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1981 RGガンマ500(XR35) /マルコ・ルッキネリ
1982 RGガンマ500(XR40) /フランコ・ウンチーニ 1983 RGガンマ500(XR45) /フランコ・ウンチーニ
奥多摩最速伝説 ガンマ400の憂鬱
さて、その当時の悩みは、..... 私は奥多摩を下っていた。 ガンマ400は下りのタイトコーナーが面白かった。 得意だった。 クイックに曲がるからだ。 長めのホイールベースで直線安定性を確保していたが、
小径フロント16インチ、細いリアタイヤ、柔軟性のある アルミフレーム、そして重心が低いスクエア4エンジンより その軽快な特性が作り込まれていた。 おそらくエンジンの重心が低いとちょっとしたアクションで
バイク反応するからだろう。 また、エンジン搭載位置が低く後ろなので、 ダイレクトにリアタイヤを押し出す性格もその走りにプラスした。 それが意図して作り込まれたものなのか? いまとなってはわかならい。 しかし、1976年〜82年までの7年間、 GP500メーカータイトルを獲得したスクエア4と RGガンマ500レーサーのシャーシを基本にしているので、 その素性の良さを身に着けていた。 そう考えるのが妥当だろう。 RGガンマ500レーサーは、 ライバルのアウトインアウトの常識的な走法に対して、 インインインでコーナーを回ったほうが サーキット一周の走行距離は短い。 タイムを短縮できる。
そういう考えにより開発された。 徹底的な軽量化とコンパクト化。 フルフローターサスペンションの進化、
18インチフロントタイヤを止め16インチフロントタイヤで
クイックなハンドリングを狙う。
などなど次々に新たな機能が盛り込まれた。
その結果、
マルコ・ルッキネリ(1981:スチールフレームのRGガンマ500) とフランコ・ウンチーニ(1982:アルミフレームのRGガンマ500) ら二人のイタリアンライダーにより2連連続GP500チャンピオン を獲得した。 翌1983年シーズン、 ライバルは新型エンジンを搭載したバイクの熟成に成功した。 ホンダ(広角112度V3+アルミフレーム+前後16インチタイヤ) とヤマハ(V4+セミモノコックフレーム (デルタボックスフレームの始祖))に支配された。
スペンサーとロバーツで勝利を分け合った。 RGガンマ500は1勝も出来なかった。 歴史の転換点だった。 話をもとに戻す。 スピードが低いタイトコーナーでは、 いつもリーンアウトで右に左に切り返していた。 それでクイックに軽快に曲がる。 また、無意識に逆ハンをきっていたと思う。 そのとき、スクエア4エンジンをミッドレンジで回していても、 粘るような、フラットなトルクによりそういう走りを可能 にしていた。
4ストのような余計なエンブレは存在しない。 ガンマ400で走る下りのタイトコーナーが連続するコーナー が面白かった。
ちなみに、 水平対向6気筒エンジンを搭載したホンダ・ゴールドウイング もでかい図体のわりに軽快なハンドリングだそうだ。 その秘密はエンジンの重心が低いかららしい。 そして古里の信号を右折して吉野街道に入った。 ここは長いストレート、高速コーナー、S字コーナーなど タイトコーナーが続く走路よりも より速いスピードの走りを楽しむことができる。 問題はここからの走りだ。 直線では2速/9000rpmまで回して ガンマ400の驚速ともいえる加速を楽しんでいた。 そしていまは新奥多摩大橋がかかる高速コーナーに差し掛かった。 3速で行くべきか? それとも2速で行くべきか? 今回は3速を選んだ。 スピードを落とし高速右コーナーに進入した。
このときリアブレーキは使わない。 フロントのみで減速した。 当時のトルクロット付きリアブレーキを信用できなかったからだ。
ガンマ400の前に走らせていたGSX−R400で怖い思いをしたことがる。 そんなに強く踏んだわけでもないのにリアタイヤがロックして、 いや、リアサスが縮まったたまま元に戻らないためか? 20mくらいスネークしたことがあるからだ。 それがトラウマとなって長い間リアブレーキが使えなかった。 初期のフルフローターサスペンションに問題があったからかも しれない。 ガンマ400のサスは改良されているらしいのだが、..... いまはリアブレーキが使えないと困る、 全制動、姿勢制御、濡れた路面などで使用するからだ。 ガンマ400はフロントブレーキしか使わなかった。
お尻をりシートストッパーまでずらしてリーンイン。
すでにコーナリング体制に入ってる。 長めのホイールベースながら、 フロント16インチタイヤによりクイックに向きを変えが可能だ。 しかし、フロントに必要以上の面圧をかけないようにする。 タイヤの接地面積が狭く安定しないため、 スリップダウンする可能性があるためだ。 つまりフロントタイヤは向き変えのきっかけに使うだけで、
コーナリングフォースを高めるためには使えない。 スキーのストックみたいなものだ。 当時の16インチバイアスタイヤはそんな困った性格だった。 今回こそ理想のコーナリングを成功させたい。 しかし、タコメーターの回転はすでにパワーバンドから 外れている。 かまわずスロットルを絞るが3速では回転が上がらない。
リアタイヤに充分なトラクションがかからない。 だめだ、このままでは曲がれない、....... いつもこんな調子だ。 どうしてタイヤがグリップしている感覚が希薄なんだ。 3速では回転が下がりすぎて有効なトラクションがかからない。 そのためコーナリング・スピードを上げられない。 2速でパワーバンドに入れると、 パワーがかかりすぎてリアタイヤが滑りそうだ。 そのぎりぎりの線でスロットルコントロールすることが必要だが、 当時の私のスキルでは無理だった。 やはりパワーバンドの下の回転域では速さは取り出せない。 結局、2速でも3速でも速く走れない。 高速コーナーは適当なスピードでやり過ごして、 出口でスロットルを大きく開けるしかない。 その原因はガンマ400のパワーバンドが7000rpmから
9000rpmのまでのわずか2000rpm しかないことにある。 それを下回る回転では有効なトルクを発生しない。 しかも3000rpm付近の燃焼が悪い。 スクエア4エンジンの特徴は、 180度点火間隔の同時爆発(1番と4番、2番と3番の交互) エンジンのため、その加速は強烈だった。 そういう性格なので、 パワーバンドそれ以外では違いが大きすぎた。 まるでスイッチがオンオフするような感じだ。 180度点火間隔の同爆エンジンとは、 スズキとヤマハが2サイクルスクエア4またはV型4気筒エンジンで 採用したテクノロジーだった。 1990年、ホンダは長らく90度等間隔点火のエンジンを 使用してきたが、この年に180度同爆エンジに転換した。 エンジン特性でタイヤのグリップ、トラクションを獲得したい からだった。
その後1992年にビックバンエンジン(不等間隔爆発)を生み出す 原動力となった。 話をもとに戻す。
ガンマ400はパワーバンドから外れると本来のパフォーマンスを 発揮できない。 90度Vツインエンジンと同じく(理論上の1次振動が ゼロ)振動はきわめて少ない。 4ストのようなエンブレはないのでフロントブレーキに強力な 制動力がないと止まれない。
いや、市街地を走るトルクがないのではない。 1速でスロットルを開ければ普通に加速する。 そして2速で巡航できる。 スピードが低いタイトコーナーが連続するシチュエーションでは、 ガンマ400を走らせることが楽しかった。 エンジンのパワーバンドを使ってハイスピードコーナリング しようとすることが非常に難しいということ。
また、ガンマ400のフラットバルブ式強制開閉キャブでは なおさらなだ。 4ストバイクに装着の負圧式キャブブレターのように吸気の流速 を負圧ピストンが自動的にコントロールしてくれるわけではない。 あくまでもキャブのスロットルバルブは、 右手でコントロールすることが鉄則だ。 それはどんな2サイクルバイクでも同じだ。 ガンマ400のエアボックスはステアリングヘッド直下にあり、 そこからキャブまで長いインダクションチューブが伸びる。 これにより安定した吸気を提供している。 トップエンドのパワーだけを考えた場合、 ストレートに吸気したほうがパワーは出る。 しかし、ファンネルだけの直キャブだった場合、 外部環境の影響を受けやすく4個あるキャブの吸気条件を そろえるのことは難しいだろう。 雨の中を走行したら、 一発でプラグがかぶることは火を見るよりも明らかだ。 RGガンマ500レーサー、RGB500市販レーサーの場合、 サーキットの気象条件やコースレイアウト合わせて そのつどキャブセッティングすればいいので直キャブ ファンネルだけで大きな問題にはならない。 スクエア4エンジンのロータリーディスクバルブ吸気機構は
キャブセッティングがやりやすかったそうだ。
バイクのべースセッティングさえしっかりしていれば容易に
性能を引き出すことができる。
1982年にGP500チャンピオンを獲得したフランコ・ウンチーニ は、その2年前に市販レーサーRGB500を走らせていた。
相棒のベテランメカニックはメンテナンスマニュアル通りにマシン を組み立てて、ベースセッテンングを施し、後は調整範囲内だけ
でバイクセットアップした。
自分の考えでバイクを改造することなどしない。 ノーマルバイクの性能を100%引き出すことに集中した。 このマシンで2位表彰台1回、3位表彰台2回を含む50ポイントを 獲得してランキング4位に輝いた。
RGB500はそれほど完成されたバイクだった。 ガンマ400/500はその素性の良さを受け継いでいる。 完成度の高いバイクを作り上げることは、 一朝一夕の短い期間で出来ることではない。 雨の日、晴れの日、猛暑の夏、寒い冬、高地など、 さまざまな環境で走るロードスポーツバイクでは、 エアボックスと吸気フィルターを取り付けて安定した 条件を与える必要がある。 また、4個バラバラに離れたキャブレターの同調を いかにとるかも大きな問題だった。。 それでいて高いトップスピードを出せる ようにしなければならない。 そんなことは直キャブでは不可能。 ガンマ400/500の場合は、
さまざまな条件で走りぬくためのセッティングだったので、 計測された最高速のデータがばらついているのは、 そんな要因が考えられる。 エアフィルターからキャブまで行程が長いが、 1980年代の設計はそれが最良だった。 しかし、ガンマ400のインダクションチューブの口径が 小さく、それが長いということで低速トルクを増強する効果
があったと思われる。
それで市街地でも走れるエンジンとした。 そういうこともあり、
市街地やワインディングでは4、5、6速は使わない いや、使えない。 いつも2速と3速を上げたり下げたりすることになる。 一度でいいから6速をフルに使ってみたい。
それが当時の願望でもあった。 それは高速道路上でスピードを出さないと可能にはならない。 しかし、直線でスロットルをワイドオープンして高回転まで 回すと、スクエア4エンジンの威力により強烈な加速を味合わ
せててくれる。
これを知ってしまうと、味わうと4サイクルエンジンの加速は ものたりない。
当時私はガンマ400という劇薬を通勤で毎日服用していた。 もっとグリップの良い太いリアタイヤだっら、 3速でハイスピードコーナリングできたら、...... 2速から3速にシフトアップしたとき、
もっと高い回転を使えるようにすれば 有効なトルクを引き出せせる。 そのためには、 リアのスプロケをロングする。 もっと太いリアタイヤを履かせてパワー負けさせない。 フロント120−80/16、 リア140−70/17を履かせたことがあるが、 それを使いこなすことは当時の私には無理だった。 セッティングもできない。 いまでもガンマ400のことを考え出したら
キリがない。
当時は悩み抜いていた。 最近読んだオートバイ雑誌を読んで気が付いたことがある。 エンジン搭載位置が低く後方に搭載されていると、 バイクを前に押し出す力が違う。 そういうバイクの加速は気持ちが良いそうだ。 想い出してみると、
ガンマ400の場合もエンジン搭載位置は極めて低く 少し後ろに配置されている。 そして180度点火の同時爆発(1番と4番、2番と3番)の スクエア4エンジンにより、 その体感加速は想像を絶するものがあった。 ガンマ400の加速の気持ち良さとは、 そういうことなんだと思う。 そして直進安定性は長めのホイールベースで確保している
ようだ。 大排気量4サイクルバイクではけして味わえない フィーリングだ。 フロント16インチタイヤを最大限に生かす
フレーム設計
ガンマ400のフロントタイヤ、
軽快でよく動くフットワークを身につけていた。
それは当時最新鋭の16インチフロントタイヤを履いて
いたことが大きな要因だ。
国内、海外を問わずオートバイ業界全体が16インチブームだった。
しかし、ガンマ400の場合は少し事情が違う。
RGガンマ500グランプリレーサーと同じフロント周りを再現
する意図があった。
驚くべきことにガンマ400は、
キャスター角は23.35度、トレールは102mmとなっている。
いまのスーパースポーツバイク並にキャスターが立っている。
ライバルメーカーバイクの16インチタイヤの場合、
キャスター角は26度または27度と寝かされトレール量も短い。
16インチタイヤは小さく不安定なので、
それで安定成分を稼いでいた。
初代RGガンマ250の場合もキャスター角(28.45度/102mm)
はかなり寝かされている。
これはフレーム剛性が低いことが影響していたかもしれない。
しかし、ガンマ400のキャスターは異常なほど立っている。
そこでフレーム前部をアルミキャスティングパーツとして、
フレーム剛性を高めてフロントタイヤの効率を最大限
生かす設計にしたのではないだろうか?
フレーム剛性が弱いとフロントタイヤの効率は落ちる。
フロントタイヤのグリップが路面に伝わらない。
そういう狙いがあったに違いない。
このことでガンマ400の16インチフロントタイヤが軽快で
よく動く特性を最大限に作り込んでいたと思われる。
しかし、もっと限界の高いタイヤだったらよかったのだが、....
120−80/16インチサイズのバイアスタイヤを履かせた
ことがある。
ノーマルタイヤと比べて随分限界が高くなったような印象
を受けたことを覚えている。
しかし、これ以上は、......
フロントフォークが細いので、
これが限界かもしれない。
ライバルのRZV500R、NS400Rのキャスターは寝かされている。
それで安定成分を与えている。
もともとホイールベースが250ccバイク並に短いこともあるだろう。
ガンマ400のホイールベースは、1425mmと長い。
ライバルよりも40mmから50mm長い。
ニワトリが先か?
タマゴが先か?
グランプリマシンのようなキャスター角をロードバイクで
再現しようとすると、
とてもまともに走れたものじゃない。
そこでフレーム剛性を高めた、ホイールベースを長くして
安定成分を作り出したのかもしれない。
ちなみにガンマ400のフロント16インチタイヤの外形サイズは、
RGガンマ500グランプリマシンのフロントタイヤの外形とほぼ同じ。
そこまで徹底したリアルレプリカだった。
その当時、
トラクションという言葉を初めて聞いた。 リアタイヤをグリップさせることを言っているようだ。 スロットルコントロールでリアタイヤをグリップさせて バイクをインに向けさせることを言っているようだ。
低回転で大きくスロットルを開けてその立ち上がりトルクで タイヤをグリップさせることのようだ。 しかし、ガンマ400では難しい。
まるでスイッチオンまたはオフしかないようなエンジン特性
だからだ。
低回転では充分なトルクを取り出すことができない。
そういうとき、
そのトラクションコントロールが得意なバイクがある ことを知った。 それはイタリアのドゥカティ750F1だった。 バックンンバー
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奥多摩最速伝説
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詳細
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奥多摩最速伝説 「RZV500Rの伝説」
1983年東京モーターショーでデビューしたヤマハRZV500R
![]() 憧れのバイク。
それはRZV500R。
いまから30年も前にもなるかな?
私はあるときコンビニでオートバイ雑誌を手に取っていた。 「RZV500Rのすべて」 それはヤマハRZV500Rを全面的に特集した一冊だった。 海外のオートバイジャーナリストによるインプレッション
その頃全日本ロードレース選手権で活躍してた平選手のショート インプレッション。 RZV500の詳細が紹介されていた。 東京モーターショーでデビューしたことは知っていたが、
「これはまるGP500マシンのようじゃないか?」
こんバイクが発売されるなんて、 まるで夢のようだ。 それからRZVは忘れることができない1台として いまも私の中に棲み続けている。 夕闇迫る中、
私はRZV500Rを走らせていた。 場所はいつもの名栗のワインディングロード それまでRGガンマ400を走らせていたので、 その走行フィーリングの違いを確かめたいと思っていた。 2サイクル4気筒エンジンながら、 スクエア4のガンマ400とV4を搭載したRZVに どんな違いがあるのか? バイクを押し引きすると重い。 やはり重量の違いは歴然としていた。 また、RZVを走らせてみると、 右に左に切り返すキレはガンマ400と比べて一歩遅い。 しかし、バイクを走らせたときの安定感はRZVのほうが優れている。 RZVは重心が低くどっしりとしていた。 フロント16インチタイヤながらそのクセがない。
全体的に安定した走行性能を感じることができた。 ・2サイクルV型4気筒エンジン
エンジ本体がやけにうるさい。
スロットルを開けたとき戻したとき、 ガッガッガとエンジン内部からバックラッシュ音が聞こえる。 衝撃が伝わってくる。 もともと吸気方式が違うフロント2気筒とリア2気筒をギアで 連結することで、2軸構成のV型4気筒エンジンに仕立てている
そので構造上いたしかたがないことだ。 YZR500の場合も従来の直列4気筒から、 スクエア4、V4エンジン開発を試行錯誤していた時期なので、 完成されたエンジンに熟成されるまでしばらく時間がかかった。 いや、レーサーのエンジンはロードバイクにみたいに御しやすい ものではない。
エンジン本体の耐久性は大丈夫なのだろうか? と思わず考えてしまう。 ガンマ400では、こんなバックラッシュは発生しないので、。 余計にそのことが気になった そのV4エンジンだが、 鋭い加速というよりもゴーっと勇ましく加速する。 1速がハイギアードなので長々と半クラを当てる必要がある。 そのため信号スタートの加速もそれほどでもない。 市街地で使うギアは1速と2速が中心だったと記憶している。 3年連続GP500チャンピオンのケニーロバーツが走らせた 1982年型YZR500(OW61)。 はじめて開発された2サイクルV型4気筒500ccを搭載していた。 RZVのV型4気筒エンジンは、
そのエンジン構成を受け継いでいる。 フロント2気筒とリア2気筒でそれぞれクランクシャフト
を持つ2軸構成。 それをメインシャフトとギアで連結したものだ。 Vバンク角は、YZRの40度に対して50度に広げた。 そのVバンクの中にキャブレータ、マニホールド、エアボックス
などの補機類とバランサーシャフトなどを配置するために必要
なことだった。
RZVのV4エンジンは、 YZR500のフィロソフィーを受け継いでいる。 ・ベンチレーティッドディスクブレーキ
当時最高の性能を発揮するものだった。
それをフロントに2枚、 リアに1枚装着していた。 エンジンブレーキの助けが得られない2サイクルで
より高い制動力を確保するため RZ350のダブルディスクよりも高性能なものを装着した かったのだろう。 YZR500には制動力が高く放熱性の高い鋳鉄ディスクを使用 したいたようだが、すぐ錆びるのでロードバイク向きではなかった。 なお、フローティング・ディスクや4ポットキャリパーなどが登場
するのはまだ先のことだ。 しかし、当時の私にはその良さがわからなかった。
ブレーキのタッチと効きはいまいち。 ベンチレーティッドディスクブレーキは、 あまり高性能だとは思わえなかった。 ハイスピードからの制動力、それを繰り返したときに 威力を発揮したのだろう。 私のライディングスキルでも、 SBSパッドに交換したら初期から制動力向上したと思う。 また、このベンチレーティドディスクブレーキは ハンドリングに影響していると思う。 16インチホイールのクセを感じなかったのは、 太いフロントタイヤ(120−80/16)、フロントホイール、 ブレーキディスク、キャリパーでかなりの重量になった。 これが安定したフロント成分を作りだしたのかも? ・アルミフレーム 1980年型YZR500後期型(OW48R)、
はじめてアルミ角パイプフレームを採用した。
RZV500Rフレームの源流なんだと思う。
フレームはシーリーフレーム風のダブルクレードルフレーム。
メインパイプがステアリングヘッドからスイングアームピポットまで 一直線に伸びることが特徴だ。
エンジンのパワーがもっとも伝わる構成なんだ。
1981年型YZR500(OW60)のフレームレイアウトに似ている。 ヤマハはそれまでアルミフレームを市販車に採用したことがなく、 スチールパイプフレームの製造技術しか持ち合わせていなかった。 そこでYZR500で実績のあるアルミ角パイプ素材と製造技術を
利用したと思う。 社内に最高のアルミフレームがあるんだから、 それを使わない手はない。 しかし、それは量産などまったく意識していない ハンドメードフレームだった。
そこでRZVのアルミフレームは、
市販車として耐久性を確保するためレーサーよりも肉厚のある アルミパイプを使用したと思う。 そして腐食を防止する表面処理が施された。 YZR500のフレームを量産バイク用にグレードアップするための
試行錯誤の連続だった。 そして、スイングアームピポットはアルミ鋳造部品として
量産効果を上げた。 その仕上がりは、
まるでアルミのビレット材から削り出されたかのように繊細で美しい。 軽量化するために薄くする必要があるが、 耐久性を確保するためリブを入れている。 このRZVのアルミフレームはかなりコストがかかっていたようだ。
後のアルミプレス材を溶接して構成するアルミデルタボックス、 また、いまのアルミ鋳造フレームよりも、 けた違いに製造コストのかかったフレームだったと思う。 極論だが、 ヤマハはYZR500のフレームを手直ししてRZV500Rで 使用したといったら言い過ぎだろうか?
輸出仕様のRD500はスチールフレームだった。 コストの高いアルミフレームモデルを輸出仕様にも 採用していたら大赤字を出していたかもしれない。 さらに塩害などの対策も必要になる。 ・リアサスペンション
1981年型YZR500(OW60)はエンジンの上を サスペンションユニット通っていたが、
RZVの場合、 補機類のレイアウトの関係上エンジンの下に横倒しで配置された。 その構成は上下逆転したがOW60のリアサスと非常に 似ていると思う。
ヤマハ伝統のモノクロスサスペンションを一歩進めたもので、
モノショックとスイングアームの間にベルクランクを使うことも同じだ。 OW60ではじめて採用されたものだ。 その後、OW70 (1983)後期型からボトムリンク式に変更された。 RZVのリアサスまわりは、たしかにOW60用リアサスの概念
と似ているが、それまでロードバイク用としては、
まったくテストされたことがなかったため、
アルミフレームと同様、試行錯誤の連続だったようだ。
・スタイリング
全身でYZR500を体現した、 そのスタイリングの美しさ。 YZR500(OW61)とまったく同じ長さのホイールベースを実現
しているためバイクがコンパクトで凝縮されている。
また、掘りの深いタンクとリアに2本突き出たチャンバー
を隠すためのボリュームのあるシート/テールカウルを採用した。
これだけでRZVを手元に置く価値があると思う。 RZV500RはV型4気筒エンジン、アルミフレームをはじめとして、
GP500マシンで採用されている数々の技術をダイレクトに反映 することで、ユーザーの夢を実現するという贅沢なバイクだった。
そしてHY戦争で社内が疲弊していたこともあり、 ヤマハ自身が元気を取り戻すためのカンフル剤だったようだ。 コストを度返しして、金に糸目を付けずに開発された、 空前絶後のドリームバイクだった。 バイクの完成度としては、
1985年に登場したTZR250(1KT)のほうがが上だった。 アルミデルタボックスフレームにクランクケースリードバルブ吸気 機構を搭載したヤマハ伝統のパラレルツインエンジン。 1986年、このTZR250は2万6千台も販売された。 コストの範囲内に開発された量産バイクだったが極めて 完成度は高かった。
しかし、RZV500Rの経験なくしてTZRはない。 ところで、
小沢トンネルがまだコンクリート舗装だったとき、 そこを走るとどうも滑っているような気がする。 スロットルを開けるとタイヤが空転しているように感じた。
ほかのバイクでは感じたことがなかったことなので、 非常に印象に残っている。 コンクリートが悪いのか? たしかに滑りやすいよね。 それがきっかけとなってタイヤをピレリ・スポーツコンプ
とい言う銘柄に履き替えた。
外国製のタイヤを履くのはこのときが初めてだった。
そのほかにバイアスタイヤの最高峰だったミシュラン
A48、M48ならより良かったかもしれない。
それでどうだった?
正直にいうとグリップが良くなったような気がしたかな?
それしか覚えていない。
その頃、友人のKR8さんもRZV500Rを2台所有していた。 その1台はフルルパワー(88ps)加工して、 マグホールを取り付けてレーシングレインタイヤを履いていた。 それで休日の早朝柳沢峠までの走りを楽しんでいた。 「素晴らしい走行フィーリングだったよ」 さすがにヤマハのバイクはハンドリングが良い」 そう絶賛していた。 「1か所だけある橋のつなぎ目だけは気を付けていた。 それ以外はまったくノープロブレム。 ハイペースで柳沢峠まで往復できたよ」 いまも1台手元に残している。 少しのメンテナンスで走りだすことができるので、 30年前の感動をまた味わいたいそうだ。 このフロント16インチとリア17インチの マービック・マグホイールは、
当時レーシングパーツとして販売されていた。
それにレーシング・レインタイヤを履かせることでRZV500Rで
最高のハンドリングを味わうことができた。 ウオーブルなんて出ないそうだ。
フレームが弱いなんて感じたことはない。
なぜ、スリックタイヤではないのか? それは路上ではタイヤが温まらないのでグリップしないからだ。 レインタイヤなら雨天走行でもタイヤが温まりグリップする。 想定されるスピードも低い。 考え抜いた末に思い付いた選択だったようだ。 レインとはいえレーシングタイヤ。 ロードバイク用タイヤよりもはるかにグリップする。 しかもタイヤが太い(160−60/18相当)。 そのレーシングレインだが、
あっというまに摩耗すると思っていたが、
それほどでもなかった。
意外と持ったそうだ。
夜の街を軽く一周させてもらった。 ノーマルのRZVよりも車高が低くなりタイヤの接地感が高い と感じた。
空気圧はかなり低く設定されていたようだ。 F:1.75kg、R:2.0kg
そのためか? 右折、左折するとき切り返しが重いと感じた。 いまから考えるとハイスピードコーナリング するためだったようだ。 そういう話を聞いていたり体験していたので、 私のRZVには、なにか問題があるのか? その疑念が拭えなかった。 ところが、最近発売されたバイク雑誌(永遠のXXX)を読むと、
こんなことが書いてあった。 K16氏いわく
RZV500R。 ツクバで限界まで攻め立てたときリアが滑りやすい。 また、雨の日3速でもスロットルをワイドオープンすると、 タイヤが滑る。バイクがスネークする。 雨の日や路面が悪いとリアタイヤが滑りやすかったようだ。
やはりそうなのか? 私も以前からそれを感じていたことだ。 例の小沢トンネルでの走りだ。 筑波でもある程度までは速い。 しかし、その限界を超えると足回りが追従しなくなる。 ダンロップブリッジ下の切り替えしでリアサスが追従しない。 最終コーナーでは滑らない。 1分7秒近辺が限界だった。 250cc2ストバイクと大差なかった。 *当時のコースレイアウト。
いまの7秒台はかなり速い。 その原因はリア周りが貧弱だからなのか? その細いスイングアームと横倒しされたリアショック ユニットに原因があるのか? 腰砕け状態だったのだろうか? 底付きしたままもとに戻らない。 いや、当時のバイアスタイヤでは2サイクル180度点火同爆の 強烈なパワー/トルクに耐えられなかったのかも? それなら、それに負けない「受け止めて元に戻る」 オーリンズモノショックに変えたら、 かなり良くなるだろうと思う? RZV500Rのたたき出すパワー/トルクに耐えれなくて タイヤが滑るのなら、 いま最高峰バイアスタイヤであるダンロップK300GP を履いたらどうだろう? いまのバイアスタイヤは構造は同じながら、
最新の材料と製法で作られているので、
かつてのものよりもグリップレベルは向上している。
タイヤに詳しい友人から聞いた話しだ。
1984年オートラリア6時間耐久レースで ワイン・ガードナー/VF1000R(ゼッケン3)を破った マイケル・ドーソン/RZV500R(ゼッケン7)には、
レース用タイヤくらいは履いていたはずだ。
マイケル・ドーソンのライディングスキル、
腕の差だけではないと思う。 RVZ500R vs VF1000R
しかし、リアサスを強化しても、、
それを受け止めるスイングアームそのもがたわんだり よじれるなど根本的に弱いのなら、 滑る現象が収まらないかもしれない。 いやまてよ?
RZVではじめて採用された、 横倒しリアサスはトラクションンのかかりが
良すぎるのかもしれない。 リアサスとスイングアームを接続するベルクランク。 1981年のOW60ではじめて採用されたものだ。 それまでカンチレバー式モノクロスシングルショックを 一歩進めたものだ。 2サイクルV4エンジンの強烈なパワーを100% リアタイヤに伝えることとリアサスのセッティング範囲を広げる 目的があったに違いない。 後のボトムリンク式リアサスにいたる前の技術 だった?
もともとの使用目的が高いレベルにあった。 RZV500R専用品とはいえ、 レーシングパーツよりもグレードが低いリアサス、 当時のバイアスタイヤでは、
パワーをかけ過ぎたり、
路面状況が悪いと滑る。
タイヤが空転する。
スネークする。
そういうたことが考えららるのでは?
ハイパフォーマンスパーツと交換する。
調整範囲が広いオーリンズサスと交換して、
適切なレートのバネと入れ替えてる。 オクムラチューンに出す。
高速と低速で圧側の調整が可能にするアップデート
を行う。
DUNLOPダンロップ:ARROWMAX GT601 【130/80-18 66V】タイヤはダンロップK300GPまたはGT601でどこまで
良くなるかを試してみたい。
いまもっとも高性能なバイアスタイヤだ。
これで小沢トンネルでリアタイヤが滑ることはないだろ。
路面が荒れている、雨の中でもタイヤが滑ることを防ぐ ことができるかもしれない。 *ちなみにいまの小沢トンネルはアスファルト舗装されている ノーマルフレームとスイングアームの限界を 一歩高くすることができるかも? リアサスの機能不全を無くして
トラクション抜けを防止する。
かつては、 フレームの補強が必要だ。
前後17インチホイールと交換する。 スイングアームをTZ250用と入れ替えて リアサスの取り付け位置を変更する。 いろいろと考えていた。 また、日本専用のアルミフレームは弱いので、
ノーマルのままでは速さを引き出せない。 そう思っていた。 アルミデルタボックスフレームが登場する前の
角パイプスチールフレーム3兄弟。
FJ1100、FZ750、RD500LC。
シーリーフレーム風のダブルクレードル角パイプフレームだった。
そこで輸出仕様のスチールフレームなら高い剛性を 実現しているに違いない。 フレームワークはFZ750と似ている。 そのノウハウを取り入れることで補強も入れやすい。 すこし前に輸出仕様のRD500LCが売りに出ていたので、
そのときがチャンスだった。 しかし、踏み切れなった。 また、アルミフレームにカーボンコーティングを 施したら剛性が上がるのではないか? 4層くらの厚さにすれば柔軟性を残しながらかなり 剛性を上げられるはずだ。 フレーム全体がガッチリするはずだ。 いままではそういうことばかり考えていた。 しかし、私はそんな派手なカスタムは考えなくなった。 ノーマルバイクを大きくかえることなく、 限界を高めたい。 RZV500Rは、 YZR500のテクノロジーをダイレクトに反映
させたドリームバイクなのだから。 まず、RZV500Rを再び買う必要があるけどね、....... いまは雌伏のとき、 机上であれこれ考えてポテンシャルアップの方法を 考えるしかない。
いま一番速い1000cc SSで走るよりも、
難しいバイクを乗りこなすことに喜びを感じる。
私はそう思う。
Ps、
この記事を書き終わった後、
あるバイク雑誌を読んで気が付いたことがある。 RZVのエンジンは180度点火の同時爆発エンジン。 それがたたき出すパワー/トルクは強烈だった ということ。 1992年型YZR500(OW61)と同じ1375mmの
ホイールベースの少し高め目の位置にエンジンを搭載して
直進安定性を確保していたが、
それでもエンジンの重心位置は低く、少し後ろに搭載されている。 そのことでリアタイヤを直接キックする力はより強力になる。 とすると、
当時のバイアスタイヤを空転させることなど容易なことだ。 それに加えてリアサスペンションが追従しないなら、 なおさらそのクセを加速させる。 V4エンジンをもっと上に持ちあげて前に移動させる。 そしてロングスイングアームを装着する。 そうすれば、もっと素直なバイクになっていたかもしれない。 しかし、1980年代前半にはまだそういう手法は確立され ていない
そんなバイクが現れるのは90度Vツインエンジン を搭載したTZR250Rになってからだ。 4サイクルバイクの場合は、
1998年に登場したYZF−R1からになるね。 しかし、1984年オーストラリア6時間耐久レース
に勝利しているので、速さを引き出すことは可能だと思う。
1984年 RZV500R - 企業情報 | ヤマハ発動機株式会社 企業情報global.yamaha-motor.com/jp/showroom/cp/collection/rzv500r/
1984年 RZV500R. 展示コレクションの情報. (1984年/市販車). RZV500R(1984年/市販車). レースファンの間で"キング"の異名を持つケニー・ロバーツが1983年に6勝を挙げたファクトリーマシンYZR500のイメージを市販車として再現したモデル。市販車で初 ..バックナンバー
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ワイン・ガードナー/ホンダVF1000R
いま次の奥多摩最速伝説 「RZV500の伝説」を執筆中なんだ。
ヤマハRZV500R。
見てくれはGP500レプリカバイクだが、
たんなるツーリングバイクなのか?
いや、それは違う。
次のビデオを観れば並み居るライバル(ホンダVF1000R、
カワサキGPZ900R)に打ち勝つポテンシャルを秘めていた
ことがわかる。
奥多摩最速伝説 「RZV500の伝説」の中で紹介する予定だったが、
単独で紹介することにした。
1984年カストロール・オートラリア6時間耐久レースで
マイケル・ドーソンとリチャード・スコットのペア/RZV500R
(ゼッケン7)がワイン・ガードナーとペースのペア/VF1000R(
ゼッケン3)を破った。 ガードナーはすでにGP500に参戦していたグランプリライダー
だった。
けしてマイケル・ドーソンのライディングスキル、
腕の差だけではないと思う。 ドーソンはGP500チャンピオンになったドゥーハンとは別人物。
1980年代の後半に良く見かけたライダーの一人だった。
このビデオを観るとわかるが、
ポールポジションはGPZ900R。
それに遅れること1秒差でRZV500Rが3位スタート。
しかもレーススタート時はキックスタートでもたついているので、
ライバルに一気に先行された。
しかし、6時間経過した最後はRZVがVF1000Rに差をつけて
チェッカーを受けた。
RZVのどこにそれだけのポテンシャルが隠されていたのか?
考察してみよう。
1つは6時間を安定して走りきれる耐久性のあるエンジン。
2つ目はライバルよりも圧倒的に軽い車重。
そのためタイヤへの負担が少ない。
安定したラップタイムをきざめる。
3つ目はブレーキ能力の高さ。
ベンチレーティッドディスクが威力を発揮したと思う。
よく冷えるので最後までブレーキングは安定していたはずだ。
重量が重いライバルはブレーキ能力が安定しなかったと思う。
ノーマルキャリパーとディスクだとしたら熱ダレを起こしてい
ただろう。
2位に入ったVF1000Rのフロントブレーキは、
4ポットキャリパー、スリット付きフローティングディスクのようだ。
当時としては最先端のものだ。
CB1100Rがベンチレーティッドディスクだったので、
よりブレーキ能力の向上を図ったわけだ。
そして最後はライダーの技量の高さ。
それらの総合性能の高さにより勝利したと思う。
そのどれがかけても勝利できなかったと思う。
RZV500R、
いや、RD500LC(RZ500)は1位、7位、8位と3台
完走している。
優勝したバイクだけが特別だったわけではないだろう。
RZV500R開発陣の狙いが、
このレースで見事に証明された!
そしてチームのセッティング能力の高さ。
走行中の挙動を見るとフロント、リアともによく動いている。
充分にストロークさせるが奥で踏ん張る。
そのことでタイヤが滑っているようにはみえない。
適切なレートのスプリングと入れ替えてサスセッティング。
ノーマルサスの調整範囲で可能な限り煮詰めてみた。
路面がスリッピーでところどころ荒れているとすれば、
こういうセッティングになるのか?
ハンドル位置を高くしているようなので、
バイクを振り回すことができる。
いまのモタードバイクのようだね。
タイヤはダンロップのレース用だろうか?
それは映像からはわからない。
RVZ500R(ゼッケン7) vs VF1000R(ゼッケン3)。
結果[ 編集]年 ポジション ライダー メーカー モーターサイクル ラップ 1970 1971 1972 1973 1974 1975 1976 1977 1978 1979 1980 1981 1982 1983 1984 1985 1986 1987
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奥多摩最速伝説 Dの伝説 モンジュイとの遭遇
寒かった冬は過ぎ去り暖かい春の日差しが差し込んでいた。
私は白丸荘を出て新青梅街道を流していた。 バイクはおなじみのガンマ400. 平松交差点で信号待ちしているときのことだ。 後方からひと気は図太いエキゾーストノートが聞こえてきた。 直列4気筒ではない。 これはドゥカティに違いない。 MHR900? いや違う。 そのドゥカティは私の隣車線に並んだ。
ちらっと右を見ると、
750F1だった。 もてよ、ちょっと違う。 サイドカウルがレットとシルバーに塗り分けられている。
そしてスクリーンが上に尖がっている。 あっ、これは噂に聞く、 750F1モンジュイに違いない。 信号待ちしているのに、 なぜかスロットルを激しくあおっている。 乾式クラッチのシャリシャリ音と サイレンティウムのマフラー
から吐き出される迫力のエキゾーストノートが 否でも応でもパフォーマンスの高さを主張していた。 そうか、俺のガンマ400を見て、 勝負を挑んでいるのか? よし、その勝負受けてたとうじゃないか! 私は青信号と同時に鋭い加速を決めた。 しかし、ついてこない。 なんだ、やるんじゃなかったのか? それにしても素晴らしいエキゾーストノートだ。
私は少しスピードを緩めて斜め後方から そのマフラーが吐き出すエキゾーストサウンドに 酔いしれた。 いいね、 しばらくモンジュイを追走したが、 やつはスピードを上げ遠ざかっていった。 ああっ。
私は見とれてしまった。 わたしも「連法寺跡」の交差点を左折したので、 モンジュイとはごく短い間の遭遇だった。 なんのことはない出会いだが、 これがドゥカティにいたる道の第一歩だった。 平松交差点でブリッピンを繰り返していたのは、 ガンマ400に勝負を仕掛けているのではなく、 モンジュイの空冷Lツインエンジンをアイドリングさせておく ことができなかったからだった。
そのことは後になって知った。 通称モンジュイカムと呼ばれる尖がったカムを装着して、 高回転で95psのハイパワーを絞り出すためだった。 そのためはじめから低速を犠牲にしている。 それとデロルロキャブとの組み合わせでは、 アイドリングさせることができない。
いつもスロットルをレーシングさせなくてはならない。 これはまったくのレーシングバイクだ。 これで公道走行するとは驚きだ。 米国ではロードバイクとしての認可をとることができなかった。 1986年に製造された台数は200台。 そのうちの129台が日本に輸入された。 ちょっとしたモンジュイブームだった。 タイヤは前後に極太のミシュラン16インチ溝付きの レーシングタイヤを履いていた。 レースに出場することを前提にした750F1だったんだ。 ほかにもアクロンアルミリムとダイマグのスポークにより構成される 2ピースホイール。
ブレンボ4ポットキャリパーと鋳鉄フローティングディスクが 装備されていた。
ドゥカティ空冷Lツインデスモ・パンタ(パンサーの略) エンジンは、MHR900搭載の伝統のベベルギア空冷Lツイン
エンジンの後を引き継ぐ決定打だった。
カム駆動に当時画期的なゴックドベルトを採用した。 高い工作精度と高コストが必要なベベルギアからの転換
だった。
1978年に登場した500SLからはじまり、 600、650SLと続き、 1985年、トニー・ラッターのライディングでTT2選手権を
4年連続チャンピオン(1981−84)を獲得した
パンタレーサーのスタイリングをまとった750F1が登場した。
そしてモンジュイはスペイン・バルセロナ24時間耐久選手権に
出場した750F1レーサーのレプリカバイクとして販売された。 それは1986年のことだった。
また、TTF1選手権参戦のためのホモロゲバイクであり、 市販レーサー的な位置づけだった。
ガンマ400はRGガンマ500レーサーのレプリカバイク だったが、サーキットを全速で走行できる性能は待ち合わせて
いなかった。
あくまでも、公道で楽しむためのロードスポーツバイクだった。 しかし、その個性は強烈だった。 このとき奥多摩に向かう軍畑コークスクリューの下りで カチンコ勝負していたら、 はたしてどうなったいただろう? 851にはかろうじて勝ったが、 モンジュイがどれほどのパフォーマンスを発揮するバイクかは いまとなってはわからない。 出会っていた場所が青梅の街中でなかったら、...... イメージとしては、 おそろしく速いバイク
だったに違いない。
いまもそう想っている。
スぺックを比較する ここでDucati 750F1モンジュイと
ガンマ400/500スペックを見比べてみよう。 Ducati 750F1 Desmo Ⅲ型 Year 1987 Max Power 76 hp @ 9000 rpm Max Torque 7.2kg @ 7000rpm Dry-Weight 175 kg Top Speed 223.7 km/h (1985 model) −−−−−−−−−−−−− Ducati 750F1 Montjuich
Year 1986 Max Power 95 hp @ Dry-Weight Braking 60 - 0 / 100 - 0 / 34.7 m Standing ? Mile
11.8 sec / 183.km/h Top Speed 218.9 km/h モンジュイは95psまでパワーアップされたエンジンを 搭載しているのに、
最高速度のデータがそれほどでもない。 おそらくサーキットでタイムを出すためのギアレシオ だったのだろう。
−−−−−−−−−−−−−−−−−
Suzuki RG 500 Gamma Year 1985 Max Power 95 hp 70 kW @ 9000 rpm (後輪/rear tyre 83. hp @ 10000 rpm )
Max Torque 72 Nm 7.3 kgf-m @ 9000 rpm Dry-Weight / Wet-weight 156 kg / 175 kg Braking 60 - 0 / 100 - 0 16.0 m / 39.2 m Standing ? Mile 11.2 sec / 193.9 km/h Top Speed 236.4 km/h −−−−−−−−−−−−−−−ーーー RGガンマ400のデータ いまも手元に残る当時のバイク雑誌/ムックから拾ってみた。 谷田部テストコースで計測されたものだ。 テストライダー個人の技量と気象条件によりバラツキが 出たのだろうか?
ガンマ400の最高速度/0−400m加速
ムックA 210k/12秒 ムックB 222k/11.9秒 モーターサイクリスト 226k/? ガンマ500の計測データ
海外仕様を持ち込んでテストしたものだろうか? 以前、国内仕様のガンマ500を走らせたことがあるが、 加速はガンマ400のほうがはるかに速かったと記憶している。 ツーリングに使えるマイルドなバイクだった。 最高速度/0−400m加速
モーターサイクルスペック 236k/11.2秒 モーターサイクリスト 246k/?
ムックB 227k/11.42秒
0−400mの加速に焦点を合わせて吸排気系をカスタム、
スプロケセッテイングを施したガンマ500は、
9秒台の記録を可能にしている。
そういう話を最近オートバイ誌で読んだ。
それがほんとうなら、
ハヤブサ、ZZR1400、BMW S1000RR、パニガーレR
に劣らない加速力を実現していることになる。
それからモトライダー誌だったか? ガンマ400にスガヤのチャンバーを装着した バイクのインプレを連載していた。 加速は恐ろしいほど速くなるが、 谷田部テストコースに持ち込んだときの最高速のデータ は190k前後にとどまった。 セッティングが合っていなかったのか? 230kくらいは出ると信じていたので、 この結果には正直いってがっかりした。 加速は凄まじく速くなるが、 最高速度は伸びない結果になってしまった。 ノーマルのエアボックスと そこから伸びる長い吸気インダクションチューブ との兼ね合いで最高速を引き出すには キャブをセッティングし直す必要があった思う。 しかし、これをやるとエンジンを壊すことになったかも? ガンマ400/500のエンジンは、
ロータリーディスクバルブ吸気のため、 エンジンサイドにキャブレターが取り付けられている。 エアボックスから吸気行程が長くストレートにならないため、 どうしても外部環境の影響を受けやすいようだ。 キャブは4個別々に取り付けられる。 ステアリングヘッドのエアボックスから 吸気インダクションチューブがキャブに伸びるが、 キャブの直前で90度曲がっている。 あまりにも長い吸気行程になっている。 開発者は安定した吸気条件を作り出することに苦労した
だろうと思う。
高回転まで回しても焼き付かない。
といって低回転が続いてもプラグがかぶらないこと。 公道での走行条件はさまざまだ。 RGガンマ500レーサーでパワーを追求する技術とは違う、
ロードバイクならではの困難な問題だったに違いない。
それが最高速度の記録が安定しない要因となっている
のかもしれない。 ちなみにTZR250後方排気初期型(3MA)も同様の問題を抱えて いたようだ。 これは吸気を阻害する。 *専用のオイルを塗布したスポンジフィルターだったかもしれない。 あまりにも昔のことなので記憶が曖昧だ。
といって取り外すわけにはいかない。
4個のキャブの吸気条件をそろえることができなくなる。 それをK&Nのコットンフィルターにするとどうなるかな? モンジュイはノーマルの750F1よりも 19k軽量で19psパワーアップしている。 156kgの乾燥重量の車体に 95psものパワーを絞りだすエンジンを搭載している。 スペック的には輸出仕様のガンマ500とほぼ同じパワーだ。 エアボックなんてない。 デロルトキャブのファンネルに網がかぶせてあるだけだ。 サーキットを走るレーシングバイクではそれで良かった。 ブレーキング能力は100 - 0/ 34.7 m このデータは特質に値する。 1980年代後半以降ここまで制動力の優れた バイクのデータは見当たらない。 さすがにグランプリレースで使われていた、 ブレンボ4ポットキャリパーと鋳鉄フローティングディスクの 威力だ。
本来レース用パーツなのでハードブレーキングを繰り返しても 性能低下しない。 また、鋳鉄ディスクは放熱性に優れている。 ガンマ500のブレーキング能力は
100 - 0 / 39.2 m 100kからの完全停止は、、 モンジュイよりもよりも約5m長い制動距離が必要だ。 それほどブレンボ製ブレーキシステムが高性能だった
ということなのだろう。
ガンマ400/500も4ポットキャリパーなのだが、 残念ながら量産パーツレベルなのだろう。
おそらくハードブレーキングを繰り返すと 徐々に熱ダレを起こして性能低下すると思う。 不思議なのがガンマ500には、 ガチャガチャ動かないフローティングデスクが装着されて いた。はたして効果があったのだろうか? なお、ガンマ400はSBSブレーキパッドと交換して
劇的に制動力向上した。 ガンマ400 Vs モンジュイ
0−400加速
モンジュイ:11.8秒 ガンマ400は11.9秒 加速性能はほぼ互角といっていいだろう。 乾燥重量はモンジュイとガンマ400/500 は同じ156kgの乾燥重量。 装備重量も同じ175kg。
モンジュイのブレーキシシテムはグランプリマシンなみの 制動力を持つブレンボ4ポットキャリパーを装着している。 そしてガンマ400の59psに対して95ps、 後輪で84.7psのハイパワーをたたき出す。
ガンマ400のパワーは公称59ps。
あの強烈な加速を考える、 ノーマルマフラーでも70ps前後まで出ていたに違いない。
スガヤのチャンバーと交換すると80ps前後まで出ていた
はずだ。
最後にこれらのデータをもとに ガンマ400 Vs モンジュイの勝負をシミュレーションしてみたい。
ある夏の早朝のことだ。 私はガンマ400を奥多摩に向けて走らせていた。 そのとき前後にノーマルホイールに入る限界いっぱいの
ワイドサイズタイヤを履かせて様子を見ていた。
フロント120−80/16、リア140−70/17だったかな?
少し前に軍畑コークスクリューの立ち上がりでリアタイヤを
大きく滑らせてXXXXという怖い思いをしたので、
その対策の一環だった。
そして青梅の市街地を通り過ぎて 例の軍畑コークスクリューを下ろうとしていた。
車体が軽くバランスの良いガンマの真骨頂を を発揮できる場面だ。 ここで少し前にガンマ400に勝負を仕掛けてきた851に
「どうだ」 とばかりに紫煙を浴びせかけたばかりだった。 あんな重いバイクなどには負けはしない。 ところが、 またしてもドゥカティが襲いかかったきた。 遠くからあの空気を震わせるような空冷Lツインデスモサウンド
が聞こえてきた。
そしてどんどん近づいてくる。
私はミラーに目をやった。
「あれは750F1ではないか?」
そうだこの前、青梅の街中で遭遇したモンジュイに違いない。 そしてガンマ400との距離をあっという間に詰めてくる。
ただものではない。 そう思った私は即座に気持ちをバトルモードに切り替えた。 2速にシフトダウンして、 軍畑コークスクリューに突入した。 リーンアウトで右に左に切り返したとき、 モンジュイがピッタリと後ろに付いてくるではないか! 得意としている軍畑コークスクリューの高速切り返しについて くるなんて信じられない。
いままで、
ここまで差を詰めてきたバイクなんていなかった。 おそらく、モンジュイは750ccバイクとしては超軽量なバイク、 しかもブレーキ性能が高いからだろう。
「こいつは手強いぞ」 ここで詰められたら、 後は得意の加速で引き離すしかない。 そして最後の右コーナーの立ち上がりでスロットルを ワイドオープンした。
そのとき身体全体を前のめりにしてフロントタイヤを抑えつけた。 ウイリーしたらその隙に先行されるからだ。
しめた!
軍畑交差点の信号は青だ。 即座に2速で10000rpm以上まで回して 3速にシフトアップして引き続き加速。
2速ではオーバーレブ領域まで回した。
いままでスクエア4をここまで回したことはない。
4ストだったら確実にバルブとピストンが衝突して
いる領域だ。
スズキRGガンマ500レーサー譲りのスクエア4エンジン、
ロータリーディスクバルブ吸気、180度点火同爆による
圧倒的な加速能力で引き離しにかかった。
そのとき大量の紫煙をモンジュイに浴びせかけていた。
「このガンマ400の加速についてこられるわけがない!」 私は無意識にそう絶叫していた。 ところが、その先の高速S次を抜けて、 「沢井ミストラルストレート」を駆け上がっているとき、 ガンマ400が吐き出すその紫煙の中から モンジュイが現れたかと思うやいなや、
すっと抜かれていた。
その時モンジュイとガンマ400は全開の雄叫びをあげていた。 午前5時半のことだった。 「えっ、このガンマ400がストレートで抜かれるなんて、 そんなことなどありえない」 私の頭の中はパニックになっていた。
そこで緊張の糸がプツンと切れた私は スロットルを緩めていた。
その横を750F1モンジュイを駆るライダーは、 左手を差し上げて勝ち誇ったように遠ざかって行く。 私は呆然となりガンマ400を路肩に止めて天を仰いでいた。
....................
これがガンマ500の輸出仕様だったら、
リードを保ったままミタケまでたどり着けたに違いない。 いや、スガヤのチャンバーと交換して限界の12000rpmまで 回していたら、....... しかし、もう2度とバトルの機会は訪れないだろう。 モンジュイの空冷Lツインデスモエンジン。 トップエンドに向けてスロットルをワイドオープンしたとき、 強制開閉式デロルトキャブは即座に全開になる。 それに連動して加速ポンプは大量のガスを吐き出す。 そのときモンジュイは「カムに乗る」2次曲線的な強烈な 吹け上がりをみせて絶頂の雄叫びを上げる。 さて、ここで真の結末のことをお話しよう。 この勝負、実は痛み分けだった。
モンジュイはガンマ400との勝負でエンジンをオーヴァーレブ 領域まで回してしまい、その息の根を止めてしまった。 ミタケの手前で止まってしまった。 私とガンマ400はそのことを知らない。 レーシングパンタを起源とするモンジュイの空冷Lツインデスモ
エンジンは最速だった。
しかし、繊細さと隣り合わせだった。
また、たび重なる日本製4気筒バイクとのバトルでエンジンが
疲弊していたのかもしれない。
乾式クラッチを装備した、
スズキGSX-R750Rは強敵だった。
当時発売されたばかりのミシュラン・ラジアルタイヤ
(A59X/M59X)を履き、
ヨシムラサイクロンマフラー、加速重視のスプロケと
交換していただろうと思う。
それともう一台。
クロスミッションを装備したFZR750R。
レース参戦を前提にしたモデルで主に米国で販売された。
1気筒5バルブ水冷4気筒エンジンを搭載していた。 それは「ジェネシス」と呼ばれ畏怖されていた。
最先端テクノロジーの権化だった。
また、ストックのままではかなり重いバイクなので、
オーナーの手により、レース用カウリング、シングルシート、
マフラー、マグホイールなど数限りないパーツを交換して軽量化
していたようだ。 しかし、それでも満足できなかったらしく、
少し先に発売されたOW01に乗り換えたとの噂だ。
そして最後に幸か不幸か?
ガンマ400という手強いライバルと出会ったのだった。
その後ドゥカティは、 この空冷Lツイン750ccエンジンをベースにして
DOHC4バルブヘッドを持つ水冷Lツインデスモエンジンの開発 をはじめていた。
空冷LツインデスモエンジンではTTF1選手権に勝利することが
できなくなったからだ。
その後、空冷Lツインデスモは大排気量化への道を歩む
ことになり、その過程でモンスター900という名車を生み出す
ことになる。
いまスポーツバイクと言えば1000ccスーパースポーツ
バイクが相場となっているようだ?
200psもあり圧倒的に速いそうだ?
そのためすぐに高価な大排気量バイクを買いたくなるようだ。
私の友人の多くも、そういう呪縛からいまだに逃れられない。
おやじ、G様になってもその長年の習性を変えることはできない。
昔ナナハンを走らせていたおやじは、
いま、ハヤブサ、ZZR1400を買いツーリング編隊で移動する。
しかし、サーキットに持ち込まない限りそのパフォーマンスを
一瞬でも出し切ることはできない。
それでもトラクションコントロールなどのハイテク
のサポートなしにバイクをコントローすることはできない。
軽量で扱いきれるパワー。
バイクのパフォーマンスを出し切ることに
喜びを感じる私には????
なことばかりだ。
しかし、のんびりツーリングするのだったら、
排気量の大きなバイクもいいかもしれない。
いや、シングルエンジンを搭載したSR400
ならスポーツとツーリングの両方を楽しめる。
シングルに満足できればだが、.......
まだ小さいのに乗っているの?
そう公言する御仁にはわからない。
小排気量バイクだと侮っている御仁には、
オートバイの本質は見えてこない。 昔アサマを走っていたベテランライダーは、
いま125ccスポーツバイク(MV Agusta 125s)
を走らせている。
わたしの目指すべきライダーだ。
「RZ250」と「ガンマ250」が形を変えて再び現れる。
歴史は繰り返されるに違いない。
小さなバイクがビックバイクを抜き去るときがくる。
すでにその兆候が見えている。
この話は創作です。
続く Ducati 750F1 Montjuich
http://www.motorcyclespecs.co.za/model/ducati/ducati_750f1_montjuich%2086.htm バックナンバー
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奥多摩最速伝説 RGガンマ400の伝説
軍畑コークスクリュー
ある夏の早朝のことだ。 私はガンマ400を奥多摩に向けて走らせていた。 青梅の市街地を通り過ぎて 得意の軍畑コークスクリューの下りを右に左に リズミカルに切り返してた。 車体が軽くバランスの良いガンマの真骨頂を を発揮できる場面だ。 ここで少し前にガンマ400に勝負を仕掛けてきた851と ブラックバードの2台に 「どうだ」 とばかりに紫煙を浴びせかけたばかりだった。 あんな重いバイクなどには負けない。 そして最後の左コーナーでスロットルをワイドオープンした。 ところが、
リアタイヤが大きく外側にスライドしてしまった。 おそらく前の日に降った雨が乾いていなかったのだろう。 私は無意識にスロットルを戻してしまった。 「しまった」
そう思った瞬間、ガンンマはハイサイドを起こして その反動で宙を舞い路面に叩き付けられた。 わたしもガンマから放り出されて路面に叩き付けられて前方に滑っていった。
そして立ちあがろうとすると身体のあちこちがが痛い。 そして振り返りガンマに目をやると、
なんと、
もうもうたる黒鉛を上げて燃え上げっているではないか。 私は「ワーッ」 と叫び声をあげてしまった。 そこで目が覚めた。 夢を見ていたんだ。 それにしてもなんてリアルな夢なんだ。 心臓がドキドキと激しく動悸を打っていた。 しかし、夢でよかった。 私はガンマ400を10年あまり走らせていた。 それほど気にいっていたらかだ。 しかし、すでに古いバイクとなっていた。 その頃の想いは、
なぜ、アルミツインスパーフレームのVガンマ500は 発売されなかったんだ! 1989年頃、そういう噂が流れていた。
メーカーのセールスがVガンマ500を発売したら
買いますか?
そういう問い合わせをバイク屋にしていたそうだ。
その噂を耳にしたとき、
私は絶対に買うと心に決めていた。
これがあればスーパーハンドリングと言われた916にも 負けなかったはずだ。 そういう思いが夢となってうなされたのだろうか? 当時RGVガンマ250のアルミツインスパーフレームに ガンマ500のエンジンを搭載したスーパーガンマ500の制作 を夢見ていたことがあるほどだ。 また1996年型GSX−R750。
アルミツインスパーフレーム化された最初の一台だが、 このフレームレイアウトはGP500チャンピオンを獲得した RGVガンマ500のデイメンジョンを写し取ったものだ。 こいつが2ストだったら、 リアルレプリカだったらといまでも思う。 このフレームにガンマ500のエンジンを搭載したら、 ....... 996R。 私の中で最速の1台として記憶している一台だ。 こいつにはノーマルのガンマ400では勝てない。 しかし、Vガンマ500が出ていたら、...... そう思ったものだ。 ここで昔書いたガンマ伝説を想い出してみたい。
RGガンマ・スクエア4エンジンよ永遠に!
1994年8月20日作成
*20年前の今日だね かつてGP500で7年間に渡りメーカーズチャンピオン奪取
したマシンRG。
また1976、1977年はイギリスの名手、Bシーンにより 個人タイトルを獲得する。
1981、1982の2年は打倒Kローバーツの合い言葉のもとに 開発されたRGガンマにより、
イタリアンライダーのMルッキネリ続いてFウンチーニにより 個人タイトルを奪取した。
そして多くのプライベーター達のために市販レーサーRGB500
が供給された。
このRGB500によりGPを征したプライベータもいる。 オランダのJミドルバーグ、1981イギリスGPである。 この様な輝かしい戦績を重ねてきたマシンRG、 そして勝利のためひたすら改良に改良を重ねられた宝玉の ごときスクエア4エンジン。
ついに1983年、究極のスクエア4が完成。 しかし時代はV4の時代に突入しスクエア4を時代の彼方に 追いやってしまった。
1984イギリスGPで名手Bシーンの手によりスクエア4は
オーバレブ領域を回され続けV4を追いかける。
しかしV4は手の届かぬ彼方に走り去った。 スクエア4エンジンは名手Bシーンと共に静かにGPを 去っていった。
1985年栄光のマシンRGガンマの名前をそのままにエンジン
も熟成しつくされたスクエア4エンジンを登載する
市販ロードスポーツバイクRGガンマ500/400が登場する。
かつてこれほどまでの栄光の伝説を背負い、
RGファンに希求されたマシンはあっただろうか?
今は1994年である。
GPの世界では、すべてV4エンジンで埋め尽くされた。 しかしロードにおいてRGガンマ・スクエア4エンジンほど強烈 な個性でライダーを熱くさせるエンジンはない。
わずか500CCのエンジンで異次元の強烈な加速をみせる スクエア4エンジン。
完璧きに整備されたスクエア4は3000回転のブリッピングを
2〜3回くれてやった後に、
なんともいえぬ美音が聞こえてくる。 シューンという音が強烈なエキゾーストノートの後にエンジンから 発せられる。
シューン..........と低く長くこだまする。 このなんともいえぬ音、
いや音と言うよりも芳香というべきか。 これこそシュープリーム(最高)という表現を使いたくなる。 .................. スズキRGガンマ400と500には
5台ほど乗り継いだ。 ほかのバイクを買うときに売却するのだが、 またすぐに乗りたくなる。 いまも最後のRGガンマ500WWが秘密の 地下格納庫で再始動のときを待っている。 ガンマ400との出会い
たしか1984年頃だったかな? グンプリマシンのリアルレプリカバイクがスズキから出るらしい。 そういう噂を当時のオートバイ雑誌で読んだ。 また、スクープされた写真も掲載されていた。 これってレーサーのRGガンマそのものじゃないか? うそだろ? こんなバイクが出るはずがない。 しかし、すでにアルミフレームのRGガンマ250と
GSX−R400が発売されていたので、 ありえない話ではないと。 そう思っていた。 そして1984年秋のドイツ・ケルンショー、 いまのインターモトでRGガンマ500とGSX−R750の2台が 同時にデビューした。 翌年の1985年、
国内専用モデルとしてスズキRGガンマ400の販売が開始された。
しかし、すぐにご縁があるとは思わなかった。 このガンマ400を初めて所有したのは、、 1986年東北ツーリングに出掛るために購入したのだった。 カワサキKR250からの乗り換えだった。 いまはもうない拝島のKサイクルだった。 NS400Rとガンマ400の両方のエンジンを かけてもらいガンマにした。 決めてはガンマのエキゾーストノートだったね。
それから仲間のアベレージスピードに合わせてツーリング できるかだった。 前年の1985年、
GSX−R400で北海道までツーリングに出たとき、
もっと瞬発力/パワーがほしいと痛切に思った。 先頭のニンジャ900Rを追いかけるには非力だった。 ニンジャはツーリング編隊を引っ張るためにかなり飛ばす。 私は2番手だったので、 遅れると編隊が崩れてしまう。 東北自動車車道を青森に向けてひた走っていると 6速でもかなり回転を上げる必要があった。 やっぱり400cc(4サイクル)では非力だ。
早く限定解除したかった。
そしてガンマ400で十和田湖まで北上する東北ツーリングに 出かけた。
ニンジャ900R(フロント16インチ)、ガンマ400、FZ400R、
VFR400R、GZP400R、FZR400の陣容だった。
しかし、ブレーキが効かないので何度もオーバーランしそうに なった。GSX−R400がよく効くブレーキだったので、
かなり恐ろしい思いをした。 その原因はガンマ400は2ストなのでエンジンブレーキと
いうものがなかったからだ。
そして2速で加速して3速に入れると回転が下がり
すぎて加速しない。
難しい、難しい、難しいの連続だった。
また、お前の後ろは煙い。 など苦情を投げつけられた。、 そういうさんざんな目にあったのだが、 その凄まじい加速力の虜になった。 その後ブレーキの効きはSBSのブレーキパッドと 交換することで解決した。 あるとき新青梅街道でスズキGSX−R750と勝負したことが ある。スタートでリードを奪ったが途中で抜かれた。
いや、国道16号線との立体交差の先は工事していたので スロットルを緩めたんだ。
いまも負けたとは思っていない。 スクエア4エンジンとは?
スズキは1970年代半ばから80年代前半まで、 ワールドグランプリGP500クラスで7年連続メーカー選手権 を獲得した。
バリー・シーン(2回)、マルコ・ルッキネリ(1回)、 フランコ・ウンチーニ(1回)らによりGP500チャンピオンを
4回獲得した。
そのことでヨーロッパでのスズキブランド力の向上に貢献した ことは間違いない。
いまのハヤブサにつながら高級モーターサイクルメーカーとして の名声を不動のものとした。
1985年、ワールドグランプリで得られた経験のがすべてが スズキRGガンマ400に投入された。 ガンマ400の発表会が浜松のスズキ本社で
開催されたときのこと。 「なぜ、こういう作りなんですか?」 との質問に対して、 「それはレーサーRGガンマ500がそうだったからです。」
と開発者は自信を持って答えた。 ガンマ400は刺激に満ちたパワーがあり、 バランスのとれた車体だった。 そして耐久性を備えていた。 ワールドグランプリで7年連続メーカータイトルを獲得
しただけのことはある。 ガンマ400を走らせていた10年の間に
エンジントラブルは皆無だった。 電動ファンなどないのに、 真夏の東北ツーリングでもオーバーヒートしなかった。 また、2速を常用していたこともあるが、
プラブさえかぶらなかった。 ノーマルマフラーだったこともあるだろう。 メーカーで徹底的にテストされたからだろう。 それでいて瞬時に9000rpm以上まで吹け上がる 強烈な加速力を取り出すことができた。 また、2ストロークエンジンながら振動が激しいと感じた ことはない。 エンジンが同爆だったからなのだろうか? ↓
対角線上の1−4番、2−3番が同時点火する、
180度の2気筒同爆。
理論上、一次振動はゼロ
まっ、4ストバイクのようにある程度高い回転をキープして ギアをアップダウンさせるだけでスピードコントロールする
ような上品な走り方はできない。
2速で目いっぱい回転を上げて、 そこではじめて3速に上げる。 そんな感じだった。 そのため街中やワインディングでは4速、5速と6速は使った ことがない。
入れても前に進まない。 失速するだけだ。 ガンマ400のトップエンドは刺激に満ちた世界だった。 素人さんお断りの世界だった。 そういうこともあり限界まで酷使されていないのかも? いまでも中古車販売サイトで多くのガンマ400を
みつけることができる。 生存率は高いと思う。
記憶のかなたからガンマ400のハンドリングの
ことを想い出してみよう。 RGガンマは400ccバイクとしては軽量だった。 これは間違いない。 156kgの乾燥重量(装備重量175kg)は いまも圧倒的に軽量だ。
*スガヤのチャンバーと交換したらさらに10kg近く
軽量化されたはずだ。乾燥重量146Kg?
シリンダーヘッドのない2ストエンジンということもあり、 非常に重心が低いので直進安定性がよかった。 スクエア4エンジンは前後に長いのでホイールベースは
長かったと思う。 また、スクエア4エンジンは、
4気筒エンジンながら2気筒エンジンの幅しかない。
4サイクル4気筒バイクのような横幅があり腰高なバイクとは
まるで違うフィーリングだった。
不思議なのは、
ガソリンを満タンにしてもさほど重心が高くなったと感じな かった。 ライダーは比較的高い位置に座り両手を伸ばしても ハンドルまで近い。 また、直進安定性が良いわりに右に左にクイックに曲がる。 ほとんどリーンアウトで曲がっていた。 スピードが低いときは、 ワインディングのタイトコーナーををくるっと回ることができた。 オフロードバイクを操作する感覚に近いかもしれない。 ガンマ400は非常に重心バランスに優れた
車体だったと思う。
ライダーはあのマイク・ヘイルウッド。
現役最後の勝利となった。
1960年代から続けているリーンウイズスタイルライディングを
生かせるバンランスに優れたバイクだったわけだ。
さすがに7年連続メーカー選手権を獲得できるバイクだけの
ことはある。
まだスチールパイプフレーム、前後18インチタイヤ、リア2本サス
だった。エンジンは伝統のスクエア4。
ガンマ400のバランスの良い車体構成は、
レーサーRGB500とRGガンマ500譲りのものだと思う。
ところが、スピードを上げるとハイスピードコーンリング ができず悪戦苦闘した。 フロントから滑りそうで恐ろしかった。 当時のライディングスキルでは難しかったようだ。 私自身の問題だった。
4サイクル直列4気筒バイクは意識しなくてもフロントタイヤに
自然と荷重がかかる性格なんだ。
「目線で曲がる」
とはこのことだ。
しかし、ガンマ400は違う。
荷重は自分のライディングで作り出す必要がある。
そのためスピードを上げるとバイクのコントロールが
途端に難しくなる。
これは後年の250cc2サイクルレプリカ(NSR250Rなど)でも同じであり、
4サイクルでもLツインエンジンを搭載するドゥカティ
(916シリーズ)でもライディングスキルが要求される。
ビギナーには曲がらないバイク。
ということになる。
こういったことはNSRやドゥカティを何台も乗り継いで
きてわかったことだ。
うまく乗りこなすことができときのハンドリングの切れの
良さは直列4気筒エンジンバイクの比ではない。
そう実感している。
また、この2台と大きく違うのは、
1980年代半ばまで幅の狭いバイアスタイヤしかなかった
のでタイヤのグリップを期待できない。
そこでリアタイヤで曲がるリアステアライディングを習得した。 いまのようにフロントタイヤのグリップに頼るような ライディングは出来ないと思う。 怒涛の加速を体感させてくれるガンマ400。 しかし、 ハイスピードでガンマを走らせるといつも手に汗握っていた。 わたしには高速コーナリングを可能にするスキルは無かった。 いまならガンマ400をもっと乗りこなすことができるだろうか?
コーナリング中はもっと高いギアを使えばスムーズ
なコーナリングが可能かもしれない。
コーナーの出口が見えたところで2速にシフトダウンして
スロットルを大きく開ける。 しかし、4サイクル4気筒エンジンのようにはうまく
いかない。
回転を下げてコーナリングしようとすると氷上を
滑っているようで怖い。
問題はガンマ400のエンジンではトラクション
というものをつかみにくいからだ。
そこで2速を使うのだが、
高いスピードを維持することが難しい。
パワーの出方が強烈でギクシャクするので
速く走れない。
当時よく思っていたのは、2速と3速の間にもう
1速(2.5速?)ほしい。
いまならリアのスプロケを交換(大きくする)して3
速の回転をもう少し上げてワイドに使える仕様を考える
かもしれない。 そしてミッション操作の難しさ。
ガンマ400は驚くべきことにレーサーと
同じカセット式ミッションを装備していた。
しかしギアのかみ合いがきつくアップダウンで苦労した。
まだ、ノンクラでシフトアップするテクなんて、
まったく知らなかったのでクラッチ操作していたのだが、
ミッションオイルが新しい(固い)間は入りが悪い。
とどめは信号ストップすると1速からニュートラになかなか
入らない。
仲間からおまえなにをやっているんだと訝しく思われた。
アクセルをふかしてやればニュートラに入る
ことはずっと後になってわかった。
かみ合いがきつい原因は不良ではなく、
ギア抜けしないようにするため、
レーシングバイク特有のオーバーレブ対策だった。
1980年代もドゥカティなどもそうだった。
そしてガンマ400の加速がどんなものだったかを 想い出してみよう。 私は2速10000rpmまでスクエア4エンジンを攻め立てた。
そのときいきなり強烈な加速がはじまり途中からワープする とでもいいたくなるように加速が増速する。
周りの景色が溶ける。 頭の血の気が後ろに引っ張られれるような感覚だ。 それでいて4ストのようなエンブレはない。 こういうエンジンは他にはない。 わずか400ccのエンジンにそんなことが可能なはずはない。
だれもそう思うだろう。
しかしガンマ400のエンジンは2気筒同時爆発。
1−4番と2−3番が同時に爆発する。
1回につき2個分(200cc)のパワーが発生する。
また、180度間隔なので理論上の1次振動はゼロ。
1−4番ピストンの混合気を圧縮して上死点で点火して
爆発したとき、
2−3番ピストンは上死点に向かった加速中のため
振動は相殺される。
90度Vツインエンジンと同じ原理といえる。
NSR250やドゥカティ90度Lツインエンジンの場合も
理論上の1次振動はゼロとなっている。
そのためバランサーシャフトはない。
100×2=200ccが同時に爆発している。
しかも2ストなので4ストの2倍点火する。
理屈では400cc×2=
4サイクル800cc90度Vツインの力量といえるかもしれない。
しかもバイクは156kgと軽量。
こういうバイクの加速が遅いわけがない。
フルスケールのガンマ500は
4サイクル1000cc90度Vツインのパワーと同等の力量
といっていいだろ。
この180度点火間隔の2気筒同爆エンジン。
1980年代、ヤマハ、スズキがGP500マシンに
採用していた技術だが、
それまで90度等間隔点火にこだわっていたホンダは、
1990年型NSR500から180度点火間隔の2気筒同爆
を採用する。
その2年後、位相同爆エンジンによりグランプリに革命をもたらす。
エンジン特性によりタイヤをよりグリップさせる。
ハンドリングを良くする。
いまのMotoGPマシンもそのテクノロジーを継承している。
その1つはヤハマのクロスプレーンテクノロジー。
ガンマ400に搭載するスクエア4/2気筒同爆エンジン。
エンジン特性によりタイヤをよりグリップさせるテクノロジー
の原点だったのかもしれない。
180度のワイドな点火タイミングと2気筒同時点火により
生み出される力強いトルクが路面を強力に掴み
凄まじい加速力を生み出す原動力だった。
これがもし等間隔点火だったら、
即座にタイヤはスリップしていただろう。
また、2ストは排気マフラーのチャンバーの特性により
爆発的にパワーが盛り上がる。
この点が4ストと大きくことなる。
加速が増速する。
周りの景色が溶ける。
とはこのことだ。
ノーマルマフラーでもその効果を実感できるが、
社外のスガヤのチャンバーと交換すると、
おそるべきパワーを絞り出し回転上昇を可能にする。
しかし、エンジンの寿命を縮めることになる。
ノーマルマフラーならエンジンを長持ちさせる
ことができる。
エンジン自体はスムーズだった。 前バンクと後ろバンクのクランクシャフトをギアで連結 しているのにガリガリと異音(バックラッシュ)が発生する ことはなかった。
2気筒同爆で理論上の1次振動ゼロなので振動は少なかった。
これは7連続GP500メーカーチャンピオンを獲得する過程で
徹底的に改良されたスクエアア4エンジンだからだろう。
エンジンサイドから吸気するロータリーディスクバルブ機構は、
2サイクルエンジンの中でもっともパワー発揮できるものだった。
しかし、けして扱いやすいエンジンにはならない。
後のクランクケースリードバルブ吸気機構と比べると、
いきなりパワーが立ち上がるじゃじゃ馬な性格だった。 余談だが、
GP250を最後まで戦ったアプリリアRS250が、 90度Vツインロータリーディスクバルブ吸気機構を最後 まで使用していた。 もっともパワーを引き出すことができるからだ。 それを数々電子制御デバイスでコントロールした。 扱いが難しく操作が重い強制開閉キャブ。 それを気筒ごとに別個に取り付けられていた。 4ストの負圧ピストンキャブのような御しやすいものではない。 スロットルをワイドオープンできたのは長いストレート がある場合だけで、 コーナーでは細いリアタイヤのグリップの探り合いだった。 ガンマ400を走らせたライダーに聞いてみても、 加速が凄かったとう話を聞けるが、 コーナリングのことを聞いても明確な答えは返って きたことはない。 結局、エンジンだけが尖がっていたガンマ400を コントロールできたという実感は最後まで得られなかったね。 でもいまのように1000ccのパワーで速く走るバイクにはない、 常にチャレンジする満足感は大きかった。 それが10年にわたりガンマ400を走らせ続けた理由といえる
だろう。
それでも、
もっと太いリアタイヤだったら。
もっとフロントタイヤの接地感がほしい。 17インチフロントタイヤだったら。 このハイパワーを生かせる足回りだったら、 私の頭の中は、ガンマ400が好きだが、 ここがこうだったらという複雑な気持ちが混ざり合って、 ジレンマにさいなまされていた。 そういうとき、 イタリアントリコローレ(赤/白/緑) に塗り分けられたドゥカティ750F1と出会った。 柳沢峠からの帰りだった。 あまりにも珍しかったので 人だかりになっていた。 MHR900とは違い軽量でパワーもある。
たんなる空冷Lツインとは違う。 そのあたりがドゥカティのことがが気になりだした最初の ころだったね。
イタリアの芝生が青く見えたわけだ。
ガンマ400とは対極にあるバイクと思えた。
ドカにはドコドコ感がある。
タイヤをグリップさせるトラクションという用語があることを はじめて知った。 そのあたりのことは次の機会に紹介したい。 その頃、友人のたちさんも青/白のガンマ400を新車から
購入して走らせていた。 ヤマハRZ350とFZ400Rの2台の後だった。 その凄まじいパワーフィーリングに酔いしれたそうだ。
アクセルだけで簡単にウイリーする。 当時の奥多摩有料道路に出かけて、
そのパワーフィーリングを楽しんでいだそうだ。 また、友人に貸したところ、 ガンマ400は750よりも速いと驚いたそうだ。 その後苦労の末限定解除して大型自動二輪免許を取得。 それと同時ヤマハFZ750を購入してガンマ400と別れた。 しかし、タチさんのなかにはガンマ400の記憶がいまも
色濃く息づいている。 1980年代は新車が発売されて2年も経過すると
型遅れとして見向きもされなくなった。 いまのように同じモデルを改良しながら何年も販売を継続 することは稀だった。 その分完成度は上がるけどね。 RGガンマ400の場合もわずかに2年に生産を打ち切られた。
2ストはRGV250ガンマだけになってしまった。 GSX−R1100のようにフレームを強化して
ラジアルタイヤを履かせていれば、..... いまテイストオブ筑波に多数のガンマ500レーサー が出場しているが、 GSX−R1100登場時に改良されたフレーム強化 と同じような改良が施されている。 ピポット部の強化、メインチューブの増強、
ステアリングヘッド部の補強などだ。 あのヨシムラ トルネード ボンネビルはGSX−R1100の
フレームに手を加えていない。 そのハイパワーを受け止めることができると 判断されたのだろう。 そしてガンマ500. 私よりも10歳ばかり先輩のNGTさん。
私と同じく拝島のKサイクルでガンマ500を購入した。 特別の思いがあったわけではなく、 たまたま置いてあった500を見て即決したそうだ。 また、国内仕様はパワーがない(64ps)だろう、 ということで社外のスガヤのチャンバーと交換した。 それで隠されたパワーを解放した。 そのパフォーマンスはというと、 スロットル操作だけで簡単にウイリーする。 そのままどこまでもウイリーを続けることができた。 コーナリング中、出口が見えたところで スロットルをワイドオープンすると ウイリーしながらコーナーを立ち上がった。 しながら突進した。 とんでもない武勇伝の数々が飛び出してきた。
NGTさんいわく、 ガンマ500は危険なバイクだったよ。 と嬉しそうに語ってくれた。 いまNGTさんは、
スポーツスターで久々にバイクにリターンされた。 この前久々にお会いしたときに言われたことは、
早くお前さんのガンマ500を始動させろよ。 この俺がウイリーを決めてやるからさ。 というものだった。 残念ながら私のガンマ500WWは国内仕様なので、
そんな凶暴な性格は持ち合わせていない。 マイルドなガンマ500なんですわ。 紫煙をたくさん吐き出すけどね。 以前聞いた話だが、
1986年頃、奥多摩有料道路に恐ろしく速いガンマ500 が走っていたそうだ。 そこらじゅうを走っていた250と400を蹴散らしていた。 その光景を見た友人は興奮してそのことを話していた。 もしかして、 NGTさんのガンマ500だったのだろうか?
それともで先の見えないブラインドコーナーで アウトサイドから勝負をしかけていた命知らずのガンマなのか?
国内仕様のガンマ500は64ps/8500rpm 低速からたっぷりのトルクがあるので乗りやすい。 4ストのようにカムがあるわけではないので、 性格を変えるために、 吸気にインシュレーター(網の輪か×4個)を入れて、 排気を絞ったマフラーが取り付けられていた。 キャブのメインジェットは変更してないと思う。 パーツリストとメンテナンスマニュアルを所有 しているが、国内仕様と輸出仕様で同じ番手が記載されていた。 つまり吸気と排気だけで64psに抑え込まれていたと思う。 口径も同じ28φのキャブ×4が取り付けられている。 国内仕様はツーリングに使える穏やかな性格だった。 2ストにしては燃費が良かったそうだ。 これはガンマ500の本来の姿ではない。
また、前後スプロケは国内仕様に合わせたものだったと思う。 最高速はあまり伸びない。
しかし、スロットルを少し開けるだけで前に進む。
そこにスガヤのチャンバーなんかつけると、 すぐにウイリーする「じゃじゃ馬」になることは容易に想像がつく。 NGTさんのガンマ500がそうだった。 輸出仕様のガンマ500は95ps/9500rpm
1速がハイギアードでスタートで長々と半クラを使う必要があった。 輸出仕様のガンマ500を販売していた入間のバイク屋から 聞いた話なので事実だ。
*いまはそのバイク屋は存在しない。
そのときに買っておけばよかった。
最高速度を伸ばすギアレシオだったのだろう。 モーターサイクルスペックにある最高速度の表記は236.4 km/h となっている。 また、1986年頃だったかな?
モトライダー誌?によると、 ガンマ500は谷田部テストコースで246kを記録したそうだ。 同時にテストされたガンマ400の最高速は226k。
おそらくメーカーチューンされていたのだろう。 前後スプロケを最高速が出るロングなものに交換していたに 違いない。
焼付きが防止のため混合ガソリンだったかもしれない。 1986年頃、ガンマ500に試乗したライダースクラブの ネモケンさんいわく、
こんな凶暴なバイクを販売していいのか? と書いていた。 おそらく輸出仕様と同等のメーカーチューンしたガンマ500だった のだろう。 前後スプロケは国内仕様のままかも? そうだとしたらNGTさんのガンマ500と
同じ凶暴なバイクだったはずだ。
以前聞いた話だが、
ガンマ500国内モデルに400のマフラーを付けると フルパワーにすることができる。
というもの。 ガンマは分離給油だが、 焼付き防止のため2ストオイルを適量ガソリンに混ぜて最高速 アタックした。 輸出仕様に変更されたスピードメーターは240k+αを 指したそうだ。
そのあと安易にアクセルオフすると一気に焼付く恐れがあるので、 アクセルを開けたまま(クラッチを切って?) フルブレーキングしたそうだ。 そしてブリッピングしながら徐々に回転を落とした。 スガヤのチャンバー。
ガンマ400と500の隠されたパワーを引き出す
秘密兵器。
一度入手するチャンスがあった。
2台目のガンマ400についていたのだが、
とりあえずノーマルに戻してもらった。
チャンバーだけ後で届けてくれる約束だったが、
なんと、バイク屋で処分されていた。
非常に残念だったね。
30周年
1984年秋、
ガンマ500とGSX−R750がドイツ・ケルンショーに
登場してから今年で30周年になる。
その後GSX−Rは大排気量4サイクルバイクへの
支持を受けて、次々に後継車種が開発され裾を広げていった。
しかし、ガンマ500/スクエア4エンジンは、
GP500 7年連続メーカー選手権獲得の栄光(ガンマ:ゲライロ)
の歴史がありながら、わずか3年(1985−87)の製造期間で
その生涯を終えた。
海外に出荷されたガンマ500の生産台数の累計は約9000台
と言われている。
その後はRGV250ガンマにバトンタッチして
1990年代後半まで作り続けられた。
スクエア4エンジンがガンマ400/500に搭載されるまで
グランプリレースのフィールドで幾多の改良と試行錯誤が
繰り返され莫大な開発コストが投じられている。
いま、ガンマ400/500のことを懐かしく想い出す。
ガンマこそ名機と呼ぶに相応しいもの。
スズキが作り出した「夢のストラディバリウス」
だったに違いない。
いまはもう二度と戻らない夢なのだろう。
ガンマ400/500登場30周年おめでとう!
その栄光(ガンマ:ゲライロ)の歴史に乾杯
そろそろ次の話題のとっかかりを書いてみたい。
いまもビックバイク(4気筒)に馴染めないのは、
軽量な2サイクルガンマ400と NSR250Rを長く乗り継いできたからだろう。 その2台に出来ることを ビックバイク(4気筒)に求めてもしかたがない。 その1つがブレーキ。 重いバイクは止まらない。 2つ目は車体が大きいので ハンドリングが悪い。 いままで4気筒1000ccスーパースポーツバイクの
ハンドリングが良いなんて思ったことはない。 しかし、高速安定性とハイスピードを維持
することに優れている。
その点は大いに認める。
その両方の良い点を
備えているのビックバイクがある。 それは916以降のドゥカティスーパーバイクだと思う。
いままで最上のハンドリングバイクは、 BS002を履かせた996Rだった。 私は密かにでっかいNSR250Rと呼んでいた。
しかし、欠点が存在しないわけではない。 エンジンマネージメントがまだまだだった。 996Rに999R(05)のエンジンと コンピュータを搭載したら無敵の スーパーバイクになると思う。 しかし、実際に試みた人から、 それはできなかった。 そういう話を聞いている。 1098ではないのか? フレームが違うのでコーナリングの切れ味が変わった。 916シリーズのメインフレームには2本のクロスした
サイドメンバーが入れられていた。
1098ではメインパイプを太くして剛性を確保したが
サイドメンバーを無くしたため916のような切れ味はなくなった。
その分乗りやすくなった。
切れ味鋭い村正が、
おとなしい正宗に変わった。
そんな感じかな?
916が登場した時点で従来にない鋭いハンドリングを
持つ脅威のビックバイクだったが、
テストストストレッタと呼ばれた小型のシリンダーヘッドを
持つ996Rはそれを大きく上回る切れ味のハンドリング
だった。
まさに村正。
そうおもうね。
すでにドゥカティスーパーバイクの話が始まっている。
スズキのワークスレーサー・RG500ガンマの公道バージョン: RG400・500ガンマ
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