|
塔子さんが大事にしている花壇は、風のように吹き荒れる妖によって、嵐にでもあったように滅茶苦茶だ。 膝の高さほどしかなかった人の形をした真っ黒な妖は、人々の邪心を吸って、今では見上げるほどの背丈へと成長していた。 塔子さんに被害が及ぶのを恐れて、家から引き離すよう何度も試みた。 けれども、縦横無尽に動き回る妖の攻撃をかわすのが精一杯で、自分の意思で何かを行うということは、到底不可能だった。 『お命頂戴仕る』 正面からの攻撃をかわし、後方の妖を振り返ろうとした瞬間、バランスを崩した。 倒れそうになる身体を必死に止め、振り向けた顔の先に、大きな口を開けた、真っ黒な妖の姿があった。 「危ない、夏目!」 息がかかりそうなほど近づいた妖に、ニャンコ先生が体当たりした。 短い呻き声と共に、妖の軌道が逸れた。 疾風の如き勢いで、妖が左頬を掠める。 火傷のような熱が、一瞬、頬の上を走った。 「先生!」 招き猫姿のままの先生の身体は、体当たりの衝撃に鞠のように地面を転がり、板塀にぶつかった。 「大丈夫か!? 先生!」 脳震盪を起こしているのか、先生は起き上がらない。 「どうしたの、貴志君」 柔らかな声音に驚き振り返った。 「塔子さん!?」 庭での騒ぎが外まで聞こえたのだろう。 買い物から帰ってきた塔子さんが、提げた荷物をそのままに、裏庭に姿を現した。 まずいと心の中で呟くのと、炎のように揺らめく真っ赤な眼差しが塔子さんを捕らえるのは、ほぼ同時だった。 『お命頂戴仕る』 何が起きているのか分からない様子で、目を瞬かせる塔子さんに吸い寄せられるように、妖が動く。 「危ない! 塔子さん!」 妖と塔子さんの間に立ち、名取さんから借りた魔封じの鏡を妖に向ける。 「汝、我に力及ばず。封印を持って、この世との理を絶つ」 『ぐぎゃ――-っ!』 鏡から発せられる目も眩む強い光に、耳を突き破るような悲鳴を上げて、渦を巻くようにして妖が鏡の中に吸い込まれてゆく。 鏡を持つ手に響く振動は激しく、両手で柄を力一杯握りしめたまま、後方へ身体が反れそうになる。 歯をくいしばり、足に力をこめ、何とか踏みとどまる。 消えてゆく叫び声と共に、鏡から発せられる光は徐々に弱まった。 訪れた静寂に、緊張から解かれた心が、身体を覆う疲労を呼び、力なく膝が折れた。 「貴志君!?」 弾かれたように正面に回った塔子さんが腰を落とし、俺の顔を覗き込む。 「大丈夫!?」 心底心配した様子の塔子さんの顔が、目の前にあった。 初めて会った時、とても優しそうな人だと思った。 柔らかな眼差しに、救いを求めるように気持ちが揺れた。 包み込むような声音に、この人と一緒に暮らしたいと、心から願った。 願いが叶った時は、本当に嬉しかった。 同時に、後ろめたい思いも感じた。 「塔子さん……俺……」 本当の子供のように愛情を注いでくれる塔子さんに、俺は自分を正直に話せていない。 「なあに? 貴志君」 初めて会った時と変わらぬ眼差しで、優しい声音で、塔子さんが問いかけてくる。 本当のことを話せば、気味悪がるかもしれない。 頭のおかしい子供だと思って、遠ざけるようになるかもしれない。 最悪、この家を出て行かなければならないかもしれない。 「妖が……見えるんです」 それでも良かった。 これ以上、塔子さんを騙していることに耐えられなかった。 まっすぐに愛情を向けてくれる、誰よりも大好きで、誰よりも大切な塔子さん。 彼女に嘘をつき続けるくらいなら、離れて暮らすことになっても構わないと思った。 俺の言葉に、塔子さんは薄茶の瞳を大きく見開いた。 呆れただろうか。 嘘吐きと思われただろうか。 嫌われただろうか。 慈愛に満ちた眼差しが、嫌悪に変わるのを見たくなくて、何かを紡ぎだそうとする唇から逃れるように、視線を落とした。 「知っていたわよ」 変わらぬ柔らかな声音で綴られた言葉に、驚き塔子さんを見た。 包み込むような、温かな眼差し。 緩やかな弧を描く、穏やかな唇。 いつもと変わらない優しい姿に、言葉も出ず、身動きも出来ないまま、ただ塔子さんを見つめた。 「貴志君が、私達に見えないものが見えていること、知っていたわよ」 「知って……いた?」 自分でも声が震えているのが、はっきりと分かった。 全力疾走した時のように、鼓動が意識を刻む。 狼狽する俺を安心させるように、更なる笑みが、慈しむように塔子さんの口元に花開く。 「ええ。滋さんと、いつも話していたのよ。貴志君は、一体どんな世界を見ているんだろうって」 塔子さんの右手が、傷付いた左頬にそっと触れた。 「私達も、同じものが見られたらいいのにねって」 塔子さんは、知っていたのだ。 自分が、人ならざるものが見えていることを。 知っていてもなお、変わらぬ眼差しで包み込み、惜しみない愛情を注いでいてくれたのだ。 その愛情の深さに、視界が滲み涙が溢れ出す。 止め処なく零れ落ちる涙を、塔子さんの手が優しく包み込む。 「知っていること、もっと早くに話しておくべきだったわね」 塔子さんは、自分が思っているよりずっと、自分のことを見ていてくれたのだ。 それなのに俺は、妖が見えることが分かってしまうことに怯え、嘘を吐き、本当の自分を隠し続けた。 何て愚かだったのだろう。 こんなにまっすぐに愛してくれる人に、何て不誠実だったのだろう。 与えられる愛情の深さと、自分の浅はかさに耐え切れず、傾いだ身体は、塔子さんに優しく抱きとめられた。 「辛い思いをさせていたのね。ごめんなさいね」 幼子をあやすように、掌が背中を滑る。 温かな掌の感触に、ずっとここにいていいのだと言われているような気がした。 「ごめんなさいね、貴志君」 春の日差しのような声が、胸の奥底まで優しく差し込む。 その穏やかな光に、心の奥底に常に存在していた、孤独や恐れや不安が、跡形もなく消えてゆくのを感じた。 何も言葉を発することの出来ない俺は、母親の腕のような温もりの中、ただひたすらに、号泣するだけだった。 「貴志くーん! そろそろ行かないと遅れるわよ!」 「はーい」 階下からの塔子さんの声に、俺は制服の上着に袖を通すと、机の上に置かれた鞄をつかんだ。 「それじゃ、行ってくる。ニャンコ先生!」 「気をつけてな、夏目」 布団の上で丸まったまま、目も開けないままのニャンコ先生の声を背中に受け、急いで階段を駆け下りる。 「あらあら、貴志君。そんなに慌てたら、転ぶわよ」 コロコロと楽しげな声で、塔子さんが笑いながら、手にした包みを差し出す。 「はい、お弁当」 「ありがとうございます」 手にした弁当は、愛情の深さを示すように、ズシリと重い。 「いってらっしゃい、貴志君」 初めて会った時と変わらぬ笑顔で、いつもと同じ挨拶を、塔子さんが刻む。 変わらないということが、どれだけ幸福か、変わってゆく人の心ばかり見てきた俺は、泣きたくなるくらいよく分かっていた。 「いってきます」 塔子さんが優しく笑う。 変わらぬ未来を確約するような笑顔に、俺は迷いのない一歩を踏み出した。 これは何――!? と、思われたことでしょう。 これは、「夏目友人帳のラストは、こんな風だったらいいな〜」という、私の希望です。 実は、塔子さんも滋さんも、夏目が人ならざるものが見えていることを知っていて、 でも、それは夏目自身とは、全然関係ないことだと思っていて、 ちゃんと、夏目の全てを理解していて、愛している。 という感じのラストを、切望したりしています。 目下の夏目の悩みは、二人に妖が見えていることを知られること。 そのこのとせいで、一緒に暮らせなくなってしまうこと。 でもね、きっと二人なら、夏目の話をちゃんと聞いて、理解してくれるよ。 だから、心配いらないよ。 不安に揺れる夏目に、そう言ってあげたくて、書いたお話です(*^o^*)
|
小説(ショート)
[ リスト | 詳細 ]
全1ページ
[1]
|
丈夫だけが取り得だった。だから長く続く微熱も、夏風邪のせいだと思っていた。ボールを蹴った所が |
|
知らせを聞いたのは、半年に及ぶ長いコンサート・ツアーの最終日、三度目のアンコールを終え、控え室に |
|
ミス・合理主義。 |
全1ページ
[1]





