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以前、奥多摩で出会ったヤマハFZR400R
奥多摩最速伝説
1980年代後半、
レーサーレプリカ全盛の時代。 奥多摩有料道路の走り屋たちは、 どんなライダーだったのだろう。 その実像を探ってみたい。 その当時奥多摩で1、2位を争う速いライダーだった 400Rさんに話をお伺いしてみた。 携帯動画で当時の走りを観せていただいた。 どうやって撮影したかは秘密。 バイクは、ヤマハFZR400R。 Exup(排気デバイス)、フローティングディスク/4ポットキャリパー、 リザーバタンク付きリアサス、ラジアルタイヤ。
そしてサーキット走行を想定したクロスミッションを搭載していた。
1987年当時、一歩進んだパーツを装着していた。 価格は89万(車両価格)と高価だった。 ビデオ映像では常に10000rpm以上をキープしてシフトップ、 ダウンを繰り返していた。 クロスミッションなので回転をキープするには、 非常に具合が良い。 あのヘリポートのあるロングストレートの下りでメーター は真下を指していた。
そこで一瞬のうちにハードブレーキングしてスピードを落とす。 即座にバイクをバンクさせてハングオン。 これ以上寝かせるとクラッシュするところまでバンクさせる。 皮ツナギのバンクセンサーを路面にこすり付けてバンク角を 維持する。
そのときブレーキングポイントを誤るとオーバーランする可能性が
高い。ぎりぎりのせめぎ合いだった。
あるとき、後ろから追いかけてきたやつがいた。
ちょっと危ないぞと感じた。 そこでスピードを緩めて先に行かせた。 案の定、止まりきれないでオーバーランしていた。 そういいった光景を何度も見ている。 あのまま走っていたら、
後ろから追突されていただろう。 いまのスーパースポーツバイクでも、 そんなことはできないだろうね。
当時、それほど尖んがった走りをしていたんだ。 毎度お馴染みの男たちとバトルを繰り返していた。 奥多摩有料道路の常連はレベルが高かった
ということだろう。 そう思うよ。 下りなら、あの奥多摩最速と言われてGSX−R750に ついて行けた。 いまでもマシンの差はあったとしても腕は互角だと自負している。 しかし、登りではパワーの差があり勝てない。 なので下りで勝負していた。 その男は、聞くところよると公務員だったが、 いまはバイクから降りている。 腕の立つライダーだったので残念だ。 ナン: R400さんに聞いてみた。
奥多摩有料道路で速いバイクは? 奥多摩はタイトコーナーが多いので、 基本的に重いバイクでは勝負にならない。 ブレーキが効かないし即座に切り換えしもできない。 当時、奥多摩有料道路で速く走れる排気量の大きななバイクは、
乾燥重量179kgのGSX−R750だけだったと思う。 アルミフレームに油冷エンジンを搭載した、
脅威の750ccバイクだった。
ライバルバイクよりも圧倒的に軽量だった。
*初期型GSX-R750はアンダーカウルがFRPだった。
そういったところにも軽量化へのこだわりがあった。
1987年の2型から乾燥重量が181kgまで増えた。
しかし、フローティングデイスク、ステアリングダンパー
エンジンのリファインなどで完成度が上がった。
GSX-R750(1985)乾燥重量/装備重量
179 kg / 198.5 kg(ガソリンなし) 1987 FZR400R
162kg/175kg? FZR750 213 kg / 235 kg RC30
185 kg / 198.5 kg(ガソリンなし)/ 212 kg(ガソリン満タン)
奥多摩有料道路では、 やっぱり軽量な4スト4気筒400cccまたは、 2スト250ccバイクが速かったよ。 それは軽量なので振り回すことができた。 後は腕の差が大きい。
いかに恐怖心を克服できるかだと思う。 エンジンを限界まで使い切り、 ブレーキングを我慢できるか? それはバトルと走り込みでしか身につかないと思う。 私は一か月に1セットのタイヤ(ヨコハマ・ゲッター003?) を消化していた。
4回出掛けたら交換。 その1回が朝から晩まで走り続けた。 その繰り返しでどんどんレベルが上がっていった。 いまはサーキット走行が手軽にできるので、
そこで腕を磨いたほうがいいでしょう。 ところでいまは、 このモタードバイクで充分。 セパハンで前傾がきついバイクには乗りたくない。 腰が持たないよ。 若いときのように無理が効かないんだ。
ナん:
えっ、
この前のツーリングで
BMW S1000RRとつばぜり合いをやったのでは?
えっ、
なんのこと?
続く、.......
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