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MV Agusta900マーニスペシャルとは?

前回、MV Agustaとアルチューロ・マーニ氏との
かかわりを考えてみたた。

そこで今回は、MV Austaアメリカをベースにして、
マーニ製キットパーツが組み込まれた
MV Agusta900マーニスペシャルの1台を紹介する。

ここまで手を入れたマーニスペシャルは、
おそらく日本に一台だけだろう。
...........................
 
今回はビデオだけ先に紹介したいと思う。
 
 
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MV Agustaの宝庫
 
 
 MV Agusta900マーニスペシャルとは?

前回、MV Agustaとアルチューロ・マーニ氏との
かかわりを考えてみたた。
そこで今回は、MV Austaアメリカをベースにして、
マーニ製キットパーツが組み込まれた、
MV Agusta900マーニスペシャルの1台を紹介する。
ここまで手を入れたマーニスペシャアルは、
おそらく日本に何台もないだろう。

その素晴らしい1台をシュバントさんのご邸宅で拝見させていただいた。
まことに有り難うございます。

このMV Agusta900マーニスペシャルは、
マーニ製のエンジン・ボアアップkitが組み込まれている。
ノーマルシリンダーは空冷フィンが11段。
マーニ製シリンダーの空冷フィンが9段なので、
それとすぐにわかる。

そのマーニシリンダーは、
2気筒1セットのシリンダー(×2)&3本リングのボルゴ製鍛造ピストン?
排気量はおそらく861cc。
ちなみにノーマルシリンダーは、独立した4個のシリンダーが使用されている。
マーニシリンダーkitは、
より排気量ボアッププしたシリンダーを2気筒1セットとすることで、
放熱の安定性、正確なバルブ駆動、etcなどのメリットを考えてのことだと思われる。

このMV Agusta 750シリーズのエンジンは、
1950年から60年代の中盤まで活躍したGP500レーサーのエンジンを
ベースにしている。
エンジン内部の構成はレーシングエンジンに準じるものだった。
それは史上初の並列4気筒レーサー・ロンディーネのエンジンを開発した
ピエトロ・レモール技師によるものだった。
 
 
その後、
1965年前後のGP500/GP350レーサーから、
新たに開発された3気筒/DOHC4バルブヘッドを搭載した新型エンジンが
投入された。
このGP350、GP500エンジンで
東洋の日本からやってきた宿敵ホンダが繰り出すGP350クラスの6気筒、
GP500クラスの4気筒レーサーと対決した。
パワー至上主義のホンダに対して
フレキシブルな3気筒エンジンと軽快なハンドリングで勝負を挑んだ
MV Agustaとの対決だった。
その結果、1967年のGP500個人タイトルだけはホンダに譲ることは
なかった。
しかし、新たな強敵ヤマハがGP500クラスに参入した
1973年頃から再び4気筒エンジンレーサー(DOHC4バルブヘッド)を
投入した。
MV Agustaの歴史は、
ジレラ、モトグッチ、ホンダ、ベネリ、ヤマハらの最強のライバルとの闘争の歴史だった。
そういうこともあり、
従来のグランプリエンジン(DOHC4気筒/1気筒2バルブ/カムギアトレーン)の出番がなくなった。
そこでこの輝かしい歴史を築いたグランプリエンジンをロードバイク用に
転用することが考えられた。
それがMV Agusta600/750シリーズに搭載された
DOHC4気筒エンジンだった。
 
グランプリレーシングエンジンを600ccまで排気量アップするなどの
モディファイが行われて1965年秋のミラノモーターショーで公開された。
少し間を空けて1967年から製造に移された。
それがロードバイク史上初の並列4気筒エンジンを搭載した
MV Agusta600だった。
 
 

その後、MV Agusta750、アメリカ、
そして1977年に製造された最終モデルのモンツア(ボクサー)まで、
エンジンは同じ基本構成のままボアアップ(ストロークは同じ56mm)して
使い続けられた。
将来の排気量アップを見込んでエンジン設計されたとだろうか?

その間、装着されるデロルト・キャブレターの口径を変更する。
カムプロフィールの変更、etcなどの改良が施された。
また、すべての4気筒バイクにシャフトドライブ機構が装着された。
 
このMV Agusta4気筒バイクを購入するライダーは、
スポーツライディングする妨げになるシャフトドライブに眉をひそめた。
しかし、当時のチェーンドライブは、
伸びる、錆びる、切れるなどの心配が常に付きまとい、
安心してロングツーリングに出掛けることは不可能だった。
ライダーは常にチェーンの心配が必要だった。
 
それが解消されるのは、チェーンそのものの耐久性アップと、
シール付き、Oリング付きチェーンの進化を待つ必要があった。
それはかなり先のことになる。
日本においても1970年代の半ば頃、
次世代のオートバイの姿としてシャフトドライブがトライ/販売されていた。
これ以上パワーアップしたオートバイはチェーンドライブでは無理がある。
そういう話をよく聞いていた。
 
ヨーロッパにおいても、
MotoGuzzi、BMWモトラートなどのモーターサイクルが
一環してシャフトドライブを採用していた。
MV Agustaの判断が間違っていたわけではない。

MV Agusta600のスタイリングは、
MVファンの期待を裏切るレーサーとはかけ離れたツーリングバイクだった。
しかし、4気筒バイクとしては、
驚くほどのフレキシビリティがありロングツーリングが可能なバイクだった。
ドメニコ・アグスタ伯爵が理想とするモーターサイクルは、
最高の4気筒エンジンを搭載していなること。
それを優雅に走らせることができるグランドツアラーだったのだろう。

また、ファクトリーレーサー以外のバイクがレースに出場できないよう
にすることで、MV Agustaの威信を守りたかった。
当時からそう言われていた。

しかし、MV Agusta4気筒バイクに期待する顧客は、
この4気筒/600ccバイクにそっぽを向いてしまった。
彼らが欲したバイクはグランプリレーサーのレプリカだったのだ。
そのため600の生産台数は「わずか135台」という不人気車と
なってしまった。

もちろん当時としては高価なオートバイだった。
MV Agustaの主力は、
依然として125cc、350ccなどの
OHVエンジンを搭載したシングルまたはツインエンジンだった。
それらのモデルから収益を上げていた。
 
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そこでレーサーのスタイリングが与えられたMV Agusta750sが
1969年に発表されて脚光を浴びた。
MV Agustaファンが待ち望んだ1台が登場した。
この4気筒エンジンを搭載したMVは、一躍夢のスーパーバイクとなった。
しかし、シャフトドライブはそのまま残された。
 
 
 
 
そこでマーニ社は、
エンスーなMV Agustaファンに答えため、
マーニ製のチェードライブkitを販売した。
それと同時によりパワーアップすることができる、
861ccまでボアップが可能なシリンダーkitが販売された。
 
このチェーンドライブkitを取り付けるこで、
大幅な軽量化とスポーツ性が向上したことはいうまでもない。
しかし、マーニは、
このMV Agusta4気筒バイクをレーサーなみの
パフォーマンスアップが可能なマーニフレームを提供したのだった。
 
 
 
 
 
続く、.......

MV Agusta750アメリカとは

 
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いつもお世話になっている立川のシュバントさんにて、
レストア中の「MV Agusta750アメリリカ」を
拝見させていただいた。

実は新奥多摩街道をNSRで上っているとき、
急に思い立ちアポもなくお尋ねしてしまった。
 
快くお迎えいただきまして、
まことに有り難うございました。
そして奥様と3人の息子さんのおもてなしに感謝申し上げます。
 
 
ところで、
この750アメリカだが、
1969年にイタリアミラノモーターショーでデビューした。
前作のMV Agusta 750s/750ssをベースにして
ボアを65mmから67mmに広げて743ccを789.7ccとした
エンジン。
MV Ahsuta GP500レーサーとそっくりなスタイリングが与えられた。
 
 
MV Agusta 750 America
The 750S America represents the king of machine which MV Agusta and Commerce Overseas Corporation believe an affluent American clientele will buy for S6000. ...
 
 
 
 
 
 
当時、MV Agustaは1973年と74年の2年連続GP500チャンピオン
(フィル・リード)を獲得した最後の良き時代だった。
 
 
http://www.albatrosmt.narod.ru/temi/oboi/AB/Benelli-Sei-750-1976.jpg

 
そいういとき、
同じイタリアのライバル・ベネリから6気筒と4気筒エンジンを搭載した
スーパースポーツバイクが発売された。

MV Agustaとしては、
マルチシリンダーエンジンモデルの十八番は、
MVじゃないか?
と思いが強かったに違いない。
 
その1973〜1975年当時、
MV Agustaを舵取りする経営者(ルイジ・ギスレッリ)は、
これからのMVは、125cc、350cc、750cc、
そして500ccを満遍なく販売して年間1万台の販売台数を目指す
と宣言していた。
ついにGP500レーサーのレプリカの販売に乗り出すと宣言したのだった。
フェラーリのようなハイパフォーマンスなモーターサイクル販売を手がけると
と意気込んでいたそうだ。
 
 
 
当時、元フェラーリエンジニア(ボッキ技師)を招聘して、
打倒2サイクル4気筒を実現するため水平対抗4気筒エンジンレーサー
の開発に取り組んでいた。
それはまるでフェラーリ365BBの水平対抗12気筒エンジンを
スケールダウンしたかのような4気筒エンジンだった。
ミッションがエンジン下に配置されている構造まで同じだった。
しかし、フェラーリ・カーエンジンは回しても8000rpm、
GP500レーサーは1万回転をはるかに超える。
結局、難しかったようだね。
ベンチテストだけで終わった。
 
 
 

もしかしたら、
1973年突如として現れた、
ニュージーランドの新鋭キム・ニューカム/ケーニッヒが走らせた、
2サイクル水平対抗4気筒エンジン搭載GP500レーサーの活躍が、
きっかけだったのかもしれない。
1973年、彼はGP500ランキング2位となったが、.......

彼はまったくのプライベートライダーだった。
もともと勤めているケーニッヒにあった、
モーターボートレース用エンジンにノートン・マンクスの6速ミッションを
取り付けた自製のプライベートレーサーだった。

そのエンジンは、翌年からサイドカーレースに転用されて、
1950年代半ばから長らく続いた、
無敵のサイドカーである、
BMWフラットツインエンジン搭載サイドカーからチャンピオンを奪っている。
 
 

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水平対抗エンジンは、低重心で安定性に優れている。
クランクシャフトを短くできるのでねじれない/より高回転が可能になる。
そして前後に長くなる欠点は、
エンジン下にミッション搭載することで解決する。

コンセプトとしては、
並列4気筒エンジンを越える。
そして2サイクル4気筒を打ち破る。
そういう可能性を秘めていると考えていたのだろう?
それを4サイルエンジンで開発する。
しかし、そべては可能性に終わった。

それまでの並列4気筒エンジンを水冷化したほうがはるかに
可能性が高かったといえるだろう。
 
そいううとき、アメリカのバイヤーから申し出があり、
このMV Agustaアメリカの開発販売に乗り出したのだった。
アメリカ市場での販売拡大に期待をかけたのだった。
しかし、期待するほどの販売実績を上げることができなかった。
 
1975年から年間500台の製造を予定していたが、
そのファーストロットは1979年になっても売れ残っていたそうだ。
 
その原因は、
1つは高価なこと。
2つめはMV Agustaの知名度がアメリカでは低かったこと。
 
やはり、アメリカのだれでも知っているスーパーカブのホンダ。
そして価格が安い4気筒に目が向くわけだ。
ホンダはアメリカのバイクメーカーと思われていたそうだ。
そしてAMAでのレース活動でその知名度は高かった。

しかし、その当時、アメリカでは、
複雑なメカニズムのオートバイは売れないと言われていた。
そのため当初CB750 Fourのエンジンは、
砂型クランクケース(K0)で製造された。
しかし、すぐに人気に火がつき量産が可能な金型クランクケースに
切り替えられて、1970年台はじめの3年間に6万台以上もの
CB750 Fourが海を越えてアメリカに輸出された。
 
MV Agustaが一番売れたのは、
ドイツ・バーデンバーデン(高級リゾート地)に
ショップを構えていたハンセン社だったと言われている。

MV Agusta4気筒エンジンモデルは、
GP500レーサーと同じ高精度な加工パーツの塊だったこともあり、
その組み立てもグランプリレーサーを製造するようなものだった。
量産には不向きだった。

そのためトータルで2000台強の生産台数にとどまった。
しかし、その希少性とGP500レーサーの出目などがわかる
マニアのもとで大切にされて走っている。
もちろん、いまも高価なことはいうまでもない。
 
このMV Agusta空冷4気筒エンジンは、
並列4気筒エンジンの始祖、
ジレラ・ロンディネーネ(ピエトロ・レモール技師開発)
まで遡ることができる、
由緒正しいグランプリエンジンの血統だった。

そして1950年代、60年代のグランプリレースでの数々の栄冠/実績を
生かしたエンジン内部構成と耐久性の作りこみ。

もし、可能ならその歴史的なエンジンフィーリングを味わってみたいものだ。
 

ここに紹介するMV Agustaアメリカは、
エンジン、シャーシなどはノーマルながら、
カーブドマフラー、チェーンキット、アルミタンク、EPMホイール
などのマーニ製スペシャルカスタムパーツが奢られている。
また、チェリアーニのグランプリフォーク。
 
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この1台を見せていただき、
はじめてわかっことは点火は1コイルということ。
それをディストリビューターで4気筒の点火に振り分けている。
 
そしてマーニ製チェーンキット。
それはビモータ製スイングアームとのセットだった。
チェーン調整を簡単に行えるエキセントリックアジャスターで
それとわかる。
 
肝心なことは、
この4気筒エンジンは、もともとGP500レーサーの構造を
そのまま排気量アップしたエンジン構成だった。
 
いまFRP製のフロントカウリングが装着されて、
再始動に向けてレストア&カスタムが行われている。
 
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さて、この後日本に何台もない。
いや、1台だけかもしれないマーニ製フレームに
954ccまでボアップしたMV Agustaマーニスペシャルを見せていただいた。
 
上の2枚の写真がそうだが、
そのことは次回紹介したい。
 
今回はありがとうございました。
 
 

 
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MV Agusta空冷4気筒の歴史は1950年からはじまった。
それはジレラから移籍したピエトロ・レモール技師とその助手で
名メカニックで後にチームマネージャーとなった
アルチューロ・マーニの師弟。

レモール技師は、第二次大戦前に開発された
ロンディーネという空冷4気筒DOHCエンジンにスーパーチャージャー
を装着したモンスターマシンの開発者として歴史に名を残す人物だ。
ここからモーターサイクル並列4気筒エンジンの歴史が始まった。
 
そしてMV Agusta4気筒エンジン搭載モデルが、
突如として1950年秋のイタリア・ミラノモーターショーに
灯火類を装着したロードスポーツのプロトタイプとして公開された。
 

MV Agusta ツーリスモ 、
レーサーのほうはCardanoと呼ばれた。
それはカルダンシャフト=シャフトドライブ
のことを表現していると思われる。
 
その構成は、先進のレーシングエンジンを若干ディチューンした
4気筒エンジン、シャフトドライブ、
そのシャフトドライブ特有のトルクリアクションを軽減させる
元祖パラレログランマ(パラレバー)と呼ばれる2本のリアアーム。
などなど、
1950年当時の最新テクノロジーを満載していた。
 
しかし、待てど暮らせど市販の気配さえない。
その理由は、4気筒レーシングエンジンの秘密を公開することを
ドメニコ・アグスタ伯爵が躊躇したためと言われている。

しかし、1960年代に入って状況が変化した。
ジレラ、モトグッチ、モンディアルなどのライバルはすでにいなくなり、
そのかわりに東洋の日本からホンダ、ヤマハ、スズキなどの
新たな強豪がグランプリに挑戦してライバルに成長した。
 
そこでMV Agustaファクトリーは、
1965年に「DOHC4バルブ・カムギアトレーン」と
そしてだれも試さなかった3気筒エンジンを
GP350、続いてGP500クラスに投入した。

エンジンの幅が狭くハンドリングに優れた3気筒エンジンと、
精密な「DOHC4バルブヘッド」を搭載することで超高回転を可能にした。
ジャコモ・アゴスチーニは、
このマシンを気に入り1965年から1973年頃まで各部を改良して
使い続けた。
アゴスチーニの無敵伝説は、
この3気筒マシンによって築かれたといっても過言ではない。
 
 

しかし、1960年代後半、迫り来るヤマハ、カワサキの2ストマシンの
出現により、6気筒/350cc/7速エンジンマシンが試作された。
しかし、エンジン気筒数が制限されるレギュレーションが発行されて
レースに出場出来なくなってしまう。

その3気筒エンジンには、カセット式ミッションが搭載されていた。
レースの現場でコースレイアウトに合わせたギアレシオを簡単に
設定変更することがができる優れものだ。
その後のレーシングバイクでは常識となった。
 
 
 
そして、4バルブヘッドを搭載したレーシングエンジンの登場で、
それ以前の技術を隠す必要がなくなった。
また、ライバルのドゥカティが1200ccV型4気筒エンジン搭載の
アポロを発表したこと。
それらの状況が4気筒エンジンバイクの販売に踏み切るきっかけと
なった。
ドメニコ・アグスタ伯爵が意図する最高のオートバイとは、
ハイパワーな4気筒エンジンを搭載すること。

そして、それを優雅に走らせる最高のモーターサイルであること。
 
それがMV Agusta 600GTとなる。
1965年のイタリアミラノモーターショーで公開。
翌1966年から製造/販売が開始された。
 
そのエンジンは1950年代にジレラやモトグッチとグランプリの栄誉を
争って戦った栄光の4気筒エンジンがそのまま使用された。
クランクシャフトとケースは簡単に分離出来る。
 

ケースの12個のボルトをはずすと、
そのクランクシャフトと腰上ははそのまま上に持ち上げることができる。
また、クランクシャフトのメインベアリングは圧入されていない。
半分割されているので、すぐに交換可能だそうだ。
クランクの芯だし出しも即座に可能になる。
 
そしてカムギアトレーンによる2本のカムシャフト駆動。
これそMV4気筒レーシングエンジンそのものを表す
高精度パーツといえる。

いづれもMVファクトリーから遠く離れたグランプリ開催地で
速やかにエンジンの修理を可能にするためのテクノロジーの数々だ。
 
エンジンはいまとなっては大きなうなり声を上げる、
ボール/ローラーベアリングが多数使われている。

いまのような高性能なオイルポンプや、
高級オイルなどまったく存在しなかった時代に
高出力を出しつつ耐久性を確保するエンジンとするための手段だった。
そしてレースではカストロールR30というひまし油をベースにし
たレーシングオイルが使われた。
しかし、ロードバイクには使用できない。

この4気筒エンジンには、
第二次大戦まで活躍した戦闘機用の高度なレシプロエンジン
の開発思想が根底にあったと思われる。

プレーンメタルのカムシャフトの支持が一般的になったのは、
まだまだ後のことだ。

Ducatiの水冷4バルブエンジンは、
851から996まではカムシャフト支持はベアリングによるものだった。
それがドカのエンジンに耐久性を与えたといっていいだろう。
 
 
 
プレーンメタル支持のカムシャフト/シリンダーヘッドは、
998以降のテスタストレッダからだ。

私は851、916、996のデスモグランデと呼ばれる
エンジンが好きなんだ。
 
例のシャフトドライブだが、
このバイクにも改良されたものが搭載されていた。
まだまだチェーンに信頼性がないこと。
伸びる、切れるは当たり前だった。
それが大きく変わるのは、シール付きチェーンやOリングが組み込まれた
耐久性のある高精度なチェーンの出現まで待たなければならない。
しかし、いまだに錆びとシールが抜けるなど劣化を防ぐことは不可能だ。
チェーンオイルの塗布と調整は必須だ。
 
ライバルのアポロは、その大パワーに対処するため、
2本のチェーンを組み込んでいたほどだ。
やはり、大パワーマシンはシャフトドライブを装着するべきだろう
という判断があったと思われる。
 
一説によると、
MV Agusta 600GTをチェーンドライブに改良させたくない。
レース出場させたくない。
それはMVの戦跡を汚したくないという話もある。
これもほんとうだろう。
 
結局、600GTの販売は芳しくない結果に終わり、
ユーザーが待ち望んでいたレーサースタイルの750が1969年に登場する。
しかし、シャフトドライブはそのまま装着されていた。
よくみるとフレームは600GTのものをそのまま使用していた。
このMV Agustaのシャフトドライブ、
通常の使用ではなにも問題ない。
トルクリアクションは抑えられている優れものだそうだ。
 
しかし、サーキットやワインディングでスピードを出すと
出力の取り出し口にある2個のベベルギアとニードルベリングに負担がかかり
破損の原因になるという話だ。
そのため、マーニ製チェーンドライブキットが持てはやされることになる。

この750sのエンジン(787.7cc)は、
600GTのエンジンを2mmボアアップしたもので、
もともと800ccくらいまで排気量を拡大する余力があったようだ。

1976年には、
北米市場を狙った750アメリカシリーズ(〜789cc)が発売された。
 

1977年MV Agustaが工場を閉鎖する前に、
在庫していた750アメリカシリーズのパーツと
さらにボア・アップされたボルゴのシリンダー&鍛造ピストンを装着した
最終モデルのボクサー/モッツア(837cc)が製造/販売された。

これでMV Agustaファクトリーで製造されるモーターサイクルの出荷は
すべて終了した。
 

その翌年、アルチューロ・マーニの手により、
4気筒搭載モデルのウイークポイントを改良するキットパーツが販売
された、ボアアップされたシリンダー(2シリンダー×2)、
キャブレーターキット、チェーンドライブキット、フレームキット、
カーブドマフラー、EPMホイール、etc、などなどだ。
いまでもマーニのウエブサイトで見ることが可能だ。
しかし、注文してもすぐに届くかはわからない。

聞いた話だが、
マーニのフレームキットを注文ししてお一人は3年後、
もうお一人は5年後に届いた。
なんて話があるそうだ。
いまは、どうかな?
 
 
それとは別にドイツのバーデンバーデンでMV Ahustaディラーを
かまえていたハンセン社が、独自のMV Agustaモデルを販売していた。
ここは昔から温泉が出る保養地として有名だそうだ。
ヨーロッパのお金持ちが集まるわけだ。
ここならMV Agustaがたくさん売れたのだろう。
 
837ccのボクサー/モッツアをベースにして、
マーニの協力を得て954ccまでは排気量を拡大したコロナとAgo。
このモデルはクランクシャフトまで新造したらしいとの話がある。
さらに排気量を拡大した1100グランプリを製造販売していた。
いづれもごくわずかな台数だけだった。
1100のほうは、エンジンが待たなかったようだ。
1X台製造されたうちの7台がエンジンブローして不動になったらしい。

日本にもフジミュージアムに1台あったが、
そこが閉鎖されるときオークションにかけられたので
いまは日本にはないかもしれない。
 
 
1979-? MV Agusta 1100 Grand Prix(1066cc)
http://www.motorcyclespecs.co.za/model/mv/mv%20agusta_1000%20GP.htm
 
ここで紹介するMV Agusta 1000S Corona(954cc)は、
走りやすくするためキャブレターの口径を26mmにダウンサイジング
している。
排気量はマーニのシリンダーキットを装着して954ccまで拡大された。
フレームはノーマルながらEPMのマグホイールと
マーニキットのカーブドマフラーが装着されている。
いままで海外のMV4気筒エンジンのビデオを数多く見てきた。
しかし、カムギアトレーンでバルブ駆動されるMV 4気筒エンジンが
放つシューン、シューンというエキゾーストノートをはじめて聞かせて
いただいた。
 
 
 
これこそビューティフル、
いや、それを超えたシュープリーム(最上)と呼びたくなる。
 
私とっての至上の愛(A Love Supreme:ジョン・コルトレーン)は、
MV Agusta空冷4気筒が放つエンジンサウンドだ。

ありがとうございました。
 
 
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ドイツ語から日本語に翻訳するのは骨が折れる作業だが、
取り組んでみることにする。

MV Agusta Club Schweiz Nostalgie - [ このページを訳す ]

 
  
  
 
 
 
 
 
MVアグスのバイク

MV Agusta(ドメニコ・アグスタ伯爵)は、
モータサーイクル事業の拡大と宣伝のため、
最初の1943〜1949年の間は、
2サイクルエンジン搭載バイクでグランプリレースに出場していた。
 
しかし、次第にグランプリの最高峰クラスでチャンピオンを獲得したいとの
希望(野望?)を満足させるために、 
ジレラからピエロ・レモア(Piero Remor)をチーフエンジニア
に迎えた(引き抜いた?)。
そして、MV Agusta4気筒レーサーの開発を任せた。
また、若き日のアルチューロ・マーニも尊敬するレモアとともに移籍した。
 
彼は第二次大戦前に開発された怪物マシン、
並列4気筒DOHCスーパーチャージャー付きレーサー、
通称ロンディーネを開発したその人だった。
ここから並列4気筒エンジン搭載オートバイの歴史がはじまった。
それは1935年に登場したと言われている。
 
 
 
 

ジレラ・ロンディーネ4気筒レーサー - アドリア海のフラノ - Yahoo!ブログ

2010年8月10日 ... Gileraファクトリーで造られたオートバイのプロトタイプ(ロンディーネ)で挑戦。 ... Dorino Serafini /ロンディーネ 500。 
 
 そしてピエトロ・レモール(Piero Remor)により、
最初に開発されたMV Agusta4気筒レーサー
(シャフトドライブ、パラレログランモ、アールズフォークなど)
が下記になる。
 
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1952年MV Agusta4気筒レーサーは、
ついにイタリアGPに初勝利する。
続くスペインGPに勝利して2連勝を飾った。
その後、宿敵ジレラ4気筒レーサー(ジェフ・デューク)の前に
出ることが出来なかったが、
1956年にジョン・サーティズとのコンビで念願のGP500ワールドチャンピオンを獲得した。
そして1957年のジレラ(新型4気筒)、MV Agusta、
Moto guzzi(8気筒)との歴史に残る決戦の年を向けえた。
 
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出展
 
 
 
 
宿敵ジレラGP500レーサー。
1957年のGP500チャンピオンを獲得。
ダストピンカウリングを装着して極限まで空気抵抗を減らす。
ハイパワー4気筒エンジンを搭載しながら、
ノートンマンクスのフェザーへッドフレームを4気筒用にアンレンジした
ハンドリングに優れたマシンだった。
それはノートンでチャンピオンを獲得してジレラに移籍した、
ジェフ・デュークの開発支援があったからだろう。
走る、曲がる、止まるの3拍子に優れていた。
いまなら、その前傾したエンジンとともに
ヤマハYZR−M1と似ているといえるだろう。 
 
 
 
 
 
 
V型8気筒エンジンを搭載したMoto Guzzi GP500レーサー
1957年ベルギーGPで285kという途方もないトップスピードを記録
した。ラップレコードを更新しながらトップを快走していたが、バッテリ
トラブルによりリタイヤした。
その後、グランプリレースでの経験を元に、
毎日の走行に耐える堅牢さ(イタリア警察に採用)、
それでありながらハイスピード巡航が得意(アウトストラーダを疾走する)
縦置きVツインエンジンにシャフトドライブを装着した、
V7スポーツ、ルマン、etcをリリースしてファンを魅了した。
いまもその基本コンセプトは変わらない。
 
 
 
そしてMV Agustaは、 
それ以来、1950年代最大のライバル・同じイタリアのジレラ、
1960年代は、東洋の日本からやってきたホンダとの戦いのなかで、
38度にも及ぶグランプリタイトルを獲得するにいたる。
そして1976年、
再び現れた日本のヤマハ、スズキが繰り出す2サイクルGP500マシン
の脅威が迫る中、
MV Agustaは西ドイツGPの勝利を最後にグランプリシーン
から静かに去っていった。
 
 
そして今回、
このMVアグスタ-4気筒のロードモデルの実体を解き明かしてみたい。
それは43個のローラーベアリング、38個のプレーン・ベアリング、
そして29個のギヤを精密に組み込んだエンジンだ。
 
それはグランプリレーサーそのもののエンジン構成だった
MVアグスタ4気筒モデルは、
量産のための画一的なプロダクション・エンジンとはまったく違う。
 
1976年の春に、最後の4気筒ワーキングモデルが発表された。
ニュー・ジェネレーションモデルというべきものだった。
 
 
 
 
800Sアメリカ、800SSスーパー・アメリカ、
800SSスーパー・デイトナ・アメリカ(75-90hp、すべての789cc)
 
http://www.motorcyclespecs.co.za/Gallery%20%20A/mv%20Agusta%20832%20Monza%20.jpg
832 Monza(837cc)、
1977年MV Agusta社は、
モーターサイクル工場を閉鎖するまえに製造した最後のモデルとなった。
当初、モンツアではなくボクサーと呼ばれていた。
しかし、フェラーリ社の抗議を受けて車名変更した。
ベルリネッタボクサーの名で水平対抗12気筒エンジン
を売り出していたからだ。
*BMWのほうがボクサーの名称を先に使っているのだが?
 
この832モンツァは、
800sアメリカの在庫部品に2mmボア・アップしたボルゴの
シリンダー&ピストンを装着したものだった。
その後、アグスタはヘリコプターを製造する航空機産業に注力することになる。
いまも、同業他社と合併するなどの紆余曲折があったが、
アグスタ社は健在だ。
いまのMV Agusta社は、MVの栄光の歴史に憧れたカジバ社の
クラウディオ・カスティリオーニと名デザイナーであるマッシモ・タンブリーニ、
そしてピエロ・フェラーリ(エンツォの息子)のエンジン開発協力があって
1997年のイタリア・ミラノショーで復活した。
その名は、MV AgustaF4
 
Bell/Agusta BA-609 Tiltrotorの勇姿 
 
 
また、832Monzaをベースにしてアーチュロー・マーニがチューニングした
850マーニ(832cc)、861Sマーニ(861cc)。
 
 
 
 
*顧客の要望に応じてチューニング内容は分かれているようだ。
 上記のバイクはマーニオリジナルフレームkit、カーブド4本マフラー、
 そしてチェーンドライブに変更された最高峰モデルと思われる。
 イメージ 1
奥多摩で遭遇したコロナ1000s
コロナとは王冠(クラウン)を意味する。
 
 
 
ドイツのMVディーラーだったハンセン社がプロデュースした3台。
コロナ1000、Ago1000(106hp、954cc)。
*マーニキットを装着、
 
最終モデルであるグランプリ1100(119HP、1066cc)
 

これらのMV Agusta空冷4気筒エンジン搭載バイク(+シャフトドライブ)
で軽快な運転を可能にするため、
Kardan(シャフトドライブ)からチェーンドライブに変換することができる。
そして、さらに数が多い古いインライン4シリンダでも可能。
 
 
 
 
 
このチェーン調整用エキセントリックアジャスターをはめ込んだ
スイングアームは、bimotaで製造されたものだと思う。
Kawasaki Z1/Z2用スイングアームkitと同様な構成になってる。 
 
 
 
*マーニ製チェーンドライブコンバージョンキットを装着することで
 可能になる

*1950年に発表されたMV Agusta初の4気筒エンジン搭載モデルが
 MV Agsuta kardanoと呼ばれていた。
 
そのkardanだが総じてシャフトドライブ機構のことを意味しているようだ。
また、上下2本のリアアームを持つ元祖パラレログランモ(パラレバー)と
言っていいだろう。
後年のモトグッチエンジン搭載モデルの
マーニ・ルマン、アルチューロ、スフィーダ、オーストラリア、
ジャポーネなどに装着された。
シャフトドライブによるトルクリアクションを減じる機構の1つと
なっている。
 
MV Agusta空冷4気筒エンジン成功への道は、
すべては最初に並列4気筒エンジンを開発したピエトロ・レモール
(Piero Remor)から始まりました。

レモアは、機械式スーパーチャージャー付きエンジン(ロンディーネ)から
ノーマルアスピレーションエンジンに転換したGilera4気筒エンジンを開発
した。
 
そして、Girela最後のインライン500ccになったクロス(*)を開発しました。
*クロスフロー式のシリンダーヘッドのことか?
ダブル・オーバーヘッド・カムシャフト(DOHC)を備えたインライン4気筒。

彼が、MVで手がけたエンジンとほとんど同じ。
MV  Agustaとは、
Meccanica SpA Verghera Count Agusta
 
 
1950年イタリアミラノショーに突如として現れた、
MV4気筒エンジン搭載ロードモデルMV Agusta 500グランツーリスモ(GT)。
結局、1台だけ試作されたが量産されなかった。
シャフトドライブ(カルダン)と後にマーニモデルでパラレログランモと呼ばれた
2本のリア・スイングアームが装着された。
チェーンの耐久性が乏しかった(伸びる切れる)当時、
BMWボクサーのシャフトドライブの成功に見習ったのか?
 
しかしながら、
1950年に登場した4シリンダーモデルのリアホイールを駆動する方法に
チェーンを使わない。、
それは、
カルダン(シャフトドライブ)による、
その時のまれな解決。

バンケットでショート・ブロックギヤーを備えた構成が考案された?。
しかし、出力の取り出し口にあるベベルギア(螺旋状の傘歯車)
によるドライブ駆動は、
10年後でも適切な方法ではなかった。
レーシングユースには、
すぐに交換(チェーンに)されました。

 
 
 
MVアグスタは再び1965年(?)、
シャフトドライブを備えた600cc4シリンダの量産エンジンモデルを発売した。
この600のスタイリングは不評でした。
ツアラー・コンセプトはまったくMVに適合しませんでした。
 
プッシュロットはバルブを動かしました?

しかし、エンジンベースの大部分は、
MVレーシングテクノロジーを継承しました:
 

クランクシャフトはクランクケースに直接支持されない。
それは付属のバンケット(クランクジャーナル)による。
 
プライマリードライブは螺旋形のクランク・アームによって実行されます。
また、トランスミッションの方向に交わりました。
そして、それほど多くない。
最初のKardanmaschineでのように縦方向に。

駆動装置は、
プロペラ・シャフトへの2つの螺旋状の傘歯車(ベベルギア)によるギヤー出力上でそらされます(90度変換)。
 
これらの事実、
双方のシリンダ間隔
そしてクランクシャフトのストローク。
れらは、まったく500ccレース用エンジンと一致する。
 
MVファクトリー以外の一般ユーザーに
はじめてMV4気筒エンジンをもたらすことになった。
 
続く、

イメージ 1
  
イメージ 2
 
イメージ 3
 
 
私は一瞬、我が目を疑った。
目の前に現れたのは、
ほんものの「MV Agusta空冷4気筒」バイク。
しかも、マーニキットを組んだスペシャルな1台。
MV Agusta Corona 1000s
素晴らしいよ!
 
いつもお世話になっている、
立川のシュバントさんが、奥多摩まで走らせてくれた。
ありがとうございます。
最近、長い眠りから目覚めさせたそうだ。
  
まず、MV Agusta 空冷4気筒サウンドが聞きたい!
とのご要望に応じてビデオを公開させてただく。
カムギアトレーンのレーシングエンジンサウンドを堪能してくれ。
 
MV Agustaのアクセルをブリッピングさせると、
ヒューン、ヒューンという魅惑の サウンドを聞かせてくれる。
これは素晴らしいの一言だ。
 
そして、
これから何回かにわけてMV Agusta空冷4気筒の魅力を
探る旅に出たいと思う。
 

MV Agusta 750 America - [ このページを訳す ]

The 750S America represents the king of machine which MV Agusta and Commerce Overseas Corporation believe an affluent American clientele will buy for S6000. To anyone who knows anything about motorcycle Grand Prix racing, MV Agusta is a ...
 
Make Model, MV Agusta 832 Monza. Year, 1977. Engine, Air cooled, four stroke, transverse four cylinder DOHC. Capacity, 837. Bore x Stroke, 89 x 56 mm. Compression Ratio, 9.5:1. Induction, 4x 27mm Dell'Orto carbs ...
Make Model, MV Agusta 1000S Corona. Year, 1978. Engine, Air cooled, four stroke, transverse four cylinders, DOHC. ... NOTE: Some of the photos on Motorcycle Specs are owned by somebody. If you see any of your photos, you can let me know ...
 
MV Agusta/Corona 1000S. VMOL looks at the Corona 1000S and preceding MV Fours. I f there was ever a rolling contradiction, it has to be MV's line of production fours. Understated and refraining from the bold, they nonetheless come across ...
 
11. Juli 1979 ... Wer eine MV Agusta-Four startet, setzt eine Maschinerie von 43 Wälzlagern, 38 Gleitlagern und 29 Zahnrädern in Gang ... 837 ccm), der Corona 1000 (106 PS, 954 ccm) und der Grand Prix 1100 (119 PS, 1066 ccm) gipfelt. ...
 
テクニカルスペック
http://thebikemuseum.com/master_view.php?id=4&MV%20Agusta%20-%20Hansen&1000S%20Corona
 
Make:MV Agusta - Hansen
Model:1000S Corona
Start Year:1978
End Year:1979
Capacity:954 cc
Bore Stroke:70.0 x 62.0
Engine Configuration:In-line
Number of Cylinders:4
Engine Type:Four Stroke
Valves Per Cylinder:2
Valve Operation:DOHC
Power:79 Kw (105.9 Bhp or 107.4 Ps) @ 10000 rpm
Cooling:Air
Gears:5
Transmission:Shaft
Weight:255 Kg (562 lb)
Front Wheel:3.50-18
Rear Wheel:4.00-18
Front Brake:Dual disc
Rear Brake:Single disc
Top Speed:230 Km/h (142 Miles per Hour)
Fuel Capacity:24 Litres (5.28 UK Gallons or 6.34 US Gallons)
Number Made:12
Engine Number Range:221-05nn
Notes:Made by Hansen of Germany
 
 
1992年ドイツ・モトラッド誌のテスト記事
下記をクリックするとpdfファイルが表示されるので
読むことができる(ドイツ語)。
 
 
 

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