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私がはじめてグランプリレースを意識しはじめたたのは、
1978、79年頃のこと。 当時、仙台・菅生サーキットで開催されたTBSビックロードレースの TV放送を観ていた。 当時、九州の福岡に住んでいた私は、 年に1回だけ放送されるグランプリレーサーが走る レースを心待ちにしていた。
そこでケニー・ロバーツ、バリー・シーン、ジョニー・チェコットらの
グランプリを走るトップライダーが出場していた。 マシンは最初TZ750、その後YZR500に代わった。 浅見 貞男、高井幾次郎、金谷 秀夫らの3人の日本人ライダーも
出場していた。。
その頃の夢は、
ほんものワールドグランプリ/TV放送を観たい。 しかし、九州ではそれは叶わぬ夢だった。
また、その頃、日本ではグランプリレースは開催されていなかった。
そういうとき、たしかモーターマガジンに挟み込まれた
ポスターを観た。 それは赤とシルバーに塗り分けられていた、
オートバいレーサーだった。 こんなマシンいままで見たことがない、
日本製レーサーとは違った。 それはイタリアのMV Agustaというメーカーであることがわかった。
そして15回もグランプリチャンピオンに輝いた、
ジャコモ・アゴスチーニの存在を知った。 そして時は流れた。
世の中はネット時代となり、 数多くに情報を瞬時に得る/読むことができるようになった。 あのMV Agustaのことも詳しく知ることができた。 しかし、MV Agusta空冷4気筒エンジンが、
いかなるエキゾーストノートを吐き出していたかはわからなかった。 雑誌の記事には、 他に並ぶものがない甲高いエキゾーストノートを吐き出していた。
とあった。 ...................................
そしてYou Tubeの普及により、
ついにMV Agustaサウンドを聞くことができた。 それが1本目のビデオ。 フィル・リードが走らせるMV Agusta GP500レーサー。
図太く甲高い空冷4気筒サウンドに酔いしれた。
そして最近、
1974年当時、グランプリでトップを走る姿をはじめてみた。 それが2本目の1974年のフランスGPクレモント、 フィル・リード/MV Agusta GP500が勝利した映像だ。 3本目は、1974年のオランダGP(ダッチTT)アッセン。 このときの勝者は、ジャコモ・アゴスチーニ/ヤマハYZR500(OW23)。 このビデオの中に当時新進気鋭の若手、
バリー・シーン/スズキRG500の姿を観ることができる。 グランプリ初優勝は、1975年オランダGP(ダッチTT)アッセン。 その後1984年までの10年間グランプリトップライダーの一人と して活躍する(1976、77 GP500チャンピオン)。 また、ヤーノ・サリーネンが創始者とされるハング・オンライディング、
いや、まだ、リーンインというべきか?
が主流になりつつあることがわかる。
1974年当時、スポークホイールに代えて、
はじめてキャストホイール(&ディスクブレーキ)を装着した
MV Agustaが登場した(1973年後半から)。
ツインサスからモノサスを装着したヤマハ YZR500が登場 (OW23/ベルギーGPから)。
その翌年(1975年)、レース用スリックタイヤ/キャスオホイールが
金谷 秀夫/ヤマハYZR500(OW23)に装着された。
2011 MotoGP日本GPにて
ヤマハグランプリ参戦50周年記念デモラン 。
1974YZR500/TZ500の走り
この頃から2サイクルエンジンの台頭とともに
タイヤ、ホイール、サスペンション、シャーシなどの 目覚ましい技術革新がはじまった。 その後、MV Agustaは1976年をもってグランプリレースの
活動を終息させる。 また、1977年モーターサイクル事業そのものからから撤退した。 開発中の水平対向4気筒エンジンを搭載した新型GP500レーサーは、
永遠にグランプリに出場することはなかった。
Whatever Happened To...MV Agusta's Boxer Four? - Motorcyclist ...一般公開で +1 しました 取り消す
2012/08/27 – Whatever Happened To...MV Agusta's Boxer Four? from Motorcyclist Staff on August 27, 2012 at Motorcyclist Magazine Up To Speed. Words: Aaron Frank Photo: Rich Chenet When MV Agusta won 17 straight 500cc World ...アグスタは、 もう1つの主力事業である航空機事業(ヘリコプターの開発/製造)に注力
するためだった。
MV Agustaのグランプリレース活動は、 ドメニコ・アグスタ伯爵の情熱により支えられていた。 その彼が亡くなったこと(1971年)により、 モーターサイク事業を継続する意思が弱まった。 といえるだろうか?
その後、
1998年 - ベルと合弁会社ベル・アグスタエアロスペースを設立する。
2000年 - 7月、イギリスのウエストランドと対等合併、 アグスタ・ウエストランドとなる
現在にいたる。
いま日本で話題のオスプレイの開発にも一枚かんでいるようだ。
民間用ティルトローター、アグスタ・ウェストランド
『AW609』HeliExpo2012デモフライト映像
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レガシーMV Agusta




