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死 神 ――god of death―― 死を司る神。死神が持つ鎌は 姿・形を変え 死を待つ者の元へとゆく……。
朝靄の掛かった、雪でも降りそうな日だった。ある屋敷の片隅の馬小屋で、新しい命が産声をあげた。
「メアリ、産まれたよ。ほら、男の子だ」
「ああ、小さいけど元気な子だ」
馬小屋の中には小さなランプが二個と、桶に入ったお湯があるだけだったが、独特な熱気に包まれ皆汗をかいている。小屋の藁の上で仰向けになっているのは、まだ顔にあどけなさの残る少女であった。少女は額いっぱいに汗の玉を浮かべ、頬をピンク色に染めて、まだ熱い吐息を漏らしていた。
取り上げられた赤子は、熱くされた鋏でへその緒を切られ、今ひとつの命として時を刻み始めた。ぬるい産湯で白い膜の衣を脱ぎ、ごわごわとした布に包まれ母の隣へやってくる。迎えた母は丸い瞳に涙を浮かべ、そっと赤子の顔へと手を当てた。
「小さい……」
温かい感触、柔らかい肌。しわしわの顔は猿のようにも見える。だが心からこみ上げてくる不思議な気持ちに、メアリは幸せを感じた。
「神父様が来たぞ」小屋の外から告げる声があると、女たちは乱れた衣服を正し、ランプを入り口へと照らす。程なくして、礼服を着た年若い神父が入ってきた。黒いビロードのような髪は短く整えてあり、端正な顔立ちが引き立っている。人々は容姿だけでなく、彼独特のカリスマ性によって心を魅了されていた。
「無事、産まれましたか」神父はそう一言だけいうと、静かにメアリの側へやってきた。そして今産まれたばかりの赤子に触れる。「アシュレイ様、名前を」メアリは神父に自分の子供を差し出した。神父もそっと小さい命を抱きかかえ、布に隠れた顔を露わにした。しわしわの顔、ほのかに赤みを差した頬、小さな唇は母の乳房を求めている。そして大きな黒い瞳は、じっと神父を見つめていた。
「おお、私が名前を・・・この神の子の名を私に託すと?」
「はい。アシュレイ様に付けていただこうと決めておりました。お願いいたします」
神父は少しだけメアリを見つめたあと、決心したように頷いた。
「では……神の御名において、名前を授ける。“ヨハン”この名と共に我が神の加護を与える」そう唱えると、軽く赤子の額に接吻をする。静粛なる儀式が終わり、周りにいた者達も皆安堵の息を吐いた。
時は16世紀ヨーロッパ。港町には商業が栄え、貿易も盛んだった。中でも近隣国にまだ広まっていないホップを持ち込み、ビールなどの需要を伸ばし事業を成功させたトーマス・ブラウンは、巨大な富を築きあげていた。若い頃がむしゃらに働いていたせいか、五十路になった現在もまだ独身であったが、最近になって得意先の伝で見合い話が舞い込んできた。相手はなんと貴族の娘である。しかしこの話には思惑があった。貴族とは名ばかり、財産が底をついた家で、娘と名前の代わりにトーマスの財産が目当てなのだ。当然ブラウンはその事を承知していたが、ここで身を固めておくこともそうだが、貴族の名前を持つことによって、その世界にも人脈を作れば商売に有利なことも多い。この縁談はすんなりとまとまったのである。
だが、双方にいくつかの問題点があった。貴族の娘・サンドラ・ヴァイヤーは、以前別の結婚をしており、ある問題で離縁している。そしてトーマスの方もつい最近、自分の家の庭師の娘に手を出し、子をはらませたのだ。しかも気付いたときにはもう子供は堕ろせず、先日男の子が産まれた。跡取りがいないため、その娘を嫁にすることも考えたが、身分の違いや、まだ娘が十七歳ということもあり、戸惑うところにこの縁談が持ち上がった。しかも、サンドラが離縁された理由が[子をもうけられない体]というのが理由のため、トーマスは産まれた子だけを認知することにし、この縁談を承知した。
「私は嫌です!」怒鳴って立ち上がった瞬間、テーブルに置いてあったナイフが音を立てて床に落ちた。
「座りなさい、サンドラ。はしたない」長テーブルの向かい側に座った母が一括する。しかしサンドラは座らなかった。側にいたメイドがサンドラの落としたナイフを拾い上げ、新しい物をよこした。
「私に卑しい者の元へと嫁げと?」
「自分の夫となる方を卑しい者とはなんです」
母親はナプキンで口を拭い、自分とサンドラの食事を下げるよう召使いに指示した。一通り下げ終わると「ありがとう。もう下がっていいわ」と言い、娘と二人きりになった。
「お前はわかっていないのです。これ以上の縁談はないのですよ」そう切り出した母に娘は反抗した。
「わかっていないのはお母様ですわ。あの男は自分の娘ほどの女に子を産ませ、ましてやその子を私に育てろと言うのですよ?こんな侮辱、私には耐えられません!」
母は立ち上がり、怒りで体を震わせている娘の元へと歩み寄った。そして肩に手を置き「その様なことを大きな声で言うものではありません」と戒める。
「二年前、お父様が亡くなってから、我ヴァイヤー家は以前のようにはいかなくなりました。私だけで切り盛りするのも限界。一人娘のお前だけが頼りと思っていたものを……子ができないという理由で離縁される始末。私の落胆がお前にわかりますか?」
サンドラは母に言われたことに唇を掻み、悔しさに堪えていた。
「もうすぐお前も三十になるところ。子を産めぬ出戻り女を誰が嫁に貰ってくれるというのです。血は絶えても名前だけは残さなければ亡くなったお父様・・・いいえ、ご先祖様に申し訳が立たないというもの」
サンドラは自分の肩に乗った手を払いのけた。なぜ子を産めぬというだけでこのような仕打ちを受けねばならぬののか。蔑まれ、罵られ、卑しい者よりも劣ると。
サンドラは体を震わせ、目に涙を浮かべ母を睨み付けた。
「お母様は、私をあの男に売るのね」サンドラはそう一言残し、部屋を出た。
「サンドラ、お待ちなさい!」
母の言葉を背に、サンドラは誓った。
忘れるものか、この屈辱を。許さない、許すものか。絶対に……。
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をを、実に興味深いスタートを切りましたね〜
ワクワクしてきましたよん♪ ぽちぽち☆
2009/12/5(土) 午前 9:30
約定を果たすべく選ばれしもの来たり。その者の行く手、光に至る道に幾多の艱難あり。勝者は宿命か偶然か。希望が漁夫の利を得るのか。
2009/12/5(土) 午後 2:31 [ イカダ ]
AKIさん 見事、魔女狩りを的中したAKI様!ぽちぽちありがとうございます!
2009/12/5(土) 午後 9:34
イカダさん 書いてるときに思ったのが、このお話、主役らしい主役がいないというか、主要人物皆が主役のような話になってます。
死神が、いつどのような時点で関わっているのか、そこが見せ場になりそうです。
2009/12/5(土) 午後 9:36
貴族と商人、プライドかマネーか、たびたび起きていた葛藤でしょうね
とか、さりげなく細やかな設定がなんだかその時代の雰囲気を出している気がいたします
ビール
そんな世界に振られる鎌はいったい、楽しみです
2009/12/6(日) 午前 4:59
タヌキちゃん 時代背景って結構難しいよね。
鎌の正体が物語の要に最後はなるでしょう。
2009/12/7(月) 午後 9:33
初めまして 日眼女と言います。ばっどさんの小説公募から
訪問しました。
51のおっさんですが 今後よろしくです。
凄い描写力ですね そしてセリフに実感がこもってますね
脱帽です。
2011/2/11(金) 午後 8:17 [ 日眼女 ]
続きが楽しみです。
2011/2/11(金) 午後 8:17 [ 日眼女 ]
日眼女さん はじめまして。コメント&ファン登録までしていただきありがとうございます。
この作品はつい先日最終話を書き上げました。自分の中で、なかなか良く書けたほうなので、読んでくださるととても嬉しいです^^
2011/2/12(土) 午後 10:12
さっそく、読まさせていただきます。
2011/2/12(土) 午後 11:37 [ 日眼女 ]