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bimota yb8 in japan 15-08-2008 Vol01 ビデオ映像の再生はYou Tube画面の(>)ボタンをクリックする。 bimota db1 in japan Vol01 ビデオ映像の再生はYou Tube画面の(>)ボタンをクリックする。 bimota YB7物語 Vol.06 ■1990 YB7との遭遇 注文して2ヶ月くらい経ったある日、バイクが入荷したと連絡があった。 bimota YB7はイタリア・リミニで梱包されて「木箱に入って」海を越えて運ばれてきた。 はるばるイタリアから運ばれてきたかと思うと感慨深いものがあったね。 そのためYB7と対面したときは興奮した。 しかも、何度もいうがオートバイが木箱に入っているとは驚きだったね。 蛇足だが、 下記のビデオでbimotaの製造/組み立て出荷風景を見られる。 実際に木箱に収めているよ! Twist the Throttle- Bimota Pt. 2 ビデオ映像の再生はYou Tube画面の(>)ボタンをクリックする。 http://it.youtube.com/watch?v=S3-DSMDVZJk 話を元に戻す 当時のパソコンはインターネットはおろか会社内のネット接続された初期の段階だった。 そのため海外のバイク情報は、オートバイ雑誌に限られれいた。 イタリアは遠い国だったけどbimotaの素晴らしさは、それを超越していたね。 *実はいまのbimotaの各モデルは木箱に入って運ばれてくる。 Ducatiは組み立て式金属フレームの箱に入っている。 頑丈でいいのだが、..... その木箱にはbimotaの文字が誇らしげに入っていた。 捨てるには惜しいのでしばらくの間アパートの1Fに置い楽しんでいた。 その「木箱」の開梱作業をドキドキしながら見ていた。 そしてついにYB7が姿を表した。 やっぱり、 イタリアントリコロールの白地に赤と緑のストライプに目を奪われた。 db1と同じカラーリングだ。 5 しかし、気になったのは、 マルゾッキ製Fサスのアウターチューブの仕上げだった。 丸く加工されたチューブのヘリがところどころ加工不良があったからだ。 サスの機能には問題ないが、気持ちのいいものではなかった。 そのあたりはイタリアものだからしかたがないと諦めた。 当時の感覚は日本車の3倍近い高級車を購入したので、 完璧なはずだとの思いが先にたっていたね。 今見るとbimotaが切削加工した削り出しパーツやシャーシの溶接は、 完璧で少しも色あせるものではない。 もう1つ気になったのは、 リアブレーキの不具合だね。 ブレーキを踏むとトットットと感触が返ってくる。 このときはFブレーキしか使っていなかったのでさほど気にしなかったが、 今はRブレーキなしではバイクに乗れない。 当時はブレーキディスクが歪んでいると思い込んでいたが、 どうも、 リア・ブレーキキャリパーの取り付け角度の問題かな? またはブレーキマスターシリンダーの不具合か? YB7を再始動させるときはぜひとも修理しなくてはならない。 当時を振り合えってみると、 bimota YB7は国産車の作り込みをはるかに超える存在だった。 ・FRPカウリングと厚みのある艶のある塗装 ・アンチコダル100素材のシャーシとその溶接、 ・切削加工されたピポットプレート ・Fホークトップブリッジの切削加工 ・ジュラルミン鍛造のペダル類ステー ・bimota製(ABM製?)左右ステップ ・ブレンボ製鋳鉄ディスクプレート/キャリパー ・bimotaのネーム入りアルミホイール(オスカム製) ・リア・オーリンズサス ・ミシュランハイスポートラジアルタイヤ これだけのこだわりのパーツを装備するのは、 最高のハンドリングを実現するためだけに選びぬかれたものだ。 もちろん、ライダーの所有欲を満足させてくれる。 今になって、 その素晴らしさがわかるようになってきた。 こだわって作りこんだバイクは、時間がたつにしたがって その良さがわかってくるものだ。 当時は些細な欠点が気になって全体が見えなかったともいえる。 でも、 これほど素晴らしいハンドリングを持ったバイクを経験したことがなかった。 そのよさは、素人同然だった当時でも体感することができた。 bimota YB7は最高のハンドリングを楽しませてくれた。 それを可能にした装備の1つはタイヤだろう。 ミシュランハイスポートラジアルのウルトラグリップに舌を巻いた。 このタイヤの性能を余すことなく発揮させることができるのが、 bimotaのシャーシとサスペンションだったのだ。 単にハイスポートラジアルを履かせただでは、 このウルトラハンドリングは可能にならない。 YB7だから可能になったといえる。 ・まっすぐ走らせたただけで感じることができる、 なんともいえないスタビリティー ・路面に吸い付くようなコーナリング ・高速からギューっと握るとスーットと締め付けるように効く鋳鉄ディスクブレーキ でも、インスツルメントパネルは不満だったね。 db1のベリラ?製のメーター・デザインがあまりにも素晴らしいので、 その落差にがっかりしたものだ。 このベリラ?製のメーターはかなりコストがかかっているそうだ。 当時のジュジェッペ・モーリ社長の決断がなければ、 DUCATI 750F1のメーターを採用していただろう。 会社を立て直すために、 それだけdb1を売りたかったということだろう。 しかし、 信頼性あるパーツを入手することは難しいことも事実だ。 Dieci(YB10)以降メーターパネルは、 Yamaha製のメーターにbimotaデザイン/ロゴを加えることでオーナーを納得させるにいたった。 続く お願い
この内容は個人的な感想です。 なんだかんだと言わないでください。 |
YB7を語る
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http://www.youtube.com/embed/g-dpkmvOYec&hl=ja&fs=1&fs=1vid=288230376151998261 bimota YB7物語 Vol.05 ■bimota YB7購入にいたる経緯 はじめてのbimota、 bimota YB7購入にいたったきっかけはなんだったのだろう? そのことを思い出してみたい。 それは、ライダースクラブ誌の影響が大きかったと思う。 そしてbimotaを意識しはじめたのは1985年にDB1が登場したときじゃないかな? その当時パンタエンジンを搭載したDucati 750F1モディファイ特集/連載 (パワーハウスが車両を製作)とbimota各モデルの詳細を繰り返し紙面で伝えていた。 たぶん、いい意味で感化されたというべきだろう。 *パンタ=パンサーの略 日本のオートバイにも次々に新たなテクノロジーが投入された。 空冷から水冷4気筒エンジン、バイプフレームからアルミフレーム、 バイアスからラジアルタイヤとめまぐるしく変化していった時期だった。 しかし、販売価格に対して「コストの許す範囲」という条件があった。 そういう状況の中bimotaは時代のトレンドを先取りした夢のオートバイを 開発して販売していた。 それまでは、 bimotaのことは輸入車特集などで知るのみだった。 イタリアのカスタムフレームビルダーとして日本製スーパーバイクを1台購入して、 そこからエンジン、メーター、ライトなどの主要なパーツのみ使用して、 bimotaが設計/製造するハンドメード・シャーシに搭載する。 そして、ハンドメードのFRP製カウリング/シートカウルを装着する。 そのことで、 ライダーが夢見る究極のモーターサイクルを作りあげていた。 時代の先を行く最先端パーツを満載してライダーに夢を売っていたというべか? また、レーサーに匹敵するハンドリングを秘めていた。 そのころ、よく2輪のフェラーリと言われていたね。 しかし、その当時も今もbimotaの各モデルは、高額なバイクだった。 社会人になって間もない若い私には、まったく縁のない別世界の存在だったといえるだろう。 また、イタリアのオートバイなのになぜ? イタリア製のエンジンを搭載したモデルがないのか? オールイタリアンならもっと魅力的なのにな、 と考えていたかな? ところが1985年になって状況が一変した。 それまでに見たことがない、 フルカバードボディーの独特なスタイリングのbimota db1が登場した。 しかも、イタリア・カジバ/Ducati社から供給された750F1パンタのエンジンを搭載していた。 エンジンも含めたオールイタリアンのbimotaが突如として登場したわけだ。 日本のバイク界は、このbimota db1の登場に話題騒然だったね? パールホワイト地に赤と緑のラインが入ったイタリアントリコロール・カラーのbimota db1は、 一度でも見た人に絶対に忘れることができないインパクト/魔力?を与えていた。 それは、プレスリリース用の写真が素晴らしく、 db1のスタイリングを余すことなく表していたといっていいだろう。 このような先進的なスタイルのバイクは、 当時の日本には存在しなかったので大いに注目されたものだ。 また、その後登場した日本製オートバイのスタイリングに絶大な影響を与えたことはいうまでもない。 数多くのフルカバードバイクが登場した(写真5:CBR400 Aero)。 また、bimota db1の初期モデルは、200万(成和モータースは178万で売っていた) くらいの価格だったこともあり、 一気にbimotaが身近な存在になった。 それと同じ時期に奥多摩でもDucati 750F1を頻繁に目にするようになったので、 ちょっとしたイタリアンバイクブームになっていたのかな。 また、bimota db1は筑波を中心とするクラブマンレースでも大活躍した。 その頂点は、1987年の秋にbimotaワークスが来日してダビデ・ タルドッチーが鮮やかに勝利 したときだろう。 それは、bimota db1の輸入元の福田モータースとパワーハウス・モータークラブの協力により 実現されたものだった。 また、伝統の日本製4気筒エンジンを搭載したトップレンジモデルについては、 Yamaha製水冷4気筒エンジンを搭載したモデルを新たにカロッチェリア・ジャパンが取り扱う ことになった。 bimotaも最新のトレンドであるアルミフレームにはじめて取り組んだ。 そしてYamaha製水冷5バルブエンジンを搭載したYB4EIとYB6が登場して注目を浴びていた。 特にYB4EIは、スーパースポーツがキャブレター全盛の時代に 電子制御のフューエルインジェクションを搭載していたことで最先端技術にトライしていたといって いい。 その成果はワールドスーパーバイク選手権に参戦して数多くの勝利を重ねた。 このbimota DB1とYB4IE/YB6の存在が、私を虜にしてしまったことはいうまでもない。 もちろん、その元ネタはライダースクラブだった。 しかし、私の前には大きな問題が横たわっていた。 私は中型自動二輪免許(普通自動二輪)しかなかったのだ。 現在は教習所で簡単に大型自動二輪免許を取得できるが、 その当時は府中自動車試験場で合格するしか限定解除するチャンスはなかった。 多くのライダーは無念の気持ちを抱いて帰宅していたね。 ほんの一部のライダーしか合格できない狭き門だった。 また、合格するための練習場の設備もほとんどなかった。 いまでも思うことは、 なんと理不尽な仕打ちなのだろうと思うね。 そのため、 20代の若い時は、bimotaへの憧れはあっても免許取得の問題があり、 それを現実のものにすることができなかった。 当然、仕事が忙しく(仕事を覚えて人間関係を確立するなどetc)自由になる時間は少なかった。 そういうとき、渋谷の福田モータースのショールームでbimota db1をはじめて見た。 たしか1987年頃?だった思う。 スタッフの一人によると、 このdb1はDucati 400F3のエンジンを搭載しているのだという。 えっ! なんと中免(普通自動二輪免許)で乗れるbimotaモデルがあったのか? 「これほしいよ」 と思ったことはいうまでもない。 たしか、 「もうちょっとすれば販売できるかがはっきりします」 と聞いたような気がする? しかし、現実には購入する資金もなく、ローンを組もうにも、 その当時の金利はべらぼうに高かった(たしか15%だったかな?)。 すぐに夢が覚めてしまい、現実に引き戻されてしまった。 その後、db1は気難しいとの噂が流れていっそう 縁遠い存在になっていった。 イタリアンバイクならでは難しさがあったようだった。 後年、Ducati400F3(6速)を購入してわかったことだが、 この空冷」Vツインのパンタエンジンの扱いは難しかったね。 特に強制開閉式のデロルト製キャブは、 日本製負圧キャブのようなラフな扱いを許してくれるものではなかった。 エンジンのギアポジションと回転に合った微妙にアクセリングを行わないとアクセルを開けても 失速してしまう。 そのたび、 「未熟者め!」 と罵られているかのようだった。 そこで私は、 5000〜6000rpmでギアを上げ下げすると個気味よく 走ってくれることを学んだ。 でも、信号からダッシュなんてまったく出来なかった。 隣に並んだNSR250に置いていかれていたね。 また、レギュレーターの特性から来るバッテリの充電不足など、 乗る前/後に考えなくてはならないことは山のようにあった。 でも、コンチマフラーから吐き出されるエキゾースト・ノートが素晴らしかった。 あるとき、Yamaha SR400に乗るライダーが後から付いてきて離れなかったことがある。 ヘルメットを脱いだら、そのSRライダーが声をかけてきて、 「素晴らしいサウンドですね」 と褒めてくれた。 そのため、もし無理を重ねて福田モータースからDB1-400J(60台輸入)を購入していたら、 トラブル地獄にはまって身動きが取れなくなっていたかもしれない。 でも、Ducatiのエンジンを搭載したbimotaという1点で手放さなかったかもしれないね。 いまでもdb1の中古車情報を目にすると当時の記憶が蘇ってくるな〜っ。 そういうbimoraへの思いがこみ上げていた1988年頃のことだった。、 ライダースクラブのネモケンさんがイタリア・リミニのbimotaメカニカ社訪問が特集されていた。 その特集の大半は、DB1とYB6/YB4EIのことで埋め尽くされていた。 ちなみにYB4EIの記事をなんども読み返したことか! そのことが後年、YB6 Tuataraの(FZR1000エンジン+インジェクション搭載)購入に繋がった。 その記事の中にほんの数行だけ、 Yamaha FZR400R水冷4気筒エンジンを搭載したYB7の開発が進行中であると フェデリコ・ マルティーニ主任技師が語っていた。 これは、凄いことだ! bimota DB1J(400cc)とは縁がなかったが、 このYB7ならば私にも扱えるかもしれない。 エンジンは日本製の400ccなのだから、きっとトラブルも少ないだろう。 しかし、bimotaだからきっと高価に違いない。 そういう期待とも不安とも思える複雑な気持ちでYB7の登場を待った。 たしか1989年のことだと思うが、 カロチェリアジャパンの広告がライダースクラブ?に掲載されていたが、 その号にはYB7の名前が踊っていた。 「GP250マシンと遜色ないタイムをミサノサーキットでたたき出した」 とあった。 すごいポテンシャルのバイクだ。 そしてときを経ないでYB7のロードインプレッションが ライダースクラブに掲載された。 No.131号 ニュートラルステアのハンドリング。 フロント・マルゾッキサスとリア・オーリンズサスが魅せてくれる絶妙なコーナリング。 また、ハンドメードのアルミシャーシの素晴らしさ。 また、最新のミシュランハイスポートラジアルタイヤが装着されていた。 そしてパワー規制のない本来のパフォーマンンスを発揮する68psのハイパワーを 搾り出すYamaha水冷4気筒エンジン。 良いことだらけの完璧なオートバイに思えたね。 そして、YB7を購入する引き金になったことは、 低金利60回の長期bimotaローンが組めたことが大きい。 212万という価格設定も魅力的だった。 YB6/YB8よりもかなり安いと思ってしまった。 購入店は当時bimotaの取り扱い店だった拝島のKサイクル。 カラーリングは、 もちろんDB1と同じ白、赤、緑のイタリアントリコロール・カラーを注文した。 バイク屋の社長は在庫しているTTF1チャンピンカラーがいいのではと渋ったが、 この選択は絶対に譲れない。 *いまはTTF1チャンピンカラーもいいな〜っと思うけどね(写真1)。 続く お願い
この内容は個人的な感想です。 なんだかんだと言わないでください。 |
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World Superbikes 1988 Donington Park |
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YB7物語 Vol. 03 |
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