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今日は、私の敬愛する宮沢賢治先生の命日です。
そして、今年は、賢治先生の生誕120年になります。
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「雨ニモ負ケズ」宮沢賢治先生
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ある人へ絵本をプレゼントしました。
宮沢賢治先生の“銀河鉄道の夜”です。
ほんとうは、賢治先生の美しい文章から、その世界を想像していただくのが一番だと思うのですが、この一冊は別です。
“清川あさみさん”が布や糸などを切り貼りして描くなんとも幻想的な作品がすばらしい!賢治先生の世界観がよく表現されていると思います。
“銀河鉄道の夜”の物語自体が長いものなので、絵本にしてはだいぶ厚い本になっています。清川あさみさんの絵だけでも、この一冊に50枚もの作品が収録されています。
プレゼントとした方にも、喜んでもらえて、私自身嬉しくなりました。
“銀河鉄道の夜”のお話の中で
「けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう。」
とジョバンニが言います。
賢治先生の作品を読んで「ほんとうのさいわいとはなんだろう?」とたくさんの人が考えるきっかけになれば、もっともっと平和な世の中になるのでは、と思うのです。
“農民芸術概論綱要”の中で、賢治先生はさらに言います。
「世界が全体幸福にならないかぎり、個人の幸福はありえない。」と
そんな世界が現実のものとなりますように、という祈りですね。
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「ジャジャジャジャジャジャ〜ン」
確か6回、鎌田先生のご機嫌なかけ声で始まった今日の「日曜はがんばらない」
電話インタビューでは、宮沢賢治先生の弟さんのお孫さんにあたる宮沢和樹さんが登場。
お爺様から聴いたというお話は、賢治先生の生前の姿が目に浮かぶようで、とってもよかったです。
宮沢和樹さんは講演会活動もされているそうです。ぜひ拝聴させて頂きたいですね。
村上信夫さんの優しい声で「雨ニモ負ケズ」の朗読を聴き、救われるような思いにもなりました。
「雨ニモ負ケズ」に関するお二人の独特のトークを聴いていると、あっという間にエンディングとなりました。
「銀河鉄道の夜」「注文の多い料理店」にも触れる予定だったらしいのですが時間切れとなってしまいました。こういうハプニングも鎌田先生、村上さんお二人の番組らしいと思うと大笑いしてしまいました。ぜひ宮沢賢治特集第2弾、第3弾をやってほしいです!
副作用のきついなか「日曜はがんばらない」を毎週聴くことで勇気と生きる希望をいただいています。さらに私の免疫力もアップしていることでしょう。
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術後の激痛に耐え、抗がん剤の副作用に耐え
病室のベッドに横たわっり
私の祈りの曲である“ワーグナー”と“マーラー”をiPhoneで聴いていました。
手術の直後は、ICU室に入ることになります。
ICU室に持って行ける私物は
歯ブラシ、歯磨き粉、プラスチックのコップ、ティッシュ箱、あと男性は電動カミソリのみです。
それら全部に名前シールを看護師さんに貼ってもらって
もちろんiPhoneは持ち込み禁止です。
手術そのものに大きな不安が、あるのは言うまでも、ありません。
でも、手術直後の一番辛いであろうというときに私の祈りの曲が聴けないということも、大きな精神的な不安の一つにもなるわけです。
手術の直後は、ベッドの上で少しでも体を動かそうとするものならものすごい激痛が走り、とても自分では、体を動かせる状態ではありません。
とにかく、痛い、苦しい、辛い
自分の意識もはっきりせず
幻覚なのか、夢の世界なのか、現実の世界なのか、境目の区別がわからない。
幻覚と夢と現実の世界の狭間をさまよっている自分
もしかしたら、このまま、死の世界へ導かれて行くのではないかとさえ思えてくる。
そんな長い長い夜が、ずっとずっと続くのです。
きっと、あのときは、死の世界の境界まで、いや一歩か二歩ぐらいは踏み入れたに違いないと、今でも、そう思っています。
術後の苦しみは、傷の痛みに耐えるだけでは、ありません。
まだまだ、苦しいことが待っています。
酸素を送る軌道を確保するために、鼻から肺へと直接押し込まれたカテーテル(管)、これが痛い、そのために唾も飲み込めないほど、鼻と喉が痛いです。
さらに、体内の臓器から出るドレンを取るために、身体のいたるところに穴を開け、それぞれの臓器にむかって差し込まれたカテーテル、そのカテーテルから、体内から溢れ出すドレンを貯めておくためのいくつもの容器が身体中につけられています。 あと尿管に管を入れ、袋に尿を溜めるようにします。 自分の思いのままに、尿が出せない、痛みもあり、膀胱が張ったりして、これも、かなり苦しい思いをします。 あと、心電図や酸素の状態を監視するための医療機器の何本もの配電線が体に付けられます。 何本ものカテーテルが体に刺し込まれ、ドレンの容器をいくつも体につけて、機器の配線に体中ぐるぐる巻きにされて、その姿で激痛に耐える。
まさに地獄です。 ベットで横たわっている自分のその姿の全容を見下ろすことはできませんが、そのような姿になって思ったこと
「現代の医学は、ここまでして、人命を救うのか?これは、明らかに自然界そして神の領域にまで踏み込んだ行為に間違えない!」
ということを
そんな苦しいときに、祈りの言葉を捧げたいと思っても、祈りの言葉を何一つとして知らない私が、 声にはならない、うわごとのように、つぶやいていたのが あの「雨ニモマケズ」の詩だったのです。 「雨ニモマケズ」の詩は、読むすべての人が、感動し、そして、勇気づけられる言葉(詩)です。 例外なく、私の闘病生活での祈りの言葉となっていることは、言うまでもありません。 応援クリックお願いします。m(_ _)m ↓ 人気ブログランキング 大腸がん にほんブログ村 大腸がん |
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賢治先生の話の続きです。
賢治先生といえば「雨ニモマケズ」の詩の話をしなければなりません。 この「雨ニモマケズ」の詩は、実在した人がモデルになっているという説があります。 その人の名は“斎藤宗次郎さん”です。 宗次郎さんは、キリスト教の教えに感銘を受けて、カトリックとなります。 しかし、その頃、キリスト教をまだ耶蘇教と言って、日本人のカトリック信者を差別していた時代でした。 ほどなく、宗次郎さんは、町の人々からひどい差別を受けます。小学校の教師であった宗次郎さんは、同僚、校長、保護者からも差別と偏見にさらされて、学校をも追われる身となります。 宗次郎さんの父親は、お寺の住職でした。宗次郎さんは、父親から勘当され家族からも見放されます。 町の人々から、ひどい差別を受けながらも、宗次郎さんは、町の人々のために尽くす生活を送ります。 新聞配達などをしながら、自分自身、貧しい質素な生活を送りながら 雪の積もった日の朝、夜が明ける前から、小学生たちが学校へ通う道の雪かきをし 貧しい農家の母親や、年老いた人たちの代わりになって田畑の仕事をして助け 病気の人を看病し励まし まさに「雨ニモマケズ」の詩にある、そのものの自己犠牲の精神を貫く人生を続けていたのです。 宗次郎さんが、布教活動のため東京に移り住むことになります。 東京に旅立つ日、花巻の駅には、宗次郎さんを見送るために大勢の人々が集まりました。 集まった人々は、口々に 「宗次郎さん ありがとう!」 と声をあげました。 その群衆の中の一人に、賢治先生の姿もありました。 賢治先生は、このときの感動を手帳に詩として書きとめました。 その詩が「雨ニモマケズ」の詩なのです。 自分の感情を抑えることができず、あらわに表現してしまう癖のある賢治先生 荒々しいほどに激しく手を降り、群衆の誰よりも甲高い大きな声で 「宗次郎さん ありがとう!!!」 と叫んでいる賢治先生の姿が、私には、はっきりと目に浮かびます。 つづく |





