舞姫たちへの片恋文

ストリップの舞台と舞姫への思いを綴ります。速報はTwitter「@st_kangekisya」で。

ストリップ総論

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索
 舞姫との別れには様々な形があります。引退・休業の期限を明らかにしてお別れを告げる期間を置いた後、引退興行を打って去って行く方、ある日突然、引退・休業を表明して姿を消す方、突然ステージを離れた後、しばらくしてから引退・休業をブログなどで表明される方、何の意思表明もないままフェードアウトしてしまう方…等々。

 もちろん、それぞれにそれぞれの事情があり、それぞれの理由があることは頭では理解出来ます。しかし、お別れへの心の準備が出来て、その気持ちをお伝えできる1番目の形態を除いて、それ以外の引退・休業は、大なり小なり残された者の中に、くすぶる「熾火」のような思いを残してしまうこともまた否定出来ません(念のため、だからといってそのような引退・休業の形態を非難しているわけではありません。そうせざるを得ない事情もあることを理解すべきでしょう)。

 そうした残された者にとって心の拠り所となるような言葉を、まもなく3年になる2015(平成27)年12月30日(正確には日付が変わっていたかもしれませんが、はっきりとさせないでおきます)に耳にしました。この言葉は、引退興行を行なって身を引いていった舞姫の方と、そのファンの方が「引退イベント」での挨拶で述べられたものです。

 ファン代表「空を見上げて、どこかで頑張っているから自分も頑張ろうかなって」

 引退の舞姫「みんなも頑張っているって思いながら、これからも同じ空の下で生きていきたい

 「もう会えないけれど、同じ空の下で頑張っていると思って…」。これは私にとっても、突然姿を消した舞姫への思いを自分なりに収めるために、とても支えになる言葉となっています。劇場という場所で、ステージという一定の時間を共有した思い出とともに、これからも大切にしていきたい言葉です。
 「暗くて、重くて、救いのない演目」、私の大好きな作品傾向です。別に「笑いにあふれ、明るくて盛り上がる演目」も嫌いなわけではありません。こうしたステージももちろん大好きです。ですが、観る者に重いものを投げ掛け、割り切れない思いを心に残し、何かを考えさせる作品が大好きなのです。

 歪んだ性格(笑)によるこうした嗜好がストファンの中において少数派であることは十分自覚していますし、こうした演目を掛ける方が数少ないこともニーズを反映していると思いますが、それだけに「暗くて重い演目」に出会うと、私個人としては、とても引きつけられてしまうのです。例えばHIKARUさんの「堕天使」、鈴木茶織さんの「阿片」、灘ジュンさんの「SAGA」、「浅草『Once Upon a Dream』フィナーレ」等々…。

 ある元舞姫の述懐によれば、四半世紀前まで遡ると、こうした演目を掛ける抵抗は今よりもずっと強かったようです。それは劇場側からより、同僚や先輩の舞姫のみなさま、特に“お姐さま方”からの抵抗が並々ならぬものがあったからだそうです。こうした記述からは、一見“自由な表現”を標榜しているストの世界にも一定の制限があったことが伺えて大変興味深いのですが、現在ではそうしたハードルが随分低くなったように思える反面、「暗くて重い演目」を演じる舞姫も希少になったように思えてなりません。

 そんな私が、ぜひいつかは拝見したいと思っているのが、「道後」の「怪談ストリップ」です。まだ観に行けていないこと自体が、何かの祟りなのでしょうか…。

 参考資料「Mizukiさんのnote『タモリ倶楽部を見ての感想』」
 「応援さん」と呼ばれる人たちがいます。定義は難しいのですが、一般的には「特定の舞姫を陰日向になって応援し、支えるコアなファンを指す」ということになるでしょうか。目立つところでは“タンバさん”や“リボンさん”が可視化されて分かりやすいところではありますが、私が特に注目したいのは、「陰」で「支える」という役回りの部分です。

 極地方の海に浮かぶ氷山は、「氷山の一角」という言葉があるように、海面上に姿を見せている部分は全体の1割に過ぎず、9割は海面下に隠れているという事実と比喩があります。私が尊敬する「応援さん」の姿は、この「氷山」そのものです。その海面下の一端が垣間見えるところとして「誕生日週」と「周年週」を例に挙げてみましょう。こうした週に執り行われるイベント、最近では劇場主催も多くなりましたが、少し前までは「ファン主催」が主流でした。その際に「応援さん」は“イベント主催者”として劇場側と交渉を行ない、同香盤の舞姫のみなさま方に挨拶に回り、協賛金を集めて財政的裏付けを確かなものにし、イベント進行を構成し、当日の準備を進め、イベント進行をバックアップし、終了後には劇場や同香盤の舞姫にお礼をする…等々。これに加え周年グッズや周年Tシャツ、ポストカード・シールの製作、スタンド花の手配など、実に多岐にわたる“業務”をこなします。手間暇だけでなく、金銭的・精神的負担も想像を超えるものがあります。しかし、それをやってのけるのが「応援さん」なのです。

 そうした日々を過ごし、周年週・誕生日週の楽日を迎えた「応援さん」は精根尽き果てた姿を見せます。しかしその表情には、どこか晴れ晴れとした充実感が浮かびます。そして「周年週が終わると、来年の周年週へのカウントダウンが始まる」と言われるように、「応援さん」にとっての“次への日々”は早くもスタートしているのです。

 私は、こうした「応援さん」を心から応援したいと思います。もちろん「応援」の方法は人それぞれ、立場による様々な形があります。「応援に貴賤はない」という主張もあると思います。一方で私は、見返りのない、ある種の“滅私奉公”に徹する「応援さん」に尊敬の念を抱き、そこに「粋」を見るのです。
 拙ブログ開設から8年が過ぎました。今年の“周年”は個人的にバタバタしていて、残念ながら某師匠のような重厚長大な周年作をものに出来る環境ではありませんでしたので、トンヅラを放こうと決め込んでいました。ところが先日、ネット系ライターさんの取材をお受けすることになり、ストを巡る懐かしい話を思い出す機会を頂いたことから、その折りに思い出した話など含めて、肩の凝らない(?)“私小説的エッセイ”として、ひと月遅れでお送りすることにしました。

********************

 劇場に関することで、この8年間で最も大きく変わったことといえば、私は迷わず「観客の数と属性」を挙げます。拙ブログを開設したころ、特に2011年3月の「東日本大震災」以降は観客数の減少が著しく、かなり本気で「ストの歴史も、もうこれまでか…」と思ったものです。

 2011(平成23)年3月9日、震災発生のわずか2日前に、拙ブログ40本目の記事として「ストリップ冬の時代」を掲載しています。この記事では主に劇場数の減少にスポットを当て、“職場の減少”によって舞姫のみなさまにどのような影響が及ぶかを概観しました。震災前ですら十分に厳しい状況だったスト業界に、追い討ちをかけるかのような震災による自粛ムード、そして計画停電による公演の縮小。当時の劇場は、ある種の沈鬱な空気に包まれていたという印象が私にはあります。私が「浅草での最小観客数=9人」という場内を経験したのもこのころだったと記憶しています。

 そしてその決して多いとは言えない観客のほとんどは「男性」でした。もちろん、拙ブログ開設とほぼ同時期から観劇ブログを書き始め、現在でもアクティブに観劇活動をしている某女性観劇者さんなどのように、当時から足繁く劇場に通う女性の常連さんもいないではありませんでしたが、まだまだ数は限られていたように思います。2010年8月28日付けの記事「ストリップと女性客」では、多くの女性客が訪れているような書きぶりになっていますが、その女性客のほとんどは“初めてさん系団体客”や“カップル客”だったように思います。

********************

 それから年月を経た今、劇場で女性の姿を見ることは珍しくなくなりました。十分に「常連さん」と呼べる頻度で劇場に通う方も十指に余るほどになりました。それどころか、ある日の「浅草」の場内を数えたら、その中の約2割が女性の観客だった時は驚きを隠せませんでした。

 こうした現状から、よく「女性客増加のきっかけは?」と尋ねられますが、私にはなかなか歯切れの良い答えが見出せません。「テレビや雑誌などの一般メディアへの露出増加」や「SNSでの拡散効果」「女性優遇策の充実」など、いくつかの要因候補を挙げることは出来るのですが、どれか一つが主要因ということではなく、複数の要素が複合的・相乗的効果をもたらしているような気がします。

********************

 一つ残念なことを付記すると、女性客の増加とともに、劇場内での女性客に対する迷惑行為も多く聞かれるようになってきました。劇場はある意味で“カタルシスの空間”ではありますが、それはあくまでも舞台を観て内省的に感じるものであり、他人への迷惑行為へと外在化させることは決して許されません。そのような行為を受けた女性客は、おそらく二度と劇場に足を向けようとは思わないでしょうし、そのような経験はSNSなどで急速に拡散され、新規の女性客、さらには男性客すら遠ざけることにつながりかねません。観客の全体数が増えている今こそ、劇場側の運営手腕、少し大げさに言えば危機管理が問われているのではないでしょうか。
 映画「フラガール」や東日本大震災からの復興で話題になった「スパリゾートハワイアンズ」(筆者の世代では「常磐ハワイアンセンター」の方がなじみがあるのだが…)の最寄り駅、JR常磐線の湯本駅に降り立った。駅前広場の一角に足湯が楽しめるコーナーがあり、硫黄化合物の香りがそこはかとなく漂うなど、早くも温泉地の風情が感じられる。

イメージ 1

 そんな駅前を後にして温泉旅館などが建ち並ぶ街並みの「上町通り」を抜け、10分ほど歩くと、温泉街の賑わいもまもなく果てようという一角に、その建物はあった。

イメージ 2

 重厚な瓦屋根を乗せた現在の姿だけを見ても、それがいかなる建物であったかを想像することは難しいであろう。しかし往事の痕跡は、わずかばかりではあるが残されている。「入口」と書かれたドアと、その横に掲出された「18才未満の方の入場は固くお断り致します。」の注意書き。そして塞がれてはいるが「テケツ」のような窓枠。横に回ると、奥に伸びた平屋部分が見えてくる。

イメージ 3

イメージ 4

 この建物こそ、2006(平成18)年5月31日をもって閉館した「いわきミュージック」の跡である。末期の状況については情報が不足しているが、20世紀の終わり頃には若尾光さん、宝京子さん、相田樹音さん、桜樹ルイさん、雅麗華さん、沙羅さんなど、そうそうたる舞姫のみなさまも乗る“拠点劇場”の一つであった歴史を有している。

 実は街灯のプレートや、敷地内に残された掲示板には「いわきミュージック」の名前を見ることが出来る。しかしこれらはスト劇場としての営業を終えた後、ライブハウスとして使われていた時代の名残りのようである。そして筆者が訪れた日も、網戸が入った窓が少し開き、中から人の声が聞こえるなど生活感をいまだ有している様子が窺えた。筆者が外観を拝見していると突然、横の扉が開き、洗濯物を抱えた高齢女性が姿を現した。目が合ったので「こんにちは」と挨拶の声を掛けたが、女性は筆者を一瞥だけして返答もなく歩き去った。果たしてスト劇場在りし日のことを知っている関係者だったのだろうか。

イメージ 5

イメージ 6

 今回の訪問で一つ謎が残った。現在ネット上で閲覧できる「いわきミュージック」の現役時代の写真では、赤テントに覆われていて見えない前面の壁面に、何やら文字が書かれていた痕跡が見えるようである。

イメージ 7
                                               (コントラストを強調処理)

 筆者の見立てでは「湯本極楽センター」とも読めるようであるが、果たしていつの時代、なんと書かれていた跡なのであろうか。筆者は現役時代に訪れることのなかった劇場ではあるが、建物や掲出物などだけでも末永く残ることを願いつつ、温泉街を後にしたのだった。


(訪問日:2018(平成30)年9月9日(日))

.
名無しの観劇者
名無しの観劇者
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事