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2014年10月27日
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Vs
1978 Ducati 900TTレーサー
マイク・ヘイルウッドによりホンダRCBを破った。
それは伝説のはじまりだった。
奥多摩最速伝説 「MHR900の伝説」(編集中)
1984年代頃のことだ。
日曜夕方の新青梅街道。 私は平松交差点に差し掛かった。 そのとき、信号待ちしていた赤いバイクを見た。 青信号と同時にドドドドドというという爆音を響かせながら加速する バイクを何度も目撃している。
「なんとも凄まじいエキゾーストノートだ」
しかし、いつまでもその余韻が残る心地よいサウンドだった。
それはドゥカティMHR900だった。 そのときドゥカティというイタリアのバイクメーカーのことは バイク雑誌でその存在を知ってるくらいだった。 日本製オートバイにはないデスモ機構という独自性 で注目を浴びているらしい。 それくらいの知識だった。 そういった想い出を友人に話したところ、
この前近くのコンビニでDucati 900S2を見たよ。
若い子が走らせていたので驚いたね。
あっ、ダブルシートの900SSですね。
私が呟くと、
そうだ想い出した。
そのMHR900だけど、強烈な想いでがあるよ。
と言って彼は語りだした。
そのバイクショップは、 国道16線沿い横田ベースのすぐ近くにあった。 ホンダCB92、CB72、CB750 Four(K0) そして極め付けはホンダの市販レーサーCR110、 その昔のスーパースポーツバイクを数多く展示または販売していた。 仮にDとしておこう。 店主のDはいった。 「おもえ達は奥多摩では俺たちが一番速い」 そう言ってるんだって? RZ250を走らせるHRは、
「いや、それほどでもないです。
でも、抜かれたことは一度もありません」 そうきっぱりと言い切った。 ほう、それはえらいこと(どえらいこと)をいうね。 それなら俺がそれを確かめてやろう。 俺も抜かれたことなんて一度もないよ。 HRは、 このおやじ、 ふかしているんじゃないよ。 口だけは達者だね。 俺たちは奥多摩3連星だ。
目にもの見せてやる。 そしてバトルツーリングに出掛ける日を約束した。 その朝、HRは仲間とともに、 奥多摩湖畔の大麦代園地駐車場で待っていた。 そこにドドドドという図太いエキゾーストノートを 響かせながらやってきたのがDucati MHR900だった。 全身黒のワンピースの皮ツナギにシルバーのジェットヘル をかぶっていた。 ヘツメットは新しいが、 昔ながらのアサマスタイルだ。 Dはいった。
今日は3人か? なら出かけるとするか? 俺も久しぶりだから最初はゆっくり行こうや。 HRは、これが噂のMHR900か? はじめてみたよ。 でも、あんな重いバイクにRZ250が負けるわけがない。 お手並み拝見と行こう。 最後にとどめを刺してやるさ。 メンバーはいつもの白と黒のRZ250とCB400Fの 奥多摩3連星。 最強のバトリストたちだ。 そして今回のターゲットである、 Ducati MHR900を走らせるD。 まず奥多摩から柳沢峠を越えて山梨県塩山市まで軽く流した。 お互いの力量を値踏みするためだ。 Dは考えていた。 やつらはまだ若いぼくちゃんたちだ。 怪我でもしたらわいそうだ。 軽くあしらってやるくらいにしよう。 俺の速さについてこれるはずがない。 そう高をくくっていた。 しかし、Dは再び考えた。 やつらの走りを見ていると、 以外とやる。 侮れない。 それと同じことをHR/RZ250も考えていた。 おやじのくせに、 ビックバイクなのに意外と速い。 国産空冷4気筒ビックバイクの連中とは違う。 侮れない。 そして塩山市内の食堂で早い昼食をとった。
Dは饒舌だった。 すでに牽制しているかのようだった。 帰りの柳沢峠までのバトルで本気を 見せてやるから覚悟しておけよ。 お前たちも本気で襲いかかってこい。 HRは目を合わせないように天井を見つめていた。 わかりました。 そう答えたが、 そういう高圧的な物言いに腸わたが煮えくりかえっていた。
見てろよ。 目にもの見せてやる。 吠え面かくなよ。 いよいよ本気のバトルがスタートを切った。 塩山から柳沢峠頂上までのマウンテンコースだ。 平たんな道ばかりではない。 最初の道は整備されているので、 ストレートと高速コーナーが続く。 その後、スイッチバックのようなコーナーと 山の中のラフロードが続く。 最初はジャブの応酬というか、 ペースは速いが抜きつ抜かれつだった。 お互いの得意な場面を見ているようだった。 お互い、こういう本格的なバトルは初めてだった。
いままで出会った相手とはレベル差があったので すぐに決着がついた。 瞬間的に速く走ることはあっても、 いつもは7分から8分の力で走っていた。 今回は違う。 柳沢峠頂上までの長いバトル・ヒルクライムだ。 バイクとライダーの限界が試される。 サーキットのように同じコースを周回する こととも違う。
それを見切ったDは、 いきなりペースアップした。 やつらはコーナーインのブレーキングはそれほどでもないが、
コーナーが速い。 立ち上がり加速で差を付けて ベベルギアLツインを限界の7,500rpm(80Ps) まで目いっぱい回して逃げ切るしかない。
そういったDの走りに驚いたHR/RZ250だった。 ブレーキが強力だ。 また、ストレートでは追いつけない。 なんとかコーナーで差をつめることができる。 しかし、立ち上がりでまた差を付けららる。 その繰り返しだ。 しかし、どうしてあんなにブレーキが効くんだ。 そして素早い切り替えしと鋭い加速。 いままで見たことがないほどバンクさせている。
完璧なリーウイズライディングながら、
バイクをタイヤの限界まで寝かしてサイドカウルを擦っている。 マイク・ヘイルウッドを思わせるリア・ステアライディング
だった。Lツインは幅が狭いので、 そんなことができるのだろう。 いままで出会った国産4発のライダーとはまるで違う。
彼らはクランクケースカバーがサイドに張り出しているので、 バイクをバンクさせるにしても限界がある。 ビックバイクのドゥカティがそこまで俊敏に動けるなんて驚きだ。 MHR900は驚くべき速さを持ったバイクだと悟った。 しかし、ぎりぎりまでブレーキを我慢して
コーナリング区間で差を詰めれば、...... HRはタンクに上半身を伏せてハングオフ、
リアアタイヤを中心としたリアステアでRZ250を
走らせていた。
それはケニーロバーツのライディングスタイルだった。
この当時はフロントタイヤのグリップに頼ったライディング
は不可能だった。
そういうバイクだった。
、...............
あれあれ、
RZ250の水冷2ストパラツインをトップエンドまで回し続けて いるせいなのか?
水温がまったく下がらない。 パワーダウンしている。 また、リアサス(モノクロスサス)の動きが悪くなってきた。 リアサス内のオイルがヒートしているのか? *1980年代初期のバイクを限界まで酷使すると、 あちこちに耐久性のなさが露呈する。 だめだ。 CB400Fは鋳鉄ディスクだからまだ余裕がありそうだが、 RZ250のブレーキはそろそろ限界だ。 握りがスポンジーになってきた。
熱だれしている。
、............... Dは驚いていた。
ここまで俺に追いすがるバイクなんていままでいなかった。 俺もそろそろ限界だ。 ブレーキをかける右手が限界だ。 コンチ製マフラー、 ブレンボ製「ゴールドライン」レーシング・キャリパーと 穴開け加工された放熱性に優れる鋳鉄ディスク、 カンパニョーロ・マグホイールに履かせたピレリ・ファントム じゃなかったら、 、.............. だめだ。
MHR900の空冷デスモLツインを
トップエンドまで回したとき、 だんだんとパワーダウンしている気がする。 いままでこんなに回し続けたことはない。 冷却が追いついていないのかもしれない。
オイルは20W−50のバルボリンを入れているのだが、
せめてタペット調整をしてくるべきだったかもしれない。
*当時のバルボリンは北米ペンシルバニア産の鉱物油。
グリーンオイルと呼ばれていた。
いまのように全化学合成のハイグレードオイルはまだない時代
だったが、
その油膜と耐久性は最高級グレードだった。
ピレリ・ファントム(バイアス)は強力なグリップを約束して
くるが、このバトルで熱ダレしているのか?
グリップが低下している。
*最近のラジアルハイグリップタイヤは熱だれなんかしない。
むかしは違いましたね。
最後は山間部のラフロードにオーバースピードで 突き刺さりそうになったが、
なんとか持ちこたえてクリアした。 その先に柳沢峠の茶店が見えてきた。 そこでゴール。 なんとか奥多摩3連星の3台を抑えきった。 しかし、薄氷を踏むような勝利だった。 Dは思った。 二度とこんなバトルはやりたくない。 やつらのバイクにもっとパワーがあったら、 ダブルディスクを装備したRZ350だったら勝てなかった かもしれない? これでは1973年のイモラ200と同じだ。
ヤーノ・サリーネンが走らせたヤマハTZ350に勝利を 奪われた。 Ducati 750SSの2連覇を阻まれたんだった。 このときから2サイクルバイクとの恩讐が始まった。 ドゥカティ・デスモ機構の生みの親ファビオ・タリオーニは、 2サイクルエンジンを消防用ポンプとなんら変わらないと 言い放って忌み嫌った。 エンジンとして美しくない。 Dはいった。 お前たちはよくやくやった。 さすがに奥多摩最速の3連星だ。 認めるよ。 バトルにはからうじて勝ったが、
Dの気持ちは敗北感でいっぱいだった。
俺の時代は終わった。 もはや速さににこだわわってもしかたがない。 そう心のなかで呟いたDだった。 この内容は当時奥多摩最速のHR/RZ250さんからの
聞き取り調査をもとに小職がアレンジを加えてストーリーとした。 時は1981年または82年頃のことだ。 団塊の世代と新人類と呼ばれた世代の激突。
世はバイクバブルに浮かれて沸騰していった。
バイクとそれを走らせるものたちも、
ゴールのない道を突き進んでいた。
Year
1979-82 Max Power 80 hp @ 7500 rpm Front Tyre
100/90 V18 Rear Tyre 120/90 V18 Dry-Weight / 202 kg Standing ? Mile 12.5 sec / 109 mph Year
1980-81 Max Power 35 hp @ 8000 rpm Front Tyre
3.00-18 Rear Tyre 3.25-18 Wet-Weight 139 kg |
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