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〜第5話〜 まだ陽の高い時間に、お忍びデートが出来る場所などそう無い それでも「隠れ家風」と記されたイタリアンBARの看板をようやく探し出した 洞窟をイメージした店内は暗く、カップルシートと呼ばれる個室は 小さなテーブルに二人がけのソファがひとつ、と密着度を考慮した造りだ 仕事の話で熱くなる彼に、黙って相槌を打つ私 ( 仕事と私どっちが大事? ) などとベタな質問をしたら彼、何と答えるだろう 蝋燭の弱い炎がゆらゆらと揺れるのをじっと見つめる 3杯目のグラスワインを空けたとき、彼が時計を見た 「 そろそろ行きますか・・・ 」 私たちが向かった先はメディアなどでもよく見かける某有名ホテルだった スーツケースを引いた旅行客やブライダルといった客層にはどこか品がある チープな人生を歩んできた私にはとても眩しすぎて 路地裏のラブホでも良かったのに・・・と気が引けてくる 「 こんな立派な場所、私には不似合いかと思います 」 「 いえ、綺麗な貴女を汚れた場所には連れて行けない 」 美人だ、綺麗だ、素敵だ こんな歯が浮くような台詞を、彼は逢うたび平然と投げかける いくらお調子者の私でも、舞い上がり素直に喜べるほど若くはないが それでも・・・悪い気はしない しかも、言われ続けているうちに本当に自分は美しくなったのではないか と嬉しい錯覚に陥るから不思議だ 南西向きの大きな窓から、薄紫に染まる夏の雲が見える シャワールームから出てきた彼に後ろから優しく抱きしめられ そっとカーテンを引いた 部屋を後にした私たちは言葉も少なく ただお互いの手をぎゅっと握り合った 温かい彼の手、小さい指輪の大きな存在感 そして目に見えない不確かなものは・・・まだ見えそうにない 「 今日はちょっとお話があります 」 短い盆休みが終わったある日、小料理屋に誘われた 障子で仕切られた小さな和室には琴の音色が響き 硝子越しに鹿威しが見える お通しに出された京野菜の煮浸しは薄味で上品な盛り付けがされている 食前酒を飲み終えたとき、話は始まった 私にとって彼は恋愛関係以前に上司でもある 今日は上司として私に意見をするつもりだったのだろう いつになく厳しい口調でしかも、その淡々とした話しぶりに 酷く冷たさを感じてならない 親会社からの理不尽な言いがかりに日々対応し、ライバル企業と肩を並べ 都会の真ん中で息も詰まるような思いをしている彼からすれば 緩い神奈川のローカルなやり方が目についたのだろう そして手始めに私の業務態勢を正したかった・・・? ≪ 千原部長は細かすぎる ≫ よく耳にする彼の噂 やりにくい相手とは、この事だったのだ! そんな彼とこうして特別な関係を持ってしまった以上 この先も私は事あるごとに窮屈な上下関係を強いられるのではないだろうか あの穏やかな表情の裏側に隠された本来の姿 そのギャップに頭の中が混乱する 逢うたび仕事の話ばかりするのもやはり・・・そういうこと 気付くと涙が溢れてきた 「 ごめん、俺、余計なこと言っちゃった? 」 「 いえ・・・以後気をつけます。でも厳しいご指摘ですね・・・ 」 責任を感じたのか、彼はひたすら謝っている 「 言い過ぎたかな、ごめん。もう仕事の話は2度としないから 」 「 ・・・・・。 」 次々と運ばれてくる料理の味もよくわからない どんよりした気持ちのまま店を後にした 狭いエレベーターの中で抱きしめられ、その眼差しが近付くが 私は顔を背けた これまで感じた事のない虚しい風が心の中を吹き抜けてゆく 仕事と恋愛を上手に切り離していないからこういう事になるのだ 悪いのは私 上手に不倫なんて出来るほど器用な人間ではないのだから その晩のことである いつものように晩酌をしていた主人が突然こう言った 「 何処にも遊びに連れて行けず淋しい思いをさせてごめんな 」 5年前、精神病を患った経営者に理由もなく突然解雇され 必死で見つけた再就職先は劣悪な労働条件の今の会社だった 来年、還暦を迎えるその体はとっくに限界を感じているだろうに この人はそれでも私の事を考えてくれている 思ったことをすぐ口に出すのは己の心の狭さから そんな主人の欠点が私は嫌で仕方なかった だけどそれは誰に対しても裏おもてが無いということ 損得勘定も無いから要領が悪い、歯がゆいほど不器用 だからこそ嘘や隠し事もないし、心から信頼できる この人だったら絶対にあんなやり方で私に説教などしない 主人の優しさが・・・痛い 翌日、朝一番で私の携帯が鳴った 昼もかかってきた 合計で14回、着信拒否をした そして夕方、15回目の着信 { 出たくないので電話しないで下さい } と一言だけメールを入れると { どうしましたか?貴女が心配で降車駅を乗り過ごしました。 明日からはいつもの笑顔に戻って下さい } と返事が来たが、すぐに電源を切った いっそこのまま清算してしまおうか・・・ 冷却期間云々いうよりずっと潔いし 今なら誰ひとり傷つけずに後戻りができる そしてこの事は愚かな過去として一生心の奥にしまっておくのだ 第一、彼だって呆れてこんな私をすぐに見限るだろう 見限られたら・・・・・ 終わりにしよう その翌朝のことである 私は自分の目を疑った 事務所の扉の前に彼がいる!!! 「 どうして!?今日は東京で重役会議があったはず・・・ 」 「 会議より貴女の方が大事だから・・・ 」 この瞬間、彼の腕の中に飛び込みたかった 抑えきれない感情を隠すので精いっぱい いつも冷静だった彼が、大事な仕事を放り投げ私に逢いに来た・・・ その夜、私たちは再び過ちを犯した 一度すれ違った互いの感情がベッドの上で一体となり激しく燃える 長い間眠っていた神経が彼によって刺激され 生まれて初めての快楽を覚える私 缶ビールを開ける音が部屋に響く
胸元に薄く残る愛の跡をブラウスのボタンで隠す 喜びと幸せに満ち溢れた夜・・・ |
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