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先日のことだが、
ドゥカティ東京ウエストさんの駐車場で Ducati851を見せていただいた。 オーナーさんによると、 そのほかにも998を所有されているそうだが、 それと比べると851は水温上昇は穏やかで 走行風がラジエーターに当たっていれば下がりやすい。 いまとなってはツーリングもこなせるバイクだそうだ。
いいエキゾーストサウンドだった。 ありがとうございます。
セルモーター関連のトラブルがあったそうだが、
ヨコハマのドカ屋として有名なTIOさんで修理してもらったそうだ。 いま851は快調だ。 このバイクの購入は、
世田谷のモトエキスパート(アラオカモータース)さん だっそうだ。 しばし、アラオカ・ケン(安良岡健)さんのことをお話した。
ナン
アラオカ・ケンさんは、 元カワサキ・ワークスライダーだった方ですよね。 たしか1970年代のはじめ頃、 カワサキHIRレーサー(空冷2サイクル3気筒/500cc)で 単身ワールドGPに参戦していたグランプリラーダーだった 人ですよね。 851さん
そうそう、お店には、 1960年代から1970年代まで現役ライダー だった頃の写真が飾られていますよ。 いまは、ドカと古いBMWの販売を手がけられています。 古いBMWが良く売れるのでびっくりしますよ。 いつも常連さんでいっぱいです。 しかし、そろそろバイク屋を閉めて、
コーヒーショップにでもしようかという話です。 おとしですから、 しかたがないことかと? 跡継ぎがいないので、
だれか信頼できる若い人がいればバイク屋を任せたい そうですか、なかなかいないようです。 ナン
そうなんですか。 それは残念なことです。 わたも以前、環七沿いのお店に、
1回だけ出掛けたことがあります。 シルバーの916セナを見せてもらいました。 人当たりのいい紳士でした。 そのときは、
アラオカさんが元グランプリライダーだったことは知りませんでした。 アラオカさんが人格者であることは、 レース業界でも有名なことらしいです。 若手の選手たちの面倒見が非常によく人望が厚かったそうだ。
この851が販売されたのはいつだったかな? マルゾッキ正立フロントフォークが装着されているので、
1989年の851だと思われる。 当時はアルミタンクを装着していたはずだ。 その後、1991年から倒立フロントフォークモデルにマイナーチェンジ
している。タンクはスチール製に変更されたはずだ。 そのときにECUのマネージメントを見直していると 当時の記事を読んだことがある。 Ducati 851SP3
1990年から、
851SP2、SP3、SP4、SPS、SP5と最高峰モデルを毎年リリースしていた。 その頃から言われていたことだが、
SPはレーシングパーツを満載したレーサーに準じるバイクなので、 ツーリングに使うようなシチュエーションでは、 スタンダードの851のほうが快適なはずだ。 たしかにSPシリーズは、クロスミッションを搭載しているため1速が高い。
888ccにボアアップされていたが、 ショートストローク化されたエンジンは扱いが難しい。 スタートで長々と半クラを多用することになる。 また、
アクセルレスポンをダイレクトなものにするため、 インジェクションの燃調は薄くセッティングされていた。 そのことで18k/Lと燃費が良かったと 追跡シリーズの記事を読んだことがある。 しかし、燃調が薄いと水温上昇を誘発する。
エンジンそのものにもいいとは言えない。 SPはサーキットを走らせるモデルだったんだね。 それでもSPは最高だったね。 あの丸みを帯びたアルミタンクとゼッケンスペースを設けたシングルシート。
そして前後にオーリンズサスペンションを装備する。 とくにフロントフォークは、 ダストシールがないオーリンズ・レーシングフォークそのものだった。 当時単品で販売されていたが約100万と高価だった。 スタンダードに装備されていたマルゾッキとは段違いの性能だった。 また、1993年と94年に排気量アップした888が最後を飾った。
851シリーズの中では、 もっとも完成度が高いモデルだったそうだ。 とくに1994年型最後期型888は、916のエンジンと共通する部分が多い。 そして、あのマッシモ・タンブルーニがデザインした、
名車916が登場する。 ハンドリングはいまでも素晴らしいのだが、 サイドカウルを外すとどこにでも手を入れることができるので 整備性が抜群によかった。 しかし、それは851/888という前モデルがあったからこそだ。 851は、1988年に登場したスーパーバイクモデルだ。
そのシーズンから始まったワールドスーパーバイク選手権に参戦した。 その初戦イギリス・ドニントンパークのレース2でいきなり勝利した。 そこから、現在にいたるまでドカ・スーパーバイクモデルが生み出されている。 その最初のアクションは、
空冷Vツイン・パンタエンジン搭載の750F1のモデファイから はじまった。 それまでのドカの歴史の中で
水冷DOHC4バルブ(1気筒)ヘッドを搭載するエンジンは初めてだった。、 そのエンジンとシャーシの開発は、 ドゥカティ・デスモ機構の生みの親、 ファビオ・タイオーニの元でパンタエンジン開発のすべてを 手伝い熟知している弟子の「マッシモ・ボルディー」が行った。 彼は現在MV Agustaの技術部門を統括するテクニカル・マネージャー
に就任してオートバイ業界に復帰した。 一説によるとF1で有名なコスワース社のF1エンジン開発手法と
アドバイスがあったのではと? 言われている。 しかし、そう事は単純には進まない。。
ドカの伝統であるデスモ機構を生かしながらDOHC4バルブ化 しなければならない。 1気筒に4個のロッカーアームと4本のバルブ、2本のカムシャフト が所狭しと配置された。 それは複雑の極みだった。 そのため大きく重いシリンダーヘッドとなってしまった。 これがいま「ビックグランデ」と呼ばれる水冷Vツイン4バルブエンジンの はじまりだった。 そして、1986年にボルドール24時間耐久レースに参戦。
750F1のクランクケースのままでは耐久性に難があることが判明した。 そこでクランクケースの強度を見直して排気量を851ccまでアップした レーサーを新たに開発した。 翌年の1987年のアメリカ・デイトナで開催された ツインレースの最高であるBOTTに出場して見事勝利した。 そのトップスピードは最高峰クラスに出場していた日本製4気筒バイク/750ccと 遜色ないものだった。 デイトナの最上段のバンクを駆け抜けた。 そして満を持して1988年からワールドスーパーバイク選手権に参戦。
そのレギュレーションは、 2気筒エンジンに限り1000ccまで出場できるからだった。 1988 WSBK第一戦イギリス・ドニントパーク
Dycati 851 vs bimota YB4EIRの死闘
そして、いまにいたるまでWSBKの歴史の中でドカ・スーパーバイクモデル が占めた位置は大きい。 マルコ・ルッキネリ、レイモンド・ロッシュ、ダグ・ポーレン、
トロイ・コルサー、カール・フォガティ、トロイ・ベイリス、etc らのグレート・ライダーがドカの栄光を輝かせてくれた。 ロードバイクの851は、
1988年から販売開始された。 そのファースト851は、 前後に16インチタイヤを装着していた。 まだ、17インチ化への過渡期だった。 そのスタイリングは大柄なフロントカウリングを装着していて、 パソと共通するものだった。 エンジン/インジェクションの完成度、ハンドリング云々という話は
置いておくとして、 目の覚めるようなイタリアン・トリコロールカラーは、 いま見ても素晴らしい。 10万k走行して取材されたファースト851の記事を読んだことがある。 以外と耐久性があったのかもしれない? そして1989年型から、前後17インチ化された。
スタイリングが手直しされてWSBKレーサーとの共通化が図られた。 851といえば、
この時期のイメージだよね。 これくらいにしておきましょう。 851オーナーさん。
まことにありがとございました。 ではでは//
今月発売のドカマガで851オーナーさん3人による
座談会が特集されている。
D会議室からお送りします 851-888
851に興味があるドカティスト/ライダーさんは読んだほうがいいよ。
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