ここから本文です

書庫YB7を語る

記事検索
検索

全11ページ

[10] [11]

[ 前のページ ]

bimota YB7物語Vol. 01

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

bimota YB7物語Vol. 01

― bimota YB7(La Piccolina)物語 ―
bimotaは、YB7のことをLa Piccolinaと呼んでいた。
bimota YBシリーズの日本輸入元であるカロッチェリアからYB6/8シリーズに続いて
Yamaha FZR400のエンジンを搭載したモデルの開発/製造が依頼された。
それが、YB7 La Piccolinaだ。当時、大型自動二輪免許の取得が難しい日本では、
400ccマシンの需要が見込まれるため200台を超える台数がイタリアから輸入され
た。なお、その前に輸入されていたDucati400F3のエンジンを搭載したDB1j(60台)
は瞬く間に売り切れてしまっていた。その内容はという単なるYBシリーズの廉価版
モデルではなくFZR400エンジン用にアンダーループを持つツインスパーと削り出し
ピポットプレートのアルミフレームが新作された。フレームの素材はYB6/8と同様に
航空機用のアンティコダル100が採用された。
つまり、本気のbimotaモデルだったわけだ。
このYB7の後に開発されたYB9ベラリアとYB9SR/Sriは、YB7用に開発されたアルミフ
レームにFZR600のエンジンを搭載したモデルとして販売された。また、YB9シリーズは、
イタリア国内や欧米各国で開催されていたItalian Supersport / Italian Sport Production /
European Supersport / World Supersport / Thunderbikeで大活躍した。その戦闘力は1997年
頃まで発揮された。
それほど素性のいいフレームだったわけだ。
そもそも主に日本向けのYB7用として開発されたのがきっかけだった。

La Piccolina:少女?
       小さな車両?

■未明のアタック
それは1991年秋の少し肌寒い早朝だった。
bimota YB7を購入してからそろそろ1年が経過しようとしていた。
最近、やっと「自分のものになってきた」と実感できるとようになっていた。
そして前々から考えていたプランを実行に移す日がついにやってきた。
私はまだ薄暗い早朝に目を覚ましたが、昨日の晩から緊張のために良く眠れなかった。
さっと起き上がり皮つなぎをハンガーから下ろして身につけた。
この皮ツナギは、YB7に乗るためにはじめて買ったものだ。
ライディングブーツを履いてアパートの階段を下りていった。
そしてbimota YB7のシートカバーを取り外した。
すでに前日にタイヤ空気圧をチェックしてガソリン満タンにしている。
おもむろに、YB7のセルボタンを押す。
いつもながら長めのクランキングが必要だ。
「シュルルルルルルウ」と
押し続ける。
そしてやっと
「ボーボボボボ」
とエンジンが目覚める。
暖機を充分に行ったあとリアホイールに取り付けていたセンタースタンドを取り払った。
YB7を路上に引き出しヘルメットをかぶりライディンググローブをつけた。
軽くストレッチを行い体に無理がないかを確認した。
「いよいよ出発だ」
そのとき東の空がしらみはじめていた。
風もなく暑くも寒くもない。アタックを実施するには絶好の日和だ。
私はYB7にまたがりゆっくりと走りだしアパートを後にした。
岩倉街道の物見塚交差点を左折して瑞穂町方面に向けて走る。
だんだんとエンジンがあったまってきた。
しばらくすると国道16号線が見えてきたので左折して合流する。
交通の流れにそっておとなしくYB7を走らせる。
川越にたどり着く手前で鶴ヶ島方面に左折する。
ようやく鶴ヶ島ICにたどり着いた。
いよいよだ。
私の心臓はこれからはじまるであろうスリルにみちた体験の前に高鳴っていた。
そして料金カードを受け取りXX自動車道に入った。
まず、80kくらいで久しぶりの高速走行に目をならした。
時間は午前5時を回っていた。
私はまずアタックの予行練習から始めた。
YB7の6速のギアを1速ずつ落として2速まで落とす。
そこからアクセルをワイドオープンして10000rpmまで回転を上げて
3、4、5、6速までシフトアップ。
しかし、すぐに前に車が現れてスピードダウン。
そしてまたシフトダウンしてフル加速。
みるみるスピードが上昇する。
その繰り返しでスピードに目を慣れさせてフルブレーキングの感覚を身に覚えこませる。
いよいよアタックを開始するときがきた!
水温系の針はちょうど10時を示している。
XX自動車道は片側3車線の見通しがいい直線になっていた。
アクセルを緩めて2速まで落とし、そこからアクセルをワイドオープンしてレブリミット
の12000rpmまでいっきに回転を上げる。そこで3速にシフトアップする。
また、レブリミットまで回転を上げて4速、5速、6速とシフトアップを続ける。
そのとき、スピードメーターの針は途方もないスピードを表示している。
しかし、1回目のアタックでは、高速カーブが近づいてアクセルを戻す。
また、シフトダウン。
「なかなか思うとうにゆかないものだ」
と考えていたら、かなり長い直線が現れた。
「よし、いまだ!」
再びアタックを試みる。
また、アクセルをワイドオープンしてシフトアップを繰り返す。
スピードはみるみる上昇してついに6速で12000rpmまでエンジンを回しきったとき
スピードメーターは、「マキシマムスピード」を表示していた。
そのとき、もの凄い勢いで左右の景色が流れ去る。前方にクルマが現れたときのために
フルブレーキングの体制をとっていたが、アクセルはストッパーにあたるまで回して微妙
に開け閉めする。しかし、不思議と安定している。素晴らしい直進性だ。車体がぶれること
はまったくない。
いままで最速と考えていたスズキ「RGガンマ400」とはまったく操縦安定性のレベルが
違う。やはりbimotaのシャーシとミシュラン「ハイスポートラジアル」はレーシングフィールドから
生み出されたものなので、それがハイスピードランでのスタビリティーのよさを体感させ
てくれる。
まったくもって素晴らしいとYB7のパフォーマンスに酔いしれていた。
しかし、そのときだった!
YB7の白いバックミラーにちらっと目をやったときに私に追いすがる1台の赤いクルマがはっきりと
みえた。
「前を退け!」
とばかりに威圧するかのようにパッシングライトを浴びせかけていたので、私はわずかにスピードを
緩めて左の車線に移動した。
その瞬間、その赤い車は猛烈な加速でYB7を追い抜きにかかった。
「あーっ、テスタロッサだ」
とヘルメットの中で叫んでいた。
「イタリアンレッドのフェラーリ テスタロッサ」
だった。水平対抗12気筒のエキゾーストノートを放ちながら、
あっというまに遠のいていった。
1速落としで最加速を試みたが、YB7では追いつけない。
これがYB8だったら......?
呆気に取られて緊張の糸が切れてしまった私とYB7は、我にかえりしばらく先のICで降りた。
そして、そこから帰路につくことにした。
後でアパートに帰りついた私は、もう一度「今日の出来事」を思い返してみたのだが、
これはやっぱり夢だったに違いない?

ご注意!
本内容は私が書いた小説のようなものです。
これと同じことを試そうとは思わないでください。
責任は持てません。
そのことをおことわりしておきます。

*Ferrari テスタロッサ (写真4)
水平対抗12気筒エンジンを車体中央に搭載するミッドシップレイアウトを取るイタリア
フェラーリ社のスーパースポーツカー。
東北自動車道で追い抜かれれたのは、はたしてこのフェラーリ テスタロッサだったのだろうか?

追伸(2007/10/10):
最近、YB7を買ったライダーが数人いるようだ。
良く見る中古車販売サイトでYB7が3台売れている。
買った人は大事にしてくだだいね。
bimota YB7は、ハンドメードバイクなので「わずか321台」しか製造されていない
貴重な車両です。

YB7を語る

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イタリアンバイク道に入門したのが1990年。
それから17年の歳月が経過したが、その道は険しくいまだだ道半ばといったところだ。
しかし、気が付けばいつのまにかおやじになっていた。
私は1980年代の後半からbimotaとDucatiが好きで、いつかは憧れのイタリンバイクを
所有して存分に楽しみたいと考えていた。
その当時は中型免許(現在は普通二輪免許)だったので、当然400ccまでのバイク
しか乗る資格がない。そこに登場したのがDB1だった。しかも400ccモデルもライン
アップされていた。しかし、瞬く間に売れてしまいチャンスは遠のいてしまった。
そこに登場したのが国産400ccインライン4エンジンを搭載したYB7だった。
1988-11月のライダースクラブ紙上で開発者のマルティニが予告していたこともあり、
いまか、いまかと待ちわびていた。
やっとYB7が発表されて、当時のバイク雑誌のキャッチコピーが素晴らしかった。
「YB7はミサノサーキットをGP250レーサー並のタイムをたたき出した。
それ試すのはあなただ!」
それほどポテンシャルなのかと舌を巻き、この時点で絶対に買うと決めた。
いつも出入りしていたバイク屋がbimotaの販売を開始したので、ほどなくしてYB6とYB7を
同時に見ることができた。その衝撃はいまでも忘れることができない。
そのYB7の価格は212万だったのでYB6よりもはるかに安い!
と驚きの声を上げてしまった。また、低利のbimotaローンが利用できた
こともあり、すぐに契約書にサインしてしまった。
親に連帯保証人に立ってもらったが説明に窮してしまった。
バイクが200万以上もするはずがない。
お前はだまされているんじゃないか?
いや違う違う。美術品と同じ価値があるから高いんだよと必死の工作
を慣行してやっと印を押してもらった。
いまでも保証人に立ったときは夜も眠れなかったとプレッシャーをかけて
くる母親だが、私はそんなこともあったねーと軽く受け流しているのだが。
YB7ははるばるイタリアから木箱に入って運ばれてきた。
バイクが木箱に入っているなんてなんて素敵なことなんだろう。
開墾作業に立ち会ってYB7が現れたときは、舞いあががったことはいうまでもない。
それから16年経過したが、そのYB7はいまでもガレージにたたずんでいる。
写真
・我が家の10年前のガレージ
 F3とYB7の二台。右奥はNR750だが、これはもうない。
・憧れのDB1
・今も手元にあるYB7

とうとつだが、YB7の兄貴分である「YB4の迫力の走行シーン」を紹介する
下をダブルクリックするとそのwebに飛びます。

http://videos.streetfire.net/video/62150051-CA4E-4124-94FF-986300D57036.htm

製造年度/台数
YB7/J
Motore: Yamaha FZR 400 4 Cil.
Telaio: Travi alluminio
Anni: 1988/1989
Produzione: 321

web検索資料

・YB7/Jのスペック
http://www.motorcyclespecs.co.za/model/bimota/bimota_yb7%2088.htm

・YB7/Jのロードインプレッション(英語)
http://www.bimota-enthusiasts.com/models/yb7/yb7.htm

bimota YB7キャブセッティングのキモ
bimota owners club 掲示板から転載させていただきました。
http://www1.kcn.ne.jp/~shin-nak/b-club/cgi-bin/bbs/bbs.cgi

YB7のミクニキャブレターにはメイン、スロージェットが別体式のジェットブロック
に組み込まれていて、ジェットブロックとキャブレターボディーの間の
ゴムパッキンが必ず不良になっています、ので高回転をキープしないとかぶってしまいます
ジェットブロックパッキン、スロージェット、フロート、ニードルバルブ、バルブシート、
を交換すれば直りますよ、あとは乗り方に会わせたキャブセッティングして
それでもかぶり気味になるなら、エアークリーナーボックスを加工してやります
キャブレターのインナーパーツはかなり高価になりますが、けちると絶対に症状は改善しないので
(経年変化で必ずジェット類がばらついています、新品で組むのがキモです)

全11ページ

[10] [11]

[ 前のページ ]

nan*u83
nan*u83
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

過去の記事一覧

検索 検索

よしもとブログランキング

もっと見る
本文はここまでですこのページの先頭へ

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!

その他のキャンペーン

みんなの更新記事