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Ducati 916通信 2010/04/04
先週末、916を走らせた。 最近4気筒バイクを走らせることが多いので、 いっそう感じることだが、 コーナリングが鋭い。 バイクをバンキングに持ち込むスピードが速いというべきか? やはり、916はスーパーハンドリングマシンだということを
あらためて実感した。 しかし、的確なライディングに心がけないと曲がらない。
ハンドルにしがみついてはいけない。 コーナーのインで外足荷重に心がけること。 そのときエンジンは低回転に落としておくこと。 内側のステップにのせた足を踏ん張ると、
バンキングにブレーキをかけることになるので、 いっそう曲がらない。 えっと、
WSBKのレースビデオ(ポルティマオ)で、 芳賀紀行選手の走りを見ていたら、 ハングオンしながら内側の足をステップから持ち上げていた。 レース中の走りにライディングのヒントが隠されているものだ。 腰は後ろに引いて腕は伸びている。 また、 リアのスプロケを2丁ほど増やしていることもあり加速が鋭い。 アクセルを開けて、 来て欲しいところでリタイヤにトラクションがかかる。 奥多摩にはぴったりといっていいだろう。 そしてアクセル操作に従順なエンジン。
過度のエンブレもない。 やはり、吸気の制限(リフター)を取り払い、 テルミエキゾーストで排気がオープンになっている。 それがなければもっと盛大にギクシャクするかもしれないね。 なんだか、一瞬、
NSR250を走らせているような錯覚にとらわれてしまった。 この日は気温が低く(0℃)、
奥多摩周遊道路の路面はぬれていた。 そのため流す程度の走りに終始した。 しかし、最後のほうでポジションがきつさから、
青梅の街中に戻ってきたら、 アップアップになってしまった。 首が痛い、......
しかし、
916のハンドリングは素晴らしい。 これは間違い」ない。 ところで、
中古車の1098/1198/848は、 まだまだ高価だ。 しかし、998、996、916、748は、手が出しやすい価格になってきた。
それらの中から、コストやオプションパーツの有無など、 条件に合う一台を選べばいいのでは?
有り余るパワーをワインディングで使いこなすことは不可能だ。
そこで、
私なりのバイヤーズガイドを次にまとめてみることにする。 1)バイク屋に入庫して、あまり時間が経っていないこと。
数年寝かしているバイクは、インジェクターの詰まりと 電磁ポンプなどの動作不良の要因になる。 前歴がはっきりしているものがいいね。 2)走行距離が2万k以下または、 前歴がはっきりしていること。 多走行(3万k〜)のバイクは、 購入時または後からシリンダーヘッドのO/Hをやるべきだろう。 状態によるけどね。 3)出来ればクラッチレリーズ、フロントブレーキマスター(ラジアル)、
リア・サスペンション(オーリンズ)、etcにグレードアップされている。 とくにクラッチレリーズの交換は必要じゃないかな? 996のクラッチは恐ろしく重い。 市街地では左手が悲鳴をあげるよ。
マフラーは「レオビンチ」との相性がいいと噂されている。
4)また、ポジションがきついと感じたらアップ・ハンドルと交換する。
*私も検討中
5)バッテリ充電機を購入して充電端子をつけること。
走行前に一晩充電する。 1998年以降の車両は、ライト常時点灯が義務付けられているので、 バッテリへの負担が大きい。 まず、走り出す前に満充電にしておくべきだろう。 916シリーズは、
スパルタンなバイクであることは間違いない。 しかし、それを乗りこなす/走らせる魅力が満載だ。 ではでは//
Ps、
Ducati 916は、 どうしてスーパーハンドリング・バイクなのだろうか?
その前の851/888は、 どちらかといえば安定志向のスーパーバイクモデルだった。 それでもWBSKでは、 ライバルの日本製スーパーバイクと互角以上の勝負を展開 することが出来た。 しかし、そのアドバンテージはは次第になくなり、
1993年には、Kawasaki ZXR750RR/スコット・ラッセルに タイトルを奪われてしまった。 そこで1994年に登場したのが916だった。
それは、カジバGP500レーサー(2サイクルV型4気筒)のディメンジョンを そっくり916に写し取ることで、 スーパーバイクモデル916にGP500のハンドリングを与えるという 過激さだった。
そこが916シリーズ栄光の歴史の原点だった。 一般ライダーがグランプリマシンのハンドリングを味わうことが
できるという、かつてない出来事だったわけだ。 当然、そのハンドリングレベルは高い。 実のところ916は、
1993年に登場するはずだった。 しかし、ライバルマシンの方向性を確認するため、 デビューを1年遅らせたそうだ。 もし、1993年に登場していたら、
888のスタイリング/シャーシに916エンジンを搭載 していたかもしれないね? |
Ducati 916通信
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Ducati 916通信「幻のDucati 水冷V4エンジンを追う」
ドゥカティが4気筒エンジンに取り組んだのは、
過去5回を数える。 最初は、1958年に試作したデスモGP125インライン4レーサー
(DOHC4バルブ/デスモ)
2回目は、アメリカ市場をターゲットにした空冷L4エンジンのアポロ(1964年)
3回目は、今回紹介する水冷V4(1976年) 4回目は、空油冷を採用した90度L4エンジン(1978年) そして、5回目にMotogpレプリカの
DesmosediciRR(90度L4エンジン)が、 2008年にドゥカティストのもとに届けられた。 2回目の4気筒エンジンモデル通称アポロは、2台のプロトタイプしか
作られなかった
*そのうちの1台は、大分県の岩下コレクションに現存する。 その当時のドゥカティは、
小排気量のシングルエンジンモデルを販売/得意とするオートバイ メーカーだった。
そこに 降って沸いたような大排気量オートバイ製造の誘いに ドゥカティは前向きに取り組んだわけだ。 しかし、
結局量産にいたらなかった。 その理由は、いまだに謎のままだ....... 当時の経営陣は、 米国(ハーレー)でのポリスバイク販売で無用な摩擦を避けたかったのか? それとも技術的な問題だったのか?
まだ、デスモドローミックは完成の域に達していない。 それが量産モデルに搭載されるのは、1968年からになる。 しかし、ファビオ・タリオーニ博士は、
この4気筒をいつかは形にしてみたいとの想いがあったのだろう。 1972年にイモラ200に勝利した750ssは、
1973年からロードモデルの量産を開始した (デスモの750SSレプリカとノンデスモの750S)。
また、排気量をアップしたデスモ900SSを1975年から販売開始した。 そして、デスモ&ベベルギア空冷Vツインエンジン開発に一区切りを つけたところで、
次世代のエンジン開発に取り組み始めた時期だったのかもしれない?
それが、かねてから構想暖めていた水冷V4だったのだろう。 ここで、現行モデルでも使用している、ゴックドベルトによるカムシャフト 駆動を試行している。
今回は、
幻の水冷V4エンジンの概要について調べてみた。 Ducati.comの記事を意訳
水冷V4エンジン試作(1976)
プロダクションのために設計されたV型4気筒エンジン。
シングルのカムシャフトヘッド。 タリオーニは水冷90度V4を作りあげた。 ゴックドベルトおよびプーリーによって
(1つのバンク当たり一つ)。(パンタdocet!) フロントに収容されたポンプによリ潤滑される冷却液。
750ccおよび1000ccの水冷V型4気筒エンジンが設計された。 ドゥカティでは、
金属と部分的に木製のパーツで構成されたダミー(モックアップ) を保存しています。 ベース部分・がトンネルを掘る(自動車の中でのように)一目で
それを検査すること:
モータ・シャフトは一方から挿入された? 1つのバンク当たり40mmデロルト シングル・キャブレターが取り付けられた。 しかし、経営陣は、水冷V型4気筒の複雑な構成にかかるコストを承認
しなかった。
いや、テクニカルな条件より政治的な状況に支配されるマネージメン だったのかもしれない?
この水冷V4レイアウトは、10年後にポピュラーな存在になった!
(Honda VF1000R&VF1000F) そして、
コースを変更することをファビオ・タリオーニに課しました。 そして次のエンジンの試作に取り掛かる。
Ducati 916通信「Ducati 空油冷L4エンジンとは?」
ところで、
水冷エンジンだが、
1970年代のグランプリの世界では、 2サイクルエンジンを搭載した、 ヤマハYZR−500、スズキRGB500がいち早く取り組んでいた。 それを迎え撃つグランプリの王者MV Agustaは、
お得意の空冷DOHC4気筒エンジンマシンで 1974(フィル・リード)年まで王座を守った。 しかし、1975年にヤマハYZR−500(ジャコモ・アゴスチーニ)、
1976年はスズキRGB500(バリー・シーン)がタイトルを獲得して、 2サイクルマシン有利の状況を確立した。 それに対して、MV Agustaは、1977年シーズンに向けて、
秘かに新型エンジンを用意していた。 それは、それまでの空冷インライン4エンジンとはまったく異なる。 水冷、しかも水平対抗4気筒エンジンだった。 なんと!
ダウンドラフトキャブを装着している。
おそらくフェラーリF1(312T)が
ニキ・ラウダのドライビングでタイトルを奪取した時期でもあるので、 その可能性にかけたのだろう。 しかし、MV Agustaチームは、1976年をもって
レース活動を終息させるにいたった。 この幻の水平対抗エンジンは、シャーシに搭載された段階で 永遠に時の歩みを止めてしまった。 ファビオ・タリオーニが水冷V4エンジンに取り組んだのは、
まさに、そういう時期だったといえる。 しかし、まだ時期尚早だったのか? ちなみにホンダは、
1975年に水平対抗4気筒エンジンを搭載した、 その当時のフラッグシップマシンであるGL1000を登場させている。 このGL1000の影響が多分にあったのかもしれない。 1970年代後半の雰囲気は、
次は水冷、そしてシャフトドライブという感じだったね。 GL100は、 まさにそういうバイクだった。 |
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Ducati 916通信「Ducati 空冷L4エンジンとは?」 ドゥカティは、 1976年に水冷V4を試作していた。 しかし、コストがかかりすぎるとして、 このエンジン案は却下された。 それに続いて1978年に空油冷L4(90度V4)を試作した。 デルルトキャブを4個装着したエンジンは、 なんと、130psのパワーを発揮する。 また、キャブに代わり「メカニカル・インジェクション(*)」を装着して150ps以上を 目標にしていた。 *F1ではお馴染みのメカニズム しかし、そのエンジンは幻と終わってしまった。 その後に登場したのが、 このL4エンジンを半分に分割したような500SLパンタ(1979年)だった。 なぜ? ・1つは、1978年にマイク・ヘイルウッドがマン島で勝利したこで、 まだまだベベルギア空冷Vツインが現役続行出来ると判断したためだろうか? ホンダRCB1000/フィル・リードを破ったことは大きな話題となった。 このRCB1000を破ったのは、このマイク・ヘイルウッド/Ducati 900ssと 鈴鹿8時間耐久レースを制覇したヨシムラ・スズキGS1000レーサーの2台だけだ。 ビデオ映像の再生はYou Tube画面(>)ボタンをクリックする ・それから空冷パラレルツイン(並列2気筒)モデルに代わる、 新たなモデルとして500SLパンタの開発を優先させたことかな? もともと、このパラレルツインは、ファビオ・タリオーニを抜きにして、 別のエンジニアで進めさせていた。 しかし、成功したとはいいがたいようだ? ・ドゥカティは半官半民のような企業だったので、 いろいろと思惑がうごめいていたようだ。 強力なリーダーシップを発揮できる経営者がいなかった。 天才的はエンジニア、ファビオ・タリオーニ(その弟子のマッシモ・ボルディー)を抱えながら、 彼の才能を生かす経営パートナーがいなかったわけだ。 もし、空油冷L4/1000ccエンジンを搭載するスーパーバイクを出していたら、 その後のドゥカティの歴史は変わっていたかもしれない。 ルマン、ボルドーなどの耐久レース、またはTT1レースでホンダと一騎打ちになって いたかもしれない。 その当時、ホンダRCB1000がヨーロッパの耐久レースで無敵の強さを誇っていた。 当然、バイクファン/ライダーの目は、それらのスーパーバイクに注がれていた。 そして、ホンダはRCB1000のレプリカであるCB900F/CB750Fを 1979年に販売開始していた。 近い将来、750ccを越えるスーパーバイクのの時代が本格的に到来する。 すでにアメリア国内では、そうなりつつある。 それを見越してした、 ファビオ・タリオーニによりL4が開発されたのだと思う。 しかし、ドゥカティ経営陣はGoサインを出さなかった。 MHR900の開発と販売を優先させたのだろう。 政府から天下りした経営人により牛耳られたドゥカティには、 結果的に事態を打開できなかった。 そして、次第にジリ貧になっていった。 1983年にカジバへのエンジン供給メーカーになる、 との声明が発表されてしまった。 そして1995年、カジバにによりドゥカティそのものが買収されて傘下に入る カジバを経営するカステリオーニ兄弟は。 一説には、カジバの名前を表に出すよりも、 ドゥカティ・ブランドで商売を継続したほうが、 より大きな成果が得られるとの判断があったようだ。 結果的にカジバの傘下に入ったことで、 ドゥカティは輝きを取り戻した。 そして、いまに続くMotogpでの成功へと続く。 しかし、2003 DesmosediciGP3よりもはるかの1978年に、 空油冷L41000ccエンジンという、 もう1つの可能性があったわけだ。 1000ccデスモ空油冷(1978.2)とは? ファビオ・タリオーニ博士が構想を暖めていた頼みの綱、 それは、「空気とオイルで冷やすエンジン」。 (その後スズキGSX-Rのシリーズは賞賛されたが、 その前にタリオーニは確実にいました、それは10年も前のことだ。) L4(90度V4)1000cc、4個の気化器で12,000rpmで少なくとも130CVを引き出しました。 クラッチは乾式クラッチでした。その一方でクランクシャフトはプレーンメタルで サポートされています。 それは、ちょうど今日のDesmosediciのように0度でクランクを回します。 実際上、それは2つのパンタ500ccエンジンのカップリングに見えました。 愛称「Bipantah:ビタンタ」。 写真で見られるように、エンジン(この場合連結体)は、 高度に発展したシャシーにて搭載されていた (シングルショック・リアサスペンション)。 *この時代にシングル・ショック・サスペンションを搭載していたとはね。 まったくもって驚きだ。 エンジンとシャーシの両面で先進的だった。 また、タリオーニは、メカニカル・インジェクション)により150CVを保証する バージョンへの準備に取り掛かっていた。 '80年代、、カジバグループによりドゥカティは捕獲された。 それを最後にL4プロジェクトを終えました。 4気筒で先行していた日本が世界市場で猛威をふるっていた。 またその支配は大きすぎました。 出展:Ducati 19070年台〜1980年代の変遷 空冷VツインGTモデル 750GT Prottype 1970 750GT 1971-72 750GT 1973-74 860GT 1974 860GTE 860GTS 1976 (スポーク) 900GTS 900SD Darnah 1978 900SS Darnah 1979 空冷パラレルツイン(並列2気筒)モデル 500GTL 1976 350GTL 1976 500GTV 1977 350GTV 1977 500 Sport Desmo 1977 500 Desmo 1978 500 Twin 1976 空冷Vツイン・ベベルギア・スポーツモデル 750 Sport 1973 750 Sport 1974 750SS 1973 900SS 1975 ←水冷V4エンジン試作 1976 750SS 1978 900SS 1978 ←空冷L4(90度V4)試作 1978 900MHR (kick start) 1979 900MHR (elec start) 1983 900S2 1982-84 新世代パンタエンジンモデル 500SL Pantah 1979 500SL Pantah 1980 500SL Pantah 1981-83 600SL Pantah 1981 600 TT2(パンタレーシングレプリカ) 1981-84 600TL Pantah 1982-84 350XL Pantah 1983 350SL Pantah 1983-84 650SL Pantah 1983 750 TT1 1983-85 ←カジバ傘下に 1985 750F1 Racer 1985 750F1 1985 (1型、アルミタンク) 750F1 1986(2型、アルミタンク) 750F1 Montjuich 1986 400F3 1986 750F1 1987 (3型、モチュイのパーツを流用) 750F1 Laguna Seca 1987 750Fl Santamonica 1988 なんだかんだいわない。 このL4はさらに古いDucatiの試作車。 ちゃんと形になっている。 YZF-R1SPの部屋 4B16CLUBさんご紹介のアポロ 大分湯布院の岩下コレクション ドカの空油冷L型4気筒1260アポロ 1963年の試作車 いづれ、詳細を調査して記事にしてみよう思う。
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Ducati 916通信 テスタストレッタエンジン解明編 ホンダのトーションバーを用いたバルブ開閉機構については、 まだ調査中なので別に書き起こしたい。 1つだけいえることは、 ホンダF1エンジン(1968 RA301V型12気筒)が登場するる過程で ・デスモドローミック機構 ・多重バネ ・トーションバー の3つの可能性を探っていたということだ。 その中から選ばれたのが、トーションバーだった。 そしてまず、1966 ブラバムホンダF2マシンにトーションバー・バルブ開閉機構を 搭載したDOHC4気筒エンジンで11連勝という圧倒的な勝利を重ねることになる。 話を元に戻す いかにフェラーリといえども、 それまで経験しことがないデスモドローミック機構を搭載したエンジンを短期間に開発して 即座に実践投入するなど不可能だ。 そこで重要なことは、 デスモドローミック機構を商品化するためのアイディア(特許/パテント)は、 ドゥカティがこつことと積み重ねて(独占)いただろう。 また、他のメーカーは見向きもしなかった。 ドゥカティは、1968年から デスモドローミックと 一般的なコイルスプリングによるバルブ開閉機構の2つのエンジンを使い分けていた。 1970年代半ばからデスモ1本に絞った。 ドカのトレードマークは、デスモであることを全面的に打ち出したわけだ。 また、この時点でシングルエンジンモデル(通称シルバーショットガン)の開発/販売も中止してしまった。 1974 Ducati 250 Desmo ビデオ映像の再生はYou Tube画面(>)ボタンをクリックする *ドゥカティの子会社スペインののモトトランスモは、シングルエンジンモデルの独自開発と 販売を継続した。 1982年?にモトトランスの閉鎖で幕を閉じることになる。 DUCATI VENTO(1981 モトトランス・ベント/ノンデスモ) ビデオ映像の再生はYou Tube画面(>)ボタンをクリックする http://www.cyclegrr.com/news/mototrans-ducati-vento-350 その後、シングルエンジンモデルに代わり中排気量クラスに進出するため、 ジュージアーロデザインのパラレルツイン(並列2気筒)モデル500GTL/500GTVを登場させた。 そのパラレルツインのエンジンは、 デスモドローミックを搭載していたが、 ファビオ・タリオーニによるものではない。 残念ながら期待されたほどの売れ行きを見せなかった。 1978 ducati desmo 500 sport ビデオ映像の再生はYou Tube画面(>)ボタンをクリックする スペック http://www.motorcyclespecs.co.za/model/ducati/ducati_500_desmo_sport%2077.htm その後の1970年台後半は、ベベルギア駆動の空冷Vツインに特化してゆく。 Ducati750SS、900SSなどベベルギア空冷Vツインモデル については、別に書き起こしてたい。 1974 Ducati 750 SS ビデオ映像の再生はYou Tube画面(>)ボタンをクリックする そして1979年、 1974年から5年という長い開発期間をかけて、 新世代パンタエンジン(パンサーの略)を登場させる。 なぜ、ベベルギア駆動を止めたのか? それは、ベベルギアのコストが高かったことにある。 精密な加工精度を要求するベベルギアは、 その加工時間がベベルギアのコストを跳ね上げていた。 その代わりにパンタエンジンで採用したのは、ゴックドベルトによるカム駆動だった。 既にフェラーリV8エンジンに採用されていた。 ドゥカティ/ファビオ・タリオーニは、 まず、500ccの排気量を持つ500SLからパンタエンジンを搭載した。 ・ゴックド・ベルトによるカム駆動 ・スイングアームピポットを持つクランクケース ・etc 500SL ビデオ映像の再生はYou Tube画面(>)ボタンをクリックする 1982 600SL ビデオ映像の再生はYou Tube画面(>)ボタンをクリックする ビデオ映像の再生はYou Tube画面(>)ボタンをクリックする その後、 パンタレーサー(トニーラッター)によるレース参戦で熟成と完成度を高めてゆく。 1981〜1984年のTT2 4連覇。 TT2 Ducati 600 Pantah 1982 Factory racer ビデオ映像の再生はYou Tube画面(>)ボタンをクリックする しかし、そのころドゥカティは、 マイク・ヘイルウッドレプリカが爆発的に売れた後、 ベベルギア駆動空冷Vツインモデルの売れ行きが落ち込み、、 また、新世代のパンタエンジンモデルへの移行がうまくいかなかった。 その理由の1つは、 500SL/600SLのスタイリングがパンタレーサーとかけはなれていたこともあるだろう。 1984年頃のことだが、 その頃属していたグープからの依頼で、 ディーゼルエンジンの製造などを請け負っていた。 それで、、 なんとか食いつなぐありさまだった。 そこに手を差し伸べたのがカジバ。 ハーレーアエルマッキの................ そして、1985年、 TT2パンタレーサーのロードモデルといってもいい。 750F1の登場でパンタエンジンは完成の領域に達する。 Montjuich Ducati Ultra Rare motorcycle ビデオ映像の再生はYou Tube画面(>)ボタンをクリックする Ducati 750F1 Montjuichスペック http://www.motorcyclespecs.co.za/model/ducati/ducati_750f1_montjuich%2086.htm なんだかんだいわない
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