これは私のふるさと宮城、家の近く!見渡す限りに広がった田んぼ(笑)車の中から、今年の夏の写真。
今日はちょっと落ち込んでいます。
原因は恋人のいないクリスマス!・・ではありません(笑)
こんな沈んでいるのには原因があります。
多分ケンカ・・?の余韻。
別に殴り合いしたとか、激しい口論が〜って言うんではないんですが、
見解の不一致?見たいな感じです。
今週末、新しいルームメイトが私の隣の部屋に住み始めた。
韓国人の、81年生まれのお姉さん。
私の5つ上。
私たちは3人暮らし。
昨日はJANEが出かけて、2人きり。
越してきたばかりの彼女もしゃべり好き。すぐに私たち3人は打ち解けた。
関係は上々!
コレならうまくやっていけるとJANEと内心ほくそ笑んでいたところ。
私の部屋での何気ない会話から、口論手前になって、・・私が泣いてしまった。
どーしても許せないことを言われたら。
原因のは彼女の何気なく、でも何度も繰り返された言葉。
「所以呢?(だから?)」
この一言一言が私から、彼女がここに越してきたばかり、韓国人、5つ上のお姉さんっということ、すべてを吹っ飛ばした。
私の祖母は去年の11月に亡くなった。
私は母方の実家で育ったので、おばあちゃんは私の何よりの恩師であり友達、また母以上に母的存在だった。
私が世界で一番尊敬でき、自慢したい、大好きなおばちゃんだ。
おばあちゃんは料理はきらいだったみたいだけど、女性として、何でも知っている、何でもできる、私の理想のスーパーWOMANだった(笑)
裁縫、編み物、茶道に・・身のこなし、礼儀作法などなど、ホント憧れでした。
もちろんやれやれ・・ってところも沢山あったけれど(笑)
ちゃめっけったっぷりで、中学高校はおばあちゃんと2人で“魔女の条件”など流行のドラマなんかもよく見た。
なんたってイケメン好きで、タッキーがこの時はお気に入りだった(笑)
私はそんなおばあちゃんが私は大好きだ。
私が小さい頃からおばあちゃんといつも一緒だった。
私に礼儀を教えてくれたのも、
私にモノの大切さを教えてくれたのも、
私にかけがえのない、数え切れない大切な道理や
キレイなもの、愛すべきもの、こと、ひと、愛し方を教えてくれたのもおばあちゃん。
そのなかでも、特におばあちゃんは自然とおじいちゃんが大好きだ。
花、草、木、青空、山、海、川・・
色んなところにおじいちゃんと連れて行ってくれた。
いつものろけ話を、おじいさんの良さを語ってた(ノ´∀`*)
色んなことを私に教え、導いてくれた。
私が感情が“豊か”っという部類にはいるとしたら、それは紛れも無く祖母の影響だ。
何をみても
「わぁ〜綺麗ね〜素敵ね〜」
おばあちゃんの口癖だった。
感情が豊かで、なんにでもすぐ感動する。
おおらかなのに、すぐ怒ってむつける(笑)でもそれがすごく可愛い。
心配性で口うるさくて、私はうざったい反面嬉しくて、
本当に大好きで、大好きで・・
まだまだ、いっぱい、教えてもらいたいことがあったのに、
まだまだ、一緒にくだらないことでおどけて、しゃべって、
私の彼氏を見定めてくれるって、
結婚式にも出てくれるって言ったのに・・
・・もうどこにもいない。
どこに行っても、永遠におばあちゃんに会うことはできない。
去年病気で死んでしまった。
私は最後に会えなかった。
私は帰らなかった。
日本で骨になったおばあちゃんにしか会えなかった。
私が行かなかったから。日本に帰らなかったから。
昔、私たちが住んでいた家の電話の電話線を友達が引き抜いて2〜3日忘れてるうちの出来事。
母が何度も電話をくれた、でもそれは1度もならなかった・・。
私がそのとき最後に間に合ったからどうなったってことでもないし、
急に状態が悪化したのだから・・。
だいたい3年前、私が北京に留学しはじめたころから体調は悪くなり始めていた。
反対されたのに、それを押し切って来た私への罰?
自己中だった私の罪?
ここで後悔したら北京留学すべてが後悔になる。
それにまず自分のせいとかって、過大評価だ。
しかも、私の一番尊敬するおばあちゃんならきっとそんなことは言わない。
「心配しなくていいから、頑張らいん。」
きっとこう言う。
絶対に私のせいなんて口が裂けても言ったりしない。
去年の夏、お腹に水がたまりだして、しんどそうなおばあちゃんに
私はやさしい言葉がなかなかかけられずにいた。
やっと日本に帰って、そばにいるのに、何かそういう言葉を口にしたら、涙が溢れてきそうなって、うまく言葉にできなくて、ただ笑顔で、一緒に会話するので精一杯だった。
去年仙台七夕で着た浴衣にアイロンをかけてたたんでしまうために、
おばあちゃんに浴衣へのアイロンの当て方を習った。
おばあちゃんは布団でちょっとしんどそうに、横になりながら。1つ1つ丁寧に、たたみ方を教えてくれた。
私が四苦八苦するのに見かねて最後はほぼおばあちゃんが解説しながらやってくれた。
「来年は自分ですんだかんね、よぐ見てらいんよ(来年は自分でやるんだからね、ちゃんと見てなさいよ)」って。
「1年も経ったらこんなに難しいの1回しただけじゃ覚えられないよ!また来年も一緒にやろう、復習しよう!おばあちゃんに教わればまたすぐに思い出すから。」
おばあちゃんは笑顔で「うん(^-^)」って言った。
「何でもできて、おばちゃんはすごいね」って言うと
恥ずかしそうに小さい声で
「謝謝♪・・こう言うんでしょ中国では?」
これが私の大好な、どこまでも尊敬できる愛すべきおあばあちゃん。
私は語学の勉強がしたくて、北京留学を決めた。
最後は家族みんなが賛成し、私を応援してくれた。
おばあちゃんもそうだった。
私は半年に1度の長期休みには必ず日本に帰っていた。
本科生の私にとって、これが語学に勉強に良くないことなんて、考えなくても分かることだ。
でも、私は、将来後悔しないために、おばあちゃんに会いに帰った。
ここに私の後悔は一切ない。
永遠に会えなくなるかもしれないのに、会いに行かないなんて私には無理だ。
でも彼女は言う
「半年おきに帰るとかって、無駄でしょ」「それだから・・何?」
永遠に気の合わない人、理解し合えない人は世界中に五万といる。
たまたまその1人が目の前にいるだけ。
でも、そんな風に言われた瞬間。私は涙をこらえきれなかった。
私の愛するかけがえのない人を
「死んだらもう会えないじゃん」
この一言で片付けられらたのだから。
私は憎まれ愚痴ばっかりたたく、可愛くない孫だった。
素直に「好きだよ!尊敬してるよ!」なんて言ったことない。
でも、心から愛していたし、今でもそれは何ら変わらない、より大きくなる一方だ。
・・なんで言えなかったんだろう。
いつだって言える簡単な一言なのに。
後悔が沢山ある。でも時はもう二度と戻ることはない。
死んでしまったらもう会えない、確かにそう。
でもおばあちゃんが生きた証は私の中に深く深く刻まれて、私の中で私とともに永遠に行き続ける。
私は私の大切な人や大事な気持ちが踏みにじられたり、ゴミみたいな扱いを受けて黙ってられるほどお人よしじゃない。
・・軽めにけんかしちゃった?っというか、勝手に私が落ち込んだだけなんです。別に罵ってません!
文章にすると幾分気持ちの整理がつくので・・乱筆乱文失礼しました。
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