へと、治療は移行された。三年にも及ぶ維持療法を続けた結果、僅かに残った白血病細胞は絶滅した。

 医師から「治癒した」という言葉を貰ったのは、発病から五年半後、十七歳の冬のことだった。

 長い闘病生活の中で学んだことは、数多くあった。命の尊さは勿論、何事にも諦めず、全力を尽くす

大切さを、医師や看護師から教えられた。何より両親から与えられる無償の愛に、言葉では言い尽くせ

ない、感謝の気持ちを抱いた。それは「青春時代」という時間を代償にしても悔いのない、価値あるもの

だった。

 自分の経験を役立てた仕事をしたい。そんな思いから進学を決めた薬学部に、彼女はいた。

 小柄で色白な、目鼻立ちのくっきりとした彼女を入学式で見た瞬間、恋に落ちた。それは、今まで経験

したことのない甘く切ない、鼻の奥がツンとくるような感覚だった。

 彼女に思いを寄せる男子学生は、数多くいた。だが、彼女には好きな人がいて、その人からの告白を

待っているのだという噂を耳にした。自分とは無縁の話だと思っていた俺は、ただ彼女と同じ講堂で、同じ

時間を共有出来るだけで満足だった。まさか好きな人というのが自分だとは、夢にも思わなかった。

 そんな不甲斐無い俺に業を煮やしたのか、夏休み直前、彼女の方から告白を受けた。熱心に講義に耳を

傾ける姿や、ボランティア活動に取り組む姿に惹かれたのだと彼女は言った。

 彼女の言葉に心拍数が上がり、血流が早まるのを感じた。舞い上がった気持ちのまま、自分も好きだと

叫んで抱き締めたい衝動に駆られた。だが、俺には彼女の思いも、自分の気持ちも、素直に受け止める

ことは出来なかった。

 勉強に専念したいからと断わろうとした俺に、彼女は一緒に講義を受けたり、学食を共にするだけで

十分だと言った。他に好きな人がいるからと、常套句で断わろうとしたが、それでも好きな気持ちは

変わらないと言われた。

 遂に根負けした俺は、かつて自分が白血病を患い、放射線治療のせいで子供が作れない身体になって

しまったことを告げた。一瞬瞠目したものの、そんなことは取るに足らない些末なことだと、彼女は一笑に

付した。その凛とした姿に、俺の考えは一転した。

 俺にとっての遅い春は、目眩がするほど芳しく、鮮やかなものだった。日を追うごとに愛おしさは増し、

四年という月日が、夢のように流れていった。

 それぞれ就職先が決まり、後は卒業式を待つばかりとなった、穏やかな冬の日、突然彼女が倒れた。

 病院に運ばれた彼女に下された病名は「急性骨髄性白血病」。

 いくら不治の病ではなくなったといえ「血液の癌」と呼ばれる病名に、彼女は泣き崩れた。

 嗚咽を漏らし、細い肩を震わせる彼女抱き締めた瞬間、俺は思った。

 この日のために、自分はあの忌々しい病気にかかったのではないかと。彼女の気持ちを理解し、共に歩む

ために、あの辛い日々があったのではないかと。

 そう、今ならはっきりと言える。全ては今日という日のためにあったのだと。

 知らせを聞いたのは、半年に及ぶ長いコンサート・ツアーの最終日、三度目のアンコールを終え、控え室に

戻った直後のことだった。

 コンサート前、彼女が控え室に顔を出さなかったことに対し、不安がなかったわけではない。だが仕事の都合で

行けないかもしれないと聞かされていたので、そう深く考えることもなかった。

 その彼女が、今、目の前に横たわっている。酸素マスクを付け、体中のあちらこちらからチューブを垂らし、

点滴の針を左手に刺して。

 ほんの少し、車に接触しただけだったという。そのせいか目立った外傷もなく、まるで眠っているかのようだった。

 右手にそっと触れてみる。

「小夜……」

 伝わる温もりに確かな命の鼓動を感じ、愛しい人の名を呼んだ。だが固く閉じられた瞳は開くことなく、

静寂に計測器の音だけが空しく響いた。

 医者から、彼女は脳死状態だと告げられた。名前を呼んでも決して答えることはなく、装置を外せば死が

訪れるという。その現実を、俺にはどうしても受け入れることが出来なかった。

 すぐにでも目を覚ましそうな美しい寝顔を、俺はただ、じっと見つめていた。一時間、二時間……あるいは

それ以上。遮断された部屋で、時間の概念が失われつつある中、ふと背後に人影を感じ振り返った。

 そこには、今時珍しいほどのまっすぐな黒髪に、黒曜石の瞳を持つ一人の青年の姿があった。漆黒のフロック

コートを身に纏っていることから、病院関係者でないことは明白だ。だが自分は勿論、小夜の知り合いの中にも

見知った顔はない。

「誰だ? あんた」

「彼女を助けたいですか?」

 問いかけに問いかけで返答する姿に、眉根を顰める。

「何言ってやがる。あたりめえだろう」

「でしたらあなたの、視覚・聴覚・嗅覚・声帯・腕・足のうち、一つを差し出して下さい」

「あ?」

「等価交換です」

 等価交換とは、価値の等しいものどうしを交換するということくらい、馬鹿な俺でも分かる。だが青年の

言わんとしていることは、理解出来なかった。

 彼女を助ける。

 視覚・聴覚・嗅覚・声帯・腕・足のうち、一つを差し出す。

 青年の言葉を心の中で復唱するうち、俺はあることに気付いた。まさか―

「俺の持ってる何かを一つ出せば、小夜は目を覚ますってえのか?」

「そうです」

 それが至極当然のように、青年は答えた。

 ばかばかしい。そう思いながらも、青年を無視することが出来なかった。

「本当に……助けてくれるのか?」

「はい」

「おまえ……悪魔か?」

 零れた言葉に青年は何も答えず、ただ穏やかな笑みを浮かべるだけだった。

 俺は、夢を見ているのだろうか。

 夢でも何でもいい。小夜が目を覚ましてくれるのなら。

 美しい小夜を見るために、視覚は必要だ。涼やかな声音を聞くための聴覚も必要だし、芳しい匂いを感じる

ための嗅覚も必要だ。抱き締めるためには腕が、共に歩むためには足が欠かせない。だとしたら―

「声だ……声をやる」

「もう二度と、歌うことが出来なくなってしまいますよ」

「かまわねえ」

「彼女の名を呼ぶことも、出来なくなってしまいますよ」

「こいつから呼んでもらえれば十分だ」

「分かりました。では、声帯を頂きましょう」

 微笑を閃光が掻き消した。咄嗟に目を瞑り手を翳す。どれだけそうしていたかは分からない。気付くと、

目の前から青年の姿は消えていた。

 やはり夢だったのだろうか。

「んっ……」

 吐息のような声に驚き、振り返った。生気を失った真っ白な頬に赤味が差し、長い睫毛が小刻みに震えていた。

固唾を呑んで見守る中、閉ざされていた瞳がゆっくりと開いた。

「……てる……ちゃん?」

 目を見開く俺の姿が、揺れる眼差しにくっきりと映っていた。

 小夜!

 しかし、叫びは声にならなかった。その瞬間、俺は青年と交わした約束を思い出した。

「どうしたの? 照ちゃん」

 言葉の代わりに、心配そうに見詰める小夜の小さな頭を、しっかりと抱き締めた。

『ミス・合理主義』

ミス・合理主義。


長身でスレンダーなボディに、日本人離れした容貌を持ったあなたを、憧憬と嫉妬を込めて、皆そう呼ぶ。

容姿だけでなく、その行動にも一切無駄のないあなた。

まるで余暇なんて言葉、知らないかのように、流れるような所作で次々と仕事や雑事をこなしてゆく。


学生時代のレポートも、あなたは必ず締め切り三日前には提出してたよね。

部屋はいつもきちんと片付いていて、装飾品の類は一切無く、とても女子大生の部屋とは思えなかったよ。


社会人になっても、あなたは何等変わることはなかったね。

三時間で終わると宣言すれば、きっちり三時間でオペを終え、二時間ほど仮眠をとると言えば、

二時間後には、きっちりと戻ってくる。


自分にも他人にも厳しいあなた。


医学部時代、同じ班の男子学生が解剖に失敗して、別のマウスに手を伸ばした時、

「真剣にやりなさい!」と、実習室中に響き渡るような大きな声を出したよね。

あの声には、側にいた私もびっくりしたよ。思わず持っていたシャープペン、落としてしまうほどにね。

あれ以来、男子学生達は、あなたを敬遠するようになった。


でもね、私は知ってるよ。


あなたが、ミスを責めたんじゃないってこと。

あなたは、マウスだからといって、その命が軽んじられたことが許せなかったんだよね。

医学部時代の六年間、校舎の裏庭にひっそりと建てられた「動物慰霊碑」に、あなたがずっと

花を供えていたこと、私は知っています。


交通事故で運ばれてきた幼い男の子が亡くなった時、泣いて次の急患の処置に取り掛かろうとしない

研修医に「患者が亡くなったら、あーあと思え!」と叫んだよね。血も涙もないとか、

医者として不向きだとかいう罵詈雑言、あなたの耳にも届いていたと思う。


でもね、私は知ってるよ。


あなたは、こう言いたかったんだよね。

「今亡くなった患者のことは、次の患者には関係ない。だから今目の前にいる、患者の治療に集中しろ」

って。

研修医時代、寝る間を惜しんで他の病院にアルバイトに行き、色々な先生からオペの技術を

盗んでいたこと、私は知っています。


「あなたみたいなおっとりとした人が、あんなきつい人と友達でいられるなんて不思議」とよく言われるけど、

全く逆。よくこんな不出来な私と友達でいてくれたと、心の底から感謝してるよ。


そんなあなたに少しでも近付きたくて、私は小児科医ではなく外科医になる道を選んだんだ。

その方が、たくさんの子供達の命を救えるものね。


お互い研修を終え、外科へと配属が決まった時、ある約束をしたよね。もしどちらかにオペが必要になった時、

相手のオペは自分の手でしようって。

この約束は、私の方が断然有利だったんだよ。

だって、あなたは第一外科のエースになるだろうと言われるほどの逸材。

私の方は、何故外科を選んだのかと首を傾げられるような凡人。

だからこの約束は、あなたには凄く不利だったんだよ。


だからね、きっと神様は、私の方に腫瘍を作ったんだと思う。あなたなら、絶対大丈夫だからって。

カンファレンス・ルームで、私のオペの説明をしている時、突然、あなたは言葉を詰まらせ、

涙を零したよね。

自分のためには、絶対涙を流さなかった、強いあなた。

そんなあなたが、私のために泣いてくれたこと。

凄く嬉しかったし、誇りに思う。


だから、そんな心配そうな顔しないで。これじゃあ、どっちがクランケか分からないよ。

あなたなら絶対大丈夫。信じてるからね。


そろそろ麻酔が効いてきたみたい。眠くなってきちゃった。もう眠るね。

この次目を覚まし時、真っ先に見るものは、きっとあなたの笑顔なんだろうな。

「大丈夫。無事終わったよ」という、誰よりも力強く優しい声と共に。

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七海 華
七海 華
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