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このNR750のビデオは2008年1月に撮影したものだ。
いままでに全世界で93万回の再生を記録している。
いまもその記録は伸び続けている。
このNR750は友人のバイクなんだ。
迫力のNRサウンドを聞くことができるよ。
奥多摩オートバイ伝説 「NR750の謎を追う」
いまMotoGPレプリカバイクRC213V−Sが 公開されて注目されている。 こういう高価なレプリカバイクは滅多に出てこない。 いまから20年以上前の1992年 NR750が登場して以来のことだ。 そのNR750とは? 当時ホンダの技術の粋を結集させて 「オーバルピストン/楕円ピストン」 エンジンを搭載していた。 その着想は4サイクルエンジンで 2サイクルグランプリレーサーに勝つことを目的 として開発された。 ホンダはもともとマルチシリンダーエンジンレーサーで グランプリを席巻した栄光の歴史がある。 250ccの排気量ながら、 6気筒エンジン搭載のRC166がマイクヘイルウットドの ライディングによりチャンピオンを獲得した(1966/67)。 マルチシリンダーエンジンはホンダの十八番だった。 しかし、1960年代の終わりごろ、 500ccは4気筒、250ccは2気筒までの レギュレーション改訂により、 4気筒以上のマルチシリンダーエンジンを出すことが できなくなった。 時は流れて1970年代後半、 10年以上グランプリレースから遠ざかったいたホンダは、 グランプリレースに復帰することを宣言した。 そのときに考え出されたのがオーバルピストン(楕円ピストン)。 着想はV8エンジンをV4エンジンに凝縮する。 4気筒エンジンのレギュレーションをクリアするためだ。 長円・楕円ピストン(超ビックボア/ショートストローク)
により135ps/20,000rpm以上を可能にする エンジンだった。 ピストンを長円・楕円とすることで、
1気筒8バルブ/2本コンロットの構成だった。 長円は二つの半円を直線で繋げた
陸上競技のトラックのような形状である。
長円は楕円と比較しピストン面積に対する給排気バルブの面積比をより大きく取れ、給排気効率は高い。
■市販されたNR750はなぜレースとは無縁だったのか? 奇妙なことに楕円ピストンエンジンを搭載した
ロードバイクNR750は、レースに参戦できなかった。
いや、しなかった??? F1の場合、1980年代に楕円ピストンは禁止された。 それほど恐れられたエンジンだった。 結局ホンダは楕円ピストン抜きでも、 1.5LV6ターボ、自然吸気V型10気筒、 V型12気筒エンジンで勝利を重ねる。 MotoGP発足当時は、 楕円ピストンエンジンバイクの出場は認められていた。 2気筒、4気筒で出場可能だった。ただし大幅な重量増 (+10kg以上)が課せられたいた。 しかし、ホンダはV型5気筒/1000ccエンジンの
RC211Vを走らせた。 そして2007年から4気筒に統一するときに ついに楕円ピストンは禁止された。 ワールドスーパーバイク選手権は、 1000cc2気筒までOKなので、 楕円ピストンだからといってNR750が 出走できない理由はないと思うのだが? レギュレーションに定める台数を製造すればいいだけだ。 いや、一度だけある。
ワールドスーパーバイク選手権がはじまる前年、 TTF1規格で耐久選手権トとオーストラリアの国内レース に出場した。 1987年のルマン24時間耐久レース。 耐久レーサーNR750が出走したクラスは、 将来市販が予定されているバイクの出走が認められるクラスだった。 これが試金石となるはずだったのかもしれない。 その車体構成から将来の世界耐久選手権、TTF1世界選手権、 そしてワールドスーパーバイク選手権に参戦することが可能だっ たと思われる。
そのため4気筒エンジン?の上限である、 750cccの排気量としたことは自然な流れだと思う。 ホンダRVF750を上回るトップスピードを記録して、 予選2位からスタートしたNR750。 しかし、エンジントラブルにより早々にリタイヤ((3時間)した。 故障原因
according to HRC, a faulty big-end assembly incorrectly tightened
HRCによれば、
ビッグエンドアセンブリ締め付けトルクを誤って故障した ビッグエンド:コンロットをクランクピンに結合される
部分(大端部).
NR750は楕円ピストンなので8本のコンロットが装備される。 NR750の場合も長くなったクランクシャフト+8本の
コンロットを15500rpm以上で回すため、
耐久レースを走りきる耐久性に問題を抱えていたのかもしれない。 もしかしたら、コンロットメタルの潤滑が追いつかず摩耗 してしまった。、 クランクシャフトとのクリアランスが保てなくなり、 結果的にコンロット大端ボルトが緩んでしまった? テストベンチでは24時間以上回せても、
実際のレースとなるとバイクはバンクする。 吸気条件も一定ではない。 Gがかかるのでエンジン内でオイルは片寄る。 油膜切れも起きるだろう。 ベンチのような理想的な条件とはいえなくなる。 Max Power
155 hp @15000 rpm Dry-Weight 158 kg このとき24時間走り切っていたら、 レーサーとしてその後の展開があったかもしれない。 RVF750、RC30の後釜となっていたかもしれない。
1989年または90年頃頃にスーパースポーツバイクとして 発売されていたかもしれない。 ルマン24時間レースを3時間でリタイヤしたのでは、
計画の練り直しが必要だった? そういったことが原因で、 すぐに市販ロードスポーツバイとして発売できなかったのか? グランプリレースで戦うことを想定した超高回転型エンジンには、
750ccに排気量アップしたからといって、 耐久レースを戦う耐久性が不足していたたのか?
15,000rpm以上回せる長円・楕円ピストンエンジンに耐久性 を求めても限界があるのか?
長円/楕円ピストンの場合、メンテナンスコストもバカ高くなる。 市販レーサーとして販売してもプライベーターの手におえない。 HRC内での議論百中だったことが予想される。 そういう理由で耐久レーサーとして開発することを諦めたのか? エンジン内のピストンとシリンダーは熱膨張する。 それが丸いものだと予測の範囲内なのかもしれない。 しかし、鍛造ピストンが1990年代の初めに量産バイクに装着 されたとき、エンジンが冷えているときオイル消費が激しい問題 があった。 長円/楕円ピストンの熱膨張とメッキシリンダーのクリアランス の問題を解決できなかったのだろう。 いまはそんなことはない。 しかし、これが長円・楕円ピストンとシリンダーの場合、 どう熱膨張するのだろうか? どうピストンリングとシリンダー間のクリアランスを一定に 保つのだろうか? レース用長円・楕円ピストン
ホンダ・NR - Wikipediaja.wikipedia.org/wiki/ホンダ・NR
楕円ピストンエンジン に移動 - [編集]. 巷では、NRをして「楕円ピストン」の代名詞とする場合が多いが、本当の意味で「楕円ピストン」になったのは市販車のNRであり、レース用のNR500とNR750は共に「長円ピストン」であった。
長円は二つの半円を直線で繋げた陸上競技のトラックのような形状である。
レース用長円・楕円ピストン
長円は楕円と比較しピストン面積に対する給排気バルブの面積比をより大きく取れ、給排気効率は高い。しかし半円から直線に繋がる部分で曲率が不連続になるためにピストンの気密性を維持することが困難であり、同時に加工が難しく量産に向かないという問題がある。
量産楕円ピストン
そこで、正規楕円の周囲に沿って移動する円が形成する曲線の形状である正規楕円包絡線形状が採用された。この形状は、ピストン面積に対する給排気バルブの面積比を長円とほぼ同レベルに確保することができる上、曲率の変化が連続であるため気密性・加工性とも良好であり、量産化を実現した。
いろいろと議論はあったのだろうが、
NR500、NR750耐久レーサーに使用していた、
レース用の長円/楕円ピストンを見直して、
製造性、耐久性、クリアランスの問題を解決するため、
ロードバイク用の楕円ピストンが新たに開発されたのだろう。
さらに時間を要した。
量産楕円ピストン
そして、楕円ピストンエンジンバイクを世に出すことにした。
ホンダのおやじさんの厳命があったかもしれない。 やっと1989年秋にNR750プロトタイプが東京モーターショー で公開された。 私も晴海の会場で実物を見た。 RC30とは違うフルカーボンファイバーの車体構成に 違和感を覚えた。
これって違うのではないか?
これでレースに出られるのだろうか?
そして1992年、 NR750は豪華なスーパーバイクとして300台だけ製造された。 NR750はホンダがオーバルピストンテクノロジーに
こだわった記念碑的なバイクとなった。 だが、レースとはまったく無縁のバイクとなってしまつた。 結局のところ、8気筒エンジンを
4気筒に押し込めるために開発された楕円ピストを量産 する場合、コストを絞り込めない。 部品点数も4バルブエンジンの2倍必要になる。 そういうことだったと思う。 520万の車両価格が災いしたのか? 大量の在庫を抱え込んでしまった。 日本国内に200台。
かなりの台数が売れ残ったため、 一時期、バーゲンプライス(半値)で販売された。 海外向けにフルパワー仕様(130ps)も100台製造された。 *海外仕様は50台しか売れなかったので、 残りの50台は廃棄(破却)されたと噂されている。 実は友人からこういう話を聞いた。
1987年にRC30が発売される前のことだ。 楕円ピストンエンジンを搭載した750ccバイク が出るとホンダ量販店にアナンスされたらしい。 そのときにポスターまで配布された。 そのポスターのエンジン透視図は楕円ピストンだった。 スタイルはRC30そのもの。 友人はバイク屋の店主から、 「今度こんなの出るよ。」 と聞かされたたそうだ。 ところが、
ふたを開けたら普通のピストンを4個並べた V4エンジンのRC30だった。 友人は楕円ピストンじゃないなら、
いらない。 そう思ったそうだ。 友人との会話でも、 やっぱりRC30のような耐久レーサースタイルで出すべき だったんだよ。 それで8耐に出るべきだったんだよ。 フルカーボンファイバーのカウリングは必要ないよ。 ナン:
やっぱり、 そう思いますよね。 .................... 友人はNR750を複数台。 私も1台購入したので、 楕円ピストンバイクの夢を共有したライダーだった。 なお、いま私の手元にNR750はない。 人生をかけた目的を実現するため売却したのだが、 その目的も達成されなかった。 人生とはなんと過酷、
いや、皮肉なものか?
そのことを考えるといまもつらい。 いや、それも人生さ。 まさに、 「Let it go」 「let it go at this」 最近では「ありのままで」
というフレーズが大流行している。
私がかつて所有したNR750は、 フルパワー仕様(130ps)に改造された一台だった。 吸気ファンネル、コンピュー本体、インパネ、 エキゾーストマフラーなどが交換されていた。 そのことはあとからバイク屋から知らされたのだった。 後年、NR750(フルパワー仕様)でモテギを
走ったときだ(友人)。 YZF−R1にストレートで抜かれて唖然としたそうだ。 もはや、パワーでは太刀打ちできない。 いま1000cc4気筒バイクが200psを絞り出す にいたった。 もちろんピストンは丸い。 しかし、1990年代前半当時、 そんなことは夢にも思わなかった。 バイクの進化? それは止まることをしらない。 1990年代、
もし、NR750がWSBKに参戦していたら、 歴史は変わっていただろうか? NR750 vs Ducati916(955cc)の対決
を見たかった。 しかし、ホンダは沈黙を守ったままだった。
ホンダ50周年記念車の噂が広がっていたとき、 RC45の後継として、 新たなV4スーパーバイクを開発している。 そういう噂があった。 「これって、楕円ピストンエンジンバイクだったのではないか?」
そういうと、 友人は「いや、そんなことはないと思うよ」 、................... その代りに登場したのは、
なんと90度Vツインを搭載したVTR1000SP1/SP2 だった。 このバイクでドゥカティに一矢報いたわけだった。 ビックボア(100mm)のVツインを高回転まで回すとこと、
そこに楕円ピストン(101mm)の経験が生かされた。
そう思いたいものだ。
楕円ピストンエンジンよ永遠に。
おしまい。 ここに記載した内容は真実ではない。
事実と状況証拠と憶測により創作したものである。
余談
以前、ネットで読んだ話だが、
ロードバイクNR750のエンジンの場合も、 オイル上がりのためカーボンの付着が激しい。
そう記載されていた。
やはり想像以上にシリンダーとピストン(&リング)の クリアランスを保つことが難しかったのか?
そういった均一でないピストン周りの熱膨張による、 ピストンクリアランスにむらが出来、 そこからオイル上がりを起こす。 わずか3000k走行でもシリンダーヘッドへのカーボン付着が 激しかった。 また、短めのクランク(普通のV4+α、インライン4よりは短い)
ながら、8本のチタンコンロットを組むため、
コンロット大端メタルへのオイルの潤滑が充分でない。 行き届かない。 わずか3000k走行でも大端コンロットメタルの摩耗が激しい。 しかし、わずか3,000kでこういう現象が
出るのは、どうみてもおかしい。
友人がいつも力説していたのは、
ホンダの開発者は、10万でも20万kでも走ることが
できると説明していたよ。
というもの。
NR750のエンジンは丈夫だから大丈夫!
と言っていた。
そこに盲点があるのかも?
ホンダ指定のウルトラオイルを定期的に交換していれば、
問題ないが、そのオイル管理が不十分だったのか?
それを怠るとたちまちダメージを与えることに
なるのかもしれない。
ホンダのエンジンは丈夫だから、
オイルさえ入っていれば大丈夫と思ったのか?
オイル交換しなかった?
楕円ピストンエンジン似合わないオイルを入れた?
たとえば安い鉱物オイル。
いずれにしても、
NR750には、丈夫とはいっても
良いオイルを定期的に交換すると
長持ちすると思う。
いや、それが生命線だと思う。
いまの超高性能オイル。
たとえば100%化学合成の 10W−60(2輪用のシェル、ニューテック)を使用すれば、
メタルの摩耗とオイル上がりの問題は起こらない と思うのだが?
デスモセデッチRR用のシェル25W−60もいいかもしれない。
10W-60が良いという理由 *ただしオートバイ用を選ぶこと
10W-60という粘度、
最近の一般的な車輌には全く無縁である粘度です。
ただし少ないものの一部車輌では10W-60を指定しているものもあります。
10W-60を指定する理由としてはエンジンのクリアランスが広いという点が大きく、
また高負荷運転時における油温上昇による粘度低下に対するマージンという意味合いがあります。 ですので10W-60を指定する車輌は勿論、
クリアランスが広い車輌、広くなった過走行車などでの
高油温走行などに向いています。
また高粘度ですので単純にノイズ低減、
オイル滲み対策なども期待できます。
旧車においても60番をいれるケースもありますが 10W-60は基本的に化学合成油系が多く、
極端に古い車種などではシール等での不具合が考えられますので 注意が必要です。
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奥多摩最速伝説
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詳細
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奥多摩オートバイ伝説:「最速のドゥカティとは?」 私はいままでに水冷4バルブLツインデスモを搭載した
スーパーバイクを数台ほど走らせてきた。
そこでその実像を探ってみたいと思う。 まず、ドゥカティ・スーパーバイシリーズは、 簡単なオートバイではないことを申し上げておきたい。 乗りやすいオートバイではない。 しかし、オートバイを走らせることが楽しい。 コーナリングすることが面白いことを 教えてくれるバイクなんだと思う。 Lツインエンジンは180度点火の4気筒バイクと
違いごく低速ではトルクがない。 点火間隔が4気筒エンジンよりも広いため、 ごく低速では力が出ないためだ。 それに慣れないとバイクをスタートさせたときに 立ちごけする可能性がある。 また、ライディングポジションがスパルタン。 ドゥカティ90度Lツインエンジンは、前後に長いので、 バイクに跨ったときハンドルまで遠い。 しかも、916はシートが高くレーシングバイク そのもののライディングポジションを強いられる。 とても市街地や渋滞した道で走らせることが難しい。 Lツインエンジンはフロントホイールから エンジンのクランクシャフトまで距離が長いので、 バイクのハンドリングを難しくしている。 意識してフロントホイールに荷重をかけて コーナリングする必要がある。 4気筒エンジンバイクのように目線だけでは曲がらない。 しかし、ワインディングやサーキットで走らせると 爽快の一言につきる。 まず、エンジンの幅が狭いのでコーナリングの切れ味が鋭い。 これは直列4気筒エンジンバイクでは味わうことができない。 それはいまの最新型スーパーバイクでも変わらないと思う。 また、ビックボアツインエンジンによりリアタイヤのトラクション のかかりが強いので立ち上がり加速が強力。 とくに916が、 カジバGP500マシンの車体構成(ディメンジョン)を 採用したため、 それまでのロードバイクでは味わうことが出来ない スーパーハンドリングを実現した。 また、999と1098からライディングポジション の向上が図られた。 999は燃料タンクを前後に調整する機能があり、 1098から燃料タンクとシャーシのデザインを変更して ライダーがより前方に座ることができる ようになった。 フロントタイヤにより荷重をかけられるようになった。 親しみやすくするためフレームご剛性が見直された。 そいういったことが、 長年ドゥカティ・スーパーバイクシリーズが ファンを引きつけてきたんだと思う。 しかし困ったことにライバルの1000cc4気筒バイクの パフォーマンスが上がったことにより、 ドゥカティスーパーバイクシリーズも排気量アップと パワーアップを行なった。 最新型の1299では、1285cまで排気量アップしている。 もはやストリートでエンジンを限界まで回すような ことは出来ないと思う。 また、WSBKレギュレーションに適合(2気筒は1200ccまで) させるため、1299Rは1199ccの排気量のままとされた。 新型1299Rはおそらくスーパレッジェーラ用エンジンパーツを 活用して、それを超える205psを発揮する。 パニガーレ1299はドゥカッティ・フラッグシップモデルとして 中速域の豊かなトルクと数々の電子制御で パフォーマンスを楽しむバイクとなったといえるだろう。 205psのパワーはハヤブサやZZR1400などの フラッグシップバイクを凌駕する。 また、1299の装備重量は約190kg。 ハヤブサよりも約70kg以上軽量だ。 高速道路でもワインディングでも遅れを取ることはないだろう。 1299は最速の量産スポーツバイクとなった。 そういって良いだろう。 Ducati 851とは まず、851のことから書いてみたい。
購入したのは、いまから3年ほど前になる。 前後17インチホイールに換装された851とたまたま出会った。 昔憧れていたバイクでもあり、 どうしても乗りたくなったわけだ。 851は水冷エンジンとなったはじめての 90度Lツインバイクだった。 この851の水冷4バルブエンジンを設計したのは、 マッシモ・ボルディ。 しかし、バイクのスタイリングやシャーシを設計したのは 誰だったんだろう? いままでにいろいろな文献を読んだのだが、 明確な答えは見つからなかった。 最近購入したバイク雑誌が 「916登場20周年」といういことで、
英国MCN(モーターサイクルニュース)の特集を翻訳して 紹介していた。 私も記事の一部をMCNのwebサイトで読んでいたが、 MCN紙面でしか紹介されていない内容があったので さっそく購入して熟読した。 そこにタンブリーニの回想録があり、 その中に815と888開発を自由にやらせてもらった。 とあった。 タンブリーニは851の前に750Pasoを設計している。 750F1の空冷Lツインデスモを搭載していた。
しかし、キャブレターはエンジンVバンクに配置されて、 角パイプ・ダブルクレードルフレームが採用された。 そしてはじめて「リンク式リアサスペンション」が装着された。 それに前後16インチホイールが組み合わされた。 ボディーデザインはbimota DB1を彷彿とさせる フルカバードスタイルだった。 実はベベルギアLツインを搭載した前後16インチモデルを
Pasoの前に試作していたらしい。 しかも、アルミフレームだった。 上の写真がそうらしいが、結局日の目をみなかった。
つまり、Paso開発のの経験がまるごと851に生かされた
と思われる。 フレームはレースの使用に耐える パイプトレリスフレームが 設計された。
Paso譲りのリンク式リアサスペンションが採用された。
タンブリーニが最も得意とする分野だ。 この851/888フレームと
リンク式リアサスペンションは、 後のモンスター900に生かされた。
そしてエンジンはいままでにない 水冷4バルブデスモLツインエンジンが設計された。 これが大きない問題だった。 たんに設計と製造が複雑という問題の前に 大きな問題が立ちはだかっていた。 子弟の恩讐があった。
空冷Lツインデスモの生みの親である。 ファビオ・タリオーニが水冷4バルブDOHCに反対していた。 彼は幻と終った4気筒バイクの開発を主張していた。 プロトタイプドゥカティL4エンジン。
ゴックドベルトカム駆動SOHC2バルブ。
クランクケースにスイングアームが取り付けられている。
バンク間にデロルトキャブ?を4個配置した構成だった。
カンチレバー式モノサスを装着。
まさにドゥカティLツインパンタ(750F1?)の
4気筒版といえる構成だった。
このL4エンジンは1970年代後半完成していたようだ。
また1984年頃、カジバ傘下になることが決定したことで、
急遽開発を終えていたL4エンジンをシャーシに載せて形にした?
4バルブデスモとの競合プレゼンだったのかも?
それは伝説のイモラ200で750SSが勝利した、 そのあとに4気筒エンジン開発が始まった。 まずは水冷エンジン、 あとに空油冷L4エンジンが試作された。 しかし、コストがかかる4気筒エンジンバイクの 製造にGoがかからない。 そういうとき(1978年)、 マン島TTレースでマイク・ヘイルウッド が勝利したとの報が入った。 伝統のべベルギア機構搭載の900ccLツインデスモ だった。 そこでドゥカティ経営陣は、イタリアントリコローレに 塗り分けられたMHR900を販売することにした。 ベベルギアLツインを延命させることになった。 タリオーニが開発したL4エンジンは、 エンジンを半分のLツインにして500SLパンタ(1979) として販売されることになった。
バルブ駆動にゴックドベルトを使用して、 スイングアームをクランクケースに取り付けるなど、 当時の最先端テクノロジーが盛り込まれた。 当時ドゥカティではパラレルツインエンジンを搭載した
Ducati 500が別のエンンジニアにより開発され販売されていた。
タリオーニにとって1970年代後半は、
内憂外患ともいうべき状態だだった。
タリオーニは本来なら、
この500SLパンタ(Lツイン)と
L4(1000cc)の両方を世に出したかっただろう。
しかし、マン島TTレースでの活躍により、
新世代パンタエンジン搭載バイクは500SLパンタ
だけになったのかもしれない。
当初から2気筒(Lツイン)、4気筒(L4)、 または6気筒(L6)としてエンジンの共通化をはかろうと
していたのかもしれない。
シリンダー、エンジン内のピストン、バルブなどの内部パーツを 共有化できる。
また、クランクケースは砂型鋳造すれば良い。 L4バイクの需要が多くなれば金型鋳造に移行すればよい。 そういう目論見があったのかもしれない。 ハーレーも1970年代後半にそういうことを 考えていた。ポルシェが開発した内部パーツを共有化した 水冷2気筒、4気筒、6気筒を設計していた。 これはノバプロジェクト(革新)と呼ばれて実現する一歩 手前までこぎつけていた。 しかし、それとは別にハーレー内部で開発していた、 ショベルエンジンの欠点をすべて解消して、 大きく進化させた新世代のエボリューションエンジンで 伝統の空冷45度Vツインモデルを続けることにした。 それはいまに受け継がれている。 最近読んだバイク雑誌にホンダが1970年代後半、
ハーレーを技術サポートをする計画があったそうだ。 そのためショベルエンジンを詳細に調査したそうだ。 しかし、その計画は破棄された? もしかしたら、エボリューションエンジンの開発、製造に ホンダの意見が加味されているのだろうか? 1985年にドゥカティはカジバの傘下に入った。
そのときタリオーニはL4エンジンの可能性を力説したに 違いない。
1971年ドゥカティGP500バイク試作したとき、
500cc/Lツインで11,500rpmまで回すことが
可能だった。
*ゴックドベルト仕様の場合。ほかにベベルギア仕様も
造られた。
そのときの最高出力は72ps。
そのLツインを2個合体したL4(4気筒)にすると楽に
130ps以上のパワーを引き出すことができる。
そしてF1フォードDFVエンジンで実績のある、
メカニカルインジェクションの搭載も考えられていた。
また、シリンダーヘッドを油冷とすることで冷却の面でも
信頼性を確保できる。
*スズキGSX−R750よりも前に油却に取り組んでいた。
わざわざ4バルブエンジンにする必要はない。
いまある技術の延長線ですぐに実現できる。
*L4のパフォーマンスはライバルを圧倒する
能力があることは間違いないが、
エンジンコストは単純に考えても2倍になる。
バイクの売価を釣り上げただろう。
売れるかどうかもわからない。
すでにホンダVFR1000Rが
登場(水冷V4/1000cc 130ps)しているので、
1984年、85年の段階ではホンダに先行されていた。
しかし、マッシモ・ブロディは水冷4バルブエンジンが これからのドゥカティには相応しいと訴えたのだろう。
彼の大学卒業論文は4バルブヘッドエンジンの開発
だったので是が非でも実現したかった。
ブロディはいまでも4バルブデスモ開発は正しい
ことだったと力説している。
タリオーニのことを師と尊敬していても、
自らの信念を曲げることはできなかった。
1986年に4バルブ水冷デスモを開発するかを、 タリーオニ、ボルディー、 そしてフェラーリからオブザーバーとして 客観的な判断を下せるエンジニアが中に入って 会議が開かれたそうだ。 しかし、ボルディだけが賛成して、 他の二人の賛同を得られなかった。 しかし、最終的な判断は、 ドゥカティ親会社の社長である、 カジバのカステリオーニにより 4バルブエンジン開発が選ばれた。 また、このエンジン開発が失敗したらお前はクビだ。 最後通牒?
を突きつけられた。
退路を断たれたともいう。
なぜ、フェラーリのエンジニアが中に入ったのか?
それはフェラーリの重役であり、 あのエンツォ・フェラーリの息子である、 ピエロ・ラルディ・フェラーリとカステリオーニは友人関係 だったことが発端だったのだろう。 純粋にエンジニアリングの可能性を吟味してもらいたかった のだろう。 そのフェラーリから会議に参加したエンジニアがだれだった
かは不明(クラウディオ・ロンバルディ?)だが、 4バルブ・デスモそのものを否定したわけではなかったと思う。 ドゥカティの設計・製造環境を考えると無理と助言
したのかもしれない。 しかし、4バルブデスモの開発が決まったあと、 フェラーリ側が技術サポートした可能性がある。 もしかしたら、マラネロで4バルブデスモの シリンダーヘッドやその他のエンジンパーツが試作 されたかもしれない。 高回転・高出力用のピストン(&リング)、水冷シリンダー などそれまでドゥカティにはまったくなかった技術サポートが 行われたと思う。 フェラーリはその見返りとしてデスモのテクノロジー
貰い受ける。 さっそくマッシモ・ボルディーは、 空冷750F1のLツインデスモを水冷化して 4バルブヘッドを搭載したプロトタイプエンジンを デスモを知り尽くしたジャンルイジ・メンゴリさんとのタッグで 開発された。
そしてその年(1986年10月)のボルドー24時間耐久レース に参戦(レース途中でリタイヤ)。 その後、排気量を851ccに拡大してエンジン各部をを リファイン。
クランクケースも新作された。 1987年春のUSデイトナ200に参戦してマルコ・ルッキネリに より勝利した。 これでレーシングエンジンとして通用することが証明された。 そして1988年からDucati851として発売された。 合わせて当時最先端のマレリ製の電子制御フューエル インジェクションが搭載された。 ドゥカティ、フェラーリ、マレリのコラボレーション
により最先端モーターサイクルが生み出された??? その後、フェラーリは、 1.5L/V6ターボエンジンの終焉を見据えて V型12気筒、1気筒5バルブにデスモ機構を搭載した フェラーリF1エンジンの開発をはじめた。 おそらく1987年から設計を初めて、 ベンチテストを経て88年夏にテスト車両(639)に搭載。 1989年のF1シーズンに フェラーリ640(エンジンタイプ Tip035)として実戦に投入した。 アラン・プロストとナイジェル・マンセルの最強コンビ。 量産など考える必要のない最高のテクノロジーが投入 されたエンジンだった。 デスモ搭載のV12型気筒エンジンが絞り出す 高回転・高出力エンジンが成功した背景には、 ドゥカティ・デスモの経験が提供されからだと思う。 これで宿敵マクラーレン・ホンダと五分に渡り合った。 世に言うセナ・プロ対決だ。
また、マレリ製の電子制御フューエル
インジェクションと7速セミオートマが搭載された。 デスモはもともとレーシングエンジンのテクノロジーだった。 1950年代、メルセデスは直列8気筒エンジンにデスモ機構 を搭載して5回の世界チャンピオンに輝く ファンマヌエル・ファンジオとともにF1を席巻した。 しかし、悲劇のルマン24時間レースの事故で メルセデスはレースから撤退した。 その後、デスモは4輪レーシングエンジンに使われることはなかった。 しかし、ドゥカティだけは、1950年代の終わりから トライし続けてきた。 その技術の蓄積は他の追従を許さないものがある。 いや、ドゥカティの専売特許だった。 ホンダF1エンジン。 それは1966年頃のことだ。 ライバルにまけない高回転・高出力エンジンを 開発を模索していた。 1気筒の排気量が大きなF1エンジン(250cc×12)では、 バルブの質量が大きくなるので、 バルブスプリング方式ではバルブが追従しなくなるため (バルブジャンプ)高回転まで回すことができない。 そこで、メルセデス・デスモ機構がテストされた。 しかし、バルブ開閉時の気密性が保てないなど、 技術的な課題をクリアできなかったため、 トーションバースプリング(ねりじ棒) によるバルブ開閉が実用化された。 バルブとガイドが取り付けられた棒が
「ねじれる→元に戻る」ことでバルブを開閉させた。
量産車ではCB450で採用されたのみ。
しかし、金属疲労でいつかは棒が折れるだろう。
F1のような1レースでエンジンO/Hするようなら
使用可能だったのだろう。
バルブが閉じたときの気密性に関する問題を解決できていたら、 ホンダ4バルブデスモが完成していたかもしれない。 1気筒8バルブの楕円ピストンエンジンにデスモを組み合わ
せてていたら25,000rpm
以上が可能になり160ps以上を絞り出せただろう。
それで2サイクル4気筒バイクを打倒できたかもしれない。
歴史が変わっていたかも?
しかし、ドゥカティが長い年月をかけて完成させたデスモは、
ホンダといえども易々とはものにできなかったわけだ。
*ドヵティはヘアピンのようなスプリングで バルブを抑えて気密を保つ技術を開発した。 怒りが収まらないのはタリオーニ。
その後しばらくして、 この4バルブエンジンは私とは一切関係ないと 宣言して引退してしまった。 ジェネレーションギャップを乗り越える
ことはできなかった。 幻の空油冷L4/1000ccは130psの パワーを絞り出す可能性があったらしい。 ドゥカティとしては既存の設計・製造技術を 流用できたが、 どちらが正しい選択だったかは、 その後の歴史が証明していると思う。 クラウディオ・カステリオーニに先見の明があった。
4バルブデスモ開発により
従来のツインエンジンの概念を超越する クワンタムジャンプを可能にした。 それは次元を飛び越えて別の次元に変わること。 この内容は事実と憶測と情況証拠をもとに構成している。 真実ではない。 いや、真実はやぶの中だろう。 重要なことはいまもドゥカティが存在していること。 デスモを使い続けていることだ。
続く
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奥多摩オートバイ伝説 「Ducati 750F1とは?」
1984年代頃のことだ。 私はまだ20代前半の若輩者だった。 その頃の私はスズキGSX−R(400)を走らせていた。 毎週のように山(奥多摩)や海(湘南・江の島方面)に週替わりで出かけていた。
オートバイを走らせることが楽しく夢中になっていた時期だったね。 RGガンマ250に続く次のアルミフレームモデルは、
水冷400cc4気筒を搭載したバイクになるに違いない。 スズキはその期待に答えてくれた。 それがGSX−R(400)だった 乾燥重量152kg。 ここまで軽量な400cc4気筒バイクは存在しなかった。 あの当時、パワーフィーリングやハンドリング のことなどまったくわからなかった。 夢のオートバイを所有して、 あちこちに出かけるのが楽しかった。 それだけで十分だった。 1つだけいえるのは、 燃費が良いから、維持費が安いから という理由で250ccバイクを選択する という考えはまったくなかった。 オートバイは夢を実現してくれる道具なので、 現実的な選択などまったく考えなかった。 高価でも夢を実現することが優先される。 それが後のbimotaYB7購入に繋がった。 ところで、
若い頃のことだが、 毎日の仕事はきつく、 アパートに帰り着くのは毎晩遅かったが、 まだ、若かったこともあり一晩寝れば元気になった。 それよりも毎日の通勤と週末にオートバイを走らせる ことが楽しかった。 いまから思えばそれがストレスを発散する唯一の方法 だったようだ。 オートバイを走らせているときは、
つらい仕事や上司の顔を忘れられた。
オヤジになった今も終わりのない道を走り続けている。 その頃書店に並んでしたオートバイ雑誌の多くを買い求めて 自宅で目を通していた。 ライダースクラブ、クラブマン、グランプリ・イラストレーティド などのオートバイ、グランプリレースのことに詳しい オートバイ専門誌。
そのほかにも特に記憶に残るものとしては、
サイクルワールドだったね。 美しい表紙とカラーページで構成される紙面は、 まるでファッション雑誌のようで、 いつも開いてながめていた。 紙面構成が斬新で従来のバイク雑誌とは視点が違う 興味を引く内容が盛りだくさんだった。 街のバイク屋さんの広告が少なったので、 すっきりした紙面だった。 そのほかのバイク誌と比べるとページ数は少なかったが、 内容の濃い記事(&写真)を読み、 その先にあるものを読み解いていた。 女性ライダーが走らせるヤマハRZV500Rの 連載記事が新鮮だったね。 ワールドグランプリ500ccマシンのリアルレプリカバイクとは、 どんなものなのか? それを街中で走らせるとどうなるのか? そして女性の視点からRVZはどう感じていたのか? ほかのバイク雑誌がどこもやっていた、 最高速度がどうだこうだ、加速がどうしたこうした。 ツクバで何秒出した。 などの数字のオンパレード、 などは1つも出てこない。 使いもしないバイクのパフォーマンスよりも、 ユーザー目線の記事が面白かった。 どうしてこんなに高価なのか? バイクが重い、ハンドルまで遠い、始動性が悪い、振動が多い。 シートの下が熱い、燃費が悪い。 1台のバイクとしてどう感じているかだった。 実はそういいったことが一番大事なことだと思う。 などなど興味を満たしてくれる記事のだった。 また、読んでみたいね。 また、消えた天才ライダー・伊藤史朗の幻を何度も読みふけった。
それは後に一冊にまとめられた。 それと最後にBOWさんのイラストとエッセーが印象的だった。 伊藤史朗 - Wikipediaja.wikipedia.org/wiki/伊藤史朗
伊藤 史朗 (いとう ふみお、1939年10月10日 -1991年3月10日 ) は、日本の元レーシングライダー。16歳の若さで浅間火山レースに出場しデビューウインを果たし、世界GPでも活躍を見せ、天才ライダーと評された。 なお名の「史朗」は「ふみお」と読むのが正しい ...1960年の世界GP500ccクラス参戦で貸与されたのは、前年まで元世界チャンピオンのジェフ・デュークが乗っていたマシンだったが、伊藤は初めて乗ったマシンを名手デューク以上に巧みに操ったという。当時の日本には舗装のレース専用コースが存在せず、舗装路でのレースは伊藤にとって生まれて初めてだったが、初戦フランスGPで予選3位、決勝6位という好成績を挙げている。
1980年代のオートバイブーム、 いや、バイクバブルが去った後、、 米サイクルワールド誌との契約が切れた時点で 廃刊となった。 私としては非常に残念だった。 いま読み返したとしても読み応えのあるものだと思う。 1980年半ばとしては、 センスの良いバイク雑誌だったね。 そうだ想い出した。 その頃、福生にある産業道路終点近くの喫茶店 (ドトールコーヒー・コロラドの支店)によく出掛けていた
たしか1階がコンビニでその脇の階段を上がった2階にあった。 残念ながらいまはもうない。 美味しいコーヒーと洒落た軽食を出していた。 そこで働いていた女性スタッフに密かに憧れていた。 あるときそれを察した同僚の女性が助け舟を出して くれたことがある。 ナンちゃん。 この子をオーオバイに乗せてどこかに 連れていってあげてよ。 彼女もまんざらではなかったようだった。 私は願ってのない話だと内心喜んだのだが、 「また今度」 と言うのが精いっぱいだった。 慎重な、いや、シャイな私は、 その後の展開を実現させるでことができなかった。 人生を一歩踏み出すには勇気が必要だ。 そういうチャンスはそうそうあるものではない。 男と女の人生がクロスオーヴァーするとき、 何事か始まるに違いない。 そのとき開いていたのが、
サイクルワールドだった。 たしか、ドイル・ケルンショー(いまのインターモト)の特集で GSX−R750、RGガンマ500、 NS400R、FZ750、FJ1100などの 当時世界最高峰の綺羅星が勢ぞろいしていた。 ワクワクしながら読んだことを覚えている。 いや、サイクルワールドを読んだからではない。 その場で何事かが起こるに違いない期待していたからだろう。 彼のオートバイ、彼女の島のような展開を夢みていた。 若いっていいね。 夢を見られる間は、人生はまだ楽しいに違いない。 ・750F1との出会い
1987頃、 Ducati 750F1と初めて出会った。 ガンマ400で柳沢峠に出かけたその帰りだった。 赤、白、緑に塗り分けられてイタリアントリコローレ カラーをまとっていた。 道端で休憩していた750F1につられて多くのライダーが取り囲んでいた。 わたしもすぐ先にガンマ400を停車させて、 そのやじ馬の輪に加わった。 ライダーの一人が質問していた。 「どうですかドゥカティは?」 それまで、よほどのドゥカティ好きでもない限り、 イタリアのバイクをわざわざ買おうという人は少なかった。 どうですか? とはどうしてドゥカティを買ったんんですか? と同じだ。 性能が良く毎日の通勤、通学、ツーリングなど、 なんにでも使える万能の日本車があるからだ。 そして国内4メーカーがしのぎを削っていた。 かつて数十社もあったオートバイメーカーは 生き残ることができなかった。 陸王、キャプトン、ライラック、トーハツ、etcは 消えていった。 しかし、ドゥカティは空冷Lツインデスモという 日本車にはまったく存在しない特徴を備えたバイクとして 一部のマニアに注目されていた。 一度でもそのエキゾーストノートを聞くと耳に残り 忘れることができない。 まさに至高のサウンドを放つ名器と呼ぶに相応しいものだった。 ドゥカティが日本で本格的にブレークしたのは、 1980年代前半、 マン島TTレースで優勝したことを記念して発売された マイク・ヘイルウッドレプリカ (Ducati 900MHR Mike Hailwood Replica)からだった。
1970年代、
大排気量直列4気筒エンジンを引き下げて、 日本の4大メーカーカーは世界を蹂躙した。 そういう中で生き残ったのは、 ハーレーダビッドソン、BMW、ベスパ、MotoGuzzi、 そしてドゥカッティだけだった。 高性能オートバイの代名詞、 100年の歴史を超えるマン島TTレースで活躍したイギリス・バーミンガム を中心とするオートバイメーカーは消えていった。 ブラフ・シューペリア、ビンセント、BSA、ノートン、AJS、マチレス、 ベロセット、アリエル、etc その後1990年代にトライアンフだけが最新鋭製造設備と 日本製トートバイの製造手法を手本にして復活した。 新開発の水冷3気筒と伝統の空冷バーツカルツインエンジンに活路を見出した。 いずれも日本車に劣らない強烈な輝きを放っていた。 そして生き残るため死力を尽くしてきた。 その750F1ライダーは50歳くらいに見えた。 いまの私と同じくらいだね。 彼は語りだした。 「以前MHR900を走らせていたけど、
この750F1は軽くで良く走るよ。 セルを装備しているしね。 MHR900のときはキックスタートだったので、 まずエンジンをかけるところからして大変だった。 すこし間を置くと、なかなか始動しないんだ」 さらにほかから質問が飛んだ。 「ドゥカティって、壊れませんか?」 やはり出たね。この質問。
いまでもインポートバイクを所有したことがない ライダー、バイカーがよくする質問だ。 「いままで大きなトラブルはないよ。 しかし、キャブが露出しているので、 プラグがかぶることが心配だね。 そこで予備のプラグ2本とレンチを携帯するように しているだよ」 「プラグ交換は簡単だよ。 ほらプラグキャップが見えているでしょ。 万一の場合はプラグの先を掃除してライターの火であぶれば 復活するしね」 プラグがかぶる?
2サイクルバイクでもないのに、 そんなことがあるんだ。 私はそう思った。 別冊モーターサイクリストの追跡シリーズで 読んだのだが、750F1で雨の中を走ると 空冷Lツインエンジンの フロントシリンダーに多く雨水がかかり リアシリンダーとの間で燃焼温度に差が生じて エンジンの調子が悪くなる。 そういった問題を抱えていたようだ。
また、直キャブなので雨水を吸い込むとプラグがかぶる。 851は水冷なのでそんな問題は起きません。 という話だった。 実はクラッチの操作性にも大きな問題を抱えていた。 日本車にはない乾式クラッチだったからだ。 750F1は軽量でセルが付いて馴染みやすいバイクになったとは いえ、以前としてレーシングライクなロードバイクだ。
日本製オートバイのように馴染みやすいものではない。 ・ファンネルだけの直キャブ ・乾式クラッチ ・扱いが難しいLツインエンジン 極低速はエンジンの点火タイミングの間隔が長いので トルクが薄い。そのことででエンストする可能性が高い。 4気筒エンジンの場合は、180度等間隔点火のため、 点火タイミングが狭いので低回転からトルクが出る。 その違いがわからないと、 乗りにくいエンジンという烙印を押されれしまう。 後年のパンタ900SSでは、 キャブをエンジンのVバンクに日本製の負圧式キャブを 2個配置してエアボックスとフォルターを装備した。
これで吸気条件を安定化させた。 雨の中を走っても調子をくずすことは無くなった。 パンタレーサーを起源とする空冷Lツインパンタエンジン をロードスポーツバイクとしてより多く販売するためには必要 な改良だった。 信頼性と完成度を上げる必要があった。 私は750F1の細部を見て、 ドゥカティも馴染みやすくなったものだ思った。 そして私はその場を離れた。 その後、750F1モンジュイと遭遇して、 さらに注目することになる。 その話は下記をクリックする。 ・はじめてのD
はじめてのドゥカティ400F3だった。
白とオレンジの750F1サンタモニカと同じカラーリング。 空冷Lツインエンジン400cc/6速/湿式クラッチ、 デロルト・キャブレター、 ブレンボ製ディスクローター ブレンボ製2ポットキャリパー コンチのマフラー、 マルゾッキフロントフォーク スミスのメーター? オスカムのホイール? どこにも日本製パーツなど見当たらない。 400F3はスロットルを急に開けても加速しない。 また、ピークまで回転を上げてシフトアップするような 走りには向いていない。 5000rpmから6000近辺のミッドレンジで こぎみよくシフトアップダウンさせる走りかたがべストだった。 一度、NSR250Rに並ばれことがある。 私はいたしません。急加速はできません。
と何食わぬ顔をしていたが、 NSRはやる気満々だった。 青信号ととものあっといまに先行された。 F3のエキゾーストサウンドは迫力があるので、 かなり速いバイクだと錯覚するのだろう。 F3のハンドリングだが、 フロント16インチとリア18インチ フロントはクイックに曲がろうとするのに、 リアが追従しない。 リアはでっかいホイールが回っている。 そんな感じだった。 素晴らしいエキゾーストノート。
そのサウンドに聞きほれたベテランライダー がついてきた。 そして一言、
「いい音ですね」 コンチのマフラーから吐き出される空冷Lツインの サウンドはまさに名器の音色だった。 ドドドドド、
1発、1発の爆発が手によるようにわかる。 それがリアタイヤに確実に伝わる感覚がわかる。 すでにガンマ400でリアステアを習得していたので スロットルコントロールしながらバイクコーナリング することが楽しかった。 ガンマ400とは対極にあるバイクだったね。 400F3は湿式クラッチだったの。 クラッチ操作で神経を使うことはんかった。 400F3との出会いは、 まさに異文化コミュニケーションだった。 スロットルを開けても前に進まないで失速する ことがある。 こんなバイクがあるなんて驚きだ。 それで日本製のミクニ、ケイヒン製負圧式キャブレーター がいかに優れたものかを再認識した。 ドゥカティも1980年代後半の空冷Lツインモデルから
採用した。
Ducati400F3. 味わい深いバイクだったが、 速く走らせるにはテクが必要だった。 残念ながら、
F3の真価を見極めることなく お別れしてしまった。 いや、速さを求めるなら2サイクルだ。
やはり、あの1台を考えるしかない。 88の購入を真剣に考え出した。 アルミツインスパーフレームだし、 ワイドなラジアルタイヤを履いている。 しかもGP250マシンと同じNSR250というネーミング が与えられている。 それは1997年秋のことだった。 |
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Vs
1978 Ducati 900TTレーサー
マイク・ヘイルウッドによりホンダRCBを破った。
それは伝説のはじまりだった。
奥多摩最速伝説 「MHR900の伝説」(編集中)
1984年代頃のことだ。
日曜夕方の新青梅街道。 私は平松交差点に差し掛かった。 そのとき、信号待ちしていた赤いバイクを見た。 青信号と同時にドドドドドというという爆音を響かせながら加速する バイクを何度も目撃している。
「なんとも凄まじいエキゾーストノートだ」
しかし、いつまでもその余韻が残る心地よいサウンドだった。
それはドゥカティMHR900だった。 そのときドゥカティというイタリアのバイクメーカーのことは バイク雑誌でその存在を知ってるくらいだった。 日本製オートバイにはないデスモ機構という独自性 で注目を浴びているらしい。 それくらいの知識だった。 そういった想い出を友人に話したところ、
この前近くのコンビニでDucati 900S2を見たよ。
若い子が走らせていたので驚いたね。
あっ、ダブルシートの900SSですね。
私が呟くと、
そうだ想い出した。
そのMHR900だけど、強烈な想いでがあるよ。
と言って彼は語りだした。
そのバイクショップは、 国道16線沿い横田ベースのすぐ近くにあった。 ホンダCB92、CB72、CB750 Four(K0) そして極め付けはホンダの市販レーサーCR110、 その昔のスーパースポーツバイクを数多く展示または販売していた。 仮にDとしておこう。 店主のDはいった。 「おもえ達は奥多摩では俺たちが一番速い」 そう言ってるんだって? RZ250を走らせるHRは、
「いや、それほどでもないです。
でも、抜かれたことは一度もありません」 そうきっぱりと言い切った。 ほう、それはえらいこと(どえらいこと)をいうね。 それなら俺がそれを確かめてやろう。 俺も抜かれたことなんて一度もないよ。 HRは、 このおやじ、 ふかしているんじゃないよ。 口だけは達者だね。 俺たちは奥多摩3連星だ。
目にもの見せてやる。 そしてバトルツーリングに出掛ける日を約束した。 その朝、HRは仲間とともに、 奥多摩湖畔の大麦代園地駐車場で待っていた。 そこにドドドドという図太いエキゾーストノートを 響かせながらやってきたのがDucati MHR900だった。 全身黒のワンピースの皮ツナギにシルバーのジェットヘル をかぶっていた。 ヘツメットは新しいが、 昔ながらのアサマスタイルだ。 Dはいった。
今日は3人か? なら出かけるとするか? 俺も久しぶりだから最初はゆっくり行こうや。 HRは、これが噂のMHR900か? はじめてみたよ。 でも、あんな重いバイクにRZ250が負けるわけがない。 お手並み拝見と行こう。 最後にとどめを刺してやるさ。 メンバーはいつもの白と黒のRZ250とCB400Fの 奥多摩3連星。 最強のバトリストたちだ。 そして今回のターゲットである、 Ducati MHR900を走らせるD。 まず奥多摩から柳沢峠を越えて山梨県塩山市まで軽く流した。 お互いの力量を値踏みするためだ。 Dは考えていた。 やつらはまだ若いぼくちゃんたちだ。 怪我でもしたらわいそうだ。 軽くあしらってやるくらいにしよう。 俺の速さについてこれるはずがない。 そう高をくくっていた。 しかし、Dは再び考えた。 やつらの走りを見ていると、 以外とやる。 侮れない。 それと同じことをHR/RZ250も考えていた。 おやじのくせに、 ビックバイクなのに意外と速い。 国産空冷4気筒ビックバイクの連中とは違う。 侮れない。 そして塩山市内の食堂で早い昼食をとった。
Dは饒舌だった。 すでに牽制しているかのようだった。 帰りの柳沢峠までのバトルで本気を 見せてやるから覚悟しておけよ。 お前たちも本気で襲いかかってこい。 HRは目を合わせないように天井を見つめていた。 わかりました。 そう答えたが、 そういう高圧的な物言いに腸わたが煮えくりかえっていた。
見てろよ。 目にもの見せてやる。 吠え面かくなよ。 いよいよ本気のバトルがスタートを切った。 塩山から柳沢峠頂上までのマウンテンコースだ。 平たんな道ばかりではない。 最初の道は整備されているので、 ストレートと高速コーナーが続く。 その後、スイッチバックのようなコーナーと 山の中のラフロードが続く。 最初はジャブの応酬というか、 ペースは速いが抜きつ抜かれつだった。 お互いの得意な場面を見ているようだった。 お互い、こういう本格的なバトルは初めてだった。
いままで出会った相手とはレベル差があったので すぐに決着がついた。 瞬間的に速く走ることはあっても、 いつもは7分から8分の力で走っていた。 今回は違う。 柳沢峠頂上までの長いバトル・ヒルクライムだ。 バイクとライダーの限界が試される。 サーキットのように同じコースを周回する こととも違う。
それを見切ったDは、 いきなりペースアップした。 やつらはコーナーインのブレーキングはそれほどでもないが、
コーナーが速い。 立ち上がり加速で差を付けて ベベルギアLツインを限界の7,500rpm(80Ps) まで目いっぱい回して逃げ切るしかない。
そういったDの走りに驚いたHR/RZ250だった。 ブレーキが強力だ。 また、ストレートでは追いつけない。 なんとかコーナーで差をつめることができる。 しかし、立ち上がりでまた差を付けららる。 その繰り返しだ。 しかし、どうしてあんなにブレーキが効くんだ。 そして素早い切り替えしと鋭い加速。 いままで見たことがないほどバンクさせている。
完璧なリーウイズライディングながら、
バイクをタイヤの限界まで寝かしてサイドカウルを擦っている。 マイク・ヘイルウッドを思わせるリア・ステアライディング
だった。Lツインは幅が狭いので、 そんなことができるのだろう。 いままで出会った国産4発のライダーとはまるで違う。
彼らはクランクケースカバーがサイドに張り出しているので、 バイクをバンクさせるにしても限界がある。 ビックバイクのドゥカティがそこまで俊敏に動けるなんて驚きだ。 MHR900は驚くべき速さを持ったバイクだと悟った。 しかし、ぎりぎりまでブレーキを我慢して
コーナリング区間で差を詰めれば、...... HRはタンクに上半身を伏せてハングオフ、
リアアタイヤを中心としたリアステアでRZ250を
走らせていた。
それはケニーロバーツのライディングスタイルだった。
この当時はフロントタイヤのグリップに頼ったライディング
は不可能だった。
そういうバイクだった。
、...............
あれあれ、
RZ250の水冷2ストパラツインをトップエンドまで回し続けて いるせいなのか?
水温がまったく下がらない。 パワーダウンしている。 また、リアサス(モノクロスサス)の動きが悪くなってきた。 リアサス内のオイルがヒートしているのか? *1980年代初期のバイクを限界まで酷使すると、 あちこちに耐久性のなさが露呈する。 だめだ。 CB400Fは鋳鉄ディスクだからまだ余裕がありそうだが、 RZ250のブレーキはそろそろ限界だ。 握りがスポンジーになってきた。
熱だれしている。
、............... Dは驚いていた。
ここまで俺に追いすがるバイクなんていままでいなかった。 俺もそろそろ限界だ。 ブレーキをかける右手が限界だ。 コンチ製マフラー、 ブレンボ製「ゴールドライン」レーシング・キャリパーと 穴開け加工された放熱性に優れる鋳鉄ディスク、 カンパニョーロ・マグホイールに履かせたピレリ・ファントム じゃなかったら、 、.............. だめだ。
MHR900の空冷デスモLツインを
トップエンドまで回したとき、 だんだんとパワーダウンしている気がする。 いままでこんなに回し続けたことはない。 冷却が追いついていないのかもしれない。
オイルは20W−50のバルボリンを入れているのだが、
せめてタペット調整をしてくるべきだったかもしれない。
*当時のバルボリンは北米ペンシルバニア産の鉱物油。
グリーンオイルと呼ばれていた。
いまのように全化学合成のハイグレードオイルはまだない時代
だったが、
その油膜と耐久性は最高級グレードだった。
ピレリ・ファントム(バイアス)は強力なグリップを約束して
くるが、このバトルで熱ダレしているのか?
グリップが低下している。
*最近のラジアルハイグリップタイヤは熱だれなんかしない。
むかしは違いましたね。
最後は山間部のラフロードにオーバースピードで 突き刺さりそうになったが、
なんとか持ちこたえてクリアした。 その先に柳沢峠の茶店が見えてきた。 そこでゴール。 なんとか奥多摩3連星の3台を抑えきった。 しかし、薄氷を踏むような勝利だった。 Dは思った。 二度とこんなバトルはやりたくない。 やつらのバイクにもっとパワーがあったら、 ダブルディスクを装備したRZ350だったら勝てなかった かもしれない? これでは1973年のイモラ200と同じだ。
ヤーノ・サリーネンが走らせたヤマハTZ350に勝利を 奪われた。 Ducati 750SSの2連覇を阻まれたんだった。 このときから2サイクルバイクとの恩讐が始まった。 ドゥカティ・デスモ機構の生みの親ファビオ・タリオーニは、 2サイクルエンジンを消防用ポンプとなんら変わらないと 言い放って忌み嫌った。 エンジンとして美しくない。 Dはいった。 お前たちはよくやくやった。 さすがに奥多摩最速の3連星だ。 認めるよ。 バトルにはからうじて勝ったが、
Dの気持ちは敗北感でいっぱいだった。
俺の時代は終わった。 もはや速さににこだわわってもしかたがない。 そう心のなかで呟いたDだった。 この内容は当時奥多摩最速のHR/RZ250さんからの
聞き取り調査をもとに小職がアレンジを加えてストーリーとした。 時は1981年または82年頃のことだ。 団塊の世代と新人類と呼ばれた世代の激突。
世はバイクバブルに浮かれて沸騰していった。
バイクとそれを走らせるものたちも、
ゴールのない道を突き進んでいた。
Year
1979-82 Max Power 80 hp @ 7500 rpm Front Tyre
100/90 V18 Rear Tyre 120/90 V18 Dry-Weight / 202 kg Standing ? Mile 12.5 sec / 109 mph Year
1980-81 Max Power 35 hp @ 8000 rpm Front Tyre
3.00-18 Rear Tyre 3.25-18 Wet-Weight 139 kg |
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奥多摩有料道路時代のことだ。
それは1980年代前半から後半にかけて のことだったそうだ。 奥多摩有料道路内の月夜見第一駐車を下りヘリポートの先の 道路際に小さな駐車場がある。 いまも桜をめでることができるポイントとなっている。 当時、奥多摩最速と自認するHRSさんによると、 そこに移動式カフェHMRが出ていた。 走ることに飽きたころ、 そこで紙コープに入れて出されるコーヒーを飲んでいたそうだ。 「250円くらいだったかな?」
本格的なドリップコーヒーだったので、 それが非常にうまかったよ。」 また、
たまにそこでカップラーメンを食べていたそうだ。 奥多摩の水は旨いことで有名だ。
それで淹れたコーヒーとカップラーメンはさぞかし 美味しかったことだろう。 それが奥多摩有料道路を攻めた後の楽しみだった。 いまから30年近く前の話だ。 いまの奥多摩周遊導路では、 食品衛生上、または消防法のしばりがあるためか? そういう出店は許可されていないようだ。 また、 その近辺には、有名な「便所コーナー」があったそうだ。 いま、この2つの名所/名物は存在しない。 奥多摩有料道路を懐かしむライダーの記憶 のなかにあるだけだ。 そのカフェHMRだが、 JR奥多摩駅近辺でログハウス風の店構えで 営業を続けている。 さて、今回はVTR1000SP2のことと、 昔奥多摩有料道路を走らせていたヤマハTZR250R−SPの 話をしたいと思う。 先日オーナーさんにお話をお聞きした。 いまはホンダVTR1000SP2(ガンメタ)でツクバを攻めている。 サーキット走行を楽しんでいる。 タイヤはピレリ・ディアブロ・スーパーコルサV2を履いている。 前後サスペンションはスクデリアオクムラでチューニングしたが、 さらなる向上を目指して川崎にある有名なOR&Dでリセッティング をしてもらったそうだ。 リアはオーリンズサスと交換されている。 ナン:
VTRさんお久しぶりです。 あいかわらずVTR1000SP2を走らせていますか? ツクバを攻めていますか? VTRさん もちろんです。 いまも絶好調です。 しかし、先日富士SWを走ったときのことですが、 ロングストレートでBMW S1000RRに一瞬で抜かれたので 悔しい思いをしました。 ナン、 えっ、そうだったったんですか。 それってどんな感じ? 抜かれるとしたら1.2kのロングストレートですよね。 その後半ですか? VTRさん いえ、前半部分で一気にいかれました。 私のVTRはノーマルで130psですが、 アクラボのフルエキを入れているので、 トップエンドでパワーアップしているのですが、 S1000RRは200ps近いですからね。 それはもう呆気にとられました。 ナン: BMWは、 あの秘密のスリックモードだったのでしょうか? VTRさん それは間違いないでしょう。 簡単なハーネス交換だけでフルパワーに出来るそうです。 あのバイクにはGSXR、CBR、YZF−Rでも 勝てませんよ。 勝負になるのはフルパワー化したZX10Rくらいかな? ナン:
それではVTRから乗り換えを考えるきっかけ になったとか? VTRさん: いえ、それはありません。 乗り慣れている。 一番パフォーマンスを引き出すことができる SP2から降りるつもりはありません。 速いバイクに乗り換えたとしでもタイムアップできる、 楽しいとは限りませんから。 ナン: そうですね。 私もそういう話をよく聞きます。 いままで走らせていたバイクではこれ以上タイムアップ できそうにもないので、 よりパワーのあるバイクに乗り換えたのだが、 かえってタイムが落ちてしまった。 まったくパワーを生かせなかった。 以前のバイクと同じように乗ろうとすると、 パワーがある分、 すぐにコーナーが迫ってくる。 ブレーキングを同じようにできない。 そういう話を聞いたことがあります。
ワインディングでは排気量アップしたミッドレンジのトルクにより 以前のバイクよりも速く走ることができる。 コーナーの立ち上がり加速も強力だ。 ラジアルマウントキャリパーにより ブレーキは強力になっている。 別の友人はワインディングを走るネーキットバイクと サーキットを走るバイクを別に所有している。 サーキット用は灯火類を取り外してレース用カウルと交換 している。 サーキットにはそのレーサーと工具をワゴン車に積んで運んでいる。 純粋にサーキット走行のみを楽しんでいる。 私が思うに、 身の丈にあった、 自分にとって能力を引き出せるバイクのほうが 楽しく走らせることができるかもしれない。 そう思うけど? ナン: ところで、 ホンダのV4スポーツバイクが出たらどうしますか? RC213Vレプリカ、 RSV1000Rという名前でミラノショーにでてきそうですが? VTRさん: その話はさんざん聞いていますが、 ほんとに出てくるのでしょうか? でも、常識的なSSの販売価格でないと買えませんね。 ナン: 一説によると1500万だそうです。 VTRさん それじゃ初めから話になりません。 遠い世界のことです。 私には関係ありません。 ナン: そうですよね。 いまのCBR1000RRのシャーシに 新開発のV4エンジンを載せて常識的な価格 でだしてほしいものです。 それでは話を変えましょう。 VTRさんはバイク歴は長いそうですが、 印象に残るバイクのことを教えてください。 VTRさん: それはヤマハTZR250ですね。 ナン: RZ250Rから改良されたパラレルツインエンジンを アルミデルタボックスフレームに搭載した初期型(1KT)、
後方排気となった2代目(3MA)、 90度Vツイエンジンンとなった3代目(3XV)
とありますが、
どのモデルを走らせていましたか? TZRさん(VTRさん改め):
全部新車で購入して走らせました。 ツクバを走らせるために赤本を基本に してパーツ交換とメンテナンスを行いました。 奥多摩有料道路も当然走らせています。 ナン: 赤本とは、 おそらくRCスゴウ・レースキットマニュアル のことだと思われる。 TZRさん: 初期型はフレームが弱かった。 ナン: えっ、アルミデルタボックスフレームなのに 弱いのですか? TZRさん: そうなんです。 ノーマルでは、高速で1XX以上出すフラフラします。 ノーマルでワインディングを走らせるくらいなら フレームが適度にねじれて良いのだと思います。 ナン:
でも、当時東京都心のバイクショップと KY氏がツクバで活躍していますよね。 TZRさん それはRCスゴウのレースキットを組んで、 赤本に従ってフレームの補強を行っているはずです。 おそらくRCスゴウの強化スイングアームを 入れているはずです。 そのあたりのことは赤本を基本にしてメンテナンス しているはずです。 ナン:
そうなんですか? はじめて聞きました。 1986年当時最速のTZR250(&初期型ガンマ250)が
奥多摩有料道路に出没していたそうだが、 もしかしたらTZRさんのことなのかも? 奥多摩有料道路最速を自認するHRSさんの話によると、 やつらはサーキットでも速い連中なので、 我々、奥多摩有料道路の常連とはレベルが違った。 でも、いつもやってくるわけではない。 そういうときはサーキットを走っていたのだろう。 今度聞いてみたいと思う。 話をもとに戻す。
それで次の後方排気は? TZRさん: エキゾーストサウンドは最高でしたが、 その走りはピリっとしませんでしたね。 エアボックスからキャブまで伸びるインダクションチューブ に問題があるようですね。 直キャブも試してみましたが、 いけません。 まったく走らなくなります。 ナン; 後方排気の後期型はどうですか? キャブの口径を小さくして倒立フォークと 入れ替えるなど、 いろいろ改良の手を加えていますが? TZRさん:
残念ながら所有していないのでわかりません。 V型エンジンの噂が広まっていたんで、 それを待つことにしました。 ナン:
次が3型。 90度Vツインエンジン搭載モデルですね。 TZRさん そうです。 それまでTZRに乗り継いできたので、 最強のTZR250Rに乗ろうと思い 1991年型のSPモデルを購入しました。 ナン:
レーサーTZ250の技術をダイレクトに反映した モデルですね。 パワージェット付大口径キャブ。 4ストのFCRキャブのように
トップエンドで燃料をドバっと吐き出す??? *ちょっと違うかな?
などなどプロダクション レースに参戦するためのベースモデルということですが? 「TZR250R SP」が'92モデルとして500台限定で登場。
TM36パイキャブや、乾式クラッチ、クロスミッション、
フルアジャスタブルショックなど、専用設計を多数装備。
TZRさん それに加えて、 メッキシリンダーを採用しています。 例によって赤本を基本にしてチューニングしました。
キャブはファンネル内周のインシュレーター(リフター)を 取り外しすと口径アップするのでパワーアップします。 プラグは8番のレーシング。 1000kしか持ちません。 メインジェットとパイロットジェットを若干絞って 燃調を薄くしました。 焼き付きがこわいので、 ヘッドカバーを開けてシリンダーの具合をよく見ていました。 パワージット、メイン、パイロット、スローを 微妙にセッティングしてきれいな吹け上がりを実現することが 難しかったねすね。 2サイクルオイルは混合用のモチュールです。 一番高いやつです。 ナン:
有名なカストロールのR30は使ったことはありますか? あの粘度は強力らしいですね。 TZRさん: R30ですか? 使ったことはありません。 あれはレースのときだけに使うもので、 使用後タンクから混合ガソリンを抜かないと すぐに腐るという話を聞いていました。 タンクに入れておけませんね。 そのほかにも、 2サイクルポンプを取り外して混合仕様に改造。 キックペダル機構を取り外して押しかけ仕様に改造。 エンジンに接続される余計なものを取り去ることで若干ですが パワーアップします。 公道を走るTZ250のようなバイクになりました。 そういった改造を行うことで、 スロットルを開けるだけで 即座にウイリーするモンスターになりました。 あるとき友人に貸したら驚いていましたよ。 ナン: 凄いTZR250Rもあったものですね。 TZRさん: まだまだ話のネタを尽きません。 ナン: そのあたりのことは、 また次回お聞かせください。 前後サスセッティングは? そのとき履いていたタイヤ(ライディーン?)は? ツクバを走ったのか? TZR250R−SPのその後は? また、VTR1000SP2の現状のことも 教えてください。 今回はありがとうございました。 ではでは// |



