ここから本文です

書庫YB7を語る

記事検索
検索

全11ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 前のページ | 次のページ ]

bimota YB7物語 Vol.06

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

bimota yb8 in japan 15-08-2008 Vol01

ビデオ映像の再生はYou Tube画面の(>)ボタンをクリックする。

bimota db1 in japan Vol01

ビデオ映像の再生はYou Tube画面の(>)ボタンをクリックする。

bimota YB7物語 Vol.06

■1990 YB7との遭遇

注文して2ヶ月くらい経ったある日、バイクが入荷したと連絡があった。
bimota YB7はイタリア・リミニで梱包されて「木箱に入って」海を越えて運ばれてきた。
はるばるイタリアから運ばれてきたかと思うと感慨深いものがあったね。
そのためYB7と対面したときは興奮した。
しかも、何度もいうがオートバイが木箱に入っているとは驚きだったね。

蛇足だが、
下記のビデオでbimotaの製造/組み立て出荷風景を見られる。
実際に木箱に収めているよ!

Twist the Throttle- Bimota Pt. 2
ビデオ映像の再生はYou Tube画面の(>)ボタンをクリックする。
http://it.youtube.com/watch?v=S3-DSMDVZJk

話を元に戻す
当時のパソコンはインターネットはおろか会社内のネット接続された初期の段階だった。
そのため海外のバイク情報は、オートバイ雑誌に限られれいた。
イタリアは遠い国だったけどbimotaの素晴らしさは、それを超越していたね。

*実はいまのbimotaの各モデルは木箱に入って運ばれてくる。
 Ducatiは組み立て式金属フレームの箱に入っている。
 頑丈でいいのだが、.....

その木箱にはbimotaの文字が誇らしげに入っていた。
捨てるには惜しいのでしばらくの間アパートの1Fに置い楽しんでいた。

その「木箱」の開梱作業をドキドキしながら見ていた。
そしてついにYB7が姿を表した。

やっぱり、
イタリアントリコロールの白地に赤と緑のストライプに目を奪われた。
db1と同じカラーリングだ。


5
しかし、気になったのは、
マルゾッキ製Fサスのアウターチューブの仕上げだった。
丸く加工されたチューブのヘリがところどころ加工不良があったからだ。
サスの機能には問題ないが、気持ちのいいものではなかった。

そのあたりはイタリアものだからしかたがないと諦めた。
当時の感覚は日本車の3倍近い高級車を購入したので、
完璧なはずだとの思いが先にたっていたね。

今見るとbimotaが切削加工した削り出しパーツやシャーシの溶接は、
完璧で少しも色あせるものではない。

もう1つ気になったのは、
リアブレーキの不具合だね。
ブレーキを踏むとトットットと感触が返ってくる。
このときはFブレーキしか使っていなかったのでさほど気にしなかったが、
今はRブレーキなしではバイクに乗れない。
当時はブレーキディスクが歪んでいると思い込んでいたが、
どうも、
リア・ブレーキキャリパーの取り付け角度の問題かな?
またはブレーキマスターシリンダーの不具合か?
YB7を再始動させるときはぜひとも修理しなくてはならない。

当時を振り合えってみると、
bimota YB7は国産車の作り込みをはるかに超える存在だった。

・FRPカウリングと厚みのある艶のある塗装
・アンチコダル100素材のシャーシとその溶接、
・切削加工されたピポットプレート
・Fホークトップブリッジの切削加工
・ジュラルミン鍛造のペダル類ステー
・bimota製(ABM製?)左右ステップ
・ブレンボ製鋳鉄ディスクプレート/キャリパー
・bimotaのネーム入りアルミホイール(オスカム製)
・リア・オーリンズサス
・ミシュランハイスポートラジアルタイヤ 

これだけのこだわりのパーツを装備するのは、
最高のハンドリングを実現するためだけに選びぬかれたものだ。
もちろん、ライダーの所有欲を満足させてくれる。

今になって、
その素晴らしさがわかるようになってきた。
こだわって作りこんだバイクは、時間がたつにしたがって
その良さがわかってくるものだ。
当時は些細な欠点が気になって全体が見えなかったともいえる。
でも、
これほど素晴らしいハンドリングを持ったバイクを経験したことがなかった。
そのよさは、素人同然だった当時でも体感することができた。


bimota YB7は最高のハンドリングを楽しませてくれた。
それを可能にした装備の1つはタイヤだろう。
ミシュランハイスポートラジアルのウルトラグリップに舌を巻いた。
このタイヤの性能を余すことなく発揮させることができるのが、
bimotaのシャーシとサスペンションだったのだ。
単にハイスポートラジアルを履かせただでは、
このウルトラハンドリングは可能にならない。

YB7だから可能になったといえる。
・まっすぐ走らせたただけで感じることができる、
 なんともいえないスタビリティー
・路面に吸い付くようなコーナリング
・高速からギューっと握るとスーットと締め付けるように効く鋳鉄ディスクブレーキ

でも、インスツルメントパネルは不満だったね。
db1のベリラ?製のメーター・デザインがあまりにも素晴らしいので、
その落差にがっかりしたものだ。

このベリラ?製のメーターはかなりコストがかかっているそうだ。
当時のジュジェッペ・モーリ社長の決断がなければ、
DUCATI 750F1のメーターを採用していただろう。
会社を立て直すために、
それだけdb1を売りたかったということだろう。

しかし、
信頼性あるパーツを入手することは難しいことも事実だ。
Dieci(YB10)以降メーターパネルは、
Yamaha製のメーターにbimotaデザイン/ロゴを加えることでオーナーを納得させるにいたった。
続く

お願い
この内容は個人的な感想です。
なんだかんだと言わないでください。

bimota YB7物語 Vol.05

http://www.youtube.com/embed/g-dpkmvOYec&hl=ja&fs=1&fs=1vid=288230376151998261



bimota YB7物語 Vol.05

■bimota YB7購入にいたる経緯
はじめてのbimota、
bimota YB7購入にいたったきっかけはなんだったのだろう?
そのことを思い出してみたい。

それは、ライダースクラブ誌の影響が大きかったと思う。
そしてbimotaを意識しはじめたのは1985年にDB1が登場したときじゃないかな?
その当時パンタエンジンを搭載したDucati 750F1モディファイ特集/連載
(パワーハウスが車両を製作)とbimota各モデルの詳細を繰り返し紙面で伝えていた。
たぶん、いい意味で感化されたというべきだろう。
*パンタ=パンサーの略

日本のオートバイにも次々に新たなテクノロジーが投入された。
空冷から水冷4気筒エンジン、バイプフレームからアルミフレーム、
バイアスからラジアルタイヤとめまぐるしく変化していった時期だった。
しかし、販売価格に対して「コストの許す範囲」という条件があった。
そういう状況の中bimotaは時代のトレンドを先取りした夢のオートバイを
開発して販売していた。

それまでは、
bimotaのことは輸入車特集などで知るのみだった。
イタリアのカスタムフレームビルダーとして日本製スーパーバイクを1台購入して、
そこからエンジン、メーター、ライトなどの主要なパーツのみ使用して、
bimotaが設計/製造するハンドメード・シャーシに搭載する。
そして、ハンドメードのFRP製カウリング/シートカウルを装着する。

そのことで、
ライダーが夢見る究極のモーターサイクルを作りあげていた。
時代の先を行く最先端パーツを満載してライダーに夢を売っていたというべか?
また、レーサーに匹敵するハンドリングを秘めていた。
そのころ、よく2輪のフェラーリと言われていたね。

しかし、その当時も今もbimotaの各モデルは、高額なバイクだった。
社会人になって間もない若い私には、まったく縁のない別世界の存在だったといえるだろう。
また、イタリアのオートバイなのになぜ?
イタリア製のエンジンを搭載したモデルがないのか?
オールイタリアンならもっと魅力的なのにな、
と考えていたかな?

ところが1985年になって状況が一変した。
それまでに見たことがない、
フルカバードボディーの独特なスタイリングのbimota db1が登場した。
しかも、イタリア・カジバ/Ducati社から供給された750F1パンタのエンジンを搭載していた。
エンジンも含めたオールイタリアンのbimotaが突如として登場したわけだ。

日本のバイク界は、このbimota db1の登場に話題騒然だったね?
パールホワイト地に赤と緑のラインが入ったイタリアントリコロール・カラーのbimota db1は、
一度でも見た人に絶対に忘れることができないインパクト/魔力?を与えていた。
それは、プレスリリース用の写真が素晴らしく、
db1のスタイリングを余すことなく表していたといっていいだろう。

このような先進的なスタイルのバイクは、
当時の日本には存在しなかったので大いに注目されたものだ。
また、その後登場した日本製オートバイのスタイリングに絶大な影響を与えたことはいうまでもない。
数多くのフルカバードバイクが登場した(写真5:CBR400 Aero)。
また、bimota db1の初期モデルは、200万(成和モータースは178万で売っていた)
くらいの価格だったこともあり、
一気にbimotaが身近な存在になった。
それと同じ時期に奥多摩でもDucati 750F1を頻繁に目にするようになったので、
ちょっとしたイタリアンバイクブームになっていたのかな。

また、bimota db1は筑波を中心とするクラブマンレースでも大活躍した。
その頂点は、1987年の秋にbimotaワークスが来日してダビデ・ タルドッチーが鮮やかに勝利
したときだろう。
それは、bimota db1の輸入元の福田モータースとパワーハウス・モータークラブの協力により
実現されたものだった。

また、伝統の日本製4気筒エンジンを搭載したトップレンジモデルについては、
Yamaha製水冷4気筒エンジンを搭載したモデルを新たにカロッチェリア・ジャパンが取り扱う
ことになった。

bimotaも最新のトレンドであるアルミフレームにはじめて取り組んだ。
そしてYamaha製水冷5バルブエンジンを搭載したYB4EIとYB6が登場して注目を浴びていた。
特にYB4EIは、スーパースポーツがキャブレター全盛の時代に
電子制御のフューエルインジェクションを搭載していたことで最先端技術にトライしていたといって
いい。
その成果はワールドスーパーバイク選手権に参戦して数多くの勝利を重ねた。

このbimota DB1とYB4IE/YB6の存在が、私を虜にしてしまったことはいうまでもない。
もちろん、その元ネタはライダースクラブだった。

しかし、私の前には大きな問題が横たわっていた。
私は中型自動二輪免許(普通自動二輪)しかなかったのだ。
現在は教習所で簡単に大型自動二輪免許を取得できるが、
その当時は府中自動車試験場で合格するしか限定解除するチャンスはなかった。
多くのライダーは無念の気持ちを抱いて帰宅していたね。
ほんの一部のライダーしか合格できない狭き門だった。

また、合格するための練習場の設備もほとんどなかった。
いまでも思うことは、
なんと理不尽な仕打ちなのだろうと思うね。

そのため、
20代の若い時は、bimotaへの憧れはあっても免許取得の問題があり、
それを現実のものにすることができなかった。
当然、仕事が忙しく(仕事を覚えて人間関係を確立するなどetc)自由になる時間は少なかった。


そういうとき、渋谷の福田モータースのショールームでbimota db1をはじめて見た。
たしか1987年頃?だった思う。
スタッフの一人によると、
このdb1はDucati 400F3のエンジンを搭載しているのだという。

えっ!
なんと中免(普通自動二輪免許)で乗れるbimotaモデルがあったのか?
「これほしいよ」
と思ったことはいうまでもない。
たしか、
「もうちょっとすれば販売できるかがはっきりします」
と聞いたような気がする?
しかし、現実には購入する資金もなく、ローンを組もうにも、
その当時の金利はべらぼうに高かった(たしか15%だったかな?)。
すぐに夢が覚めてしまい、現実に引き戻されてしまった。
その後、db1は気難しいとの噂が流れていっそう
縁遠い存在になっていった。
イタリアンバイクならでは難しさがあったようだった。

後年、Ducati400F3(6速)を購入してわかったことだが、
この空冷」Vツインのパンタエンジンの扱いは難しかったね。
特に強制開閉式のデロルト製キャブは、
日本製負圧キャブのようなラフな扱いを許してくれるものではなかった。

エンジンのギアポジションと回転に合った微妙にアクセリングを行わないとアクセルを開けても
失速してしまう。
そのたび、
「未熟者め!」
と罵られているかのようだった。

そこで私は、
5000〜6000rpmでギアを上げ下げすると個気味よく
走ってくれることを学んだ。

でも、信号からダッシュなんてまったく出来なかった。
隣に並んだNSR250に置いていかれていたね。
また、レギュレーターの特性から来るバッテリの充電不足など、
乗る前/後に考えなくてはならないことは山のようにあった。

でも、コンチマフラーから吐き出されるエキゾースト・ノートが素晴らしかった。
あるとき、Yamaha SR400に乗るライダーが後から付いてきて離れなかったことがある。
ヘルメットを脱いだら、そのSRライダーが声をかけてきて、
「素晴らしいサウンドですね」
と褒めてくれた。

そのため、もし無理を重ねて福田モータースからDB1-400J(60台輸入)を購入していたら、
トラブル地獄にはまって身動きが取れなくなっていたかもしれない。
でも、Ducatiのエンジンを搭載したbimotaという1点で手放さなかったかもしれないね。
いまでもdb1の中古車情報を目にすると当時の記憶が蘇ってくるな〜っ。

そういうbimoraへの思いがこみ上げていた1988年頃のことだった。、
ライダースクラブのネモケンさんがイタリア・リミニのbimotaメカニカ社訪問が特集されていた。
その特集の大半は、DB1とYB6/YB4EIのことで埋め尽くされていた。
ちなみにYB4EIの記事をなんども読み返したことか!
そのことが後年、YB6 Tuataraの(FZR1000エンジン+インジェクション搭載)購入に繋がった。

その記事の中にほんの数行だけ、
Yamaha FZR400R水冷4気筒エンジンを搭載したYB7の開発が進行中であると
フェデリコ・ マルティーニ主任技師が語っていた。

これは、凄いことだ!
bimota DB1J(400cc)とは縁がなかったが、
このYB7ならば私にも扱えるかもしれない。
エンジンは日本製の400ccなのだから、きっとトラブルも少ないだろう。
しかし、bimotaだからきっと高価に違いない。
そういう期待とも不安とも思える複雑な気持ちでYB7の登場を待った。

たしか1989年のことだと思うが、
カロチェリアジャパンの広告がライダースクラブ?に掲載されていたが、
その号にはYB7の名前が踊っていた。

「GP250マシンと遜色ないタイムをミサノサーキットでたたき出した」
とあった。
すごいポテンシャルのバイクだ。


そしてときを経ないでYB7のロードインプレッションが
ライダースクラブに掲載された。
No.131号

ニュートラルステアのハンドリング。
フロント・マルゾッキサスとリア・オーリンズサスが魅せてくれる絶妙なコーナリング。
また、ハンドメードのアルミシャーシの素晴らしさ。
また、最新のミシュランハイスポートラジアルタイヤが装着されていた。

そしてパワー規制のない本来のパフォーマンンスを発揮する68psのハイパワーを
搾り出すYamaha水冷4気筒エンジン。
良いことだらけの完璧なオートバイに思えたね。

そして、YB7を購入する引き金になったことは、
低金利60回の長期bimotaローンが組めたことが大きい。
212万という価格設定も魅力的だった。
YB6/YB8よりもかなり安いと思ってしまった。

購入店は当時bimotaの取り扱い店だった拝島のKサイクル。
カラーリングは、
もちろんDB1と同じ白、赤、緑のイタリアントリコロール・カラーを注文した。
バイク屋の社長は在庫しているTTF1チャンピンカラーがいいのではと渋ったが、
この選択は絶対に譲れない。
*いまはTTF1チャンピンカラーもいいな〜っと思うけどね(写真1)。

続く

お願い
この内容は個人的な感想です。
なんだかんだと言わないでください。

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

イメージ 9

イメージ 10

World Superbikes 1988 Donington Park
[[item(http://www.youtube.com/v/EN7byPSR0yU&hl=ja&fs=1&fs=1vid=288230376151998261,480,412)]]
ビデオ映像の再生はYou Tube画面の(>)ボタンをクリックする。

YB7物語 Vol. 04

写真1:憧れのYB8 Furano
写真2:最高速度292kを誇るSB6R
    *わずか2kの滑走路で記録

「YB8Furanoとの遭遇」

デビュー:1991 イタリア、ミラノモーターショー?
最高出力:164ps(149ps:バイカーズステーション/ダイノ・ジェットで測定、後輪?)
乾燥重量:185kg(ガソリンなし実測重量:207kg)
     エンジン:YamahaFZR100Exup(3GM)
          +bimotaオリジナルフューエル・インジェクションシシテム
最高速度:285k(南イタリアの高速周回路ナルドサーキットで記録)
サスペンション:フロント、オーリンズ倒立サスペンション。
        リア、オーリンズフルアジャスタブルシングルショック
ブレーキ:ブレンボ 鋳鉄ディスク+4ポットキャリパー
生産台数:152台
製造年度:1992/1993
新車価格:498万(大型量販店に販売が以降したてからは269万)

Bimota史上最速の1台だったYB8 Furano。
そのトップスピードの記録は、1996 SB6R(292k:2000mの滑走路で測定)が現れるまでの数年間破られることはなかった。
もし、Furanoにラムエアboxが装備されていたらさらに記録(285k+α)を延ばしていたかもしれない。SB6Rと同時期に登場したYamahaサンダーエースのエンジンを搭載したYB 11(キャブレター装着)の最高速は、267kに留まっている。しかし、日々の使い勝手は飛躍的に向上したそうだ。そのスタイリングは素晴らしい。噂ではYB8よりもリアのスプロケを1丁または2丁増やして加速重視の味付けがされているそうだ。そのため最高速は若干犠牲になったらしいが、ワインディングではかなりの速さを実現したらしい? さて、どのモデルがいいのかは、オーナー次第だろう。

■ YB8Furanoその存在を知る
1992年頃、はじめてbimota YB8Furano の存在を知った。日本製スーパーバイクが足元にも及ばない
パワーを発揮するYB8が登場したのだ。たしか、1991年秋のイタリアミラノショーで発表されたYB8の
インジェクション搭載モデルの写真に目を奪われた。当時、KawasakiZZR1100やSuzukiGSX-R1100は15
0psを少し越えるくらいのパワーだった。そこに164psのYB8EI(Furano)が現れたことに驚きを隠せなかった。
「これこそ最高峰のbimotaだ!」
なんと日本での販売価格は、498万円にもなる。バブル経済が呼んだ破天荒な価格設定だった。
しかし、大型量販店に販売が以降したあと269万まで価格が下げられたので、これが常識的な価格だったのかもしれない。それでもSB6よりははるかに高価な車両だった。
このYB8 Furanoの名前と存在が私の頭の中に刻み込まれたことはいうまでもない。しかし、はじめて出会うまで13年(2004年12月)もの歳月が経過するとは思いもよらないことだった。

■はじめての出会い
あるとき1000ccのスーパーバイクに乗りたいと思いはじめたので全国ネットの大型量販店を訪ねた。その目的はCBR1000RRレプソルの価格を調べるためだった。
しかし店長の一言が人生を変えた。
私がYB7以来のbimotaフリークだったことを告げると、
「Bimotaの新車も中古車もたくさんありますよ」
と店長がニコニコしながら答えてくれた。
「えっ、それってほんと?」
bimotaの車両がそんなにあるなんて考えもしなかった私は、正直驚いてしまった。
そこで瞬間的に頭に浮かんだのがYB8 Furano 、Dieci、YB8、SB6だった。
そこで私が思わず吐き出し言葉が、
「もしかしてYB8 Furanoもあるの?」
だった。
「ちょっと待ってください。いまコンピュータで検索しますから」
期待して待っていたら、なんと
「今5台くらいありますよ」
「えっそんなに?」
Furanoは、たしか全部で150台くらいしか製造されていないはずだ。
「いくらくらいするの?」
と聞いてみた。
どうせXXX万円以上はするだろうと考えていたら、なんとXX万円台からあるそうだ。
その中で程度がいい車両?をプリントアウトして見せてくれた。
たしか車両価格は、XX万で走行距離はわずか600kだったと記憶している。
*実はこの車両はまだある。
 売れなかったのか、または、難しくてすぐに出戻ってきたのかは定かではない。
 もしかしたら、私のところに来るかもしれない。
そのためCBR1000RRレプソルのことは吹っ飛んでしまったことはいうまでもない。
でも、店長によるとFuranoは難しいそうだ。
真冬でもエンジンストップして立ち往生した車両を引き上げたことがあるそうだ。また、ハイギアで低
速で走行させるとプラグがかぶりやすいなどなど、とても素人がツーリング出来るようなバイクではな
さそうだ?
でも、見たいと想いを告げると神奈川県のXXX店を紹介してくれた。
そこはbimotaの取り扱いNo.1の支店だそうだ。
XXX店にSB6とYB8-Furanoがあるとのとのことで、さっそく足を運んだのは2004年の12月のことだった。その1台のYB8-Furanoは、フューエルインジェクションシステムと前後オーリンズサスを装備したbimotaの最高峰モデルだ。車体の随所にドライカーボンのカウルパーツやフェンダーが装備されていた。
新車当時は500万に届こうかという価格だったが、大型量販店に販売が移行してからは、269万の価格を付けていた。
やっとYB8 Furanoの実物をはじめて目にした。
走行距離は、19000kと延びていたので、それなりにくたびれていたがシャーシはシャンとしていた。
さすがはbimotaのシャーシだ。
隅々まで目を凝らしたことは言うまでもない。
今となってはインジェクションを装備した車両は、国産リッターバイクでは当たり前の装備になったが発売当時は他を寄せ付けないオーラを放っていた。
最高出力も164psのカタログスペックを謳っており、特別な存在だったことは言うまでもない。
現在のリッタースポーツのパワーに引けを取っていない。ダイナモの計測で150ps近いデータ(バイカーズステーション記事)たたき出しており、今でも完調なFuranoは、圧倒的なスピードを見せてくれるだろう。でも、やはりというべきかインジェクションのセッティングが日本の気候や渋滞路の走行を許容してくれるものではなかったようだ。発売されてから15年を経過しているのに走行距離が伸びていない車体もあるようで、走らせることが難しかったことの表れともいえる。そのため、走らせる季節と場所を選ぶことが必要なバイクともいえる。それを知らないで渋滞路などを走らせると、プラグがかぶらせてしまいたちまち走行不能に陥るのである。そのことを克服できないと走らせることができずに結局距離も延びないのである。また、1台ごとにクセもありコンピュータやセンサー類のトラブルもあり、それらが完調でないとエンジンを目覚めさることが難しく、車体を見極めることが必要なバイクであった。
そのため、走行距離が延びている車体のほうが安心できますよとは、そこの店長の弁である。
「そうか、多少距離が延びているということは、消耗部品の交換や車体を磨きこめばなんとかなるが、事前に車体ごとのクセを見抜くことは至難の技である。一番の判断基準は走行距離が延びていることがトラブルを克服しているとの証明になるのだな」と考えた。
しかし、YB8 Furanoにトラブルが発生したときにそれを許容できるかが購入のポイントであった。
結局、インジェクションの信頼性の疑問を払拭できなかったので、YB8-Furanoへの思いは一時見合わて、一緒に並んでいたSB6(コルせ管付)を買うことになった。
この選択に間違いはなかった。
しかし、すぐにYB8-evoが現れて触手を伸ばすことになるとは?
そのときは思いもよらないことであった。

YB8 Furanoが販売されていた当時の広告を目にすると、今でも別格なオーラを放っているように感じられる。残念なことは、YB8 Furanoのインジェクションの扱いにくさをきらったオーナーの手でFCRキャブに換装されている車両があることだ。
たしかに、Furanoを調子よく走らせるという点では、ベストな選択だろう。
しかし、Furanoはインジェクションだからこそその価値がある。
そもそもインジェクションが不調に陥る原因は、フルカバードのカウリングにより熱がこもりやすい車体の性格にある。
YB6やYB8もキャブレターながら同様のトラブルがあることはよく知られている。低速で走るとまたたくまに水温が上昇する。また、逃げ場のない熱は燃料タンクを直撃してガソリンの温度を急上昇させることになる。ガソリンはぶくぶくの泡状になる俗に言う「パーコレーション」状態になる。
こうなっては、インジェクションは機能しなくなる。
そのことで濃いガスを噴出してプラグをかぶらせることになる。
ヨーロッパでは常に高速で飛ばしているので、このような問題は想定してないのだろう。
その対策としては、水温上昇を招くようなシチュエーションは走らせないことだ。
・早朝に出て渋滞を避けて短時間で帰還する
・いつも高速道路を使う
・7月と8月の猛暑の時期は走らない
・トランポに積んでサーキット走行させる
そういう使い方ができれば、ベストだろう。
それでもツーリングに使いたいなら、まずは、フロントカウリングを取り外してネーキット化する、または、カウリングを加工してアッパーとアンダーに分割することでアンダーカウルを常に外しておくということが考えられる。これでラジエーターがフルに機能するし熱も滞留しない。水温上昇とガソリンの沸騰を封じれば以外とフレンドリーだと思う。
ただしカウル分割加工はFuranoの価値を下げる蛮行ともいえる。
カウリングを傷つけないネーキット化のほうが適切かもしれない。
でも、スタイリングをスポイルする行為だ。
やはり上のような使い方がベストだろう。
いまFuranoをあえて選ぶ理由を考えてみると
・Bimotaのトップパフォーマンスモデルということ
・1991年当時の最先端テクノロジーが投入されたバイクということ
・いまでも完調なFuranoは国産リッタースポーツにひけを取らないといこと
・国産リッタースポーツはすぐに買えるが、Furanoは一握りのBimotaオーナーだけが味わうことができ
るスペシャルバイクと認識できる人
こういったところか?
コンピュータをハルテック、インジェクションシステムをそっくりYamaha YZF-R1などのものに入れ替えるという選択肢もある。そこまでやるかはオーナーの熱意だろう。
苦労は覚悟の上でお召し上がりくださいません。
まだ、探せば買うことができる。

Yb7を買ったことがきっかけになってFuranoへの想いが積み重なったので紹介させてもらった。
Furanoならテスタロッサに勝てるかもしれない?

YB7物語 Vol. 03

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

YB7物語 Vol. 03

「セイショウバイパスでYB10 Dieciが待っていた」

Bimota YB10 Dieci
エンジン: Yamaha FZR 1000 Exup 4 Cil. Exup搭載(形式:3GM)
フレーム: アルミツインスパー+アルミ削り出しピポットプレート+各部削り
出しパーツ
ボデイーワーク:FRP素材+赤と銀のbimotaカラー
ホイール:オスカム
ブレーキ:Brenbo鋳鉄ディスク+4ポットキャリパー×2
ミラー:ビタローニのベビーターボ
発表: 1990年イタリアミラノモーターショー
製造年: 1991〜1994
製造台数: 224台
最高速:278.1k
0−400m:10.49秒
Dieciが発表される前年の1989年にYB8、YB6 tuataraが発表された。
その翌年の1991にYB8 Furanoが発表された。その中間に発表されたモデルだ。
Dieciはイタリア語で10を意味するYamahaエンジンを搭載した10番目のモデルを意味する。
いやYB8 Dieciだという説もある。
YB8シリーズの中ではそのスタイリング、装備、仕上げの良さで高級車志向のラグジュアリーモデルだった
いえよう。YB8のフレームとエンジンの基本パッケージにマルゾッキ製倒立フロントサスペンション、
そしてDB1を思わせるようなスタイリッシュなボディーカウリングが与えられた。
また、ロングラン時の疲労を軽減するためトップブリッジ上にハンドルを装着していた。
Dieciの性格は、高速ツアラーだったのだろう。
しかし、その中身はスーパーハンドリングのスーパースポーツマシンだったわけだ。
そのころ私は、Bimota YB7に出会うことでわたしのバイクに対する見方は大きく変わった。
一種のカルチャーショックであり黒船来航だったわけだ。
それからオートバイに対しては、エンジンだけではなく走る、曲がる、止まる、仕上げなどの
パッケージ全体で判断する審美眼?を持つようになっていった。
その眼鏡にかなう1台といえば、Ducatiとbimotaのスーパースポーツモデルたちだった。
ある日のこと、YB7を購入したbimota取り扱い店に出かけたときだ。
最新のbimotaモデルのカタログに手を伸ばし見ていたら、いきなりDieciの姿が目に飛び込んできた。
「なんとボリュームのある素晴らしいスタイリングなんだ!」
と驚いてしまった。
基本骨格はYB8とすぐにわかるのだが、ボデースタイリングが起伏に飛んだなんともセクシーなもので、
しかも赤と銀のカラーリングがそれを引き立てている。
「これこそ私が追い求めていた理想のbimotaだ!」
と思わずにはいられなかった。
そのころの私はYB8のスタイリングはなんとかならないものかと思っていた。
とくにあの馬鹿でかくなったデュアルヘッドライトを装着したアッパーカウルが好きになれなかった。
でも、20年近く経つとまったくその考えは逆転した。
いまは、これこそYB8のスタイルだと思っている。
人の思い込みは変るのでしょう。
そこにDB1を大きくしたようなスタイリングのdieciの出現に胸をときめかせたのだった。
テスタロッサに追い抜かれた?一件以降、一部に不満はあるもののYB8への想いが募っていたので、
そのとき現れたDieciに対しては強い憧れになった。
*冷静に考えてみるとテスタロッサのマキスマムスピード290k台と言われているので
 YB8で追いつくことができたかな?

しかし、1991年当時339万?
ほしいと思う前に「ルビコン川」を渡ることを断念してしまった。
*当時は低利で10年払い(120回)のローンなんありませんでした。

いまでもその想いはくすぶっている。
その後に最強のYB8 Furanoが登場した。
そして出会いがあった。
ある日のこと、YB7を箱根に向けて走らせた。
国道16号線を南下して橋本付近からまっすぐXX号線に入る。
そして平塚にたどり着いたとき潮の香りが漂ってきた。その先に太平洋の海原が見えてきた。
XX号線終点を右折してセイショウバイパス方面に向かった。
左に海を見ながら一路、小田原を目指した。そして目的地の1つである。
セイショウバイパスから海に突き出ている「サービスエリア」で一休みする。
少し肌寒い潮風をほほにあてながら見る太平洋の大海原は素晴らしい。
きらきらと光る波間を見ながら緊張の糸をほごしていた。ここに集まるバイク昔もいまも多い。
しばらく潮風にあたって充分に休息を取った後、YB7のもとに戻った。
するとサービスエリア出口付近にbimotaが2台並んでいた。
1台は私と同じYB7だ。
イタリアントリコロールのカラーリングなのですぐにわかった。
もう一台のほうに目炉凝らしてみてみると、赤と銀の特徴的なカラーリングを纏ったフルカバード
ボデイーのDieciがそこにいた。
なんと素晴らしい。はじめて目にした。
そのオーナーと思われるライダーもこちらを見ている。
無言の対話が交わされた。
私はその二人のBimotaライダーの視線を感じながらサービスエリアを後にした。
今考えたら残念なことをした。当時はシャイな若者だった私には「声をかける」ということが
出来なかった。いまはそんなチャンスは逃さない????
残念ながら、それ以来一度もDieciには出会ったことはない。
フルカバードボディーのDieciはアウトバーンやアウトストラーダを走り抜けるには好都合なのだけど、
日本の真夏の暑さを許容できる性格ではないのかもしれない。
もし、オーナーの方とお話する機会があれば、そのあたりのことをぜひうかがいたい。

bimota YB7物語Vol. 02

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

bimota YB7物語Vol. 02

「スズキRGガンマ400/500について」

2サイクルスクエア4気筒(並列2気筒を前後に並べたエンジン)をダブルクレドール型
アルミフレームに搭載したワールドグランプリ直系のレーサーレプリカだった。
兄弟車に500ccモデルと並列2気筒250ccをラインアップしていた。
1985年当時、2サイクルスポーツスポーツバイクのトップパフォーマンスモデルだった。
2サイクル4気筒エンジンがたたき出す爆発的加速力と4本のエキゾーストチャンバーから
吐き出されるオイルスモークのガンマ400/500を直線で追い抜くことができる、
4サイクルスーパースポーツは存在しなかった。
恐るべきオートバイだったといえるだろう。
しかし、時代は1000ccを超える大排気量4サイクルスーパースポーツに移行して
いった。個人的には、アルミツインスパーフレームに2サイクルV4エンジンを搭載した、
ケビン・シュワンツレプリカの登場を熱望していたが実現されなかった。
たしか1989年頃、スズキのセールスがRGVガンマ500を出したら売れると思うか?
リサーチしていたので販売を検討していのかもしれない。
このRGガンマ400/500を長年所有した。
その理由はワールドグランプリで磨かれた直系のマシンであることが所有欲を満たしてくれた。
RGガンマ400だけで売ったり買ったりで3台。
そしてリアルレプリカのRGガンマ500を1台所有した。
いまも手元に残してある。
これだけ惚れ込んだのはほかにも分けがある。
それは、非常に乗りやすいマシンだったのだ。
スクエア4エンジンを搭載して低重心であるにもかかわらず、
目線とちょっとしたアクションでバイクを向き変え/曲がらせることができるのだ。
ある日(1989年頃)、友人とツーリングに出掛けたときのことだ、、
「バンクさせていないのによく曲がるね?」
と友人(GPX750)は驚いていた。
そのためツーリングに重宝したことを覚えている。
そのクイックなハンドリングの秘密だが、
最近になってだんだんわかってきた。
低重心のスクエア4エンジンの場合、積極的にライディングしないと曲がりにくいと
感じるはずだ。
しかし、前後タイヤが細く(フロント110/90/16とリア120/90/17のバイヤスタイヤ)
シートが分厚いので結果的にライダーを高い位置に座らせことになる。
そのため、ちょっとしたライダーのアクションに反応するので向き替えがすばやく行える。
また、タンクが短くライダーは前のほうに座ることになるのでフロントタイヤの面圧をか
けることができ小径の16インチタイヤが曲がりやすさをたすけていた。
4サイクル4気筒エンジンでは得られない低重心を前のほうに座り高い位置から操作する
イメージだ。そのためリーウイズのライディングがぴたりと決まる。
頭の位置で曲がりやすさをコントロールするともいえる。
RGガンマ400の製品発表会のとき、どうしてこういう構造になっているのですか? 
と2輪ジャーナリストの質問に対して、
「RGガンマ500(レーサー)がそうなっているからです」
とエンジンアは答えたという。
つまりその忠実なコピーが知らず知らずにRGガンマ400に優れたハンドリングマシン
としての性格を与えたのだろう。
だが、スピードが上がると手に汗握ることになる。
コンセプトはリアルレーサーレプリカなのだが、レーサーではないRGガンマ400は、
スピードレンジが上がれば問題点が噴出した。
フロントブレーキが効かない/効かなくなる。
タイヤのグリップレベルが低くくハイスピードランは苦手だった。
前後サスペンションのパフォーマンスが低いなどなどだ。
でも、私にとっては親しみやすく真のレーサーレプリカだったことはたしかなことだ。
いまなら乗りこなせるかもしれない?
追伸:
いまもガンマを大事に乗っているライダーは多い。
前後サス、ホイール、ブレーキを最新のパーツ交換して
ラジアルタイヤを履かせる。そしてとどめはスガヤのレーシングチャンバーを
装着する。これでリッタースポーツと勝負したいとか、
夢見ることもある。
でも、根気と情熱が必要なことはいうまでもない。

写真2〜4:RGガンマ400をメインに乗っていた1986年頃
      

全11ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 前のページ | 次のページ ]

nan*u83
nan*u83
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

過去の記事一覧

検索 検索

よしもとブログランキング

もっと見る
本文はここまでですこのページの先頭へ

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!

その他のキャンペーン

みんなの更新記事