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bimota YB7への道 その2

 
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YB7(1988/89:321台)登場!
日本向けに企画されたヤマハ製400cc4気筒エンジンを
搭載したbimotaモデルだった。
その前にDucati 400F3のエンジンを搭載
したDB1Jが少量生産されたので、2代目の400ccエンジン
モデルとなる。
しかし、YB7の後に再び4気筒400ccモデルが作られる
ことはなかった。
その後、DB2J、Tesi1DJなどのドゥカティ
空冷Lツイン400ccモデルが作られた。

YB7の価格は当時の400ccレーサーレプリアバイクの
およそ3倍の212万円のプライスだった。
私はその価値があると思い1代目のYB7を購入した。
いまは2代目のYB7を走らせている。

そのYB7のクオリティは兄弟車のYB6とYB8に準じるが、
YB7にはリザーバータンク付きフルアジャスタブル・オーリンズ
モノショックがが標準装備されていた。
また、特質すべきことに7には、YB6とYB8とは異なる
専用のフレームが用意されたことだろう。

エンジンサイズが違うのでYB6と8YB8用フレームは
使えなかった。
しかし、専用フレームを用意してまでYB7を出す市場が
日本には存在するとの判断だったのだろう。

また、このフレームは、ヤマハ600cc4気筒エンジン
を搭載したYB9シリーズに活用されることになる。


イタリア国内&ヨーロッパで開催のスーパースポーツレースでも
速かった。
特にインジェクションを搭載したYB9SRIは、
1996年度のヨーロッパスーパースポーツ選手権のチャンピオン
を獲得した。
宿敵はドゥカティ748SPだった。

YB7用に開発されたフレームは、
YB9SRを生みだす母体となったのだった。
いや、もともとYB7はサラブレットだったんだと思う。
 
残念ながらYB9SRは、
各部の作りをグレードダウンしてしまった。
もはやFRPではなくプラスチックカウリング
となってしまった。
しかし、ハンドリング、走りは最高だと思う。
 

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車体関係のパーツには、
まず、アルミツインスパーフレーム(メインチューブ)は、
防錆、腐食に強い航空機用材料である、
「アンティ・コロダル100」という
アルミニューム合金でハンドメード製造されている。
 
また、スイングアーム・ピポットプレート部は、
bimotaファクトリー内のマシンで
アルミのビレット材から削りだされたものだ。
それとメインチューブと溶接される。
その溶接は均一で美しい。
その精度はMotoGPマシン用フレームに劣らない
ものと思う。
 
また、その他の金属パーツも
すべてアルミ削り出し、ジュラルミンパーツがふんだんに
使用している。
その仕事は丁寧で美しい。
カウリンング類はFRP製だった。

YB7は一個の芸術作品と呼ぶに相応しい出来栄えだ。
このクオリティは、量産されたモーターサイクルでは
到底不可能だ。

少量生産のbimotaだから可能なことだと思う。
それはいまも変わらない。

それに加えて当時最高峰のラジアルタイヤととして
最高のパフォーマンスを発揮する
ミシュラン・ハイスポートラジアルが前後に装着されていた。
これらのハイパフォーマンスパーツを装着することで、
その走りは極めてレベルの高いものだった。

私は1980年代の日本製2サイクル、
4サイクルレーサーレプリカバイクを数台経験していた。
たしかにエンジンパワーはクラストップだったが、
ありきたりの量産パーツを結合しただけでは、
ハーモニーは聞こえてこない。

どのバイクを走らせても満足を得られなかった。
もう一歩改良を加えてくれていたら、
その想いが強かった。
 


とくにRGガンマ400.
グランプリレーサーRGガンマのフィロソフィーを
受け継いだレプリカバイクだった。
その強烈なパワーとバンランスの取れたハンドリングには
好感がもてた。
低速では思うがままにバイクを曲がらせることができ、
ガンマでリアステアライディングを体得した。

そのため1985年から1995年までの
約10年間に4台ものガンマを所有していた。
いまも秘密の地下格納庫にガンマを置いている。

しかし、ガンマを速く走らせようとすると、
その途端に手に汗握ることになる。
コントロールが難しくなる。、
細いバイアスタイヤ、頼りない前後サスペンション、
効かないフロント4ポットキャリパーなど、
不満な点は数限りない。

そこでブレーキパッドを強力な制動力を発揮するSBSと交換
することで向上させて、
リムサイズぎりぎりいっぱいのワイドサイズタイヤを履かせた。
太くなったタイヤを見て、
いかにもグリップするような気分になっていた。
F:120/80ー16、R:140/70−17
だったかな?

しかし、どうも「ぴりっ」としない。
前後サスとマッチングしていない。
リアが下がったような印象があった。
バランスも悪くなったしまった。

細いバイアスタイヤの車体に
無理やりワイド・ラジアルタイヤを履かせて良い結果は
得られない。
そう思ったものだ。
いまでもノーマルサイズのタイヤ(BS BT45V)があるのだから、
それで前後サスのセッティング、車高調整、ブレーキ強化、
前後タイヤ圧の適正化など、
ハイスピードでのバランス向上を目指すべきかもしれない。

ガンマ400は1985年と86年の2年間だけ製造されて、
その後、後継車両も出なかった。
1989年にアルミスインスパーフレームの
Vガンマ500が出るのではないか?
そういう噂が出た。
そのときは、なにがなんでも買うと
心に決めていたのだが、
ついに実現されなかった。

そういう不満が、
ハンドメードアルミフレームに
ブレンボ、マルゾッキ、オーリンズなどの
グランプリレースで活躍するレーシングパーツ、
ミシュラン・ハイグリップタイヤを装着していた、
bimota YB7に向かわせるきっかけと
なったことは間違いない。


しかし、TZR250(1KT)とNSR250(88)
が登場するにいたり、
やっと、良いスポーツバイクが出てきたと感じたものだ。
 
YB7を奥多摩のワインディングロードで走らせたとき驚嘆した。
ここまでコーナリング性能が高い。
いや感動的なモーターサイクルははじめてだった。
探し求めていたもの、
ほんものとの遭遇だった。
 
また、私がYB7が好きな理由の1つに
エンジンがハイパフォーマンスだということ。
14000rpmまで回すことができ、
6速ミッションを搭載している。
シャープに吹け上がりレスポンスが良い。
バイクが軽量でエンジンそのものが小さいのでコーナリング
パフォーマンスが優れている。
YB7搭載のヤマハ4気筒エンジンだが、
日本の鈴鹿4時間耐久やSPレース出場を想定したものだった。
耐久性とレースパフォーマンスの両方に優れていた。

エンジン、シャーシ、前後サスペンション、
ミシュランラジアルタイヤが、
すべて有機的に結合して
絶妙のハーモニーを奏でてくれる。
その走りを支えている。

私はYB7の各部からのハーモニーを感じて
コントロールするコンダクター(指揮者)なのだ!

市街地走行は得意ではない。
市街地のストップ&ゴーを繰り返すと
エンジン(キャブ)周りがヒートしてくるので、
だんだんとスロットルレスポンスが悪くなる
とくに30度を超えるとような真夏は、
ガソリンがパーコレーションを起こしてしまう。

キャブがガソリンを噴霧化できなくなる。
そのときは無理に走ろうとせずにしばらく休眠させる
べきだろう。

夏が過ぎ去って秋から走らせれば良い。
しかし、それに目をつぶれば最高の相棒となるだろう。
まっ、いくつか対策を考えてはいるが、
それはこれからになる。

ここまでYB7のことを嘆賛してきたが、
いまの若者があえてYB7を購入する必要はないと思う。
いまならMV Agusta F3−800を新車で
手に入れることを勧めたい。

MV Agusta伝統のパイプトレリスフレーム。
官能的なエキゾーストノートを奏でる3気筒エンジン。
このバイクで想い出を作ってほしいものだ。

終わり

YB7への道 その1

 
YB7への道
bimotaの名声は、1970年半ばから81年までの
ワールドグランプリGP250/GP350レースでの活躍で
不動のものとなった。

 
*残念ながらいまは知る人ぞ知る存在となった。
bimota BB3の活躍で再び脚光を浴びることを期待したい。
 
 

1980年bimota自身のファクトリー参戦により
GP350クラスのチャンピオン(YB3/ジャン・エクロード)
を獲得した。
 
それと歩調を合わせるようにKB1、SB2をはじめとする
プロダクションモデルのセールスが順調に推移した。
しかし、従来の日本製オートバイからエンジンを流用して完成車
または、フレームkitを販売する商売には限界があった。

プロダクションモデルの開発について、
もっとコストを重視して利潤を追求するべきだ。
その上で夢を追求しよう。
とする創業者の一人のジュゼッペ・モーリ。

まだまだ若かったマッシモ・タンブリーニは、
理想とするバイクの実現を主張した。
一番の理解者と意見が合わなくなりタンブリーニは、
bimotaを離れてしまった。

すでにセンターハブステアの実現を志向していた
Tesi1(1983)とパイプトレリスに代わる
新たなフレーム形式として
カーボン・ケブラーとアルミハニカム素材でメインフレーム
を構成するTeis2(1984)が形になりつつあった。
そしてDB1のプロトタイプ(CB1と呼ばれていた)を試作していた。




タンブリーニは、1983年春にbimotaを辞めた後、
GP500チャンピオンを獲得(1982)した
チーム・ガリーナに席を移していた。

そこで開発したGP500マシンがアルミハニカム構造
によるアルミフレームマシン
TGA1だった。
Tesi2のフレーム設計の経験を生かしたものだったのか?

一見すると細身で華奢なアルミツインスパーフレームに見えるが、
それは見かけだけで、
そのメインパーツはアルミの無垢からU字型に削り出されて、
その間にアルミハニカムコア(蜂の巣)を圧入して上から蓋を
かぶせる
構造になっていたそうだ。
これはカーボンファイバーシャーシに移行する以前の
F1マシンのアルミシャーシで採用されている技術を流用した
ものだろう。
非常に軽量で剛性の高いフレームにする狙いがあったと思われる。

また、そのスタイリングは、bimota DB1のフルカバード
ボディーと同じだった。

もう1つのシシテムが機能
しなかったことが最大の問題だったようだ。
TGA1のステアリンングシステムだが、
ギアを組み込んで微妙なステアを実現しようという試みだったが
システムが複雑すぎて、
狙い通りに機能しなかったそうだ。 

残念ながら
TGA1は実践に投入され熟成させることな
くお蔵入りとなった。
すでにスズキスクエア4エンジンでは、NSR、YZRのパワー
にかなわなかった。

推測だが、
このTGA1はタンブリーニが設計してbimotaに製造/組み立て
を依頼したのではないだろうか?
チームガリーナはマシンコンストラクターではないからだ。
 



 
その後、ジュゼッペ・モーリは、
ドゥカティから新たなチーフエンジニアある、
「フェデリコ・マルティニ」を迎え入れ、
ドゥカティからパンタエンジン単体で購入する契約を結んだ。
これが日本で爆発的な人気のDB1となる。

「フェデリコ・マルティニ」はGPMレーシングを主催
していたことは割と有名だが、
1978〜83年までドゥカティでファビオ・タリオーニの
下でバイク開発に取り組んでいた。
おそらくタンブリーニと入れ替わりにbimotaに入社
したのだろう。それは1983年の9月頃。
そして開発途上だったDB1を完成させて1985年に発表した。
そういうストーリーだと思う。

ちなみにドゥカティ・デスモを開発したファビオ・タリオーニは、
1985年限りで引退した(1989年とする説もある)。
その後をマッシモ・ブロディが引き継いで水冷4バルブデスモの
開発に乗り出す。
タリオーニは4バルブ・デスモ開発には否定的だった。

すでにタリオーニが信頼する部下の一人であるマルティニは、
bimotaに去った。
1つの時代が終わった。
いや、新たな時代がはじまった年だった。
その一方でタンブリーニは、チームガリーナからカジバに
転職して、リミニの地でドゥカティPaso750の開発に
取り組んでいた。
それがCRC(カジバ・リサーチセンター)となる。
さらに10年近く、
自ら夢みるバイク(MV Agusta F4)を
実現するため、はるかな旅路に出ることになる。
 

ファビオ・タリオーニが量産を熱望していた1000ccの
排気量を持つ、空油冷L4エンジンは、ついに陽の目を見るこ
とはなかった。

1978年当時、すでに空油冷1000cc/L4は完成していた。
デロルトキャブ仕様で130psのパワーを絞り出した。
スズキGSX−R750/1100よりも早い時代に空油冷
エンジンを完成させていた。
 
また、F1レースでおなじみのメカニカルインジェクションとの
組み合わせで150ps以上を発揮できる可能性があった。

ホンダCB900F、スズキGS1000、カワサキZ1000
などの1000cc空冷インライン4を搭載する、
日本製スーパーバイクモデルに抵抗できるパフォーマンスだった。
 
もし、このDucati 1000/L4が量産されていたら、
ボルドー、ルマンなどの24時間耐久レースで
ホンダRCB100と対決していたに違いない。
 
1972年にイモラ200に勝利した後、
タリオーニはこれからの時代を考えると、
ベベルギアエンジンではこれ以上のパフォーマンス向上
は望めない。
そう考えたのだろう。
 
 
そこでV4(1000ccと750cc)エンジンの
開発に取り組んでいた。
まず、全水冷のV4エンジンを1976年に完成させた。
しかし、コストが高すぎると経営陣から否定された。

バルブ駆動はベベルギアではなく、
Ducati GP500レーサー(デスモではなくコイルスプリングの
4バルブヘッド)で試されたゴックドベルト駆動とした。

 
そこで伝統の空冷エンジンとして部品点数を絞り、
シリンダーヘッドの油冷を組み合わせたL4を試作した。
このエンジンが1980年代に向けた決定打となるはずだった。
多くのパーツを共有化することで空冷Lツインエンジンも作れる。
 
 

そうならなかった要因の1つに、
1978年のマン島TTレースで勝利したマイク・ヘイルウッド
の活躍があったからだろう。
まだまだ、伝統のベベルギアエンジンでもホンダRCB1000
に勝てる。
当時の経営者にそう思わせてしまった。
たしかにマイクヘイルウッド・レプリカは世界で日本で
大量に売れた。
それがファビオ・タリオーニの1000cc/L4構想を退け
る結果を招いてしまった。
私はそう推測する。

また、1980年以降、ドゥカティは経営に行き詰まって
いた。そこでディーゼルエンジンのパーツを作る下請けメーカー
になり下がっていた。
オートバイメーカーの看板を下げるのは時間の問題だった。
そしてカジバがドゥカティを買い取った(1985年)。

しかし、このL4はクランクケースさえ新作すれば、
腰上のシリンダー、ヘッドなどの数多くのパーツは、
Lツインエンジンと共通化できたただろう。

複雑なDOHC4バルブエンジンにする必要もない。
2バルブでも4気筒にすることで、バルブ1本の質量を軽く
することができ、デスモ機構(ゴックドベルト駆動)との
組み合わせで充分高回転を追求できる。



Lツインパンタエンジンは、このL4を半分にした構成だった。
最初の排気量は500ccだった。

まさに1000cc/L4を半分にした構成だった。
最初からLツイン1本で設計していたら、
500ccなどという中途半端な排気量にするはずがない。

いや、ボア・ストロークはGP500レーサーとまったく同じ
なのでレース出場を意識していたことは間違いない。




また、タリオーニが関わっていない、
ドゥカティ社内のライバルである並列ツインエンジンモデル
との覇権争いもあった?

伝統のLツインフォーマットを存続させてレース参戦できる可能性
を残しておく必要がある。
また、イタリア国内の免許制度に対応するため350ccモデル
を可能にすることも念頭にあったはずだ。


その後、Lツインパンタ(パンサー)エンジンは、
600cc、650cc、750ccと排気量アップされた。
パンタレーサー、750F1を生み出す母体となった。
もともとレースで勝つことを想定したエンジンだった。
フルスケールの1000cc/L4だったら、........

ゴックドベルトバルブ駆動によるパンタ(パンサー)エンジンは、
350ccLツインから1000cc/L4まで
幅広いエンジンを可能にする革新的なイノベーション
だったわけだ。

ハーレーの場合もノバプロジェクト(1970年代後半)で
ムービングパーツを共有化してV2、V4、V6水冷エンジンを
考えていた(ポルシェ設計)。
結局、ハーレー社内で開発していた、
ショベルヘッドに代わる空冷45度Vツイン・エボリューション
エンジンとベルトドライブを追求していまにいたっている。

しかし、カジバは製造コストが高いL4よりも、
台数が見込めるLツインの継続とパフォーマンスアップを要望した。
パンタレーサーの活躍と750F1が脚光を浴びることになるので、
その販売戦略は正しかったことになる。
カジバ時代になり並列ツインエンジンモデルは淘汰された。
 
話を元に戻す。
bimotaは、次の一手として、
ヤマハ製4気筒エンジンをハンドメードアルミツインスパー
フレームに搭載した一連のモデルを開発した。

なお、YB5のみマッシモ・タンブルーニが設計して残された、
パイプトレリスフレームにヤマハ製空冷4気筒1200cc
エンジンを搭載したモデルだった。
在庫フレームにしては生産台数(208台)が多いので、
エンジン購入台数に合わせて、
新たに追加製造されたのかもしれない。
当初はアルミツインスパーシャーシモデルも試作されたらしいが、
結局、エンジンの冷却に有利なパイプトレリスフレームが選ばれた。
 
アルミツインスパーモデルは、
ヤマハ製水冷4気筒エンジンモデルに焦点を合わせて
開発されることになった。
前後16インチタイヤ装着したYB4プロトタイプ
 


まず、YB4プロトタイプ(1986年)が試作された。
bimotaではじめてとなるアルミツインスパーフレームには、
ヤマハ750cc水冷4気筒エンジンを搭載された。
その背景にはエンジン単体での購入契約をヤマハ
との間で結ぶことができたからだ。

開発者のフェデリコ・マルティニは、
アルミスインスパーフレームを手掛けるのは初めてのことで、
最初テストライダーのダビデ・タルドツイーが
期待できるタイム/成果を出せないでいると、
このフレームは失敗したかもしれないとい頭を抱えた。

そこで著名な二輪ジャーナリストであるアランカスカートに
再度テストを依頼すると速さをみせはじめた。
そういうエピソードがあったそうだ。
タルドッイーはドゥカティパイプトレリスLツインのスペシャリスト
だったが、4気筒バイクは不慣れだった。

ちなみにパイプフレーム以外の素材は、
ハブセンターステアのプロトタイプ車両(Tesi2)を
開発する途上でトライされている。



ホンダV4エンジンを搭載したTeia 2では、
F1のシャーシで実績のあるカーボンケープラーとアルミハニカム
素材を貼り合わせた複合素材のフレームが開発された。
その一連の経験がYB4フレームの開発で生かされることに
なったはずだ。

タンブリーニがTA1でトライしたアルミハニカムによる
フレーム構成は失敗?だったので、
ホンダNSR500に見られるような目の字断面?
のアルミツインスパー構成とした。


しかし、ピポットプレート部分は、
強固なアルミビレット材を切削加工したもので、
それとメインフレームパートと溶接した。
これはHB2以来のbimotaの十八番だった。
YB4フレームは、1985/86年当時の
最新のフレームテクノロジーだった。
その作りはグランプリファクトリーマシンに並ぶものだ。

このアルミフレームの素材には、
航空機用素材で使用されるアンチコダル100
という最高品質のものが選ばれた。
それに長年の使用で色あせないアルマイトメッキがかけられた。
 
そして特質すべき機能が盛り込まれた。
これがアルミツインスパーフレームの最大の秘密だった。
それはエンジン搭載位置を起こすことで、
大排気量4サイクルエンジンに
グランプリマシン並みのハンドリングを与えることだった。

ヤマハ4気筒エンジンのシリンダーは、
45度の傾斜角を持つジェネシスと呼ばれるエンジンだったが、
そのシリンダー傾斜角を38度まで起こした。

それによりホイールベースを若干短縮することができ、
最適の重心バランスをヤマハエンジンにより実現すること、
ハンドリングを向上させる狙いがあった。

それを見抜いたフェデリコ・マルティニは、
さすがに五感の鋭いイタリア人だと思うね。

それを可能にするため、アルミツインスパーフレーム
の一部を切り取り、
シリンダーヘットと連結するハンガープレートを組み込み
溶接した。
また、38度のシリンダー傾斜角に決めるまで、
限りない数のハンガープレートが試作されてテストされた。
なお、このハンガープレートは、
搭載するエンジンにより違いがある。

私見だが、このハンガープレート(またはステー)の材質と
構造によりバイクがねじれ剛性をコントロールしているような
気がする。
YB4はたんなるアルミのプレートだったが、
YB8ではジュラルミンの素材のステーに置き換えられた。
使用目的により変えているのか?

最近エンジンをフレームにボルト止めする締め付けトルクを
弱めることで車体がねじれる効果を上げる。
そういった記事から推察したわけだ。
 

 

そしてYB4の実力を確かめるため、
1987年のTTF1世界選手権に参戦した。
完成車がなくても認定された量産バイクのエンジンを搭載
していれば、なんでもOKのクラスだった。
クランクケースが同じなら、
それ以外の改造はなんでもOkだった。
 
メーカーにとってまことに都合の良いクラスだったのだろう。
その代表的なバイクが耐久レースで圧倒的な強さを誇る
RVF750だった。
量産バイクのVFR750Fとはまったく違うレーサーだった。

YB4Rは、なんと初年度に世界チャンピオン
(ヴァージニオ・フェラーリ)
に輝いた。ハンドリングの良さでパワーに勝るホンダRC30
を破ったのだった。
 
その後、マレリとの共同開発による電子制御フューエルインジェクションを搭載したYB4IE(1988)を開発して販売した。
WSBK参戦のためのホモロゲモデル。
WSBKで勝利を狙えるバイクだった。
同時に市販レーサーも販売された。

フレーム(&スイングアーム)の量産はbimotaから
図面と治具を提供されたフレームビルダー(ベルリッキ?)に委託
された。イタリアの職人によりハンドメード製造。

YB4EI(1988:303台)は、先進の電子制御フューエル
インジェクションを搭載していた。
キャブレターでは不可能な大口径吸気により
750ccクラス最高峰のパワー
(121 hp/10500rpm ps)を発揮した。

*FZRエンジン・シリンダーヘッドの吸気ポートを拡大して
インジェクションの口径に合わせたかは定かではない。
ベースモデルのエンジンスペック
Yamaha FZR750R
106 hp  10500 rpm )
213 kg  / 235 kg
 
それをマレリECUによりコントロールする画期的な
インジェクション・シシテムだった。
マレリはほかにもドゥカティにEUCを提供して
851に搭載して1988年にWSBKに参戦した。
このEUCは、8ビットコンピュータながら、
4インジェクターをコントロールできる優れものだった。
通称マレリP6。
YB4IEに搭載したものと同じものだ。
ドゥカティは1気筒2インジェクター、
bimotaは1気筒1インジェクターで
4気筒/4インジェクターをコントロールした。

まだ日本製スポーツバイクはキャブレター全盛
だったので、同じイタリアンバイクのドゥカティとbimota
は一歩も二歩も進んでいたことになる。
しかもレースでそのテクノロジーを向上させた。

いま、マレリはMotoGP用スタンダーソECUを
すべてのチームに供給しているが、
もともとは、1988年にドゥカティとbimotaに
提供したEUCがはじめてだった。
その歴史は長い。

その後、このP6はパフォーマンスップしてP7となり、
Ducati916と4輪のランチャ・デルタインテグラーレに
搭載される

このマレリECUを搭載したYB6 Tuataraを
一時期所有していたが、
きわめてスムーズなエンジン特性だった。
キャブレターと比べてなんら不足はなかった。
しかし、渋滞を走ることができるようなフレキシビリティ
は待ち合わせていない。
場所と季節を選ぶべきだろう。



 
日本製バイクが本格的な電子制御フューエルインジェクション
に取り組むのは、1980年代前半のターボバイクは別として、
少し後のホンダ,NR750、RC45、ヤマハGTS1000
スズキ・隼からになる。

 
YB4EIRは、
1988年度のWSBKでは何度も勝利を重ねて、
わずかの差でランキング2位となった。
なお、FCRキャブを搭載したYB4もあったようだ。
  
 
その翌年の1989年度も勝利した.
 
 
bimota YB4/ジャンカルロ・ファラッパーがレース2で勝利した。

その後ハブセンターステアのTesi1Dの開発に注力するために
シーズン途中から撤退した。
 
 
1993年頃のことだ。
YB4EIの再来となるべきバイクが企画された。
ヤマハYZF−750Rのエンジンに
お得意の電子制御フューエルインジェクションを搭載
するものだった。
再びWSBK参戦を狙っていたのだろう。

しかし、そのとき日本の大手インポーターは、
1000cc4気筒バイクの開発を希望した。
それがYB11(1994-98:650台)となって販売された。
商売的には成功だったようだ。
しかしレースとは無縁のバイクだった。

それは表向きの理由でレースに出場できる750ccエンジン
の販売を断られたのかもしれない。

または、スズキエンジンを搭載したSB6とSB7が同時進行
していたのでレースはSB7で出たいと考えていただろう。
実際スポンサーさえ獲得できていれば1995年のWSBK
への参戦を予定していた。
Ducati 916に勝てたかは定かではない。

YB4EIに続く、
YB6(1988−90:546台)と
YB8(1989−92:252台 )シリーズは、
ヤマハ製1000cc4気筒エンジンを搭載した、、
世界最速のハイエンドモーターサイクルとして企画された。

YB4EIと同じフレーム、前後サスペンション
に最強のリッターバイクのエンジンを搭載した。
そのことで最速のトップスピードを発揮しながら、
同時にハンドリング性能に優れていた。
車両重量は、ベースエンジンバイクよりも
はるかに軽量だった。
1000ccバイクがわずか180kg(YB6)、
185kg(YB8)の乾燥重量に驚嘆させられた。

こういう1000ccスーパースポーツバイクは、
当時世界のどこにも存在しなかった。
いまの1000ccスーパースポーツバイクの先駈けだった。
いや、リッターSSを創造したといってよい。

それから約10年を経てヤマハYZF−R1(1998)と
それに続くスズキGSX−R1000(2000)により
本格的なリッターSS時代が到来することになる。

それまでは、1000ccスポーツバイクは、
ツアラーの領域を超えるものではなかった。
車両重量も重かった。
また、スポーツライディングを可能にする
ラジアルタイヤがなかった。
グランプリレースのパフォーマンスを
ダイレクトに反映させた、
ミシュラン・ハイスポートラジアルの登場により
状況が一変することになる。

YB8の最高峰モデルFurano(1992−93:152台)は、
YB4譲りの電子制御フューエルインジェクションを搭載して
なんと、164psのパワーを発揮した。

*1992年当時、バイク雑誌で計測されたデータは
後輪で149psだった。
そのカタログスペックは眉唾ものではなかったわけだ。

しかも、前後にオーリンズサスペンションを装着していた。、
GP500、WSBKレーサーで使用されるハイパフォーマンス
サスペンションだった。
*フロントフォークはダストシールなしレース用その
ものだった。
Furanoは名実ともに最速のリッターSSとなり、
南イタリアの高速周回路ナルドサーキットで
当時世界最速の285kの周回スピードを記録した。
 
残念ながらFuranoが出場できる、
実力を証明できるレースが存在しなかった。
WSBKレギュレーションの規程では、
インライン4エンジン搭載マシンが出場できる排気量は750cc
までだった。
なお、YBシリーズはカロッチェリア・ジャパンから
販売された。
その後レッドバロンに引き継がれた。
いまも多くのbimotaモデルの中古車販売を継続しており、
膨大な修理データを保有している。

 
続く
 
 
 



最近、YB7搭載のヤマハ4気筒エンジンの調子が良い。
スロットをワイドオープンすれば、
瞬時に高回転まで回しきることができる。

この2代目のYB7を購入してから約1年半、
走行距離は約4000k伸びて9000kに
なりそうだ。

そこでその実力を計測してみることにした。
RB瑞穂さん備え付けのアシダムという
オートバイ総合診断機でパワー計測をしてみる
ことにした。

そのほかにアライメントやブレーキ制動力なども
測定できる優れものだ。
今回はパワー計測のみ依頼した。

パワー計測の環境としては、、
少し肌寒い、空気が冷えていたほうが良いが、
いまの時期は、まだ暑くもないので、
これで良しとするしかない。

助走に続いて、
2回の計測を行った。

1回目が43.7ps/4速、
2回目が43.9ps/6速
だった。
レッドゾーンがはじまる14,000rpmの手前の
13,500rpm+αまで回した。

そこまでストレスなく回り、1回目、2回目の
計測データともにきれになパワーカーブとなっていた。
推定最高速度は、約210k。
400ccエンジンとしては、満足できるデータといって
良い。

ロス分が7psほどあるので、
50psくらいの実力と思われる。

以前計測したNSR250R(88)は、
フルパワー加工していたがRBアシダムで45ps。
別の場所でダノジェットで計測したときは52psだった。
計測データが高いほうがもちろん嬉しいが、
それはそれだ。

そのためYB7もほぼ同じ実力だといっていいだろう。

なお、YB7を購入する前に、
ほかのRBで計測されたYB7のデータを教えて
もらったが46.7psだった
今回の測定データとの差は約ー3ps。
まっ、測定条件/環境が違うので、
こんなものでしょう。

ヤマハFZR400Rエンジンのカタログスペックは、
59ps。これはクランク軸出力。
ダイノマシンなどで計測すると−15%のロスと
考えて約50psの後輪出力となるはずだ。

そういうことを考え合わせて、
YB7ほぼフルパワーを発揮していると言って
いいだろう。
 
最近のリッターSSと比べると「ささやか」なパワーだが、
ワインディングではパワーがあっても使えないので、
わたしはYB7のこの「ささやかな」パワーで充分だ。

それよりも軽量な車体が可能にしれくれる
軽快なハンドリングと14,000rpmまで回せる
魅惑のエンジンが好きだ。
 
もし、FCRキャブとマフラー交換を
行ったらどうなるだろう?
加速ポンプが効いた時の加速は尋常ではないので、
スーパーなYB7となるだろう。
しかし、それはまだ必要としていない。

その前に点火強化かな?
以前NSR250R(88)に取りつけていた、
例の黒い箱(バッテリ・ブースターと呼んでいる)を
回収したので、
それをバッテリに取りつけてたい。
始動性の向上と低速トルクアップ、
トップエンドまで確実な点火を実現したい。
ほかのバイクでその効果は体感ずみ。

YB7の場合もパワーアップしたいのなら、
段階を踏んでやるべきだろう。
まずは、バッテリブースターで点火系電圧の変動を抑え安定化
させる。その上でASウオタニで点火強化。
燃焼効率の向上を狙う。
 
 

そしてFCRキャブと大口径燃料フィルター
取りつけ。
しかし、過ぎたるは及ばざるがごとし、
何事もほどほどがよろしいかと、......

 
 

 
PS,
いまも秘密の格納庫に眠るbimota Dieci。
こいつには、ASウオタニパワーコイルとこのバッテリブースター
を取りつけていた。
そしてFCRキャブに換装していた。
早朝の常磐道でその実力を試したところ、
スピードメーターがまるでタコメーターのように
伸びあがっていった。

いまだかって、
これほどの加速力を体感したことはない。
そのときはFCRキャブ加速ポンプへの燃料供給が間に
合わなくなりエンジンストールするという異常事態に遭遇
した。

おそらく燃料ポンプとFCRキャブの間に装着された
燃料フィルターの口径の問題(ノーマルフィルター)で
燃料デリバリーが追いつかなかったのだろう。
つまりFCRキャブに対応できなかった。
その後、通常走行では問題は出なかった。

しかし、一般道を走らせるフレキシビリティがある。
サイドカウルを外せば夏の走行も可能。
しかし、エキパイからの放熱で火傷しそうになるので、
皮パンを履く必要がある。
 

モテギで開催のMotoGP日本GPまでの往復で18k/Lの
高燃費を記録した。
FCRキャブの加速ポンプが作動するポイントを
かなり上にしている。
市街地走行では13k/Lくらいだった。
 
 
このDieci(ディエッチ)だが、
イタリア語で10を意味する。
bimota Dieciは、
YBシリーズ10番目のバイクという
意味でDieciと名付けられた。

車両のベースはYB8。
同じアルミツインスパーフレームを使用する。
それにマルゾッキ倒立フロントフォーク、
アップハンドル。
そして 専用のカウリングとシートユニット
(&ビタローニのミラー)が与えられた。

YB8がレーサーレプリカだとすると、
Dieciは高速道路を楽に飛ばすることができる
GTバイクとして企画されたのだろう。
最高速度はYB8よりも少し速かった。
1990年から94年までの間に224台が製造。

このDieciをはじめて見たのは、
たしか1992年のの春頃。
伊豆に向かう清祥バイパスのパーキングだったね。
こちらもYB7を走らせていた。

さっそく、初代YB7を購入したバイク屋でカタログを
チェックした。
何て素晴らしいデザインなんだ。
惚れたね。
1991年当時、
価格はYB8をに超える339万だったかな?

このDieciならテスタロッサに勝てるかもしれない。
東北自動車道でYB7を走らせていたとき、
あっというまに抜かれて遠ざかってゆくテスタ。
追いつけなかった。
それ以来、Dieciは特別な存在として
私のの脳裏に焼きついた。

2010年頃だったか?
このDieciにFCRキャブが取りつけられた
個体をRBイントラネットで発見した、
そしてわたしの手元にやって来たわけだ。

そして、常磐道でそのおそるべきポテンシャルを体感した。
これならテスタに勝てるに違いない。
しかし、そのライバルとはそれ以来遭遇したことはない。
 
 
イメージ 1


風はおさまった。
寒くも暑くもない。
YB7を走らせるには絶好の天気だ。
いつもの名栗のコース。

ここは信号が少なく走りやすい。
最近、よく出掛ける有間ダムまでの
往復で約50k。
爽快な走りを楽しむことができた。
 
今日は乗れている。
bimota YB7を所有して、
ここまで思うがまま7を走らせたの初めのことだ。
 
ここのところ前後タイヤ圧(チッソガスを充填)を繰り返して調節して
その違いを試している。
今回の走りでは、フロント1.95kg、
0.5kg落としてみたわけだ。
リア2.2kgのままだ。
それで正解だった。

するとフロントタイヤのバタツキ、
突き上げが収まった。
絶妙はコーナリングワークを味わうことができた。

なお、タイヤ圧を減らすとグリップが増える。
その分ハンドリング特性が変わる。
そのためより積極的なライディングが必要になる。
いつもの左右のステップワークとハンドル操作だけでなく、
バイクを積極的にバンクさせないと曲がらない。
 
いま7の走行距離は、約8500k。
7を購入してから約4000k走らせた。
購入時走行距離は少なかったが、
24年以上前に製造されたエンジンだ。
走り出した当初はエンジンの回り方はしぶかった。

その後、走行距離が伸びるに従ってエンジンのフリクショ
ンがとれ、
いつでも高回転まで回しきれるようになった。
4ストゾイルを入れているので、
その効果もあると思う。
エンジン内部パーツ表面がなめらかになったためだろう。
 

初代のYB7を購入したのが約25年まえ、
そのときは、コーナリングの素晴らしさの一端を味わった
だだけで終わった。
それから23年経過して2台目の7を購入した。

そして、ようやく最近になって7のポテンンシャルを引き出
すことに成功したと
そう言っていいだろう。

いまは難しいリッターSSよりも、
YB7を走らせたい。
 
ではでは//




 
イメージ 2
 
イメージ 3
 
イメージ 4
 
イメージ 5
 
 
 
いままで7の空気圧は高めに設定して走らせてきた。
しかし、どうも最近違和感がある。
 
どうしてそう思うのか?
最近、YB7を中心に走らせることで見えてきた。
いや、感じてきた。
以前は月1回の程度の走行だった。
 
イメージ 6
 
 
そこで日本語取扱説明書(YB7を購入時に提供された)。
記載のフロント2.0kg/リア2.2kgに設定してみた。
こんなに低くして大丈夫なのか?
またがってみると、
明らかにリアの車高が低くなっている。
 
そういう疑問があったが、
しばらくすると非常に良いことがわかってきた。
 
前後タイヤ(ダンロップα12)が非常によくグリップする。
先日の「山伏コークスクリュー」までの往復60kの
走りに興奮した。
 
以前は、路面の起伏でリアタイヤがもっとバタついていた。
跳ねていた。ちょっと腰にショックが強いと感じていたが、
それが普通と思っていた。
 
しかし、空気圧を下げる(標準設定)ことで、
リアタイヤが非常に安定している。
いままでにない途切れることのないタイヤのグリップを
感じることができた。
 
イメージ 1
 
あるバイク屋との会話
 
ナン
さらに空気圧を下げたら、
もっとグリップがよくなるのでは?
 
YDさん
それは止めましょう。
標準設定圧よりも低くすることは危険です。
 
ナン
サーキットでは、
かなり低くしますよね?
 
YDさん
一般道とサーキットでは走行条件が違います。
それに適した空気圧があると思います。
 
サーキット走行会では、
好みにより空気圧を低めにするがいますが、
帰るときはもとの空気圧に戻すことをお勧めし
たいですね。
 
*排気量の小さい軽量なバイクの空気圧は低い。
 超高速で走行することを想定した、
 最近の1000cc以上のビックバイクは、
 2.5kg/2.9kgと非常に高いようだ。
 以前は2.3kg/2.5kgだった。
 それだけ速度が上がったため?
 
ナン
なるほどね。
そういうことなんだ
 
たかが空気圧、されど空気圧だね。
奥深いものが隠されていることがわかりました。
また教えてください。
 
ありがとうございます。
 
 
 Ps,
 
ナン
デイアブロ・スーパーコルサのタイヤ空気圧は?
 
ミスターP
とりあえず、
リア2.1kgだよ。
サーキット走行では、
もっと下げることもあるよ。
 
ナン
それってどれくらい。
 
P:
..........
 
 
どうも秘密のようだ。
サーキット走行ではリアタイヤが熱により内圧が膨張する。
そのためかなり低く設定するようだ。
逆にフロントは走行風で冷やされるのであまり低くしない。
グリップを最大限に生かせる空気圧とするようだ。
 
それと、このP社のタイヤは、
ほとんどレーシングタイヤなので、
そういうものなのかも?
 
私にはあまり関係のない世界のようだ。
 
 
 
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