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bimota SB6物語 Vol.05

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bimota sb6 japan Vol.03
カメラの振動が収まらないので「コルセ管」のエキゾースト・サウンドだけ聞いてください。
考えてみればそこは冬景色だった。

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bimota SB6物語 Vol.05

1994年にプロダクション(量産/販売)を開始したbimota SB6だが、
これほど個性的なフレームのオートバイは、
兄弟車のSB7とSB6R以外には存在しないだろう。
*Tesi1dは除く

Suzuki GSX−R1100に搭載されている大排気量エンジンをパワープラントに
選んで、それをbimota製ハンドメード・アルミツインスパーフレームに搭載する。
このことによりGSX-R1100に比べて41kg軽い、
なんと190kgの乾燥重量が可能になった。
これはYamaha FZR1000のエンジンを搭載するbimota YB8と比べてもわずか5kgの重量増だ。

それだけではない。
もともと、スポーツツアラーを志向したGSX-R1100エンジンにトップレベルのスポーツ性を
与えるために、エンジンを可能な限り低く搭載できるストレート・ライン・コネクション
フレーム(SLC)が新たに開発された。
*bimotaは、このフレームのことをストレート・コネクション・テクノロジーと
呼んでいる。

このSLCフレームはbimota YB8のようなアルミ削り出しのピポットプレートとアルミの
ツインビームを溶接する構成を取っていない。
ステアリング・ヘッドからスイングアーム・ピポットまでエンジンサイドを
まわりこんで一直線に伸びている。これにより量産バイクでは不可能な低いエンジン
搭載位置を実現した。
シート高も大排気量車としては異例とも思える低さになった。
このことで矢のような直進性/安定感が可能になる。
蛇足だけど、
マッシモ・タンブルーニがデザインしたクロモリ鋼管フレームのHB2〜YB5も低い
シート高だった。
SB6はその構成をアルミフレームで実現して発展させたものなのかもしれない。

このフレームのもう1つの秘密は、
ステアリングヘッドからスイングアームピポットまで伸びた、SLCフレームの特性を
生かして、アクセルを開けたときにリアタイヤをダイレクトに押す/トランクション
をかけることを狙っていた。
これを可能にするためにもSuzukiのロングストーロークエンジンが選ばれたと考えたい。
そう考えれば短めのスイングアームも利にかなっている。

SLCフレームとエンジンにより、矢のような高速直進性を実現して、
その驚異的ともいえるスタビリテイーが安定感を与えてくれる。

また、重心が低く、軽量、ダイレクトなトランクションを得られる性格は、
コーナリング・マシンとしてのパフォーマンスも只者ではない。
1100ccという大排気量エンジンを搭載しているにもかかわらず、乾燥重量190kg
と軽量に仕上がっておりエンジンの重心が低くコーナーの出口からはビックトルクに
より強烈に立ち上がることができる。
一番の得意科目は、
なんといってもエンジン低重心化のメリットが生かせる、
高速コーナーだろう。

中央高速道は高速コーナー/カーブが多いことで有名だが、
私はここでbimota SB6の圧倒的なコーナリング・パフォーマンスをたびたび体感している。
直線では矢のように直進するSB6だが、
高速コーナー/カーブの手前でちょっとアクセルを緩めてバンキングして、
すかさずアクセルをワイドオープンすると
前後輪とも路面に吸い付くようなコーナリングを魅せてくれる。

そのときモトコルセ製チタン・フルエキエから吐き出される、
エキゾーストノートが脳天を直撃してライダースハイにする。
その繰り返しですっかりSB6の虜になってしまった。
まったく、
「なんというマシンなんだ!」

bimota SB6は、大排気量車とは思えないような
「高速直進性、ハンドリング、そしてGoodサウンド」を並立させて、
その絶妙なハーモニーを奏でることでライダーを酔わせる。
1994年当時、
sb6は最強のパフォーマンスを発揮するオートバイだったことは間違いない。
そのとなりには「常にDucati 916」の存在を感じていたといっていいだろう。
それはマッシモ・タンブリーニがデザインした、
最強のコーナリングマシンだった。
しかし、高速コーナリングはSB6に軍配が上がるだろう!

だけどね、
このSB6の利点を生かすには、
それなりライテクの組み立てとサスペンションのセッティングを駆使することが必要なようだ。
それができないとSB6を持て余すことになるだろう。
難しいと嘆いていても、
SB6はいっこうにいうことは聞いてくれない。

それからGSX-R1100のエンジンはロングストロークなので強烈なトルクを発生する。
その分アクセルオフではエンブレが強く適切なギアを選択しないとマシンをバンキ
ングさせることが不可能になる。

その対策もないことはない、アイドリングを2000rpmに上げること。
クランクケースのブリーザーの出口に内圧コントロールバルブを装着することだ。
それらの対策やパーツはSB6の性格を理解した上で適切に実施することで効果が
得られるだろう。

それよりもコーナーのインでは3速で減速して立ち上がりでは必要に応じて2速を
使用することで充分だろう。ワインディングのブラインドコーナーの先にはなにが
あるかわからない。
でも、ブレーキング能力だけにはこだわるべきだろう。
私はコントロール性の高いBrenboラジアルマスターシリンダー(通称ラジポン)を
重宝している。コーナリングさせるためのきっかけや低速での姿勢制御など
前後ブレーキのコントロールなくしてバイクを走らせることはできないからだ。

わかっているようなことを書き連ねているが、
残念ながら頭ではわかっていても実践するとなるとなかなか思い通りにいかないのが現実だ。

少し前のことだが、
スーパーゾイルをエンジンオイルに混ぜたことでエンジンの上がり下がりはスムーズになった。
フルクションが少なくなったことでエンブレ緩和にも役だっている。

また、
最近わかったことだが、
コーナーのイン/手前でブレーキングした後?
シートの後ろのほうに尻をずらして、バンキング、アクセルオープンするとリアを中心にして
「くるりと回ってくれる」ことがわかった。
シートの前のほうに座ったままでは、バイクをバンキングさせたときに途中で
エンジンが引っかかるように感じていた。
それがなくなって素直なコーナリングが出来た。

その瞬間、
あっ!
と声を上げていた。

それは、db2のライディングからヒントを得てやってみたことが功を奏したようだ。
いや、体が覚えていたというべきか?

後から考えてみたらSB6のSLCフレームは、
そんな乗り方(リア乗り)が必要だったの
だのかもしれない。
「目からうろこ」が落ちた感じだった。

続く......


本内容はあくまでも「私的」なものなので、
まったく信頼できるものではありません。
そのため、コメントをいただくことは考えておりません。

しかしながらbimota SB6が誕生した背景、パフーマンス、各部の作り込み、etc
を文章に残したく筆を取りました。
そのことを「あらかじめ」おことわりしておきます。





bimota SB6Rをどう思う?

ハイスピードでその特性が生きるバイクだと思うよ。
たしか、最高速度は292Kを記録したそうだ。
それも滑走路の2Kの直線だったんだって。

えっ、
もっと長かったら?

南イタリアのナルド(高速試験場)に持ち込んだら、
300K突破は間違いなかったそうだよ。

なんとも夢のある話だね。
SB6Rという選もありだね。

でかくなったボディーとクセのあるスタイリングだけど、
俺は好きだよ。

ところでSB7は?

難しいと思うよ。
WSBK参戦のためのホモロゲマシンだから、
その性格は尖がっているよ。

でも、
一度見てみたいね。

たまに売りものが出てくるので、
要チェックだね。

bimota SB6物語 Vol.04

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bimota SB6物語 Vol.04

やっと本筋にたどり着いた。

SB6のコンセンプトは明快だった。
Bimotaは、ふたたび世界最速のプロダクション・モーターサイクルを世に送り出す!
マッシモ・タンブリーニ以来の「bimotaの命題」が再確認されたわけだ。
その中で選ばれたパワーユニットは、1993年当時最強のパワーを搾り出す、
Suzuki GSX-R1100に搭載される新開発、水冷DOHC 4Valveの155psエンジンだった。

ここで手腕を発揮したのが、1993年5月にあらたに社長に就任したウォルター・マルテーニとい人物だ。
*YB4/6を設計したフェデリコ・マルテーニとは別人物
おそらくbimotaと資本提携したベルガルダから送り込まれた辣腕経営者(会社外科医)だったのだろう。
そのことで充分なニューモデルの開発資金が準備できたのだろう。
それを物語るように1994〜1997年までは、怒涛のニューモデルラッシュが続いている。

・SB6/SB7、SB6R、SB8R(Suzuki水冷直列4気筒 1100/750、水冷Vツイン1000ccを搭載)
・YB11、YB9SR(Yamaha水冷直列4気筒 1000cc/600ccを搭載)
・マントラ、DB4(Ducati空冷Vツイン900ccを搭載)
・BB1(BMW:ロータックス)水冷シングル650ccを搭載)

などなど数多くのエンジン/パワーソースを日本とドイツのバイクメーカーから獲得している。
おそらくウォルター・マルテーニの手腕がそれを可能にしたのだろう。
そして1998年、気筒内直噴2サイクルエンジンのV Dueの販売に踏み切る。
bimota長年の夢は、オリジナル・エンジンを搭載したオートバイを開発/販売することだった。
それが現実のものになろうとしていたのだが、
しかし.......

SB6は、bimota史上最高の成功(販売台数)を納めたモデルだ。
発表は1993年秋のイタリア ミラノモーターサイクルショーだった。
そのスペックを再確認してみよう。

SB6仕様
・設計/エンジニアリング:ピエール・ルイジ・マルコーニ(Pier Luigi Marconi)。
・デビュー:1993 イタリア ミラノ・モーター・ショー
・価格、33,210,000リラ(当時)。
*レットバロンの新車販売価格は236万だったかな?
 それ以前のYB8シリーズと比べると大幅に安くなった印象を受けたものだ。
 それが購入意欲に拍車をかけたともいえる。

・エンジン: Suzuki GSXR-1100 水冷直列4気筒を搭載。
・最大出力:10,000rpmで156ps、
・最大トルク:9000rpmで12kg。
・エンジン排気量:1074cc
・圧縮比11.2:1
・40φMikumiキャブレター
・水冷DOHC 4バルブ、5速ミッション

・フレーム:ツインビームアルミフレーム
 「ストレート・ラインコネクション(SLC)よ呼ばれるSB6のフレームは、
 ステアリング・ヘッドからピポットまで一直線まで伸びることが最大の特徴だ。
・スイング・アームは、ツインビームフレームの末端の内側に連結される。
・スイングームは、先に行くほど細くなるテーパー形状キャスト部品で構成さる。
・タンクカバーとシート一体型のボディー・シェルは、サブフレームとして機能する。

・フロント・サスペンション:46mmφパイオリ(Paioli)フロントフォーク
・リアサスペンション:オーリーンズフルアジャスタブル・シングルショック

・フロント・ブレーキ:ブレンボ製320mm鋳鉄ダブルディスク
・リアブレーキ:ブレンボ製230mm鋳鉄シングルディスク

・前後ホイール:オスカムまたはアンテラ製(Antera)アルミホイール

なお、チタンコーティングのインナーチューブを装着したフロントフォーク・キットおよび
レース用キャリパが用意されていたそうだ。

水冷直列4気筒を搭載するモデルは、
Yamaha FZR1000エンジンを搭載する1987発表の YB6と1989 発表のYB8以来だった。
その間はYBシリーズのマイナーチェンジと派生モデルの販売を続けて、
開発の主力は革新的なセンターハブステアのTesi1Dと
オリジナル直噴2サイクルエンジンに力を注がれていた。

SB6は、生産された3年間で1000台を超えるセールスを実現した。
その後続モデルのSB6Rも600台を超えていた。

メモ:
SB6の生産台数は合計で1144台。
シリーズ1:790台
シリーズ2:332台
シリーズ3: 22台
*SB6Rはこのシリーズには含まれない。

SB6Rは1998年にV Dueの回収騒ぎがなかったら1000台を超える
ヒット商品になっていただろうと思われる。
そして隼のエンジンを搭載したSB9に進化していたかもしれない? 
この成功がbimotaの経営不振を一掃するとともに新しい社屋を建てるほどの利益をもたらした。
しかし、それはつかの間の夢だった。

*2003年に復活したbimotaは、Ducatiのエンジンを搭載したモデルを中心に開発/販売してきたが、
そろそろ4気筒搭載モデルの登場が期待できるようだ。

続く、.....



モデル: YB10
名称: ディエチ
いいね〜っ。
でも、覚悟が必要だね。

SB6Rは、bimota4気筒モデルの最後の輝きだね。
私は好きだけど。

SB6物語 Vol.03

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bimota sb6ハイウェイラン

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SB6物語 Vol.03

本内容はあくまでも「私的」なものなので、まったく信頼できるものではありません。
そのため、コメントをいただくことは考えておりません。
しかしながらbimota SB6が誕生した背景、パフーマンス、各部の作り込み、etc
を文章に残したく筆を取りました。
そのことを「あらかじめ」おことわりしておきます。

それではどうしてbimotaは経営不振?になったのだろう。
おそらく革新的なセンターハブステアリング機構を持つTesi1Dの販売不振にあったのだろう。期待されていた日本市場での販売も伸び悩んだ。Ducatiエンジンを搭載したDB1を取り合ったほどの日本だから、フルカバードボデースタイリングのDB1と同様にTesiも成功するに違いと思ったのか?
Tesi1Dは、主任技師だったピエール・ルイジ・マルコーニが学生時代に研究した学位論文からはじまった。それは1983年にHondaVF400Fのエンジンを搭載したTesi1から始まった。その後、TTF1用Honda V4/RS750用エンジン搭載のカーボン/アルミハニカムシャーシのTeis2を開発した。耐久レースでポテンンシャルアップに注力する。1985年?日本の鈴鹿時間耐久レースにエントリした(実際には出走えず:原因は不明)。その後、フレーム構造をアルミ素材に簡素化して量産化を意識したTesi3が開発されてた。そこまでは主任技師のフェデリコ・マルテーニがこだわった油圧制御によるハイドロ・センター・ハブステアを装着して開発を続けられた。しかし、どうしてもリニアなステアリングを実現することができず、ワンテンポ動作が遅かったそうだ。その後、センター・ハブステアリングの発明者であったピエール・ルイジ・マルコーニがbimotaの主任技師に就任した。それは1989年のこととでスーパーバイクレーサーYB4EIRのシャーシを大改造したTesi4を急遽開発して「メカニカル・ハブステア」を搭載して道を切り開くことができた。なんと、1989年のシーズン前半にワールドスーパーバイクで1勝したYB4EIRと遜色のないタイムをミザノ・サーキットで記録したそうだ。この一件で未来への展望が開けた。その後、4気筒よりもVツイン2気筒の細身なエンジンがセンターハブステアに最適との判断で1990年Ducati851水冷Vツインエンジンを搭載するTesi1dが開発された。しかも、量産モデルとして登場して同時1991年からワールドスーパーバイクへの参戦がアナンスされていた。
その革新的なセンター・ハブステアリング機構を持つTesi1Dの不評が経営不振の原因になったものと思われる。これまでのオートバイにない、まったく新規のメカニズムに興味はあっても購入を決断させる、なにかが足りなかったのだろう。そのころの日本はバブル景気に沸き立っている時期だったこともあり500万近いプライスをつけていた。しかし、そんな高額車両はなかなか売れるものではない。いまもその状況は変わらない。
今話題のDucati Desmosediti RRは、800万を超えるプライスをつけているにもかかわらず、全世界から1500台のオーダー(2007年12月時点)が舞い込んでいるという。
それは世界最高峰のMotogpで勝利/チャンピオンを獲得していることが最大の原動力になっていることは間違いない。
2006 Desmosediti GP6をそのままロードモデルにしたレプリカモデルというコンセプトが裕福なお金持ちと熱狂的なドカティストの心をつかんだのだろう。
Ducatiは当初は400台の規模の生産を考えていると表明していた。それでも400台の枠を埋めるほどのオーダーは来ないと考えていた。
しかし、2006年シーズン、ロリス・カピロッシがライディングするDesmosediti GP6はMotogpで3勝した。
その後、800ccにスケールダウンしたGP7が通産11勝するという圧倒的なパフォーマスンが発揮した。
このことが大量オーダーの起爆剤になったのだろう。
Tesi1Dも1991年に参戦したワールドスーパーバイク選手権で勝利していたらその後の状況はかなりかわっていたかもしれない。しかし、Ducatiのワークスエンジンを搭載しているわけでもなく肝心のセンター・ハブステアの完成度が未知数では、いかんともしがたい。また、Tesi1dを一番理解しているbimotaワークスライダーが第1戦で転倒して大怪我を負ったため戦列は離れたことも大きかった。その後、代役を立てて参戦も継続するがTesiのポテンシャルを引き出すにはいたらず、10位前後のリザルトを続けて途中で参戦を休止してしまった。そのため菅生で開催された日本ラウンドには登場していない。1992年はイタリア国内のスーパーバイク選手権に参戦していたらしいが、リザルトは不明だ。そのころ2サイクルVツイン500ccオリジナルエンジンを搭載するTesi500でGP500参戦を目指していた時期でもあった。
そして1993年、bimotaの社長をつとめていたジュゼッペ・モーリは社長から退いた。1983年にマッシモ・タンブリーニと仲たがいしてまでbimotaを存続させることにこだわったモーリ氏だったが自らの経営手腕では、これ以上の発展は望めないと感じたのか、ベルガルダの資本参入を受け入れて自ら身を引いたのだろう。それはbimotaメカニカ創立20周年をミザノサーキットで祝った節目の年だった。
これでbimotaの創立者の3人、ビアンキ(BI)、モーリ(MO)、タンブリーニ(TA)はすべてBIMOTAを去ってしまった。
その後、1994年頃のインタビュー記事を見るとこう述懐していた。
1987年にバージニオ・フェラーリ/YB4EIRがワールドTTF1のタイトルを獲得したあと、1988年に向けて彼がbimotaファクトリーチームに残ってくれていたら、その後のbimotaの歴史は大きく変わっていただろうと語っていた。
それが意味するとことは、1988と89にワールドスーパーバイクのタイトルを連覇すればYB7/8/9シリーズの販売を大きく伸ばすことができたといいたかったのか?
そしてその余勢でTesi1Dの先進性を大いにアピールする。オリジナル直噴2サイクルエンジンを完成させて、もっと大きなオートバイメーカーに脱皮する。そのようなシナリオを思い描いていたのかもしれない。
でも、そんなことは語られていない。
モーリはレースの活躍でbimotaの社業を伸ばそうと考える経営の人だったのかもしれない。しかし、YBシリーズはモーリが期待するほど販売台数を伸ばせなかったのかもしれない。
その後、新たに社長に就任したウォルター・マルテーニとTesiを開発した主任技師ピエール・ルイジ・マルコーニの二人に後を託した。
そういう中でbimotaの特質を生かした売れる商品の開発がスタートした。
そして生み出されたがSB6だ!

写真1/2:Tesi4(YB4EIRのコンポーネンツを流用して急遽開発)
写真3:1990/91 Tesi1D(先進機能のセンター・ハブステアを始めて量産化した)
    水冷VツインDucati851エンジンを搭載


SB6 物語 Vol .02

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SB6 物語 Vol .02

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しかしながらbimota SB6が誕生した背景、パフーマンス、各部の作り込み、etc
を文章に残したく筆を取りました。
そのことを「あらかじめ」おことわりしておきます。

SB6の登場前夜 2

1988年に登場したYB4EとYB6からはじまりYB7、YB6tuatara、YB8、YB9ベラリア、Dieci、YB8 Furanoと進化/派生していったベストセラーモデルのYBファルゴーレ(稲妻)シリーズだったが、その命脈はつきようとしていた。
Bimota初のアルミツインスパーフレームとYamaha FZR400/600/1000エンジンのコンビネーションがもたらすハンドリングマシンとしての性格は、当時最先端を行くものだった。しかし、YB8-Evorution(1994/95)を送り出すことでおよそ8年(1988〜1995)にも及ぶ生涯を終わった。長寿命だったYBシリーズだったが、それはフレームの基本設計が優れていたことからだろう。アルミフレームをはじめて設計するにあたり航空機で使用する最高の材質と溶接を含めた製造方法、そしてクラッシュしたときにダメージが少ない構造が考えられた。その優秀性を1987TTF1(YB4R)に参戦してチャンピオンを獲得することで実証した。そこまでこだわった後にYB4EIとYB6として一般ユーザーに販売した。つまり、ほんもののレーサーレプリカだったわけだ。現在のMV Agusta F4もはじめて登場した1997ミラノショーから今年で10年になるが、そのスタイリングとクロモリトラスフレームは不変だ。フェラーリが基本設計を担当したラジアルバルブのエンジンだけが、年々改良されて今日でもトップレベルの性能を維持している。日本車ではSuzukiGSX-1300R隼がそれにあたるだろう。
その後に登場したYB11、YB9SRはシャーシ設計を一新して二人乗りできる比較的安いモデルとなって再登場した。しかし、ちょっと性格が違うかなと考えている。それはハンドメードの良さを生かしたスペシャルバイクの概念から外れるもので、なによりもフロントカウリングの素材をFRPからプラスチックに切り替えてしまったことだ。そして細部に採用されたパーツや仕上げにこだわりが感じられなくなってしまった。しかし、ハンドリングは依然として最先端をゆくものでその点はYB8を越えていただろう?いや、YB8のバランスを崩したという話もあり。たしかにYB8でこうだったらと思える箇所が盛り込まれている。タンクの全長を短くしてシートを高い位置に置き、ライダーがバイクをダイナミックに操縦することでラジアルタイヤの性能を使い切る。そういう点が新しかった。でも、作りが簡略化されたことは事実だ。でも、500台を超えるヒット商品になったことも事実だ。それは、YB11とYB9のデザイン素晴らしいからだ。1993年秋以降、SB6も含めてbimotaのデザインは大きく変わった。Tesiのスタイリングにも大きく手が入れられてES/EFの最終モデルが登場したときは、目が釘付けになってしまった。またたくまに売り切れてしまいましたね。このスタイリングで販売を継続してくれないかな?と当時は思ったものだ。だれがこの一連のニューモデルのスタイリングを担当したのだろう。出るとかは出る、絞れるとかは絞るというインパクトのあるデザインは素晴らしかった。それはいまだに謎だ? 主任技師のピエール・ルイジ・マルコーニのもとにだれがいたのだろう?
手前味噌だが、オーナーの私としては、YB8-Evoの完成度は非常に高かったと考えている。
・1気筒5Valveで低速トルクを増強するExup機構を搭載するYamahaジェネシス(創世記)エンジン
・丁寧に仕上げられたアルミツインスパーハンドメードシャーシとアルミ削り出しピポットプレート、FRPカウリング
・アルミ削りだしおよびジュラルミン鍛造のトップブリッジ、アンダークラウン、左右ステップ、マフラーステー、etc
・パイオリ製カセット式フロントサスペンション
・リアオーリンズサスペンション
・YB8 Furanoで採用された廃熱を考えたカウリング底面の廃熱加工処理
・YB8 Furanoで採用された前後カーボンフェンダー
・Brenbo製ゴールドタイプの4ポットキャリパー
・YamahaFZR1000用のメーターにbimotaデザインのメーターパネルを採用
数々の改良を加えているのもかかわらず、日本では168万という低価格で販売された。おそらくYB8用のエンジン、シャーシなどの主要パーツを使い切りたかったのだろう。YB5も最後のタンブリーニデザインシャーシを使い切ることが目的だったと言われている。

・映像World Superbikes 1988 Donington Park
 http://www.youtube.com/watch?v=EN7byPSR0yU
 ヒート1はbimota YB4EIRが勝利したが、ヒート2はDucati851が勝利した。
 映像はヒート2の模様だ。
 最近になってはじめて見た。
 このドニントンでのレースからワールドスーパーバイク選手権が始まった。

・迫力のYB4走行シーン
 http://videos.streetfire.net/video/62150051-CA4E-4124-94FF-986300D57036.htm

・SB6物語 Vol.03
 http://blogs.yahoo.co.jp/nanbu83/21346013.html

・SB6 物語 Vol .01
 http://blogs.yahoo.co.jp/nanbu83/15885762.html

bimota SB6物語 Vol.1

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bimota SB6物語 Vol.1

本内容はあくまでも「私的」なものなので、まったく信頼できるものではありません。
そのため、コメントをいただくことは考えておりません。
しかしながらbimota SB6が誕生した背景、パフーマンス、各部の作り込み、etc
を文章に残したく筆を取りました。
そのことを「あらかじめ」おことわりしておきます。

世界最速を目指したモーターサイクルbiimota SB6!

SB6の登場前夜
ここでは、bimota SB6が登場したときの前後の状況を考えてみよう。
なぜ、1993年イタリアミラノショーに突如として世界最速を目指した
bimota SB6が登場したのだろうか?
1990年代前半、モーターサイクル業界とオートバイフリークをあっと言わせた
センターハブステアリング機構を搭載するTesiで最先端テクノロジーを追求してい
たbimotaだったが、なぜ、原点回帰ともいえるオーソドックスなアルミフレームに
戻ったのだろうか?
SB6が登場する前の1992/93年当時、bimotaには経営を安定させる売れる商品
が少なかった。1992年の年間販売台数700台に対して1993年は382台
にまで落ち込んでいた。30〜40名の少数精鋭で運営されていたbimotaだったが、
この状況でBimota第二の危機を迎えていた。
唯一1992に発表されて1993年から販売を開始したDB2がニューモデルとして好評だっ
たようだ。
もし、DB2を出していなかったら、まったく売れる商品がなかったbimotaは存続の
危機だった。DB2は、空冷Vツイン900ccエンジンを搭載するDB1以来のDucati空
冷エンジンを搭載モデルだった。これはカジバグループ(傘下にDucatiが所属していた)
からの援助があったから実現したモデルと言われている。bimotaは、またしてもDB1と
同様にDucati空冷Vツインエンジンに救われたことになる。一説によるとbimotaを離れて
カジバリサーチセンター(CRC)を主催していたマッシモ・タンブリーニの後押しがあっ
たという話もある。
DB2のフレーム設計は主任技師のピエール・ルイジ・マルコーニによるものだが、そこに
マエストロ、タンブリーニの助言があったのか? しかし、そういう事実はない。でも、
そう考えたいのは、主任技師のマルコーニがパイプ・フレームモデル開発の経験がない
からだ。
その後のマントラとDB3/DB4はDB2のクロモリトラスフレームをアルミ・パイプに置き換え
たとも思えるフレームになってしまった。
このDB2は、クロモリトラスフレーム構造でありながら乾燥重量168kgとDucat空冷
Vツインモデルよりも10k以上軽量に仕上げられていた。Bimotaは1976 SB2/1977 KB1の
時代から大径薄肉のクロームモリブデン鋼管(おそらくコロンバス製)を使用している。
これにより耐久性と軽量化を実現したが、なによりもbimotaがその扱いに手馴れていので
相性がよかったのだろう。Bimotaのクロモリトラスフレームは、1970年代半ばから1980年代
の初期にその優秀性でワールドグランプリのトップコンストラクターだった。1980年には
YamahaTZ350エンジンをbimotaオリジナルシャーシに搭載するYB3(Yamahaエンジン搭載の
3番目のbimotaモデル)を駆るジャン・エクロードが350ccクラスのワールドタイトルを
奪取している。そのことが優秀性の証明といえる。DB2もその伝統と技を継承したといえる
だろう。この点が量産車のDucatiと大きく違う。でも、一般ユーザーにはその違いを見分け
ることができない。同じエンジンを搭載したパイプフレームモデルなのにどうしてこんなに
価格が違うのか? そこには、最高の材料、理想の剛性バランスを実現したフレームとスイ
ングアーム、それを1本ずつ丹念にハンドメードで仕上げている。その差が大きな違いになっ
ている。それを理解できるオーナーが現在もDB2を楽しんでいる。また、DB2は、1985に登場
した前後16インチタイヤを装着するDB1とはまるで性格が異なるオートバイだった。
DB2はライダーを高い位置に座らせることによりダイナミックでクイックなライディングを
可能にする。それが前後17インチラジアルタイヤの特性を生かした車体作りだったのだろう?
しかし、ライダーの技量が低いと曲がらない扱いにくいバイクと感じるのも事実のようだ。
1994年に登場したマッシモ・タンブリーニ設計の名車Ducati916も同様な方向性だった。

続く

写真1  :My bimotaSB6
写真3と4:bomota DB2EF/DB2SR

・SB6 物語 Vol .02
 http://blogs.yahoo.co.jp/nanbu83/18629354.html

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