ここから本文です

書庫過去の投稿日別表示

全1ページ

[1]

YB7物語 Vol. 03

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

YB7物語 Vol. 03

「セイショウバイパスでYB10 Dieciが待っていた」

Bimota YB10 Dieci
エンジン: Yamaha FZR 1000 Exup 4 Cil. Exup搭載(形式:3GM)
フレーム: アルミツインスパー+アルミ削り出しピポットプレート+各部削り
出しパーツ
ボデイーワーク:FRP素材+赤と銀のbimotaカラー
ホイール:オスカム
ブレーキ:Brenbo鋳鉄ディスク+4ポットキャリパー×2
ミラー:ビタローニのベビーターボ
発表: 1990年イタリアミラノモーターショー
製造年: 1991〜1994
製造台数: 224台
最高速:278.1k
0−400m:10.49秒
Dieciが発表される前年の1989年にYB8、YB6 tuataraが発表された。
その翌年の1991にYB8 Furanoが発表された。その中間に発表されたモデルだ。
Dieciはイタリア語で10を意味するYamahaエンジンを搭載した10番目のモデルを意味する。
いやYB8 Dieciだという説もある。
YB8シリーズの中ではそのスタイリング、装備、仕上げの良さで高級車志向のラグジュアリーモデルだった
いえよう。YB8のフレームとエンジンの基本パッケージにマルゾッキ製倒立フロントサスペンション、
そしてDB1を思わせるようなスタイリッシュなボディーカウリングが与えられた。
また、ロングラン時の疲労を軽減するためトップブリッジ上にハンドルを装着していた。
Dieciの性格は、高速ツアラーだったのだろう。
しかし、その中身はスーパーハンドリングのスーパースポーツマシンだったわけだ。
そのころ私は、Bimota YB7に出会うことでわたしのバイクに対する見方は大きく変わった。
一種のカルチャーショックであり黒船来航だったわけだ。
それからオートバイに対しては、エンジンだけではなく走る、曲がる、止まる、仕上げなどの
パッケージ全体で判断する審美眼?を持つようになっていった。
その眼鏡にかなう1台といえば、Ducatiとbimotaのスーパースポーツモデルたちだった。
ある日のこと、YB7を購入したbimota取り扱い店に出かけたときだ。
最新のbimotaモデルのカタログに手を伸ばし見ていたら、いきなりDieciの姿が目に飛び込んできた。
「なんとボリュームのある素晴らしいスタイリングなんだ!」
と驚いてしまった。
基本骨格はYB8とすぐにわかるのだが、ボデースタイリングが起伏に飛んだなんともセクシーなもので、
しかも赤と銀のカラーリングがそれを引き立てている。
「これこそ私が追い求めていた理想のbimotaだ!」
と思わずにはいられなかった。
そのころの私はYB8のスタイリングはなんとかならないものかと思っていた。
とくにあの馬鹿でかくなったデュアルヘッドライトを装着したアッパーカウルが好きになれなかった。
でも、20年近く経つとまったくその考えは逆転した。
いまは、これこそYB8のスタイルだと思っている。
人の思い込みは変るのでしょう。
そこにDB1を大きくしたようなスタイリングのdieciの出現に胸をときめかせたのだった。
テスタロッサに追い抜かれた?一件以降、一部に不満はあるもののYB8への想いが募っていたので、
そのとき現れたDieciに対しては強い憧れになった。
*冷静に考えてみるとテスタロッサのマキスマムスピード290k台と言われているので
 YB8で追いつくことができたかな?

しかし、1991年当時339万?
ほしいと思う前に「ルビコン川」を渡ることを断念してしまった。
*当時は低利で10年払い(120回)のローンなんありませんでした。

いまでもその想いはくすぶっている。
その後に最強のYB8 Furanoが登場した。
そして出会いがあった。
ある日のこと、YB7を箱根に向けて走らせた。
国道16号線を南下して橋本付近からまっすぐXX号線に入る。
そして平塚にたどり着いたとき潮の香りが漂ってきた。その先に太平洋の海原が見えてきた。
XX号線終点を右折してセイショウバイパス方面に向かった。
左に海を見ながら一路、小田原を目指した。そして目的地の1つである。
セイショウバイパスから海に突き出ている「サービスエリア」で一休みする。
少し肌寒い潮風をほほにあてながら見る太平洋の大海原は素晴らしい。
きらきらと光る波間を見ながら緊張の糸をほごしていた。ここに集まるバイク昔もいまも多い。
しばらく潮風にあたって充分に休息を取った後、YB7のもとに戻った。
するとサービスエリア出口付近にbimotaが2台並んでいた。
1台は私と同じYB7だ。
イタリアントリコロールのカラーリングなのですぐにわかった。
もう一台のほうに目炉凝らしてみてみると、赤と銀の特徴的なカラーリングを纏ったフルカバード
ボデイーのDieciがそこにいた。
なんと素晴らしい。はじめて目にした。
そのオーナーと思われるライダーもこちらを見ている。
無言の対話が交わされた。
私はその二人のBimotaライダーの視線を感じながらサービスエリアを後にした。
今考えたら残念なことをした。当時はシャイな若者だった私には「声をかける」ということが
出来なかった。いまはそんなチャンスは逃さない????
残念ながら、それ以来一度もDieciには出会ったことはない。
フルカバードボディーのDieciはアウトバーンやアウトストラーダを走り抜けるには好都合なのだけど、
日本の真夏の暑さを許容できる性格ではないのかもしれない。
もし、オーナーの方とお話する機会があれば、そのあたりのことをぜひうかがいたい。

bimota SB6物語 Vol.1

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

bimota SB6物語 Vol.1

本内容はあくまでも「私的」なものなので、まったく信頼できるものではありません。
そのため、コメントをいただくことは考えておりません。
しかしながらbimota SB6が誕生した背景、パフーマンス、各部の作り込み、etc
を文章に残したく筆を取りました。
そのことを「あらかじめ」おことわりしておきます。

世界最速を目指したモーターサイクルbiimota SB6!

SB6の登場前夜
ここでは、bimota SB6が登場したときの前後の状況を考えてみよう。
なぜ、1993年イタリアミラノショーに突如として世界最速を目指した
bimota SB6が登場したのだろうか?
1990年代前半、モーターサイクル業界とオートバイフリークをあっと言わせた
センターハブステアリング機構を搭載するTesiで最先端テクノロジーを追求してい
たbimotaだったが、なぜ、原点回帰ともいえるオーソドックスなアルミフレームに
戻ったのだろうか?
SB6が登場する前の1992/93年当時、bimotaには経営を安定させる売れる商品
が少なかった。1992年の年間販売台数700台に対して1993年は382台
にまで落ち込んでいた。30〜40名の少数精鋭で運営されていたbimotaだったが、
この状況でBimota第二の危機を迎えていた。
唯一1992に発表されて1993年から販売を開始したDB2がニューモデルとして好評だっ
たようだ。
もし、DB2を出していなかったら、まったく売れる商品がなかったbimotaは存続の
危機だった。DB2は、空冷Vツイン900ccエンジンを搭載するDB1以来のDucati空
冷エンジンを搭載モデルだった。これはカジバグループ(傘下にDucatiが所属していた)
からの援助があったから実現したモデルと言われている。bimotaは、またしてもDB1と
同様にDucati空冷Vツインエンジンに救われたことになる。一説によるとbimotaを離れて
カジバリサーチセンター(CRC)を主催していたマッシモ・タンブリーニの後押しがあっ
たという話もある。
DB2のフレーム設計は主任技師のピエール・ルイジ・マルコーニによるものだが、そこに
マエストロ、タンブリーニの助言があったのか? しかし、そういう事実はない。でも、
そう考えたいのは、主任技師のマルコーニがパイプ・フレームモデル開発の経験がない
からだ。
その後のマントラとDB3/DB4はDB2のクロモリトラスフレームをアルミ・パイプに置き換え
たとも思えるフレームになってしまった。
このDB2は、クロモリトラスフレーム構造でありながら乾燥重量168kgとDucat空冷
Vツインモデルよりも10k以上軽量に仕上げられていた。Bimotaは1976 SB2/1977 KB1の
時代から大径薄肉のクロームモリブデン鋼管(おそらくコロンバス製)を使用している。
これにより耐久性と軽量化を実現したが、なによりもbimotaがその扱いに手馴れていので
相性がよかったのだろう。Bimotaのクロモリトラスフレームは、1970年代半ばから1980年代
の初期にその優秀性でワールドグランプリのトップコンストラクターだった。1980年には
YamahaTZ350エンジンをbimotaオリジナルシャーシに搭載するYB3(Yamahaエンジン搭載の
3番目のbimotaモデル)を駆るジャン・エクロードが350ccクラスのワールドタイトルを
奪取している。そのことが優秀性の証明といえる。DB2もその伝統と技を継承したといえる
だろう。この点が量産車のDucatiと大きく違う。でも、一般ユーザーにはその違いを見分け
ることができない。同じエンジンを搭載したパイプフレームモデルなのにどうしてこんなに
価格が違うのか? そこには、最高の材料、理想の剛性バランスを実現したフレームとスイ
ングアーム、それを1本ずつ丹念にハンドメードで仕上げている。その差が大きな違いになっ
ている。それを理解できるオーナーが現在もDB2を楽しんでいる。また、DB2は、1985に登場
した前後16インチタイヤを装着するDB1とはまるで性格が異なるオートバイだった。
DB2はライダーを高い位置に座らせることによりダイナミックでクイックなライディングを
可能にする。それが前後17インチラジアルタイヤの特性を生かした車体作りだったのだろう?
しかし、ライダーの技量が低いと曲がらない扱いにくいバイクと感じるのも事実のようだ。
1994年に登場したマッシモ・タンブリーニ設計の名車Ducati916も同様な方向性だった。

続く

写真1  :My bimotaSB6
写真3と4:bomota DB2EF/DB2SR

・SB6 物語 Vol .02
 http://blogs.yahoo.co.jp/nanbu83/18629354.html

全1ページ

[1]

nan*u83
nan*u83
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4
5
6 7
8
9 10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31

過去の記事一覧

検索 検索

よしもとブログランキング

もっと見る
本文はここまでですこのページの先頭へ

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!

その他のキャンペーン

みんなの更新記事